chapter x-8 祝祭
王都ムウニ・ディンロを始めとした各地方の魔法都市では正統教の催しが粛々と行われた。
赤薔薇の女王が唯一の女王として君臨してからというもの、ルベルバス王国においては正統教の支配が強くなるばかりか、真正教への過酷な迫害が行われていた。
新たに永劫の獄に収監された囚人たちの多くは何の罪もない真正教徒であった。
トランプ兵による監視が一層強化され、真正教徒は信仰を禁じられ、証拠もなしに投獄か追放を余儀なくされてしまい、魔法都市の外へ追いやられる格好となった。誰1人として赤薔薇の女王に歯向かえる者はおらず、陰口は密告され、王都民たちの間には張り詰めた緊張が漂っていた。
祝祭はバザールと呼ばれ、月に一度行われている。
当日だけは商人でなくとも、持ち寄った物品を並べて売ることが認められている。かつては魔障院生たちもここぞとばかりに採取で得た物品を売りながら稼ぎを得ていた。
「待ってください! 先月は参加できたんですよ! どうして販売禁止なんですか?」
ルベルムヴァレム寮の赤い制服を着用した魔障院生の1人がトランプ兵に向かって訴えた。
「魔障が市場で店を開き、商品を売ることは禁止となった。シャノン・ブリスティア。これ以上騒ぎを大きくするようなら異端と見なし、永劫の獄へ連行するぞ」
「無茶苦茶だわ。あたしたちが何をしたっていうのよ?」
引き下がることなく、赤茶色のツインテールを靡かせ、足を一歩進めるシャノン。
赤い谷を象徴するルベルムヴァレムは体力自慢や自信家の生徒が集まる。
だが時として仇になることもあり、問題を起こす生徒が後を絶たない。無謀な立ち振る舞いは首を絞めるのみと知り、諦める者も少なくない。不条理を嫌い、生真面目に未来への想いを馳せるシャノンにできたばかりの法律など分かるはずもなく、トランプ兵が槍を向けた。
シャノンと後ろにいた5人の魔障院生たちが絶句する。
危機を察知したアルブムシルヴァの魔障院生がシャノンの肩を掴む。
僅かばかりの重さを感じるが、目先を変えることはなかった。
「魔障の分際で楯突くとは生意気な。お前たちを連行する。逃げた者は切り捨ててくれる」
「「「「「ひい~!」」」」」
体を震わせながらシャノンに催促するように掴んだ肩を引っ張った。
「シャノン、もうやめようよぉ~。何言っても無駄だって」
「レオノーラ、ここで引いたらもう一生祝祭に参加できなくなるかもしれないのよ」
「何をしている? 今すぐこいつらを捕まえろ!」
「「「「「!」」」」」
近くにいたトランプ兵たちを集めると、シャノンたちは戦慄する。
若さ故だろうか、シャノンは交渉するつもりであったが、赤薔薇の女王に忠実なトランプ兵に通用するはずはなく、あっさりと突っ撥ねられたのが最終警告であることを見抜けない。
一斉に槍を向けられ、シャノンに矛先が向く。
グラシード村に買い出しへと赴いただけであったが、あろうことか同行した全員を巻き込んでしまったことを今更ながら後悔するが、時既に遅し。トランプ兵が違反者を許すことはない。正統教と真正教の対立が深まる中、女王に集中する権力に抗える者などいない。
トランプ兵たちが魔障院生を取り囲み、矛先を向けながら腕を掴む。
「ちょっと、やめてよ――ああっ!」
腕を振り解こうとするが、抵抗も虚しくトランプ兵の【麻痺】による魔力が全身に流し込まれ、シャノンは喘ぎながら仰向けに倒れた。
「シャノン! ……そ、そんな、酷い」
レオノーラの目に涙が浮かび、声を震わせながら跪いた。
体が痺れて動けないシャノンに駆け寄り、トランプ兵が腕を乱暴に持ち上げようとする。
「【暴風掃除】」
すると、どこからともなく小さな竜巻がトランプ兵を襲った。掴んでいた手を離し、風に踊らされるように宙を舞い、少し遠くへ吹っ飛ばされ、草原の地に体を叩きつけられた。
突風が発生した方向へと全員が目を向けると、両手に箒を持つアリスが佇んでいる。
張り詰めた表情のまま、代わりにシャノンの体を持ち上げているトランプ兵に近づくと、アリスへの恐れからシャノンを解放し、トランプ兵たちは吹っ飛ばされたトランプ兵の方向へ後退りする。
「――アリスっ!」
「レオノーラ、大丈夫?」
「私は平気よ。でもシャノンが……」
「ちょっと見せて。麻痺の魔力で痺れているだけのようね。安心して。今治すから」
