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Alice in Abyssal Oblivion  作者: エスティ
幕間 掃除番の誕生
99/105

chapter x-19 星詠み

 ルクステラ帝国の帝都アティ・テルは朝陽を浴び、広大な都が金色に輝く。


 中央を流れる大河は鏡のように空を映し、両岸に連なる石造りの建物が水面に揺れる。河岸には白い石の欄干が続き、柳の枝が風に戦ぎ、船乗りたちの歌声と水飛沫が響き合う。


 街の心臓部には尖塔が天を突く巨大な宮殿が聳え、赤い屋根と金色の装飾が朝陽に燃えるように輝く。


 宮殿を囲む円形の広場は色取り取りの花壇と噴水で飾られ、馬車の車輪と靴音が石畳を叩く。広場から放射状に延びる大通りは幅広く整えられ、両側に並ぶカフェのテラスや露店の喧騒が絶えない。


 石畳の隙間から顔を出す草花の香りと焼きたてのパンの甘い匂いが漂う。


 街角では吟遊詩人のハープが軽やかに響く。


 喧騒の中心、円形広場の中央に、つり目から水色の碧眼を覗かせ、1人の甲冑を着用した少女が突如として現れた。透き通るような白髪が風に靡き、全面が純白に染まった鎧が陽光を反射して眩い光を放つ。


 短いマントには金十字の紋章が金糸で描かれ、背中で静かに揺れる。


 ジャンヌ・ピュセルであった。広場に立ち止まり、澄んだ水晶を震わせるような声で呟いた。


「……ルクステラは今日も平和だな」


 微笑みかけた瞬間、空が裂けた。


 轟音が帝都を貫いた。上空で巨大な光球が膨張し、茸雲が不気味に膨れ上がる。


 次の瞬間、衝撃波が放射状に広がり、石造りの建物が一瞬にして粉々に砕け散る。宮殿の尖塔が折れ、大学講堂のステンドグラスが虹色の破片となって降り注ぐ。市場の露店は炎に包まれ、果物も肉も灰へと変わる。人々は肌が焼け爛れ、肉が溶け、骨が露わになる。


 悲鳴はすぐに湿った呻き声へと変わり、石畳に倒れ伏した人々は黒焦げの肉塊となって力尽きていく。


 ジャンヌは瓦礫と炎の海を見据えたまま、ゆっくりと上空を見上げた。


 金髪を靡かせる青い魔障院制服の少女が箒に跨っている。


 少女は振り返らない。ただ、静かに帝都アティ・テルを見下ろしている。


 ジャンヌの瞳が震え、後姿を追うように駆け足で距離を詰めようとする。


「あの姿は――まさかっ!」


 声は届かない。少女の周囲で無数の魔法陣が展開し、邪悪な光が帝都を焼き尽くそうとする――。


「——やめろぉ! ――はぁはぁはぁはぁ」


 ジャンヌは手を伸ばし、上半身を勢い良く跳ね上げた。木製のベッドが軋み、麻のシーツが波打つ。


 大きく目を見開き、額からは冷や汗が流れ、過呼吸で肩が激しく上下する。


 白いナイトガウンが汗で張り付き、部屋は王都ムウニ・ディンロから少しばかり離れたインギルド内にある簡素な個室であった。インギルドはクエスト取り扱いの他、宿屋を兼ねている。


 窓から差し込む朝陽が金十字の紋章が描かれたマントを優しく照らしている。


「夢……だったのか……」


 ジャンヌは両手で顔を覆い、震える声で呟くと、大きく息を吐いた。


 だが、胸の奥に残る焦げた匂いと青い制服の後ろ姿だけが、ジャンヌに未知なる危機を訴えていた。


 ベッドから降りると、冷たい床に裸足をつける。窓辺に置かれた水差しから水を注ぎ、喉を鳴らして一気に飲み干した。鏡に映る顔は白髪が汗で額に張り付き、瞳がまだ恐怖に揺れている。


「……アリスが帝都を……いや、そんなはずはない……だが」


 呟きは、聖騎士の誓いと少女の怯えが交錯し、誰にも届かないまま消えた――。


 ブリスティア魔障院では、アリスが帝都アティ・テル大学の入学手続きを済ませ、残された仕事は大学まで直接赴き、入学届を提出することのみであった。


 昼を迎えたブリスティア魔障院では朝の鐘が鳴り終わり、食堂に生徒の騒めきが満ちていた。


 アリスはカエルレウムマレの青い制服に袖を通し、トレイに乗ったライ麦パンを齧りながら窓辺の席に腰かけていた。アシュリーが真向かいの席で紅茶を啜り、アリスを正面から見つめる。


