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Alice in Abyssal Oblivion  作者: エスティ
第1章 天魔の一角獣
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chapter 1-26 終焉する平和

 アビサル・オブリビオンの話はセラフィアに強い印象を与えた。


 アリスに古本を返すと、再び箒の中へと放り込み、セラフィアは天使の歴史を語り始めた。


 最も巨大な浮き島に聳え立つ天空都市アンゲロアは天使たちの拠点として名を馳せた。


 数千年前までは神の使徒として、悪魔と切磋琢磨しながらアンゲロアの共同統治を行っていた。


 しかし、ある知らせにより、天使と悪魔の間で保たれていた力の均衡が崩れた。原因は他でもない神の死であった。全宇宙の創造主にして、信仰の対象であった絶対的存在からの加護を受けられなくなった天使は力を失い、悪魔の脅威に晒された。


 しばらくは平穏を保っていたが、天使の子供と悪魔の子供による些細な喧嘩を皮切りに、今度は子を持つ親同士での諍いが始まり、時間をかけて種族間での戦争にまで発展したのだ。事態を重く見た天使側は慌てて和平案を出すが、既に神の死を知り、大義名分が出来上がっていた悪魔側にとって、和平など意味を成さなかった。天使と共存する意味が消えたのだ。


 何万年にもわたる大戦争の末、最終的には死闘を制した天使側の勝利となり、悪魔側は全ての浮き島を追い出され、天使と悪魔が元々同じ神を信仰し、共存していた歴史は闇へと葬り去られた――。


 エンジェリアの歴史書には、大戦争前と大戦争後に区分けされるほどの影響を与えた。


「大戦争時代の子供たちに、思いやりを持って誰とでも仲良くすることを教えるべきだった」

「随分と無茶な要求をするのね」

「どういう意味かな?」


 不敵な笑みを浮かべながらセラフィアが言った。


「誰とでも仲良くするって、大人でさえできないことよ。子供には尚更無理って分からない?」

「ふっ、言ってくれるな」

「教えるべき立場の人に限って、自分は平気で人を分断するくせに、相手には平和にやり過ごすことばかり求めるものよ。私がいた魔障院もそう」

「――魔障院とは何だ?」

「生まれつき魔力が弱かったり、魔力が不安定で基礎魔法がうまく使えない子供たちを集めて教育を行う場所よ。私も魔障なの。人間界の大人たちは、魔障というだけで目も合わせてくれないわ」

「私たちの天空学術院(エンデミア)のようなものかと思ったが、どうやら違うようだ」


 顎に手を当て、考察しながら談笑するセラフィア。


 天空学術院(エンデミア)には意欲の有無を問わず若き天使が来訪し、勉学に明け暮れることを余儀なくされるのだ。学年はあるが留年はなく、誰もが一定期間所属すれば卒業となる。


 アリスは考えさせられた。本に齧りつく天使に自らの姿を投影し、学ぶ機会を与えられているというよりは、強いられているとさえ感じ、常に逼迫する思いを気負い、意欲が失せているのではないかと。


「ところで、悪魔の本拠地にはいつ討ち入りするの?」

「討ち入りはしない。敵陣地を攻撃することは、掟により禁止されている」

「悪魔たちを放っておけば、いつここを攻められてもおかしくないのよ。天空都市アンゲロアは天使たちの重要拠点でしょ? 悪魔が天使を倒そうと考えているなら、敵の中枢を狙うのが自然よ」

「それはこちらも読めているが、敵が攻めてきた時にしか兵を派遣できないことになっている。済まないが、悪魔の討伐はアリスに任せたい。幸い、ここには人間に対する法律はない。人間が勝手に悪魔を倒しに行ったところで、誰も反対はしないだろう」


 アリスは耳を疑った。アンゲロアに久方ぶりの危機が迫っているのは確かであった。


 拠点の1つであった浮き島を悪魔に制圧されてもなお、兵を派遣することさえできない姿勢には苛立ちと呆れを覚えた。天使兵はアンゲロアを守護する義務はあれど、目前の脅威となる存在に対し、能動的に武力行使する権利など一切ないことが読み取れた。


