chapter x-3 帽子屋
歪みの森の奥、静かに生い茂る木々に囲まれる一軒家。
三角屋根の上に被る大きな帽子を見るや否や、1匹の山鼠が隙間から部屋の様子を覗いた。
ハッターは鏡と睨み合いをしながら帽子の角度を確認し、両手の指を帽子のエッジを掴み、小刻みに動かした。木造の床にはハッターの靴音だけが響き渡り、そばに置かれている帽子と入れ替えた。
帽子屋の部屋はテーブルや椅子の上にはパーティーグッズや材料が散らかり放題だ。帽子だけは誰が見ても生真面目なくらいに規則正しく収納されている。
ティーポットが4本の足を動かし、テーブルの上を器用に走り、ハッターの後を追っている。音を出しながら湯気立ちを知らせ、赤い紅茶をいくつかのカップに注ぎ口を向け、均等に淹れて回っている。玄関の扉が開くと、煌びやかな白いテーブルクロスを敷き詰めた長いが外へ飛び出し、草花の咲く広場の穴が空いた定位置に優しく置かれ、後に続くように他の家具までもが浮遊する。
どれもこれも白く染められている。ハッターは時を忘れたように玄関の階段をのっそりと下りた。
「さあ、今日もティーパーティーといこうか」
「「「「いえ~い!」」」」
ハッターが指を鳴らしてから高らかに宣言する。
普段通りの定位置まで移動すると、ハッター、ヘイヤ、ロビット、ドーマ、チェシャが集まり、ほぼ同時に着席し、紅茶を飲み始めた。アニマリーたちは焼き上がったばかりのビスケットやアップルパイを口に頬張り、音を立てながら咀嚼すると、騒ぎながらテーブルの上を雑に荒らしていく。
まだ始まったばかりだというのに、一軒家の玄関から真っ直ぐ伸びる長方形のテーブルはハッターたちの寛ぎの場と化していた。ギターやバイオリンが宙を舞い、独りでに心地の良い音を奏でた。
「スラッジオがいなくなってから、また森に作物が実るようになった」
「最近はどうも平和だねぇ~」
「チェシャ、アリスは無事に戻ったのか?」
「ああ、確と見届けたさ。魔鏡の中から姿を現したって聞いたけど、昔見たことがあるよ」
「神隠しの魔鏡は永劫の獄にあった」
ハッターが呟きながら口角を上げる。
思わず食べる手を止めるヘイヤがハッターに視線を向けた。
誰もが思うところはあった。アリスが投獄されるだけのことがあったと容易に想像がつく。王都はやはり危険であると誰もが感じた瞬間であった。
「……永劫の獄だって!? あそこって、死を待つ重罪人ばかりが囚われてるとこだろ?」
「1番奥の部屋に白い家具がたくさん置かれていた。実に興味深い。ピクサーブが魔鏡を必死に守り抜いたんだろう。トランプ兵の連中は赤薔薇の女王の目に白い物が目に映ることを恐れてる。王都でも白く染まった所有物が事実上の規制を受けているくらいだ。相当目の敵にしているね」
「何を目の敵にしてるんだい?」
チェシャが疑問を問いかけた。ハッターは口を開けたまま違和感を持つ。
「白薔薇の女王だ」
「白薔薇の女王って……誰のこと?」
ドーマが首を傾げながら尋ねると、ハッターは一筋の焦りを覚えた。
「……冗談だよな?」
「私は冗談言うほど器用じゃないわ。洒落なら言えるけど。あははははっ!」
小さな足で椅子の上に立ち、テーブルとの間を軽々と行き交っている。
「赤薔薇の女王は一人っ子だろ。ハッターはよく狂気に見えることがあるけど、今回も強烈だねぇ~」
「……あー、悪い。家に忘れ物をしてきた」
席を立ち上がり、慌てて家に戻るハッター。
何かがおかしいとは思っていたが、すぐに原因を閃いた。
ピクサーブの言葉を思い返した。ヴェリタスの茶葉を持ち帰り、まずは自分が最初に飲んだが、アニマリーたちは嗅覚が敏感なのか、茶葉を濾して作り上げたヴェリタスティーを飲むことはなく、リーフォレストにある他の場所から茶葉から作った紅茶を飲み干していた。
ハッターは名前も知らないヴェリタスティーが余ることを不憫に思い、アリスが腰かけたところで目の前に置いたことを思い出した。つまるところ、ヴェリタスティーを飲んだのはアリスとハッターの2人のみであった。深淵なる忘却は記憶だけでなく、共通認識さえ奪うのだ。
もはや改変される前の記憶を持つ者は、僅かな者たちのみであることを意味していた。
扉越しに指を当てる音が聞こえた。
「悪いが今取り込み中だ。用があるなら後に――!」
