chapter 2-2 失われた大飢饉
アリスと対面するトランプ兵長は以前よりも小さく見えた。
敵意こそ感じないが、アリスは門番としてのトランプ兵長をよく覚えている。
魔障が侮蔑されるのはよくある話だ。アリスにとっては既に水に流した過去ではあるが、易々と信用はできないのだ。ましてや赤薔薇の女王の手先とあれば警戒せざるを得ない。
今までの仕打ちを考えれば、アリスの反応は当然と言わんばかりに顔を逸らす。
「アリス、あなたが権力を嫌うのは分かりますが、一度話を聞いてあげなさい」
「……赤薔薇の女王からの命令を持ってきただけなら、早く言ってくれないかしら?」
「いや、これは王命ではない。私から個人的に頼みたいことだ」
「どういうこと?」
首を傾げながらアリスが尋ねた。王国に従順忠実なトランプ兵の言葉とは思えない。
「話は他でもない。この前永劫の獄から脱獄した凶悪犯を捕まえてもらいたい」
「凶悪犯?」
「魔障院新聞を読まなかったの? アシュリーが発行していたはずよ」
「今日の新聞は読んでません。定期試験に向けた勉強をしていたので」
「……」
トランプ兵長がレイシーの方へと顔を向けた。
「では今読みなさい。とても重要な事項ですよ」
レイシーが丸めた新聞をアリスに手渡すと、1人の男が一面に大きく取り上げられていた。
グレイシャー・フロスト。かつてルベルバス王国で失われた大飢饉が猛威を振るっていた時期にブリスティア魔障院を成人卒業した魔障として知られる。不能型の魔障にして何1つ魔法が使えなかったが、勉学に優れたアルブムシルヴァ寮の中でも屈指の優等生であった。
同期の中で最も早く卒業単位に到達し、各魔法都市の掲示板にまで掲載されたが、突如として失われた大飢饉が各国に襲い掛かり、作物が値上がりし、生活苦から盗みを働く者が後を絶たず、治安は悪化する一方であった。成人卒業を迎えた後、職を探すも見つからず、どこも失われた大飢饉に屈したかのように人を雇わなくなり、生命の危機を覚え、世に失望したグレイシャーは仲間を集い、魔障盗賊団を結成するに至り、まずは王宮貯蔵庫を調べさせた。
魔障盗賊団は闇市で日銭を稼ぎながら年月をかけ、遂に王宮貯蔵庫が月替わりの日付を跨ぐ間のみ警備が緩くなる情報を得ると、ここぞとばかりに忍び込んだ。
結果、魔障盗賊団は一斉検挙された、主犯であるグレイシャーは重要参考人も兼ねて永劫の獄へと繋がれたが、他の魔障は民衆への見せしめとして首を刎ねられた。
これが、暴君王ハンクによる魔障への粛清であった。
「今だから言える話だが、私はグレイシャーと一緒に飲んでいた魔障の仲間たちが強盗計画を企んでいることを嗅ぎつけ、王宮貯蔵庫へ忍び込む算段であることを知った。そこで月替わりに警備が緩くなるという嘘の情報を撒いた。魔障盗賊団を一斉検挙するつもりが、まさか友人を逮捕することになるとは思いもしなかった。信じてもらえないかもしれんが、私が知っていたグレイシャーは、凶悪犯として逮捕されるまでは誠実な好青年だった。一度だけ永劫の獄まで会いに行ったことがある」
「よくあんな場所まで行く気になれたわね」
「――あの時、獄中のグレイシャーは最後にこう言っていた。もし俺に罪があるのだとすれば、それは自分を守ってくれない弱い王国に生まれてしまったことだ……とな。私が彼を逮捕した際、お前が王国を裏切ったと言ったが、今にして思えば、王国が先に魔障を裏切っていた」
「「……」」
トランプ兵長が力なく言うと、アリスとレイシーは初めて同情の念を示した。
魔障の境遇についてはアリスにも思うところがある。しかしながら、それは罪を犯してもいい理由にはならないとも感じ、開き直ったようにそっぽを向いた。
グレイシャーたちの罪は強盗殺人であった。
やっとの思いで職に就いたばかりのトランプ兵たちが帰らぬ者となったなったばかりか、魔障盗賊団によって犠牲となった者の中には女子供までいた。道中で姿を見られ、証拠隠滅を図ったのだ。
魔障による強盗は今に始まったことではない。失われた大飢饉以前から幾多も行われ、背景には貧困、疫病、飢饉、格差、変革が常に混在していた。
