chapter x-5 魔箒会議
アリスが持つ【女神の箒】が精神内を漂っている。
ピクサーブは箒の外にある星々が並ぶ精神内を眺め、アリスの分析に明け暮れていた。
魔箒が所有者と一体化しながら漂う精神内は、アリスの人生を思わせる思い出が大きな泡の中に包まれている光景が見えた。魔箒は所有者の過去を遡り、力の強さを推し量り、従うに値するかを決めるとされている。幼少期のアリスが家族の元へと駆け寄るが、家族の顔はまるで見えない。
マルアスは分析を続けるピクサーブを心配するように立ち上がり、蹄の音を立てながら歩み寄る。
白と黒の両翼を畳み、同様に箒の外を見透かした。
精神内に多く漂うアリスの記憶が大きな泡越しに見えるが、多くは漠然としている記憶、もしくは黒く濁っている不確かな記憶が目立つことに違和感を覚えた。
「……妙だな」
ピクサーブが顎に指を当てながらポツリと呟く。
「妙って、何がだ?」
マルアスが駆け寄りながら尋ねると、ピクサーブと視線を合わせた。
「この魔箒だ。精神内からアリスの過去を【分析】で探ってみたが、幼少期の記憶がないんだ。過去を思い出そうとしても、漠然とした風景しか浮かばないわけだ。家族のことは思い出せないようだが、家族がいたことは知っていた」
「アリスの過去に重大な何かが隠されているかもしれないってことか?」
「可能性は高い。この【女神の箒】はオーカサスの木から作られたことだけ分かっている。全宇宙のどこかに、オーカサスの木が生えているはずだ」
「オーカサスの木なら知ってるぜ」
何事もなくマルアスが呟く。ピクサーブは目を大きく見開き、マルアスの肩を掴む。
「それは本当かっ!?」
「お、おう……俺が住んでいたエンジェリアにも神話がある。オーカサスの木には永遠の命が宿る伝説の樹皮に覆われているんだ。樹皮の中には浄化の魔力が込められていて、かつて神が全宇宙の綻びから生じた汚れを洗い流すために創造したとされている。言わば全宇宙の制御装置だ」
「もしオーカサスの木から魔箒を作ったらどうなる?」
「さあな。魔箒は人間界独自の産物だ。けど、素材となった木材の性質を受け継ぐものとすれば、箒の名に相応しい浄化の魔力を備えていることに説明がつく」
「だが、魔導具は素材が上等であるほど持ち主を選ぶ。不相応と見なされれば、まず使いこなすことはできない。この前魔障院生たちが食堂で話しているのを聞いた。アリスの魔力は相当なものだ」
「だとすれば、アリスは運命に選ばれたのかもしれん。魔力を持つ種族は幾多も存在するが、ましてや人間の魔障から選ばれるとは、ある意味災難かもしれねえぞ」
「どういう意味だ?」
「お前さんも薄々気づいてるはずだ。アリスが異界を巡り、多くの種族を救い、スラッジオを討伐してきた事実は、各界の権力者にとっては脅威そのものだ。もしエンジェリアに居座っていれば、天使の存在を脅かす異端として、迫害と排除の末路を辿っていても不思議じゃない。かつて俺がそうだったようにな。いずれもセラフィア様の配慮があった。味方だから見逃してもらったようなものだ。もしアリスが敵に回るようなことがあれば、それこそ全宇宙にとっては最悪の事態だからな」
「アリスに限ってそんなことは――」
「ないとは言い切れねえぞ。アリスは基礎魔法が使えない一方で、内に秘めた膨大な魔力を制御しきれていないようにも見えた。穂先を鉄槌の姿に変えた時、まるで初めて見たような反応だった。平たく言えば、アリスは【女神の箒】の力を出し切れていないということだ」
ピクサーブが絶句する。スラッジオを討伐するほどの力を持ちながら、底知れぬ伸び代があることに恐怖する意味をようやく知ったのだ。マルアスとて、思うところは同じであった。
アリスが持つ【女神の箒】は所有者の想いに応え、掃除に最も相応しい形に姿を変えていた。変形は紛れもなくアリスの魔力がもたらしたものであった。
ピクサーブとマルアスは箒の外側の空間を見守るように覗く。
アリスたちはブリスティア魔障院1階大広間へと足を運んでいた。
全ての寮にとって共有空間であり、魔障院生の休憩所である。大広間の壁にはいくつもの大きな掲示板が置かれている。曜日や授業内容が書かれた時間割、行事予定表の他、クエストの内容が詰め込まれるように並べられている。1単位から5単位までは白紙が使われ、訓練を積んだ魔障であっても魔導具を使うことで比較的簡単に討伐できるが、6単位から10単位のクリーチャーは赤紙が使われる。
