chapter 2-6 派遣罪人
アリスは至って冷静だ。足元には崩れ落ちたグランディオンの岩石が地面に転がっている。
ブロンドの髪が後ろに靡き、崩れた岩が見えたが、岩の隙間から見覚えのある物体が姿を現した。
部位を構成する岩から黒き汚泥が滲み出た。泥が魔石を飲み込むと、岩と岩を繋ぐように再生し始めたばかりか、罅割れさえ塞ぎながらグランディオンの体が原型を取り戻した。
岩の内側から膨大な魔力を感じ取るピクサーブ。
「嘘だろ……まさかこんなことが」
「やはり奴が1枚嚙んでいたか。汚泥粘液スラッジオ」
ピクサーブが4本の翼を広げ、マルアスの隣に並ぶ。
アリスは油断することなく、上空から振り下ろされる巨大な拳をかわした。
よろめくほどの地響きがする拳だ。直撃すれば一溜りもない。
グランディオンと距離を置きながら【分析】を使い、巨大な岩の中にスラッジオが放つ邪悪な魔力反応がピクサーブの目に映る。
「スラッジオって、エンジェリアで魔王ダイモニアに憑りついていた奴じゃねえか。何でこんな所に」
「私が住んでいたリーフォレストにも現れた。あの時は猛毒蜂ビーネットに憑りついていたが、どうやら奴は憑りついた生物を狂暴化させるだけじゃなく、内に秘めた本能や能力まで呼び起こし、無差別な破壊活動を働かせる方向に仕向けるようだ」
「こいつが色んな世界で大暴れしてるってのは分かったけどよ、一体何のためだ?」
「私にも分からん。1つ確かなのは、スラッジオが全ての世界にとって共通の敵であることだ」
アリスは穂先を元に戻すと、再び先端に魔力を込めた。
「【魔力掃除】」
グランディオンに向けて輝きを帯びた魔力を飛ばした。
しかし、以前よりも真っ黒に染まった怒り狂うグランディオンはいとも簡単に魔力を弾いた。
アリスは不敵な笑みを浮かべた。ピクサーブはアリスが戦いを追い求めているように見え、初対面以来またしてもアリスに恐怖を抱いた。攻撃が効かなかったことを落胆するばかりか、クリーチャー討伐に遣り甲斐すら感じていたのだ。常識的に考えれば、とても魔障が抱く感情ではない。
無論、それは地上から様子を見上げていたアシュリーも同様であった。
アリスの逞しいまでの戦意は血染めの戦場に舞う赤薔薇の女王と見事なまでに重なった。
「再生能力を持っているなんて。しかもアリスの魔法まで弾かれたんじゃ、埒が明かないわ」
「大丈夫よ。アリスを見て。まだ余裕のある顔よ」
「アリス、なんか頼もしいけど、ちょっと怖い」
アシュリーがボソッと呟くように小さな口を動かした。
「アリス、ここは私がやるっ!」
睨みを利かせるように【貫通の槍】を召喚する。反撃の狼煙を上げるようにグランディオンに向かって一直線に飛び、腹部から背中まで突き抜けるように貫いた。
またしても体が崩れるが、虚しくも体が再生し始めた。
黒き汚泥が姿を現し、邪悪なる魔力を発生させながら岩を連結させ始めた。
「今だっ! アリスっ! 奴を浄化すれば勝てる!」
ピクサーブが叫ぶと、アリスは穂先を元に戻し、魔力を込めた。
「お掃除の時間よ。【浄化掃除】」
穂先から聖なる光が放たれると、岩の内側に纏っていた黒き汚泥に浴びせるように直撃し、浄化の魔力が汚泥を蒸発させるかの如く消滅させていく。
スラッジオは呻き声を上げ、灰色の塵となって消えていく。
岩に潜みながら浄化の魔力を避ける姿はアリスを予見しているかのようだ。
黒き汚泥の力を失ったディオンは元の姿に戻ることはなく、やがて生命反応が消えると、灯の潰えた頭蓋骨と化した。自らの意思を持たないディオンは、もはやただの魔石であった。
「やったわ! 流石アリスねっ!」
「ふぅ、一時はどうなるかと思ったけど、一件落着ね」
メイベルとメロディが手の平同士を触れさせると、魔石を拾い上げるアリスのそばへと駆け寄った。
「信じられん」
「魔岩窟グランディオンを……倒しやがった」
「あれほどのクリーチャーを魔障が討伐するとは」
コッツたちもまた、箍が外れたように笑みを浮かべた。
有史以前より、魔石は様々な使い道が開拓されている。魔力を消耗せずに魔法を使ったり、魔導具の動力として用いたりするが、戦場で魔導兵器として使われるようになると、民にも魔導具として応用されるようになってからは文明の利器となった。
魔障にとっては魔法を使わずとも生活が営める補助輪であったが、自らの需要を奪う脅威でもあった。
思い入れがないばかりか、魔障に危機をもたらした災いの象徴を箒の吸い込み口へと放り込んだ。
魔岩窟グランディオンを構成していた魔石を全て回収すると、派遣罪人たちに顔を向けた。
