chapter x-18 誤認逮捕
王都ムウニ・ディンロへと向かう女性が平原の上空を箒に跨りながら飛び回っている。
肩にかかっている茶色い鞄が揺れ、風が薄紫色のくせ毛を靡かせている。
隠れている片目が見え隠れするほどに速度を上げ、正門の前で降りると、召喚が解けた箒が光りながら消滅する。正門には旅人や行商人の列ができている。
トランプ兵長が荷物検査を遂行する中、列を無視し、門番たちの前に立つ。
「ちゃんと列に並んで――」
「クイーンズランド所属情報屋、ヴィオラ・ローズよ」
ヴィオラは言葉を遮るように、通行許可証の意を持つスペードのエースを見せた。
「何だヴィオラか。後が閊えてるんだ。早く行ってくれ」
「ふーん、以前はもっと厳格な態度で命令口調だったのに、随分変わったわね」
「検査をされる側の緊張を知ったものでな」
「逃走犯はどうしたの?」
「情報が入り次第、また探すつもりだ。サーマス島にも行ったが、グレイシャーはいなかった。私の勘が正しければ、奴はもうルベルバスにもカエルバスにもいない。ルクステラに魔障盗賊団の隠れ蓑があると聞いている。今は王都内のトランプ兵が不足していることもあって、門番に駆り出されているところだ」
愚痴るようにトランプ兵長が言うと、ヴィオラは眺めるような余裕の笑みを浮かべる。
「何か変わったことはない? 緋色の物品がまだ売れているとか」
「緋色の物品? 一体何のことだ?」
首を傾げながらトランプ兵長が言うと、ヴィオラは無表情ながら違和感を噛みしめる。
「例えばの話よ。まっ、何もないなら助かるわ。最近は異変ばかりで疲れるから」
「異変と言っていいかは分からんが、ジャック様が捕まった」
「えっ、あのジャック・ネイブが?」
「ああ。あの名門貴族、アーデルハイト男爵家の宝、カーバンクルの指輪を盗んだ疑いでな。ジャック様の家から見つかったんだが、私は嵌められたと見ている」
「いつもジャックにいじめられているあんたが庇うなんてね」
「確かに無愛想で邪険なお方ではあるが、悪事を働くことはなかった。特命親衛隊の隊長になれたのも、不祥事がなかった故の昇格だ」
「どうせまた調べろとか言うんでしょ。分かったわ」
「恩に着る」
正門を通過すると、王都ムウニ・ディンロの賑やかな町並みがヴィオラの目に映る。
石畳の道は迷路のように入り組み、赤い煉瓦の建物が連なり、市場の喧騒が響く。ムウニ・ディンロ市場では、生肉の血の匂い、野菜の土気、果物の甘さ、魚貝の潮気が混じる。衣服や魔導具の露店が並び、昼から騒がしい大衆酒場パブランドンの笑い声が漏れるが、ヴィオラは慣れた足取りで路地へ進む。
クイーンズランドは王族直属報道機関として、ルベルバス王国内を管轄している。
表向きは王都の人々に新聞記事を配る情報提供機関として認識されているが、其の実、外部からの情報を取り入れながらも、掲載内容を厳しく検閲している諜報機関でもあった。
ヴィオラは名目上、クイーンズランド所属の情報屋として外出していた。
関係者以外は誰も知らない路地裏の壁に規則正しく積まれている煉瓦がある。その中にある1箇所の正方形煉瓦を手で押すと、隠れていた扉が静かに開く。
関係者以外知らない路地裏の壁に規則正しく積まれた煉瓦がある。
たった1つのみある正方形煉瓦を中に押し込むと、隠し扉が静かに開く。薄暗い階段が下へ続き、湿った石の匂いとインクの香りが漂う。ヴィオラがマントを翻し、階段を降りる。
地下の隠れ家には羊皮紙の山と魔導通信機が並び、クイーンズランドの記者たちが忙しく動く。
ヴィオラが鞄を机に置き、古びたソファーに腰かける。
「おかえり。何か収穫はあった?」
隣から本を読みながら声をかける1人の女性は桃色のポニーテールに眼鏡をかけている。
アガサ・クリステルはペンを走らせ、思い描いた文字を宙に浮く別のペンに書かせている。
クイーンズランド編集長にして編集記者たちのまとめ役だ。神経質なヴィオラと度々衝突しながらも、検閲を突破した情報のみを選別して記事にし、王都新聞を裏から支えている。
「ルクステラは大変な騒ぎよ。流行り病が収まったかと思えば、今度は例の噂で持ち切り。全くどういう風の吹き回しなのやら」
「やっぱり本当なのかしら?」
「さあね。でも必ず解き明かしてみせるわ。それより、ジャックが捕まったって聞いたけど」
