chapter 2-8 禁忌
クック海賊団改めブリスティア海賊団の象徴、海賊漁船ワンダー号が海の上の闊歩する。
アリスは船長室の扉に手をかけ、中へと入ったが、外も見えない閉塞感から再び外へ飛び出した。アシュリーが読んでいた古本を後ろから覗いてみれば、古代語と思われる文章が書かれていた。
興味深いと思いつつも、あえて気にしないふりをしながら船長室を後にする。
「船長室だというのに、アシュリーの部屋みたいになってるね」
「ジミーさんなら出ていけって言ってるところだけど、今度の船長は全然違うな」
「アリスに船長が務まるかどうかは未知数だ。今は見守るしかあるまい」
モック、グリフォア、コッツが口々に言いながら船内の16ポンド砲を配備する。
魚人族の船員は1人としていない。ジミーが船長を辞めたと知って船を降りた者は多く、就任したばかりのアリスについて行く者は限られていた。
木箱の中から砲弾や火薬を取り出し、尾栓を開けて装填する。
アリスが命令を下すまでもなく、各自が長い船旅に備え、右往左往しながら歩みを進めた。やがて陸側に町が見えなくなると、アリスはやることがないのか、大きく口を開けながら両腕を真上に伸ばし、時間を持て余していた。暗雲が徐々に増えることにも気づかないまま時が過ぎた。
マルアスは船の前方に居座り、初めて見る地形に驚嘆を覚え、ピクサーブはワンダー号の設計に興味を持ちながら分析を始め、改めて人間界ヒューマースの技術を前に開いた口が塞がらない。
コッツが全ての大砲に砲弾と火薬を装填すると、手慣れた動きにアリスは目を奪われた。
「武器の使い方を心得ているのね」
「グラン鉱山にいた時はクリーチャーが度々襲ってくることがあったからな。武器に弾を込める作業には慣れている。町の仕事で使うことはまずないがな」
「このままブリスティア海賊団に居続けたら?」
「それは願ってもないことだ」
「ブリスティア魔障院を卒業したら、アティ・テル帝立大学に通うわ。しばらくは海賊団から離れることになるけど、メイベルたちも一時的な船員として乗船してるだけだし、私がいない時はコッツに船長代理を務めてほしいの。グラン鉱山で派遣罪人たちを指導していた経験があるでしょ」
「いきなり大役か。他の連中も賛成なら考えておこう」
コッツが苦笑いを浮かべながら言葉を残すと、すぐさま後ろを振り向き、モックへの指導に回った。
最初こそコッツが教わる側であったが、仕事の割り当ては派遣罪人時代から手慣れている。
グラン鉱山で作業と指示を繰り返していたコッツを観察していたアリスであった。人手不足はブリスティア海賊団とて同じである。船員を選んでいる場合ではない。
マストを見上げてみれば、ビルが見張り台に上り、固定された望遠鏡から行く先を覗いていた。
軽やかに飛び降りると、ビルとアリスの視線が一致する。
「どうかしたのか?」
「前々から気になってたんだけど、みんなは一体何者なの?」
「平たく言えば、元無法者ってとこだな。俺は海の逸れ者、グリフォアは空の荒くれ者、モックは王都から逃げ出した訳あり者だ」
「訳あり者?」
アリスが首を傾げると、ビルは目を細めながらモックの仔牛のような鼻に同情の視線を送る。
「モックは錬金魔法で生み出された代用海亀だ」
「代用海亀……でも錬金魔法って、古代で使われていた魔法じゃないの?」
「ああ。ちょっと昔まではな。俺も話を聞いた時は驚いた。何故モックが海亀族であるにも拘らず、仔牛の鼻がついているのか、気になったことはなかったか?」
「ええ、ずっとよ」
アリスは平気を装いながら言葉を返した。ビルにはお見通しだ。
緩やかに揺れるワンダー号を囲むように、薄紫色の霧に紛れた影が迫る。
霞むように視界が悪くなると、アリスは錬金魔法にまつわる記述を思い出す――。
錬金魔法は大帝国が世を収め、長きにわたる支配が続いた古代の産物であった。
各国の古文書によれば、錬金魔法はかつて人間界ヒューマース全土を支配したとされる大帝国において権力の象徴と呼ばれる存在であった。魔力、物質、遺伝子などを即座に組み込むことで様々な魔導具を世に送り出し、時には魔導兵器として戦争にも利用され、大帝国は繁栄を究めた。
しかし、何を思ったのか、大帝国最後の皇帝は錬金魔法を自らの使い魔であったアニマリーに用いた。皇帝の使い魔は錬金魔法によって組み込まれた凶悪な遺伝子による闘争本能と膨大な魔力を制御できず、狂気に満ちたクリーチャーと化し、皇族や貴族を始めとした人々を容赦なく皆殺しにした。
