chapter 2-1 羞恥の影
第2章の始まりとなります。
しばらくは改稿のためスローペースになります。
月5話を目標にアリスの成長をお届けしますがご了承ください。
数週間の時が過ぎた――。
王都郊外には地下階段が草花が茂る地形と一体化している。
永劫の獄は町の中心から隔離され、城門からも引き離される格好だ。
薄紫色の霧が覆い尽くして視界を塞ぎ、永劫の獄へと続く地下階段からは、時折囚人たちの呻き声が地上へ響き渡り、門番を務めるトランプ兵にとっては死番と呼ばれる職務の1つであった。王国守護兵たるトランプ兵の基本給が最も高くなるのは永劫の獄における門番を務めている時期である。ただ見張るだけでは済まず、時折外への渇望に立ち向かわなければならなかった。
暗い階段の下からは周囲へと響き渡る高い足音が外のトランプ兵の耳に入った。
何事かと違和感を持ちながらも、2人のクローバー隊トランプ兵が万年筆の形をした棍棒を持ちながら振り返ると、何箇所にもわたって穴が空いた藍色のローブを身に纏い、冷え切った表情の男が歯を見せながらポケットに手を突っ込んでいる。甲冑越しに寒気が襲い掛かり、慌てて棍棒を向けた。
「お前、そこで何をしている!?」
「何をしているかって? 世界への復讐だよ」
男が手を翳すと、2人のトランプ兵が同時に動きを止め、一瞬にして氷の中に閉じ込められた。
棍棒を持ったまま凝り固まり、微動だにしないまま男が通り過ぎていく。
再びポケットの中に手を入れると、暗い目を上に向けた。久々に見た外に太陽はなく、澄み切った夜空には黒い雲が空を覆い尽くし、音を出しながら光り、蠢いていた。
「まだ力を制御しきれないか。ふふふふふっ!」
王都から離れようと海に出ようとしたが、グラシード村の港が見えた。赤いハート柄の帆が描かれている船を管理するトランプ兵たちが船を乗り降りする通行人を管理していた。男はポケットの中に忍ばせていたエクストラジョーカーカードを取り出し、印籠を突きつけるように見せた。
トランプ兵は恐れ戦きながら船に足を乗り上げる男の乗船を見守った。
最終渡航便の証として、キングの紋章が描かれた帆が挙げられ、船内の真っ赤に燃える罐の中に魔石が放り込まれていき、急速に海の上を走るようにしながら港を離れると、男と共に出航していく――。
数日が経つと、アリスは然るべき教室へと赴き、メイベルの隣の席で授業を受けていた。
「では授業はこれまで。定期試験までちゃんと復習しておくんだぞ。アリス、少し構わんか?」
授業を終えた魔障院生が散っていくと、ロバートが教科書を手に持ちながらアリスに声をかけた。
「……はい。何でしょうか?」
恐る恐る身構えるように返事をするアリス。話す内容はいつもアリスの心配ばかりであった。
「このごろちゃんと授業に出ているようで嬉しい限りだ。何か理由でもあるのか?」
「特に深い理由はありません。大学に行くためにここを卒業したくなっただけです」
「何、大学まで行くのか。しかし、今のお前の成績では推薦どころじゃないぞ」
「どうしてですか? 試験なら問題ないはずですが」
「実技試験には決まった正解がある。だがお前はいつも変わったやり方で試験をやり遂げる。この前も指定された場所をクリーチャーに見つからずに通過する試験だというのに、クリーチャーを掃除して通過したと聞いた時は肝が冷えた」
「ロバート先生、倒したなら別に合格でもいいんじゃないですか?」
アリスを庇うように隣に並び、素朴な疑問をぶつけるメイベル。
「そういう問題じゃない。倒せるクリーチャーとしか出会ってないからそんなことが言えるんだ。かつて人間が食物連鎖の頂点に君臨したことは一度もない。ましてやドラゴンが相手であれば、如何にアリスがクリーチャーの掃除を得意としているとはいえ、いつか掃除魔法が通用しないクリーチャーが現れた時、お前は自分だけじゃなく、仲間さえも危機に晒すことになる。クリーチャーを掃除するだけでは一人前とは言えない。だから不合格にした。またクリーチャーを倒しに行くと聞いたが本当か?」
「はい。湖竜フレシーです。早く卒業単位が取りたいので、パーティを組んで5人で行きます。期限を守れば他の授業の試験日を伸ばしていただけると聞いたので」
「黒紙クエストか……どうせ止めても聞かないんだろう。いいか、いざという時は、私が言っていたことをちゃんと守ってクエストを遂行するんだぞ。自分のために守るんじゃない。みんなのために守るんだ」