「本当よ。本来なら永劫の獄行きだけど、身分あるお方だから、衛兵所に収監されているわ」
「行ってくるわ。聞きたいこともあるし」
アガサは眼鏡を指で上に動かすと、何も言うことなく見送った。
来た道とは別の階段を上り、民家に紛れた建物の玄関から表へ出る。
正面の扉から何食わぬ顔で外に出たヴィオラはただの通行人にしか見えない。
ふと、真向かいからバスケットを持ちながらメモを読み、調達クエストに勤しむ少女の姿が目に映り、青い魔障院制服からアリスの姿を思い出す。
緑色のショートヘアーが陽光に照らされ、ヴィオラは思わず笑みを浮かべた。
「ここを曲がればムウニ・ディンロ市場だ」
「ありがとう。助かったわ」
「これも仕事だ。魔障狩りには気をつけるんだぞ」
「うん、じゃあね」
衛兵所に佇んでいたトランプ兵から道案内を受けたナーサリーが笑顔で石畳を闊歩する。
「君、ブリスティア魔障院の生徒?」
突然声が掛かると、ナーサリーは身構え、トランプ兵の忠告を咄嗟に思い出す。
「……そうだけど、もしかして魔障狩り!?」
「そんなわけないでしょ。私はヴィオラ・ローズ。王都で情報屋を営んでるの。アリスとは旧知の中で、同じ魔障院制服を着ているから、ちょっと気になっちゃって」
「私はナーサリー・ブリスティア。ヴィオラはアリスと知り合いなんだ」
「ええ。トランプ兵と話してたみたいだけど、何もされなかった?」
「されてないわよ。親切に道案内までしてくれたわ。私、将来は立派なトランプ兵になって、王都の平和を守りたいと思ってるの」
「――そ、そうなんだ。良い夢ね」
「自分から聞いたくせに、変なの」
目を細めながらヴィオラの片目を見つめるナーサリー。
垂れた髪が片目を隠しているが、ナーサリーはお構いなしに下から覗き込む。
赤紫の右目と青紫の左目が映ると、山に登頂したかのような笑顔を見せる。
「凄い、オッドアイなんだ」
「! ……他の人には内緒よ」
「うん。ヴィオラはこれからどこに行くの? お買い物? お散歩?」
「衛兵所で情報探し」
「何それ、面白そう。私も一緒に行っていい?」
「いいけど、情報屋の仕事って結構地味よ」
「地味かどうかは見てから決める。クエストは後回しでも大丈夫だから、一緒に行こ」
意気揚々とヴィオラの手を引くと、ナーサリーは再び衛兵所に辿り着く。
トランプ兵に事情を説明し、中へと案内されるヴィオラとナーサリー。
衛兵所の奥には鉄格子があり、何人もの人やアニマリーが収監されている。特に罪が重い者は永劫の獄へと更迭され、罪の軽い者はトランプ兵の匙加減で釈放の期限が決まる。
一際煌びやかな服装の男を確認すると、ヴィオラとナーサリーが目の前に立つ。
絵札親衛隊の隊長、ジャック・ネイブが不貞腐れた顔のまま鉄格子の中で腰かけている。
「ヴィオラか。こんな時に何の用だ?」
「誤認逮捕されたって聞いたけど」
「ん? ――誰から聞いた?」
「ヘンリー・ベイカー」
「あいつか。どうせ俺のことをボロクソに言っていたんだろう」
「逆よ。昔から一度も不祥事を起こしてないって聞いたけど、本当なの?」
「当たり前だ! この俺がやってもいないことで捕まるなど、不覚の極みだ!」
声を荒げながらジャックが言うと、ナーサリーが前へ出る。
「そうよ。この人は絵札親衛隊の人でしょ。だったら盗みなんて働くはずがないわ!」
「おい、ここはお前のような小娘が来る所ではない。さっさと帰れ」
「……は、はい。失礼しました。でも私、あなたを信じてます。絵札親衛隊はカッコ良い正義の味方で、困っている人がいたら、真っ先に手を差し伸べる紳士なんですから! 絶対冤罪ですよ!」
ナーサリーが頷き、右手で兜を取るような仕草を見せて距離を置く。すぐに他の囚人と目が合い、仲良しそうに話し始めた。ジャックはナーサリーの様子を不思議そうに鉄格子の中から見届けている。
「何故魔障の小娘がいる?」
「表で知り合ったのよ。アリスと同じ制服だったから気になってね」
「寄りによってカエルレウムマレ寮とはな」
「あの子、将来はトランプ兵になりたいんだって」
「儚い夢だ。どんなに努力をしようと、魔障はトランプ兵にはなれない。知ってるだろうが」
漠然とした嫌悪がヴィオラの脳裏に渦巻き、前髪が一瞬揺れる。