「もうすぐ卒業なのよ。そろそろ私服を調達したらどうなの?」

「カエルレウムマレの制服が1番体に馴染むのよ。私服ならいつでも買いに行けるけど、長年苦楽を共にしてきたこの制服は、世界にたった1着しかない――最高の普段着よ」

「わざわざ永劫の獄から回収された制服を浄化して使い回す人なんて、後にも先にもあなただけかもね」

「ふふっ、でしょうね」


 アリスが口角を上げると、釣られるようにアシュリーにも笑顔が灯る。


 しかし、真顔に戻ったかと思えば、押し黙りながら視線を紅茶に向ける。


「しばらく会えなくなるわね」

「そうね。アシュリーはどうするの?」

「もう少しだけ残るわ。魔障院新聞(マディータイムズ)の生徒たちが得た情報をクイーンズランドに売って、雇ってもらえるよう頼んでみるわ」

「応援してる。クイーンズランドって、下級使用人なんて雇っていたかしら?」

「エリートばかりが集まる業界だし、求人なんて滅多にないわ。ましてや魔障を雇うなんて、考えもしないでしょうね。でも最近は優秀な記者たちが、みんな挙って戦争に駆り出されて、人手不足になっていると聞いたわ。狙いはそこよ」

「――変わったわね。ちょっと前までのアシュリーだったら、僅かな確率に全てを懸けるのは馬鹿のすることよ、なんて言ってたのに」


 アリスがからかうように言うと、アシュリーは横を向き、語らう魔障院生たちを見やる。


「どこへ行きたいか、それさえあれば、いつかきっと辿り着ける。あなたから教わったことよ」

「実はそれ、私の言葉じゃないの。誰かの受け売りのはずなんだけど、どうしても思い出せないのよ」

「不思議よね。記憶の残像はあるのに。前々から気になってたけど、アリスが魔障院入学前の記憶を失っているのは、やっぱり深淵なる忘却の可能性があるんじゃない?」

「私もそう思っていたわ。でもこの前思い出したのよ」

「何を思い出したの?」


 アシュリーが紅茶の入ったカップをソーサーに置く。


「実家の家業よ。顔は思い出せないけど、両親が船の仕事に関わっていたことは確かよ。白薔薇の女王に会った時、私の1番古い記憶が更新されたのよ。たくさんの船があって、みんなで木材や鉄鋼を集めて、魔法を使って加工しながら設計図と睨めっこをしていたわ」

「造船業ね。でもそれと白薔薇の女王と何の関係があるの?」

「記憶の中に国王船があったのよ。国王と関係者しか乗れない船で、白薔薇の女王が乗っていたわ」

「となるとアリスの両親は、今も記憶を失ったまま、どこかで船を造っているかもしれないってこと?」

「恐らくね。今すぐ探したいところだけど、まずは大学卒業を目指すわ」

「アリスならきっと卒業できるわ。応援してる」


 アリスとアシュリーが同時に立ち上がる。アシュリーが手を差し出すと、アリスは正面から応えるように手を差し出し、互いの健闘を祈り合う。ウッドトレイを食堂に戻し、何食わぬ顔で別れた――。


 夜の鐘が鳴り終わり、ブリスティア魔障院は潮騒と虫の声だけが響く深い静寂に包まれていた。


 アリスはカエルレウムマレの寮の個室窓を開け放ち、月光に照らされた道を眺めていた。


 胸の奥で騒めくような違和感が膨らむ。誰かに見られている。いや、呼ばれていると言った方が正しいだろうか。静かに立ち上がり、青い制服の上に薄手の布服を羽織った。


 誘われるように木造の階段を音もなく降りる。寮の玄関を抜け、裏庭の古い石畳に顔を出す。


 月は満ち、銀の光が苔生した裏庭を照らす。1人の甲冑の少女が佇んでいた。見覚えのある顔だ。


 ジャンヌの全面が白く染まった鎧が月光を浴びて聖なる輝きを放つ。透き通る白髪が風に靡き、短くも煌びやかなマントの金十字が静かに揺れていた。アリスが現れると、すぐに目を向ける。


「昼頃から妙な気配がしたけど、あなただったのね……ジャンヌ」

「アリス、お前がカエルバスにいた時、ルクステラに来るなと忠告したはずだが、諦めてくれたか?」


 月光の下、交差する想いアリスは拳に力を込め、静かに一歩踏み出す。


 ジャンヌの水色の碧眼が、アリスを裁く光で見据える。だが、その奥には恐怖と哀しみが揺れていた。曇る表情には何か事情があるものとアリスは理解する。


「諦めるわけないでしょ。魔障の未来を変えるためなら何だってやるわ」

「昨晩、私は夢を見た。お前が帝都を焼き尽くす夢をな」

「星詠みの力を失ったと聞いたけど、それとも夢で起こったことを現実化する力でも持ってるのかしら」

「確かに、今の私に星詠みの力はない。だがカルド枢機卿がお前を買っている以上、見逃すわけにはいかないものでな。もしルクステラに行くというなら、ここでお前を消去させてもらう」