色付き仕様のクリーチャーを討伐する場合、遂行できないまま死亡した場合は保険が下りない。だが討伐に成功した場合は最寄りの魔法都市で討伐者の名前が公開されるのだ。特に魔力の強さが飛び抜けているクリーチャーは黒紙が使われ、討伐すれば最高単位となる10単位だけでなく、賞金や勲章が貰える特典付きだ。スラッジオが出現してからというもの、各地方でクリーチャーが活発化する現象が確認され、王国軍は常備軍として優秀王国民と共に駆り出される始末であった。
「赤紙はどれも凶悪そうなクリーチャーばかりだ。腕が鳴る」
「セラフィア様でも骨が折れそうだが、アリスならどれでも狩れるんじゃねえか?」
「当然だろう。マルアスの言い分が正しければ、居場所さえ分かれば1週間もかかるまい」
「ピクサーブが戦ってみたいクリーチャーはいたか?」
「無論、全部だが……あの黒紙クエストが気になるな」
ピクサーブの目に入ったのは、黒紙の表紙を飾る禍々しいクリーチャーの絵だった。
黒紙のクリーチャーは命の危機に瀕する確率が非常に高く、クエストを受けた者に対して無謀な自殺とまで呼ばれている始末だ。しかしながら、受けない者が全くいないわけではなく、多くは賞金と勲章に目が眩み、多くが命を落としてきた結果、中には依頼者の死後、数百年以上掲載されたまま遂行者がいないクエストもあり、年月が経つにつれて黒く汚れていることから黒紙クエストと呼ばれ、やがて正式に規定色が黒となったことからも、黒紙クエストが如何に困難であるかが見て取れる。
魔障院生で黒紙クエストを選ぶ者は過去に前例がない。
選ぶのは専ら白紙のクリーチャーのみである。
青紙クエストはクリーチャーの生け捕りが目的である。強さを問わず難度が高いが、傷が少ないほど報酬が高くなる明確な利点もあり、比較的大人しいクリーチャーを眠らせて生け捕りにすることがほとんどである。生け捕りとなったクリーチャーは投獄され、調理や見世物といった末路を辿る。
稀に赤紙クエストに挑む者もいたが、無事に戻った例は少なく、ルベルムヴァレムの生徒ばかりであった。討伐の際にはクリーチャーの強さに応じた魔導具が支給されるが、討伐者が不足と感じた場合は自腹で補うことになる。主に最寄りの魔法都市で装備を揃えるが、経費がかかる場合は賞金で補填するのだ。多くの優秀王国民が賞金稼ぎとして名を馳せる中、魔障の身で賞金稼ぎに身を投じる者も少なくない。定職に就けないまま死を待つだけの魔障にとって、命以外に失うものがない状況での赤紙クエストは画期的な収入源なのだ。
討伐すれば賞金で生き長らえることができ、名前を掲載されることで仕事にありつける場合もある。
ピクサーブが黒紙クエストのクリーチャーを見たのは初めてだが、妙な感覚に魅せられ、思わず自らの認識を疑い、額に手を当て、首を傾げながら考えた。
アリス、メイベル、エルヴィス、アシュリー、メロディの5人が掲示板の前に釘付けになる。
ピクサーブはアリスに話しかけようと上を見ながら箒越しに話しかけた。
「アリス、湖竜フレシーのクエストを受けてみないか?」
「この黒紙に書かれている大人しそうな首長竜のこと?」
「そうだ。どうしても気になることがあってな」
「駄目よ。これは黒紙クエストよ。赤紙クエストにも10単位取れるクリーチャーがいるわ」
「フレシーってカエルバス王国にあるフレス湖の名物クリーチャーでしょ?」
メロディが目を凝らしながらも、隣にいたエルヴィスに尋ねた。
「湖竜フレシーはカエルバス王国最大の湖、フレス湖に生息するロッホの主。4本の鰭、人が乗れそうなくらいに大きな背中を持つ海龍だよ。カエルバスでは名物クリーチャーとされているけど……変だな」
「変って何が?」
「噂によれば、フレシーは大人しい性格で、人に危害を加えることはない。なのに黒紙クエストに指定されるのは不自然だ。フレス湖は極めて澄んでいる水質で知られている。一説によれば、フレシーは汚物を取り込むことで、水を浄化する力があると言われているんだ」
「随分良心的ね」
「誰かさんにそっくりだな」
ディックがアリスに向かって面白おかしくからかうように話しかけた。
「盗み聞きするなんて、余程耳が優れてるのね」
「黒紙クエストは優秀王国民でも骨が折れるんだぞ。俺たち魔障院生には尚更無理だって分からねえのかよ。やめとけやめとけ」
「ディックには関係ないでしょ」