「それ、ナーサリーの前で絶対言っちゃ駄目よ。あなたは不可能と思ってるんでしょうけど、あの子ならきっとトランプ兵になれる気がする。さっき表のトランプ兵がナーサリーに優しく道案内しているところを見たのよ。以前ならまずあり得ない光景だったわ」
「アリスが王都の流行り病を掃除して王都民を救ってからというもの、どこか王都の雰囲気が変わった気がする。治安も以前より良くなった」
「! ――今、何て言ったのっ!?」
食いつくように鉄格子を両手で掴むヴィオラ。
「アリスが王都の流行り病を掃除してから魔障狩りが激減したんだ。何度も言わせるな」
――みんな思い出したんだ。アリスの確かな貢献を――本当に……良かった。
ヴィオラの目から大粒の液体が流れ、そっぽを向きながら隠そうとする。
「どうかしたか?」
「何でもないわ。何があったか教えて」
鞄から紙とペンが同時に飛び出し、ヴィオラの隣に浮遊している。
「ちゃんと記録しておけ」
ジャックが渋々言うと、逮捕された前の夜を鮮明に思い出す――。
数日前、月光が石畳を照らし、馬車の軋む音と夜風が響く。アーデルハイト男爵邸の舞踏会から帰るジャックは赤いマントを翻し、絵札親衛隊の隊長らしい威厳を漂わせる。
しかし、自らの邸宅に戻ると、トランプ兵たちが門前で待ち構えていた。
「ジャック・ネイブ、あなたを窃盗の罪で逮捕する!」
「何の冗談だ! そこをどけっ!」
トランプ兵が差し出した輝く赤い宝石を目の当たりにすると、ジャックの目が細まる。
「何だそれは?」
「カーバンクルの指輪です。あなたの寝室から見つかった」
「ふざけるな! 俺は寝室にそんなものを持ち込んだ覚えはない! おいっ! 放せっ!」
同時に2人のトランプ兵に捕まると、成す術なく衛兵所へと連行された――。
鉄格子の冷たさが背中に染み、ジャックの拳が震える。
何者かの陰謀とも思える現象を前に、ジャックは己の無力さに打ちひしがれ、魔力結界に覆われた鉄格子の壁を力一杯殴りつける。壁はビクともしない。罪人が脱獄することを防ぐための結界だ。
「ねえジャック、舞踏会に行ってから帰ってくるまでに、何か異変はなかった?」
「異変と言われてもな。アーデルハイト家には特に異変らしきものは――ハッ!」
顎に指を当て、朧気に光景が浮かぶジャック。
「舞踏会から帰る途中、妙な影を見た」
「妙な影?」
「ああ。どう形容していいか分からんが、マスクのようなものを頭からかぶっていた」
「マスク?」
首を傾げると同時に、浮遊するペンの動きが一瞬止まる。
「この件と関係があるかは知らん。だがもしかすれば、魔障盗賊団の連中が顔を隠して王都に紛れ込んでいる可能性がある。俺たち絵札親衛隊は、予てから魔障盗賊団とは敵対関係にある。奴らの仕業と考えれば説明がつく。この俺に濡れ衣を着せ、絵札親衛隊の名に泥を塗った。奴らは断じて許さん!」
「ちょっと待って! まだそうと決まったわけじゃないわ!」
「お前は何故魔障を庇う?」
「庇ってるわけじゃないわ。無実の罪を押し付けられる痛みを知っているだけよ。現にあなたも、こうして無実の罪で起訴されかけてるじゃない。このことが女王陛下の耳に入れば、これよ」
「……」
ヴィオラが手刀で首を斬る素振りを見せると、目を地面に向け、拳が緩むジャック。
「そろそろ出よっか」
少し遠くで目が合ったナーサリーに声をかけるヴィオラ。
「うん……えっと……」
「絵札親衛隊ハート隊長、ジャック・ネイブだ」
「ナーサリー・ブリスティアです」
「トランプ兵を目指していると聞いたが、何故だ?」
「私の住んでいた町が飢饉に襲われた時、地元のトランプ兵たちが物資を届けてくれて、絵札親衛隊の人たちからも励まされました。私もトランプ兵のように、正しいことをしたいんです」
「……」
ナーサリーが天真爛漫な笑顔で答えるが、ジャックにはあまりにも眩しく、反射的に目線を逸らす。
押し黙ったジャックを察してか、ヴィオラはナーサリーの手を引き、衛兵所を出るのだった。
ルベルバス王国は修道院解散をしたが、ルクステラ帝国などの周辺国は増えすぎた修道女に暇を出した。歴史的役割を終えつつあった修道女たちは改築を実行し、やがて魔障院が普及するに至った。
ヘクストゥム魔障院長グロリア・ヘクストゥムの著書『魔障院と修道女』より