吸い込み口となっていた穂先を元の太い尻尾のような姿へと戻した。
「【浄化掃除】」
魔力を【女神の箒】へと集中させると、穂先が優しく光り輝き、シャノンの体を包み込んでいく。体内を蝕んでいた麻痺の魔力が徐々に縮小し、やがて消滅した。
見る者全てを驚かせると、吹っ飛ばされたトランプ兵が起き上がり、アリスに近づいていく。
シャノンがゆっくりと目を開けながら上半身を起き上がらせると、確かめるように痺れていた手を不自由なく動かして見せた。そばで様子を見守っていたレオノーラが胸に手を当て、笑みを浮かべた。
「シャノン、良かったぁ~!」
レオノーラがシャノンに抱きつくと、耳の至近距離から泣きじゃくる声が響く。
「レオノーラ、あたしは一体……どうしてアリスがここに?」
「さっきシャノンを助けてくれたんだぜ」
「麻痺の魔力は全部お掃除しておいたわ」
「……ありがとう」
「でもよ、ちょっとまずいんじゃねえか?」
魔障院生の1人が慎重に声を出しながらトランプ兵に視線を合わせた。
アリスも不穏な声に気がついた。目線を合わせるように共同注視する。
手を震わせながら槍を拾い上げるトランプ兵の姿が目に映り、アリスは咄嗟に箒を持って前へ出た。
僅かな音を合図にいつ戦闘が始まっても遅くはない張り詰めた状況にアリスたちは戦慄を覚えた。
息を殺し、トランプ兵の様子を窺いながらも箒を持つ手が緩むことはない。
「お前、魔障の分際でこんなことをして、ただで済むと思うなよ!」
「先に手を出したのはそっちでしょ。あなたたちなんて、ただのトランプ兵のくせに!」
憎しみの籠った言葉を返されるとは思わなかったのか、トランプ兵たちは一歩足を退いた。
アリスが持つ【掃除】の魔力が脳裏を過る。魔障を相手に諍いを起こし、最悪全滅したとあっては、トランプ兵の権威ばかりか王国の沽券にさえ関わる。
トランプ兵が恐れているのは、赤薔薇の女王以外の何ものでもない。
睨み合いが続いた末、トランプ兵が槍の矛先を上に向け、他のトランプ兵と顔を合わせた。
「……退却するぞ」
「しかし、魔障から逃げたとあっては――」
「相手はあのアリスだぞ。モードレッド様に怪我を負わせた奴だ。行くぞっ!」
スペード班トランプ兵の言葉に耳を傾け、ハート班トランプ兵が渋々納得する。
トランプ兵たちは一斉に自らを冠している大きなトランプカードを召喚し、浮遊する平たいカードの上に飛び乗り、両足を乗せた途端、僅かにカードの位置が下がり、再び上に浮かび上がる。
トランプカードはトランプ兵の意のままに動き、王都に向けて集まるように空を飛び去っていく。
「ありがとう。助かったわ」
「トランプ兵に立ち向かうなんて度胸があるのね。でも彼らに言葉は通じないわ。権力に塗れている人たちと対話するには……相応の力が必要なのよ」
「それじゃ戦争になるわ」
「戦争は力の対話よ。しないに越したことはないけど、力なき正義なんかで対話の席に参加できないわ。シャノン、あなた魔障院に入ったばかりでしょ」
「――どうして分かるの?」
「魔障院に入った頃の私によく似ているからよ。今日はグラシード村で祝祭があるけど、あなたたちも良かったら一緒に参加する?」
「参加できるならしたいけど、魔障はお店で商品を売れなくなってしまったの。先月までは参加できたはずなのに、案内役のトランプ兵を尋ねたら、魔障の参加は受け付けてないって突っ撥ねられたのよ」
「心配ないわ。私にはこれがあるから」
アリスは穂先を吸い込み口に変えると、中に手を入れたかと思えば、1枚のカードを取り出した。
「! ……それジョーカーじゃない!」
「どうしてアリスが持っているの?」
「公爵から頂いたわ。これを使えば、トランプ兵に有無を言わさず通れるのよ」
自慢げに見せびらかすアリス。シャノンもレオノーラも口を開けながら目を釘付けにする。
白い道化の描かれたジョーカーは王都の風潮を逆撫でするかの如く輝いている。
緋色への信仰は決して他人事ではなかった。魔障院でもルベルムヴァレムによる緋色の枢機卿に対する信仰があることにアリスは驚かされるばかりであった。
「ジョーカーって何だ?」
「知らないの? スペルカードの中で最も権威のあるカードよ。ジョーカーを持っているということは、強力な後ろ盾があるってことよ」