「あなたたちは自由の身よ。派遣罪人を監視する人がいないなら尚更ね」
「無駄だ。下山したところで、トランプ兵に捕まるのは時間の問題だ」
「だったら私が話をつけるわ」
「アリス、今の俺たちは主人なき奴隷だ。誰にも仕えず生きていく方法など知らん。自由と言われたところで何をすればいいか分からん。俺たちは覚えることは教えられたが、考えることは全く教えられてこなかった。将来はどこかの雇用主に従事するものと思っていたが、失われた大飢饉が俺たちの路線をぶっ壊しやがった。魔障だけじゃねえ、俺たちアニマリーにも居場所がねえんだ」
コッツが述べると、周囲の派遣罪人が共感を示すように視線を向けるも、すぐにそっぽを向く。
グラン鉱山にいた派遣罪人が各地方から送られてきた失われた大飢饉の被害者であることをアシュリーが感づくと、アリスの袖を指で摘まむ。
「ここはあなたが責任を持って面倒を見るしかないわね」
「どうしてよ?」
「あれを見て。他のクリーチャーたちがここを根城にし始めたわ」
「活発化しているようね。早く引き上げた方がいいわ」
「アリス、グランディオンを倒したのは立派だけど、ここの主を倒したことで、今まで押さえつけられていたクリーチャーたちが羽を伸ばすように暴れてるわ。こうなった以上、コッツたちはここに住めない」
「アシュリーは魔生物学を専攻してたもんねー」
「常識よ」
メイベルが後ろからアシュリーの小さな体を抱擁すると、アシュリーは照れながら淡々と言った。
クリーチャーには食物連鎖という名の序列が存在する。主となるクリーチャーが居座る内は、如何なるクリーチャーも主を警戒し、生存本能のために活動を抑えるのだ。
しかしながら、自らの魔力を上回る存在がいなければ、今度は自ら主になろうと縄張りを拡大し始める共通の習性を持っている。一度威嚇を始めれば、序列争いが収束するまでは避難を余儀なくされるのだ。
「じゃあ一度ドゥブリスに来てみる?」
「ドゥブリスって、荒くれ漁師たちが住まう港町って聞いてるけど、大丈夫なのか?」
派遣罪人の1人が不満そうに言った。グラン鉱山の外は久方ぶりである。
20年も経てば常識など変わっている。だが罪人として毎日同じ刑務作業を繰り返していれば、行き場のない不安だけが渦巻いているのも無理はない。
失われた大飢饉の被害者とはいえ、今更戻る場所もなく、故郷は派遣罪人のことなど疾うに忘れている。アリスはまたしても禁忌の箱を開けたのだ。
「心配ないわ。確かにドゥブリスの人たちは荒っぽいけど、明朗快活で逞しい人たちよ。もし不当に扱ってきた時は私がどうにかする。魔障だって責任くらい取れるわ」
「俺たちも魔障だけどな」
1人の男が言うと、和むように笑いの風が吹く。
ドゥブリスまで戻ろうと大勢の魔障やアニマリーたちがアリス一行に続く。
クリーチャーに気づかれぬよう木陰や岩陰に隠れながら足音を立てずに移動する。
流石にクリーチャーの特徴を理解しているのか、派遣罪人たちは何事もなく下山する。アリスは箒を持ちながら周囲に目を配り、先頭を歩くピクサーブがクリーチャーの気配を感じると、道を塞ごうと立ちはだかるクリーチャーを薙ぎ倒し、落とした資源を拾い上げ、アリスの箒へと放り込んだ。
日が沈み、再び夜が空けた。大名行列の如く、ぞろぞろとドゥブリスの町へとアリス一行が近づく。
戦地からの凱旋の如く、アリスたちは隠れても目立つくらいに注目を浴びた。
アリスはドゥブリスの人々に交渉し、事実上の釈放となった派遣罪人の引き取りを求めた。
ルベルバス法典によれば、罪人は監視者不在となった時点で無罪放免とある。
無論、前科持ちであれば、下級使用人であっても簡単には雇用されない。
盗みを働かなければ生きていけない世になろうとも、前科者に冷たい風潮だけは残り、魔障たちは締め出されるように、次々と虹の向こう側へと渡ったことが見て取れる。
「しばらくは鉱夫たちを下級使用人として雇ってくれるお店ばかりで助かったわ」
「ドゥブリスがどこもかしこも人手不足だったのは幸いだったわね」
「だがあの様子では長続きしそうにないな。あくまでも一時凌ぎだ」
「問題はコッツね。元からグラン鉱山にいたし、町の文化にも不慣れみたい」
コッツがアリスから顔を背け、憮然とした表情のまま俯いた。
淡い期待を持つこともなく、クック海賊団の元へ赴いた。
モックが船のデッキから空を眺め、口を開けながら途方に暮れている。
クック海賊団は漁業不振が続き、遠出を考えていた。しかし、遠出となれば隣国を縄張りとする海賊とも戦わなければならず、負ければ船を乗っ取られ、命の危機さえある。