「ただでさえ赤薔薇の女王に目をつけられてんだ。これ以上目立ったら、また捕まっちまうぞ。今度は魔障院を解散させられるかもしれないんだから気をつけろよ」
「このまま何もしない方がずっと事態を悪化させるわ。いじめてくる相手にとっては理由なんて何でもいいのよ。もっともらしい特徴を指摘して、大義名分にするだけ。私たちが何もしなくても、些細な言動を盾にして、いくらでも追い詰めてくるわよ」
「……」
床に目を向けると、再びアリスと顔を合わせた。
何も口にすることなく、つき合いきれんと言わんばかりに立ち去った。
アリスにも思うところはあった。わざわざ遠出をしてまで単位を稼ぐ根拠は薄いが、一刻も早い卒業を目指すならば、黒紙クエストを受ける価値はある。
「メイベル、パーティはどうするの?」
「もう決めてるわ。私とアリスとメロディとアシュリーとエルヴィス」
「あっ、ごめん。僕用事があるから行けないんだよね」
「えー、もう卒業単位取ったんじゃないの?」
「一応取ったけど、やっと推薦状が出たからさ」
「推薦状って、まさか進学?」
「うん。実は王立ムウニ・ディンロ大学への進学が決まったからさ、報告しようと思ってたんだけど、言い出すタイミングが全然なくてね」
「おめでとう。ブリスティア魔障院から大学生が出るなんて久しぶりじゃない!」
メイベルがエルヴィスの手を意気揚々と掴みながら燥ぐ。
アリスもまた、卒業生が出る喜びと寂しさを噛みしめながら笑みを浮かべていた。
黒紙クエストの1枚に目を向けると、アリスは背中を押されたかのように、掲示板に張られている黒紙を剥がし、大広間中央にある受付まで足を運ぶ。
パーティから1人抜けたのは予想外だったが、嬉しい誤算でもあった。
既に進学卒業を決めているならば、わざわざ冒険する意味はない。
「湖竜フレシーだけど、本当に倒しに行くのか?」
エルヴィスが心配そうにしながら尋ねた。
「真相を確かめに行くわ。何か理由があるはずよ」
「そうか……無事に帰ってこい。待ってるから」
「当たり前でしょ」
アリスたちの様子を見守る1人の影にピクサーブが気づく。
大黒柱に隠れていたのはベラであった。魔障院に入ったばかりのベラは予てからアリスへの憧れが膨らみ続けていた。エルヴィスが離れると、ベラは足音を立てることなくアリスの陰に潜った。
箒越しにピクサーブがベラの意図を手に取るように汲み取った。
「とりあえず4人で登録しましょ」
「そうね。エルヴィスが卒業単位取ってたのをすっかり忘れていたわ」
「アリス、1人空きが出たなら、後ろの影に隠れている少女も連れて行ってやったらどうだ」
「後ろの影?」
咄嗟に自らの影を見下ろすと、咄嗟に隠れようとする黒い癖毛が見えた。
地面越しにアリスと目が合うと、ベラは観念したようにアリスの影から飛び出した。
慌てた様子で離れようとすると、メロディがベラの袖を掴み、アリスの前へ突き出す。冷や汗をかきながらも沈黙を貫くベラを前に、アリスは目線を合わせるように腰を屈めた。
「もしかして【潜影】が使えるの?」
アリスの問いにベラがコクリと頷く。目を合わせるだけで赤面し、すぐに視線を逸らした。
「この子、まだ制服着てない。新入生みたい」
アシュリーが無表情のまま呟くように言った。
「ほら、無断でこっそりついてきたんだから、言うことあるでしょ」
「えっと……さっきはその……ごめんなさい」
「私はアリス。あなたは?」
「ベラ。今日からカエルレウムマレの生徒になったの」
「よろしく。私と同じ寮なら一緒に寮の中を案内するけど」
「……ありがとう。助かるわ」
ペコペコと頭を下げるベラ。10歳を過ぎたばかりの少女の目にアリスの体は思った以上に大きく見えるようで、アリスは見上げられることに僅かながら優越感を覚えた。
紺色のセーターはベラの小さな体に合っていないのか、指先まで隠れてしまっている。
恥じらうベラのいじらしい姿に、アリスは昔の自分を重ねながら余韻に浸るのだった。
湖竜フレシーは新鮮を意味する『frais』と海を意味する『sea』から名付けられた。かつてドゥブラ海峡に棲んでいたとされる伝説の海龍によく似ていることから亜種ではないかと言われてきたが、真相は不明である。ある者は親しみのある大人しい性格と話し、ある者は荒れ狂う嵐を巻き起こすと話す。
ルベルバス王国宰相ドミニク・ガーフィールドの著書『魔生物図鑑』より