ハッターが扉を小さく開けると、目の前に立つのはみすぼらしい格好をしたクエンティンであった。
表情は落ち着いているが、同時に険しくも見える。身分ある者であればまず訪れない歪みの森にわざわざ足を運ぶあたり、森の外で何かが起こっていることをハッターはすぐに察した。
招き入れるようにゆっくり扉を開けると、踏み込むようにクエンティンが土足で上がる。
「これはまた珍しいお客さんだ。何故ここに?」
「ハッター、最近また妙なことが起きたんだ。是非聞いてもらいたい」
「僕で良ければ伺いましょう」
ニヤリと興味津々に歯を見せながら対面しながら席に着く。
間にあったはずのテーブルは外に出してしまい、殺風景が漂っている。
聞けば王都では流行り病が収まり、しばらく経ってからというもの、何やら新聞を騒がせるだけの不思議な現象が起きていた。王都民が好んで赤い衣装を着用するようになったのだ。衣装だけではない。あらゆる物品が赤く染まり、対照的に白い衣装や物品を忌み嫌い、中には何故こんな物を持っていたのかと言わんばかりに焚火の中へと放り込み、全て燃やし尽くしてしまったほどであった。
公爵家は家紋である白薔薇のステンドグラスを採用していたが、これが近所中の噂になり、すぐに赤く染めるよう忠告する者までいた。今まで起こりもしなかった奇妙な現象を前に、クエンティンは恐怖すら抱いた。ハッターはすぐ正体に気づいたようで納得を得た。
「なるほど、そういうことでしたか」
「こんなことは初めてだ。先祖代々伝わってきた白薔薇の家紋にケチをつけられるとは」
「とんだ無礼な輩に絡まれましたね」
「無論、変えるつもりはないが、女王陛下は昔から白い物がお嫌いだ。王都民が意図してなのかどうかまでは分からない。刺激しないようにはしていたが、ここまで表面化するとなれば、引っ越しも検討しなければならん。王都は変わり果てた」
「つかぬことをお伺いしますが、赤薔薇の女王には兄弟姉妹がいませんでしたか?」
「確か庶子の妹がいたと噂で聞いたことはあるが、それがどうかしたのかね?」
「……いえ、何でもありません。何か分かったら連絡しますよ」
すぐに帰らせようと、適当に用事を切り上げようとするハッター。
クエンティンは立ち上がり、扉へと向かい、取っ手に手をかけたところで立ち止まる。
「王室御用達の帽子屋に戻る気はないか?」
「ありません。正直、今の王室にいても、息が詰まるだけですから」
「……そうか」
弱々しく返事をする。クエンティンが家の外に出ると、アニマリーたちと目が合った。
すぐに目を逸らし、馬車の客席に乗ると、黒馬が狗鷲のような翼を広げ、馬車を斜め上へと上空に引っ張りながら去っていく。見送ったところで自らも外に出ると、すぐに扉を閉めた。
ハッターが再び席に着く。ドーマがテーブルに乗り上げ、ハッターのそばへと駆け寄った。
「公爵が来るなんて久しぶりだねぇ~」
「どんな用件だったんだい?」
「また王室御用達に戻れとさ」
「おいおい、あんな所に戻るなんて狂ってるだろ」
「言えてる。はははははっ!」
ため息を吐きながら白い雲を見上げるハッター。
帽子を深くかぶり、アニマリーたちの話を遮り、歪みの森で採れた茶葉から作った紅茶を口に含む。
いつもと同じ味だ。しかしながら、馴染み深い味さえ忘れてしまうのではないかと、ハッターは漠然とした恐怖を抱いた。チェシャは首から下を透明化しながら浮遊する。
ショーでも見せるかのように顔を逆さに向け、ゆっくりと回転する。
「ロビット、最近の王都はどうだ?」
ヘイヤが目を光らせながら尋ねた。カップに向かってティーポットが移動し、茶色い紅茶を注いだ。
「何やらみんなして赤い商品ばかり買い漁ってんだ。外から入ってくる商品もすぐ赤く染められる」
「赤薔薇の女王の意思に沿っているかのようだ」
「しかも白い商品を公園の焚火の中に放り込んで燃やしちまったんだ。何考えてんだか」
「おやおや、白にどんな罪があるってんだい?」
今度は不思議に思ったドーマが両手を広げながら、ヘイヤを見上げるようにしながら尋ねた。
白が虐げられている光景に誰も違和感を抱かないことに、世も末とハッターは心で笑う。
「こっちが聞きたいくらいさ。ブリスティア魔障院に潜入してから、可笑しな現象が続いてる」