人々は魔障盗賊団の所業を許すことはなく、裁判では団員たちが民衆に向けて潔白を訴えるも、自己責任と一蹴され、情状酌量もなければ減刑されることもなく、多くの魔障が断頭台の露と消えた。数ある飢饉の中でも民衆に与えた影響が特に大きく、平民の多くが飢え、王族や貴族でさえ緊縮を余儀なくされる規模であったことから、失われた大飢饉と呼ばれた。
以来、魔障への風当たりはより一層強固なものとなった――。
「どうりで王都の門で会った時、あんなに冷たかったわけね」
「魔障を一括りにして目の敵にしていた。だがそれは間違いだった。お前は流行り病を掃除して多くの命を救った。活躍を目の当たりにした時、崖から落ちそうになっていた私を助けてくれたグレイシャーの姿が目に浮かんだ。悪いのは魔障ではなく、彼の純真な心さえ変えてしまった……世の理かもしれん」
「魔障の立場が急激に悪くなったのは『魔導革命』の頃よ。千年戦争中期、優れた魔導兵器を生み出そうとルベルバス王国とルクステラ帝国との間で革新的な魔導兵器の開発が行われたわ。千年戦争末期には多くの需要を生み出した魔導兵器が魔導具として民衆にも普及して、生活が劇的に改善されたのよ」
「それの何が問題なんですか?」
「誰かにとっては良いことでも、別の誰かにとっては大きな問題だったりするのよ。魔導具が自動で家事を行うようになった結果、主に下級使用人として雇われていた多くの魔障が一斉に失業したわ」
「それで食い扶持を失って、強盗を始めたんですか?」
「ええ、その通りよ。当時の魔障院は魔障を下級使用人として育成するカリキュラムだったわ。何度も改革が打診されたけど、魔障院は下級使用人を雇用主に送り出すことで利益を得ていたために改革はできなかったわ。でもグレイシャー・フロストが魔障盗賊団を結成して大きな問題にまで発展した途端、真っ先にこのブリスティア魔障院に王都から改革通知が届いたわ。二度と魔障から強盗を出すなとまで言われたけど、最も改革に反対していたのは王都だったのよ」
「既得権益は思考を停止させる猛毒であることが浮き彫りになった。雇用主たちも反省していたな」
魔障院はこれまでのカリキュラムを大幅に改訂し、下級使用人としての育成を残しながらも、失業後自力で生きていくことを前提とした実学的な内容へと変わっていき、採取や野宿が必修科目として組み込まれるほどであった。無論、アリスも確かな影響を受けていた。
アリスは悩んだ。グレイシャーを野放しにすればどうなるのかと。
卒業単位に到達することも重要ではある。レイシーが反対する理由も、無事に卒業させたいと考えれば説明がつく。レイシーはあくまでも魔障院長としての立場を崩すことはなく、アリスを呼び出したのは意見を仰ぐためと理解する。反対ではあるが、絶対ではないのだ。
グレイシャーの逮捕は魔障にとっても必須事項である。
何かあれば魔障の評価が下がり、大学進学が難しくなるのではと懸念する。
「兵長さん、せめてアリスが魔障院を卒業してから依頼しては如何かと」
「それでは遅すぎる。グレイシャーは魔障盗賊団を率いている団長だ。今でも彼を慕う部下がいるくらいだからな。目的のためなら手段を選ばない。脅すわけではないが、魔障が問題を起こせば、進学も雇用も難しくなるだろう。無理にとは言わんが、これを早期解決できるのはアリスだけだと思っている」
「アリス、引き受ければ戻れないわよ。私個人としては反対だけど、どうするかはあなたが決めなさい」
「グレイシャーが脱獄した永劫の獄には氷漬けになった同僚がいた。2人共凍死だった。魔法は使えないはずだが、何かがおかしい。凍死するほどの氷魔法は優秀王国民であっても困難を極める。彼以外に考えられない」
「グレイシャーが何らかの方法でトランプ兵を凍死させたとしか思えないってことでしょ。分かったわ。お掃除の依頼、引き受けるわ」
「……また卒業が遠のくわね」
気が抜けたような声でレイシーが言った。
アリスは微かな笑みを浮かべると、レイシーの手を握った。
直に手の温度を感じると、心なしか、アリスの温もりはレイシーの心を和ませ、運命を受け入れたかのようにアリスの複雑な心境を悟り、再び視線を合わせた。
「確かに卒業は大事です。私が目指す教職の未来に少しでも近づけたいのは分かります。でも……今起こっている問題から目を背ける人に教職が務まるとは到底思えません。グレイシャーが問題を起こす前に、彼の汚れきった心をお掃除します。少しでも世の中の役に立ちたいんです」