 ジャンヌが剣の柄に手をかけるが、アリスは丸腰だ。戦う意思などない。


 何も持たず、月光に照らされた碧眼をジャンヌに向けた。


「私は大学を卒業して教職に就くわ。何の罪もない魔障の子供たちが、魔障狩りに遭わずに済む未来を私が作る。だからこそ、私は帝都に行かなければいけないのよ」


 風が止む2人の間に月光だけが流れる。ジャンヌの瞳が初めて揺らいだ。


「お前はルクステラを破滅に導く存在だ。私は魔災と呼ばれながらも、忍び寄る魔の手からルクステラを護り続けてきた。お前がルクステラに破滅の運命をもたらすなら、お前が尊敬を集める魔障院の掃除番であったとしても、ルクステラを護るためなら、私は一端の躊躇もなく切り捨てる。悪く思うな」

「……それが、あなたの正義なの?」

「どういう意味だ?」


 鞘から僅かに剣を抜き、闇夜に光る鋭利な刃を覗かせる。


「ルクステラにも魔障がいるわ。私はルベルバスだけじゃなく、全世界の魔障の運命を変えるつもりよ。仮にあなたの夢が正しかったとしても、あなたがしようとしていることは、ルクステラの平和を維持する代わりに、全世界に住む魔障が決して報われることのない、破滅よりも遥かに残酷で、終わりなき絶望の未来へと導く行為に他ならないわ。多数派のために少数派を切り捨てることが、あなたにとっての正義なのかって聞いているのよ」

「仕方がないだろう。帝都が燃え盛り、人々が消し炭になる光景を見た。何の因果かは知らん。だがあれは紛れもなく予知夢だ。私の星詠みが外れたことはない」

「少数派の中に、貴方が大切に想う人がいたとしても、同じことが言えるかしら?」

「貴様、私を愚弄するつもりか!? 私に魔障の友などいない!」


 鞘に隠れた残りの刃を見せびらかすように剣を抜き、刃先をアリスの喉元に突きつける。


「斬れるものなら斬ってみなさいよ。ほら、剣を引くだけでいいのよ」


 アリスは自らの首をあっさりと差し出すようにしながら剣把を持ち、わざわざ斬りやすいように剣脊を首の至近距離にまで近づけた。ジャンヌは突然手が震え、剣の動きを止める。


「お前、命が惜しくないのか?」

「多数派のために少数派を犠牲にすることがあなたの正義と確信を持って言えるなら、剣を引きなさい」

「――何故私を試すようなマネをする?」

「民の幸せを心から願うあなたに、そんなことができるはずないと信じているからよ。ましてやあなたが愛する民の中に少数派の人がいるなら、尚更できないはずよ」

「……」


 ジャンヌが今にも指を動かそうとした瞬間、アリスの笑顔を前に、かつて身寄りのなかったジャンヌを拾い、惜しみなく食糧を分け与え、世話を焼いた修道女の笑顔が重なり、指の動きが止まる。


「お前はルクステラが……火の海になっても構わないというのか?」

「私なら全員を救うわ。たとえ……この身を犠牲にすることになったとしても」


 アリスが両手で剣を強く掴むと、手の平から鮮やかな水滴が滴る。


 罪悪感が脳天を突き、慌てて剣を引っ込めるジャンヌ。しばらくを間を置くと、ジャンヌは剣についた液体を振り払い、剣を鞘に収めた。アリスの両手からは夥しいまでの赤い液体が石畳や雑草に降り注ぐ。


 痛みを表情に出すことのないアリスに、ジャンヌは恐怖さえ抱いた。


「【聖人の癒し(セイントヒール)】」


 ジャンヌが両手を握りしめ、天に祈りを捧げると、アリスの手の平から傷が消えていく。


 常人を遥かに凌駕する魔力を感じ、ルクステラの聖女たるジャンヌの正体を確信する。


「アリス、お前は全員を救えると言ったな。その根拠は何だ?」

「魔障が報われる未来は常人も報われる未来だからよ。誰だって自分の大切な人が窮地に立たされる未来なんて望んでないはずよ。あなたは星詠みを外したことがないと言ったけど、それは違うわ。あなたはこれまでに予知した絶望の未来を何度も変えてきたじゃない。千年戦争中期、神の託宣を受けたあなたは、突破不可能と言われた死の包囲網を見事に突破したわ。尊敬してるの。あなたの祖国への想いは紛れもなく本物よ。だからこそ、私は魔障の未来だけじゃなく、この世界の未来も救いたいのよ」

「私の伝記を読んでいたか」

「ジャンヌ、私たちが戦うべき相手はスラッジオのはずよ。放置すればルクステラどころか、誰もが絶望に苦しむ未来を生きることになるわ」

「――考えさせてくれ」


 ジャンヌが下を向き、ベンチに腰かけると、アリスはすぐ隣に寄り添う。


 各々が輝きを見せる星空を見上げ、更なる星詠みの悪戯が起こらないことを祈るのだった。

 我らは報道機関である前に諜報機関でもあるが、外から得た情報を全て知るのは他でもない国王である。本当のことは大臣でさえ知らない。無論、貴族との接触は固く禁じられている。


 クイーンズランド編集長パーシー・マルコムの著書『制御された民意』より

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