「みんな遂にイカれちまったのかねぇ~」
「元から病気みたいなもんだろ。あんな暴君の御膝元で暮らしてんだからさ」
「「「「「あははははっ!」」」」
ティーポットがヘイヤから離れ、ハッターに寄り添うように歩み寄る。
普段は人を笑わせるハッターは、意外にも人の話では笑わないことの方が多いのだ。
懐中時計が一刻一刻と針を進めるのが見えると、ハッターをより一層焦らせた。
深淵なる忘却が襲い掛かった場所の全てにスラッジオが出現している件を踏まえ、姿を覆い隠すように新聞を開き、会話が聞こえないくらいに目を凝らした。
「あっ、そういや、アリスは魔障院に帰ったのかい?」
「ああ。でもあの様子じゃ、卒業を目指すだろうね」
「卒業したところで、魔障が生きていくのは大変だろうに」
「魔障院は特に優秀な魔障院生を各国の大学に派遣してるらしいよ。数は少ないけど、アリスならありえるかもねぇ~。どの国もスラッジオが出現して以来、優秀王国民の魔法よりも魔障が作った治療法や魔法薬が有効であることが分かってきて、それまで踏ん反り返っていた連中が魔障の世話になる格好だ。公爵から聞いた時は笑いを堪えるのが大変だったねぇ~」
世を嘲笑うように目を細め、口角を上げるチェシャ。
釣られるように、ヘイヤ、ドーマ、ロビットが笑い出す。
何もこれが初めてではない。飽きもせず相手を笑わせるためだけの話術はルベルバスに住まう者の嗜みとして浸透している。ヘイヤにとっては苦しみを忘れられる一時、ドーマにとっては喜び、ロビットにとっては音楽のようなもので、チェシャにとっては暇潰し、ハッターにとっては追憶であった。
決して遠くはない距離から木の枝を踏むような足音が聞こえた。
森の奥から1人の赤い女性が近づいてくるのがハッターの目に映る。
腰まで伸びた真っ赤な髪が透き通るように煌めき、魅惑と高貴な佇まいを思わせる。
「あら、こんな人気のない所でお茶会? 随分楽しそうね」
「ようこそ。初めて見る顔だ」
「私は初めてじゃないわよ。狂った帽子屋」
「……?」
目を細めながら首を傾げるハッター。
赤い女性は鼻息が届くほどにまで距離を詰めながら丁寧な口調で言った。
首のすぐ下はたっぷりとした豊満な果実の如く大きな丸みを帯びている。席に腰かけると、両肘をテーブルの上につく。両手の指を絡め、顎を触れさせるように置いた。
ティーポットが赤い女性に気づくと、生えている4本脚を動かし、赤い女性の目の前に置かれた白いカップに紅茶を注ぎ、音を立てながら液体が落下する様子を見届けている。
「ありがとう。紳士的なティーカップね」
「この森で採れた茶葉で作った。きっと気に入ると思うよ」
赤い女性が右手で摘まむように持ち上げた。指を持ち手に入れることはなかった。
背筋を伸ばしながら口に含み、舌の上で転がすように風味を堪能する。ヘイヤたちも話をやめ、視線を赤い女性に集中する。一度や二度ではない飲み方だ。
独りでに動くティーポットの動きを気にしながら、カップをソーサーの上に置いた。
「このティーポット、機械仕掛けなのね」
「王都の市場で売られていた。製法を調べたが、我々の理解を超えていた。魔力だけじゃない。非常に精密な技術で作られている。それで持ち帰ったのさ」
「仲が良いみたいね」
「友達だ。僕にとっては」
にっこりと笑うハッター。赤い女性もまた、不敵な笑みを浮かべた。
最初こそハッターたちを釘付けにしたが、居心地の良い空間を前に、永久に寛ぎたくなる気分にさえ陥ったが、堕落寸前で正気に戻り、席を立ち上がった。
「もう帰るのかい?」
「ええ、お尋ね者を追っているところよ」
後ろ姿を見せながら、来た道とは真反対の方向へを足を進めた。赤い女性を魔法陣が覆い、一瞬にして姿を消すと、お茶会の前から察知していた妙な気配を感じなくなった。
常に見られていたことにようやく気づく。
――アリス、深淵なる忘却の解決は、君の手に懸かっていると言っても過言じゃないぞ。
ハッターの心配を他所に、ティーパーティーは続く。
不遇にして不能とされた魔障では、魔法を使いながら営むことを前提とした世に馴染めるはずもないと、不憫に思った修道女の1人が魔障を匿った。これが修道院解散の火種になるとも知らずに。
魔障学者アーサー・アーデルハイトの著書『不能の研究』より