地平線を眺めるジミーの後ろからアリスの小さな足音が響く。
「やっぱり戻ってきたか」
アリスに背中を見せたまま呟くジミー。
「船長、魔石を確保したわ。この船に使える魔石はあるかしら?」
「ハッ、どうせ使い物にならないものばかり――なっ!」
ジミーは開いた口が塞がらなかった。デッキにはアリス一行がグラン鉱山で採取した数多くの魔石が山のように積み上がっている。真っ先にモックが見つけると、アリスに駆け寄り、両手を握った。
「これ、本当にくれるのかい?」
「ええ、私たちをカエルバスまで乗せてくれるならね」
「俺はそんなことは一言も言っとらんぞ」
「船長、もういいじゃないですか~。僕らが遠出できなかったのは、魔石が足りないからなんですよ~」
「うるせえっ! お前は黙ってろっ!」
「ひいっ!」
全身を震わせ、仔牛のような鼻をヒクヒクとさせながら顔を隠した。
アリスに同情の視線を向けるモック。ビルは尻尾を上に向けたままジミーに近づく。
「船長、このままずっと魔障から逃げるつもりですかい?」
「……アリスには感謝している。だがもう魔障盗賊団に関わるのはうんざりだ」
「だったら何故アリスを船員として認めたんです? 本当は期待してるんじゃないんですか? アリスが道を切り開いてくれることを」
「――あんな思いは二度としたくねえってだけだ」
再びそっぽを向くジミー。だが今度は目を逸らさせまいとアリスが正面に立つ。
両手でジミーの両肩を掴みながら位置を固定すると、アリスは顰めっ面を見上げながら目を凝らした。
「奥さんの件は魔障盗賊団が悪いと思うわ。もしこのままグレイシャーの逃走を許せば、また何の罪もない人たちが犠牲になるのよ。魔障が事件を起こせば、私たちも外を歩きにくくなる。あなたはそんな生き辛い世の中でいいの? それともトランプ兵に逮捕を任せるつもり? もっと骨のある男だと思っていたけど、王政のことを悪く言う割に、自分は何もしないのね。無理を言っているのは承知の上よ。私は……魔障や魔障でない人も、アニマリーやクリーチャーにとっても、誰もが生き易い世を築くために教職を目指しているわ。そのために魔石が必要ならお安い御用よ。次は何が必要?」
「けっ! まるで女王気取りだな! ……お前さんは似ている……赤薔薇の女王に」
ジミーが力なく言うと、アリスは肩を落とし、目から希望の光さえ失いかけた。
「だがこれだけ提供してもらうなら、俺も覚悟を決めねばならんようだ」
アリスが顔を上げると、段々と上がる日光に照らされるジミーが神々しく映る。
「暴君の如く唯我独尊。その気になりゃあ、連中の居場所やクリーチャーの巣窟さえ、いとも簡単に掃除しちまう。お陰様でドゥブリスはさぞ忙しくなるだろうよ」
「……船長は何でもお見通しね」
「だがお前さんなら……この腐りきった世を……掃除できるかもな」
歯を見せながら目を細めるジミー。その目には若かりし頃の覇気が戻っていた。
釣られるように口角を上げるアリス。ジミーの答えは明白だ。
「アリス、お前さんにこのワンダー号を譲ろう。今日からお前さんが船長だ」
「えっ……私が船長!?」
「実を言うとな、前々から引退しようと思っていたところだ。誰かさんが海を浄化してからも漁業不振が続いた責任もある。昔は飢饉の時でも大漁だったんだがな……俺の勝負勘はとっくに枯れていたらしい」
「だったら俺も、ジミーさんにお供しますぜ」
コリーが両腕を組みながら言った。ジミーに憧れて海賊を始めたことが見て取れる。
「他の船員たちはいいの?」
「気にするな。あいつらは従うことしか能がねえ。妙に鋭いのが玉に瑕だがな」
のっそりと船を降りると、ジミーは後に続くアリスを振り返った。
何も言わず1人で後をつけた。メイベル、メロディ、ベラはモックたちにすっかりと馴染んでいた。
アシュリーは1人潮風に吹かれながら髪を靡かせ、船内の本を読み漁っていた。どれも航海術にまつわる書物ばかりであったが、中には読んだこともない御伽神話までもが陳列されていた。
古本を手に取り、魅入られたように活字を読むアシュリーであった。
時折興味深い現象を目の当たりにする。異界で起こる危機はまるで我々の世に警告するかの如く、連鎖的に災いが伝染するのだ。中でも我々が住む人間界ヒューマースが異界の影響を諸に受けやすいことは実に興味深い因果である。まるでペテン師の細長い手の平の上にでも居座っているかのようだ。
古代神獣召喚士ヴォルカ・サリナシオスの著書『異界冒険記』より