結果、大帝国を収める有力者が一瞬にして姿を消し、錬金魔法によって暴走を始めたクリーチャーは各地から集結した勇者によって葬られた。だが皇帝の使い魔がヒューマースに与えた影響は大きく、地方貴族は世界各地を独立させた。大帝国は衰退の一途を辿り、分解されるに至った。事態を重く見た元老院は再統一を図ったが、繁栄の基盤は破壊され、全ては後の祭りであった。
以後、錬金魔法は使用を禁じられ、関連書物のほとんどが焼却された。語ることさえタブーとされたまま月日が経ち、人々は錬金魔法の使い方さえ忘れた。千年戦争が始まると、ルベルバス国王もルクステラ皇帝も血で血を洗う終わりなき争いに終止符を打とうと、魔導兵器の開発を命じた。あらゆる時代の文献を漁り、不幸にも焼却を免れていた錬金魔法の書物が掘り出されてしまったのだ。
「――王宮はとんでもねえ実験を行った。あろうことか【錬金】の使い手、錬金魔術師の育成を始めた。その拠点がムウニ・ディンロ王立大学を始めとした魔法都市大学だ。モックはどこにでもいるただの仔牛だったが、ある時王宮の連中に群れごと捕えられた。食用魔生物に指定されたモックたちは、錬金魔法の力で海亀族の遺伝子を組み込まれ、見るも無残な姿になっちまった」
「酷い……アニマリーを錬金魔法の実験に使うなんて」
アリスは眉間に皺を寄せ、眼球を赤らめ、拳を強く握りしめた。
真後ろから聞き耳を立てていたメイベルは手を震わせ、乾いた唇を固く閉じた。
アシュリー、メロディ、ベラもまた、音を立てないまま首を出して見守っている。
「誰がそんなことをしたの?」
「当時の枢密院魔法官、トマス・リッチだ。先代王は海亀のスープを好んでいた。だが条約によって保護された海亀族の調理が難しくなると、先代王に忖度したトマスが狂った計画を思いついた。仔牛に海亀族の遺伝子を組み込み、代用海亀として用いることだ。自らの出世のためにな」
「……信じられない」
「もっとも、トマスはとっくに処刑されている。王宮使用人の密告で、まだ実験段階のまま調理された食用魔生物であることを知った先代王の機嫌を損ねた。味が気に入れば見逃してもらえただろうが、口に合わなかったんだろう。モックは殺処分されかけたが、直前になって問題が発生した。魔障盗賊団による王宮貯蔵庫侵入事件だ。少しでも逃げる時間を稼ごうと、食用魔生物の檻を全て解放した結果、モックは命からがら逃げ遂せたってわけだ」
「星詠みの悪戯ね」
アリスはモックの事情を知っているであろうジミーを憂いた。
誰かの行いが別の誰かを殺し、別の誰かを救い、歴史をも変えた。
自分のしていることは、まさしく魔障盗賊団と同じではないかと言われているようで、アリスは胸を突くような不快感に襲われた。額から滲み出た汗が顎にまで伝い、甲板の上に滴る。
指の力が緩み、拳を解いた。大学を目指すのは良いが、教職に就いてからどのようにして世を変えるのかまでは特に考えがない。掃除魔法が多くの運命を変え、自らの道を切り開くことばかりに目を奪われていた現実に気づかされ、他者を省みることを失念していた。
「魔法ってのは、本来であれば、最も驚異的なものとして扱われるべきだ。それなのに、人間共はまるでおもちゃのように、その力を振り回してる」
「世のため人のために正しく使おうとする人もいるわ。魔導具だってそうよ」
「いいか、あんたらが作ってきた魔導具ってやつの問題は、その気になりゃ、誰でも使えるってことだ。あんたらは先人が記してきた書物を読んで次へ進んだだけだ。自力で得た知識じゃないから、魔法に対する責任感もない。天才たちの肩に乗っかって、何を作ってるのか認識もせずに、ただ完成を急いだ。その結果が……大帝国の滅亡とはねぇ~。できるかどうかってことに心を奪われて、すべきかどうかは考えなかった。アリス、お前さんは世のため人のためと言ったが、人間は……世のため人のためと言って最悪なことをたくさんしてきた。どんなに崇高な夢であろうと、知識と責任が伴わなければ……ただの傲慢だ」
せせら笑うようにビルが言うと、返事を聞くこともなく、尻尾を巻いて持ち場へと戻っていく。
ルベルバス王国とカエルバス王国の国境線が見えた。
厳密に言えば、ウァリアンス長城と呼ばれる石積みの城だ。許可もなくこの場所を越えた者は侵略者と見なされ、敵国から容赦ない集中砲火を浴び、隣接する都市同士の抗争が後を絶たない。
一定の距離毎に結界に守られた監視塔が建ち、魔力が籠った石壁で堅く守られている。