「私からも頼む」
アリスの精神内から箒越しにピクサーブの声が響く。
「ピクサーブ……」
箒を召喚すると、ドーム状の吸い込み口からピクサーブとマルアスが飛び出した。
「なっ……お前たちは」
「院長、私からも頼む。もし無理なら、私が引き受けてもいい」
「俺からも頼む。人間界のことはよく知らねえけど、一刻を争う事態だってことくらい分かるぜ」
「……いいでしょう。ではグレイシャーの逮捕を兵長さんからのクエストとして、アリスに依頼するわ」
「クエストか。確かにそれなら単位にもなる」
「しかし、罪人案件は扱っていないのではないか?」
「魔障院には多種多様なクエストがあるのですよ。配達の依頼からクリーチャーの討伐まであるのです。罪人案件が1件あったところで何ら不思議ではありませんよ。もしアリスが罪人逮捕に大きな貢献をしたとなれば、魔障の評価も上がるでしょうね」
「院長先生」
にっこりと笑みを浮かべ、ピクサーブもマルアスも思わず歯を見せた。
「但し、学期末までですよ。それで無理なら諦めること、いいわね?」
「はい。任せてください」
「ご協力感謝する」
トランプ兵長が兜を掴むように右手を添えた。
「アリス、フレシーの黒紙クエストはどうするの?」
ベラがアリスの影から咄嗟に現れると、レイシーとトランプ兵長が背中をのけ反らせた。
「あっ……すっかり忘れていたわ」
「心配はいらん。私もグレイシャーの捜索を王宮から直々に命じられている」
「凶悪犯の捜索なんて、あなたも大変ね」
「自ら志願した。グレイシャーは私の友だ。せめてもの好として、私の手で引導を渡してやるつもりだ」
「でもよ、永劫の獄って場所から脱獄したほどの凶悪犯だろ。どうやって捕まえるんだ?」
マルアスが素朴な疑問をぶつけるように尋ねた。
「1つだけ手掛かりがある。グラシード村から出航した者の中に、エクストラジョーカーカードを使って船に乗り込んだ男がいる。権力を持った者が背景にいる証だが、持っている者自体が珍しい。気になって特徴を聞いたところ、長身に藍色のローブだった。グレイシャーの姿と見事に一致している」
「出航先はどこなの?」
「カエルバス王国王都ラバン・ディエだ」
「王都ラバン・ディエ……」
思わず呟くアリス。何度か耳にした言葉だ。
サーマス島からルヴァ島まで移住し、北方民族として一大勢力を築いていたカエルバス人はルベルバス王家の血を引く貴族を担ぎ上げ、ルベルバス王国に反旗を翻した。重要拠点としていた広大な城郭の防衛に成功し、晴れて独立を果たした。やがて王都ラバン・ディエは各国の魔法都市に肩を並べるほどの城郭都市へと発展を遂げた。ルベルバスとは犬猿の仲として知られ、王都ラバン・ディエはルベルバスの王都ムウニ・ディンロへの対抗馬を象徴していた。千年戦争ではルクステラ帝国への全面支援を図り、ルベルバスを幾度となく追い詰めた。国境を接する地域では、互いの領主による睨み合いが続く。
一触即発とも言える状況の中、スラッジオの侵攻が活発化し、戦争どころではなくなっていた。
奇しくもカエルバス王国には、討伐クエストの対象、湖竜フレシーが棲むと言われている。
ロッホの主と大飢饉の凶悪犯が同時に滞在するならば、拒否する理由はない。
「兵長、私もカエルバスに用があるの。通行の手配はできるかしら?」
「本来魔障は国家間を通行するだけでも命懸けだが、可能な限り手は尽くそう」
「カエルバス国王は魔障にも慈悲深いと聞くわ。アリスのことを知っていれば、通行許可は出るかもね」
アリスに顔を向け、胸に手を当てながらレイシーが言った。トランプ兵長が納得の笑みを浮かべると、アリスたちに向けて敬礼し、ブリスティア魔障院を去った。
失われた大飢饉は心を荒ませ、多くの財産を奪い去った。
人々は寛容を失い、魔障は尊厳を失った。
異界から人間界へと移り住んだことが判明したクリーチャーは、同じ種であっても性格は穏やかにして無毒となる傾向が強いのだ。クリーチャーは魔力の質だけでなく、生態系に応じて姿さえ変わる種類がある。
魔生物学者アイリス・ニュートンの著書『魔生物分類学』より