「分かってます。私ならクリーチャーくらいお掃除しますから」
「お前は何も分かってない。湖竜フレシーはドラゴンの亜種だ。奴らは食物連鎖の頂点に君臨する神の領域と言ってもいいクリーチャーだ。どんな力を持っているのかも不明だ。油断だけはするな」
低い声で言い残すと、ロバートは呆れながらため息を吐き、教室の扉を開けた。
足音が段々遠くなっていく。アリスは哀愁漂う後ろ姿を目で追いながらも、あからさまに心配する様子を見ると心を痛めた。確信は揺らぎ、自らを省みようと外へ出た。
メイベルがアリスの前に立ち、両手を後ろで結びながら腰を曲げた。
「アリスなら大丈夫。きっとうまくいくわ」
「だといいけど、本当に行くの?」
「当たり前でしょ。メロディは野外での活動経験がほとんどないし、今の内に外で冒険する経験がないと厳しいわ。レクチャー形式の授業は一通り受けてるけど、クエスト形式が苦手みたいで、こっちも一定数単位を取らないと卒業単位に到達できないわ。アシュリーは外の世界で経験を積みたいって言ってたから大丈夫だと思う。私も黒紙クエストで卒業単位に到達するし、これを達成すれば推薦がグッと近づくわ。アリスも実績ができれば推薦してもらえるかもしれないわよ」
他に手段がないことを悟るアリス。メイベルの答えは最適解とも言えるものであった。
卒業単位に到達すると、成人するまでの間、近隣市町村の掲示板に魔障院生の顔写真と情報が掲載されるのだ。卒業単位に到達していない場合も掲載できるが雇用条件は劣る。雇い主が現れるまでは魔障院で教職者の助手を務めながら暮らし、成人した場合も卒業となる。
成人卒業の場合は雇用先がなく、合格卒業を目指すことが常識とされている。
稀に成績優秀者が大学進出を打診され、推薦入学を果たすこともあるが、魔障の扱いは決して良くないためか、魔障でなくとも達成困難な入学試験を強いられ、挫折する者も少なくない。
大学進学には根気と実績が何より重要だ。アリスを想うメイベルに譲る気はない。
「残り1人はどうするの?」
「この前アリスが案内していた子がいるじゃない」
「ベラは新入生よ。黒紙クエストに連れていくのは危険だと思うけど……」
「さっきロバート先生に言われたでしょ。クリーチャーに勝てない時は避ける必要があるって。ベラはクリーチャーを避ける上で丁度良い魔法を持ってるじゃない。彼女と同じ授業になった時に話を聞いたんだけど、クラスでも孤立してるみたいでね、何だか昔のアリスを見ているようで放っておけないの」
「どういう意味?」
「ふふっ、冗談よ」
メイベルは笑いかけながら手を振り、駆け足でアルブムシルヴァ寮へと去っていく。
アリスは愛想笑いを見せながら手を振った。自らの影を見下ろすと、地面越しに視線が合う。
「もう出てきていいわよ」
小さい頭が現れ、両目が地面のすぐ上から周囲を見渡し、徐々に体も浮き上がる。
周囲に人気はない。授業が終わった後の教室は数分持たず静寂に包まれることをベラは知らない。
「メイベルの本音を聞いた感想は?」
「前々から思ってたけど、結構面倒見の良い人ね」
「そうね。メイベルとは同期だから知っているわ。アルブムシルヴァの生徒は学業が優秀なのよ。他の寮の生徒は、私たちのようなカエルレウムマレの生徒を見下す人も少なくないわ。でもメイベルは勉強だけじゃなくて、凄く社交的で体力もあるし、誰とでも仲良くなれるの」
「黒紙クエストをアリスと一緒に受けようと思ったのは実績のため?」
「そうね。でも自分のために他人を利用する人じゃないわ。他の人からクエスト形式の授業を一緒に受けるように頼まれて、引き受けることも少なくないし、たとえ自分を犠牲にしてでも、私を大学まで行かせるつもりよ。クエスト形式は達成数が多ければ魔障であっても進学できるわ」
「――1番を取る人は違うのね……何もかもが」
半ば諦めたかのようにベラが呟いた。下を向きながら愛想笑いを浮かべる様は、まさしく過去の自分を見ているようで、アリスもまた、ベラを放っておけなくなった。
ベラは劣等感の塊とも言えるくらいには自信がない。
基礎魔法が使えないばかりか【潜影】で身を隠すのが精一杯だ。
しかしながら、メイベルの言葉を信じたベラは背中を押されたように前を向いた。
「アリス、あたしもパーティに入るわ。どうしようもない自分を変えたいの。最初は実家に近いカスティリオ魔障院を勧められたけど、アリスが各国の軍でも骨が折れるスラッジオをあっさり退治したって聞いてブリスティア魔障院に決めたの。近所の人が魔障も捨てたもんじゃないって言った時、まるで自分のことのように嬉しかった。あたしはブリスティア魔障院よりもアリスから学びたいの」