石壁の前後には堀が掘られ、横幅いっぱいに広がっていた。
ルベルバス最北端の地方都市ルスッカ、カエルバス最南端の地方都市ラシェコが睨み合いを続ける歴史は実に根深いものがある。国境を素通りするが、アリスたちはカエルバス王国まで来た実感はない。
「入国……したのよね?」
霧が晴れてくると、ベラが恐る恐る言った。
「ビル、王都ラバン・ディエまでどれくらい?」
アリスが船長帽を片手に持ちながら頭にかぶり、首を上に向けながら尋ねた。
「あと数時間ってとこだな」
見張り台の固定望遠鏡から両目を覗き込ませているビルが雑に言葉を返した。
全方向に回転させながら監視を進めると、異変に気づいたのか、ビルが対象を凝視する。
「6時の方向に3隻の船が見える」
「何ですって!?」
「大きさと形からして、カエルバスの海賊船だ。出番だぜ。船長さんよ」
「私はアリスよ。船長としてではなく、1人の人間として問題に対処するわ」
「ふっ、そうかい。アリス、指示を出してくれ」
「分かったわ」
アリスがコッツと視線を合わせながら頷くと、コッツは16ポンド砲を動かした。
大砲は船が横を向いていなければ使えず、真後ろから多勢の敵に対処する方法は逃走のみである。
アリスは即座に進路を右にズラすよう身振りでモックに指示する。舵輪が軋み、船体が軽く傾きながらワンダー号は風を捉えて加速する。甲板では砲手のコッツが16ポンド砲の尾栓を開け、火薬と砲弾を詰め込む作業に追われている。見張り台にいたビルから新たな手旗信号が敵船の距離と俯角を示している。敵は3隻もいる。少しばかり距離はあるが、風向きから追ってくる可能性が高い。
片手で箒の穂先を望遠鏡に変形させると、穂先に丸いガラスの姿が見えた。覗き込んでみれば、敵の帆の形状を確認。紛れもなく大型船であった。武装は未知数。ワンダー号の機動力を活かすべく、浅瀬の多い島影へ向かう策を立てる。グリフォアが海図を広げ、指で最寄りの岩礁帯をなぞる。アリスの頷きを受けると、モックは更に進路を微調整するべく両鰭で舵輪を動かした。
帆を操るメイベルたちはマストに登って縦帆を半分畳み、急旋回に備えた。甲板下では火薬庫から追加の砲弾を運ぶコッツが汗と塩水に塗れる。砲列の左右ではコッツが点火棒を手に構え、次の合図を待つ。見張り台のビルは再び旗を振る。敵船と思われる船が速度を上げ、俯角が僅かに増した。距離が縮まりつつある。アリスは一瞬空を見上げ、風向きを確かめる。ワンダー号のバウスプリットが波を切り裂く音が響く中、船は島影の輪郭へ向けて加速する。敵の追跡を振り切るか、浅瀬で待ち構えて一撃を加えるかの判断は次の数分で決まるとビルは確信する。動きに乱れはなく、静かな緊迫感の中でまとまっていた。
3隻の帆影はいずれもワンダー号より大きく、遠目にも砲門の黒い口が覗く。
砲撃準備の命令が頭を過るが、グリフォアが海図を指差し、首を振る。多勢に無勢だ。
16ポンド砲10門で正面からの戦闘が無謀であることは火を見るよりも明らかであった。アリスは顎に手を当て、視線を水平線の先に走らせると、前方に浅瀬の岩礁帯が目に映る。魔導兵器として開発された大砲であれば、魔石の力を使えば砲撃を自動で行うこともできるが、やはり装填には時間がかかる。
空から冷たい雫がコッツの鼻先に落下すると、ひんやりとした感覚を覚えた。
「いかん! 雨が降ってきた! これじゃ大砲が使えねえ!」
コッツが大砲を心配そうに見つめながら言うと、アリスに渋い顔を向けた。
「だったら敵船をお掃除するわ」
「待って。敵はカエルバスの海賊船なのよ。もしルベルバスの魔障が海賊船を全滅させたなんてことが知れたら戦争よ。赤薔薇の女王にも魔障院解散の口実を与えてしまうわ」
メロディが慌てて制止するようにアリスの右腕を掴む。
「それはそうだけど、みんなの方が大事よ」
「みんなってのは、アリスと愉快な仲間たちだけか?」
「……」
マルアスが尋ねると、アリスの表情が曇る。
自らの力の行使に躊躇していると、雨音は激しさを増し、1隻の海賊船が砲弾を放ち、ワンダー号のすぐ近くに沈む。最早迷っている暇などなかった。
判断を迫られ、アリスは焦りから内なる恐怖を覚えた。
平時は漁船として大漁を狙い、非常時は敵からの逃走と戦闘に適した船を造れと無茶を言われたのは初めてであった。海賊漁船と揶揄され、酔漢からはワンダー号と勝手に呼ばれる始末。だが悪くはない。
ルベルバス王国航海士ジョージ・リデルの著書『至宝手記』より