「でも大丈夫かなー。王都はともかくとして、グラシード村でさえ魔障が商品を売ることを禁止してるんだぜ。ヘレンもジョアンナもトランプ兵に抗議してたけど、結局祝祭から追い出しを食らったんだ」
「不可解ね。やっぱり調べてみる必要があるわ」
「俺は院長先生にこのことを伝えてくる」
「頼んだわよ。キース」
「ああ、任せとけ」
キースと他の同行者たちがブリスティア魔障院へと駆け足で戻っていく。
アリスには王都の噂を聞き、不信感を持った。緋色への信仰に加え、アリスが流行り病を治した事実が全てなかったことになっていたことを知る。誰1人としてアリスの訪問を知らなかったのだ。
一方でアリスのことを知る者たちからは醜聞しか聞かない。
特に貴族への暴行や移動命令禁止違反といった行為が新聞で取り沙汰され、トランプ兵でさえアリスには手が出せないが、誰かが逮捕のためにアリスの元を訪れる様子もない。王都で何が起きているかを確認するべく、まずはグラシード村の祝祭から調べようと立ち上がった矢先の騒動であった。
数人の魔障院生が帰っていくと、アリスはシャノンとレオノーラを引き連れ、グラシード村中央へと向かっていく。トランプ兵はアリスを避けるように退却し、村の人々は活気が戻ったように商品の売買を始めた。アリスは自ら商売はしない。専ら質屋へと赴き、採取した作物や資源を言い値で買い取ってもらうくらいしか稼ぐ方法を知らない。雇われて働くことも決して悪くはないと感じてはいるが、いつ捨てられても不思議ではないことに人知れず恐怖を抱いていた。
ならばいっそのこと、人助けをして生きていこうと考えた。
大学を卒業したとて、教職に就けるとは限らないのだ。
クエストの報酬で一山稼ごうと考えていたが、湖竜フレシーはカエルバス王国のフレス湖にある。
移動しようにも箒を使った隣国への通行は侵略と見なされ、事実上禁止されている。ましてや緊張状態にあるルベルバス王国民を通すには入国審査を潜り抜けなければならず、有効な手段が見つからないまま途方に暮れていた。アリスは授業にも出席するようになったが、やはり短期間で多くの単位を取らなければいつ解散命令が下されても不思議ではない魔障院を一刻も早く卒業する必要があった。
「アリス、いらっしゃい。今日は祝祭よ。選りすぐりの商品を揃えておいたわ」
「ヘレン、でも大丈夫なの?」
「さっきトランプ兵が取り締まりにきて、今すぐ祝祭を中止しないと逮捕するなんて言うから、どうなるかと思ったけど、撤退していったから、許されたのかなって」
「アリスがトランプ兵を追い払ってくれたのよ」
「あら、そうだったのー。じゃあアリスはちょっとだけ割引しようかな」
「ふふっ、ありがとう」
アリスは採取した作物と資源を質屋に売ると、正午を迎えたところで祝祭が始まった。
最も高い位置に燦々と輝く太陽が昇ると、正統教に基づいた司教による儀式が行われた。
心なしか、アリスたちにはパンの隣に置かれたワインボトルが赤黒い血染めとして目に映っている。
魔障のほとんどは実学以外の教えは何も信じない。人間の魔法は神から与えられた神聖なる力と見なされる一方、魔障は神に愛されなかった存在とされているが故、神への信仰が芽生えにくいのだ。世に見放され、魔障院に守られて過ごす以外は何の救いもないとなれば、魔障院を出た後も多くは自力で地を這い蹲り、雨に塗れた泥を啜る末路を余儀なくされ、神への信仰心が失せるのは必然である。
強いて言うならば、自分だけを信じて生きていくしかないのだ。
しかし、アリスはエンジェリアにて神の存在を知り、既に神亡き後の世界を生きる覚悟を決めた。
真実を説いたところで、敬虔な正統教や真正教の信者から反感を買うばかりか異端裁判にかけられる懸念がアリスの口を封じた。信仰が意味を成すのは全宇宙の創造主たる神が生きていればこそ。決して届くことのない礼拝を見守り、景色に溶け込むように目を閉じ、両手の指を組み、祝祭の成功を祈る。
アリスの願いは全ての世界が救われる活路を切り開くことであった。
王都ムウニ・ディンロは魔法都市であると共に城壁に守られた要塞でもあった。尊厳王トレスは不測の事態に備え、王宮の真下に巨大な地下壕を築き上げ、完成後は建築家や大工が一斉に行方を晦まし、王宮地下壕の全貌は現代に至るまで伏せられ、謎に包まれている。
魔法官エヴァン・ギラスの著書『王国の黙示録』より