「だから私のことをつけ回してたのね」
「合格卒業できたとしても、大半は下級使用人の仕事を転々とするって聞いたわ。雇用主に少しでも良い条件で雇ってもらうための合格卒業なのに、何のための魔障院なのかなって……」
「そうね。確かに魔障の待遇は決して良くないわ。でもここの授業を聞いて分かったはずよ。合格卒業はあくまでも通過点。本来の目的は、資源と作物の採取、クリーチャーの調理、部屋の整理整頓、後は服の洗濯から家具の作り方までの家事作業を徹底して習得することにあるの。魔法が使えなくても生きていけるようにね。正解なんてないわ。無事に生きてさえいれば、それでいいのよ」
「魔障の多くは下級使用人として暮らしているけど、正直うまくやれる気がしないわ。あたしって人と仲良くするのが苦手だから」
「ふふっ、あなたとは気が合いそうね」
「!? ――やばっ!」
誰かの足音が廊下の突き当りから聞こえてくる。
死角から人気を感じたベラがアリスの影の中へ飛び込むように隠れた。
突き当りから1人の生徒がのっそりと歩み寄ってくる。赤い制服からルベルムヴァレムの生徒であることが窺えたが、すぐにアリスと目が合ったことからも、用事があるものと感づいた。
「アリス、院長先生が呼んでるぞ」
「院長先生が?」
「ああ、急いでるみたいだったから、早く行った方がいいかも」
「ありがとう。ギル、最近の王都はどうなの?」
「緋色の枢機卿が大人気で、俺の制服を見ただけで上機嫌だ。お陰で買い物が楽だったけど。アルブムシルヴァの生徒は、しばらく王都に行き辛いかもな」
「相変わらずヘンテコな流行りばっかりね。人が多いと見境なくなるのかしら?」
「かもな。確かに伝えたぜ」
ギルが手を挙げて立ち去っていく。ベラはアリスの影から再び頭を覗かせた。
すぐに引っ込めると、アリスは駆け足で院長室を目指した。階段を上がり、擦れ違う魔障院生たちの注目を浴びた。院長室が見えると、既に扉が開き、トランプ兵長の姿が見えた。
アリスはトランプ兵長を見るや否や、嫌な予感がした。
トランプ兵長は身振り手振りで事情を説明しながら困り果てている。
「それは困りましたねぇ~。でもどうしてアリスを頼るんですか?」
「この問題に対処できる者がいるとすれば、ルベルバスに巣食うあらゆる問題を掃除してきたアリス以外に考えられんのだ。レイシー院長、どうか頼む。このままでは魔障の評価にも関わる」
レイシー院長に向けて頭を下げるトランプ兵長。
普段は平民を相手に踏ん反り返っているトランプ兵とは思えないほど謙虚な姿勢であった。
何かあると思い、扉の隅に身を寄せた。ベラもまた、アリスの影からレイシー院長とトランプ兵長の会話を盗み聞きする。各魔法都市の守護を任されているはずのトランプ兵が何故わざわざ魔障院を訪れているのかに疑問さえ持っていたが、アリスが理由ならと、ベラはすんなりと納得する。
「しかし、そのような重大な案件にアリスを貸し出すわけにはいきません」
「そこを何とか……お恥ずかしいことに、他のトランプ兵は王宮守護に忙しく、外を守っていた者たちもスラッジオ討伐に駆り出されている。ここぞと言わんばかりに強盗が多発して、今日も私以外にここへ赴ける者がいなかったくらいだ。ただでとは言わん。アリスの雇用先を優先的に手配しよう」
「その必要はないわ。私は大学に行くもの」
「アリス、丁度良かったわ。王都のトランプ兵長があなたに話があるそうよ」
「お断りするわ」
「おいおい、まだ何も言ってないだろう」
「私は一刻も早く卒業単位を取らないといけないのよ。あなたの用事につき合う気はないわ」
レイシーもトランプ兵長もため息を吐いた。
以前、門番としての職務を遂行していたトランプ兵長のことを鮮明に覚えている。ぞんざいに扱われたことは忘れても、王都へ入ることに抵抗を示した事実は変わらない。
アリスの冷たい目は、トランプ兵長に後悔の念を抱かせた。
貧民にまで重税を強いるのは国営のためと言われているが、貧民から採れる税は微々たるもの。実際は多くの民を多忙にし、王宮へ不満を向けさせる隙を与えない目的があるのだ。ルベルバスにおける税は修道院への布施から始まったが、やがて形骸化し、王族や貴族の収入源となった。
国王直属侍女オクタヴィアン・セクシアの著書『アトロウシャス・ガバメント』より