 天使と悪魔が鎬を削った大戦争への反省からか、極力争い事からは目を背けるよう、掟を制定した。全ては先人たちが良かれと思って決めた鉄の掟と知りながらも、攻める手立てを阻害し、アンゲロアを無防備にする格好となった。セラフィアは心を痛め、天使の未来を憂いた。


 虚しさはアリスにも伝わり、肩の力が抜けた。


「本気で言ってるの?」

「残念ながら本気だ。天会は悪魔側への出撃など認めないだろう」

「だったら私とマルアスだけで悪魔を倒しに行くわ」

「おいおい、たった1人と1頭で何ができるってんだ?」

「できることならあるわ。壊滅させることが目的じゃない。天使側に脅威となる存在がいることを知らしめればいいのよ。それでも攻めてくるなら、話は別だけど」

「……済まない」


 目を瞑りながら小さく呟くセラフィア。


 統治者でありながら、ここまで無力なのかと、アリスは途方に暮れながら悪魔の討伐を受け入れた。城内で箒に跨り、地上階へと降りていく。マルアスもまた、両翼を広げながらアリスの後に続いた。


 アリスとマルアスが地上から城の外へ出た時だった――。


 爆発音と共に建物が崩れ落ちる光景が見えた。周囲からは天使たちの悲鳴が訴えるようにアリスの耳にまで聞こえると、急いでまた箒に跨り、現場へと駆けつけた。


 上空には黒い両翼を横いっぱいに広げた悪魔が笑みを浮かべながら佇んでいる。


 黒い雷を打ち出すと、瞬く間に建物が木端微塵に砕け散った。瓦礫からは血を流しながら助けを求める天使たちの呻き声が響き渡り、悪魔は絶望を食らおうと笑い叫ぶ。


「何だぁ? かつての天使共と違って歯応えがねえなぁ~。武器も持ってねえのかよ」

「随分と派手なマネをするじゃない」

「あぁ? お前翼も生えてねえのかよ。ていうか驚いたなぁ~。天使と悪魔の翼を併せ持つマルアスがこんな所にいるとはなぁ~。こいつはダイモニア様に報告のし甲斐があるってもんよ」

「何だと……俺の存在は知られていないはずだぞ」

「ハハッ、筒抜けなんだよ。俺たちゃ天使の平和主義に乗っ取って間者を送っていたんだぜ。でも間抜けな天会の連中は誰も気づいちゃいなかった。マルアスの存在も、天使が掟に縛られて何もできねえことも分かった。今のてめえらは手足を縛られた哀れな道化だ。はははははっ!」


 上空を見上げると、天空都市を丸ごと飲み込むように、黒く邪悪な魔法陣が見えた。


 魔法陣からは大勢の悪魔兵が降り注ぐように現れ、町に住まう天使たちに黒い雷を発射し、逃げ惑う様子を楽しむように蹂躙し、天使たちの命を無残にも奪っていく。


 黒い甲冑を着用する悪魔兵が兜から鋭い目を覗かせた。


 無残にも建物が破壊されていき、足元まで揺れると、マルアスはたまらず上空へ飛び去った。


 アリスもまた、悪魔兵の甲冑にこびりついている黒き汚泥が目についた。


「【浄化掃除ピューリファイスイープ】」


 穂先が聖なる光を発すると、悪魔兵たちが断末魔を発した。


 甲冑を纏っている黒き汚泥が離れていくと、聖なる光の波動に耐え切れず、蒸発するように消滅してしまった。同時に甲冑までもが砕け散るように消滅し、元の姿へ戻ると、悪魔たちが退散していく。


 聖なる力は邪気を払い、悪魔の根幹を成す邪悪な魔力を振り解くように刺激し、激痛を負わせるほどであった。黒い翼は焼け爛れ、墜落していく。たったの一振りで悪魔兵を薙ぎ払う光景には、マルアスも開いた口が塞がらず、一時的に飛べなくなった悪魔の前に穂先を突きつけた。


「……貴様っ……何者だっ!?」

「アリス・ブリスティア。魔障院の掃除番よ。悪魔兵たちに伝えなさい。どんな事情があるかは知らないけど、今度攻めて来た時は全員お掃除するってね」

「まっ、待て! 俺たちだって好きで侵攻しているわけじゃねえ!」


 慌ただしく悪魔の1人が尻餅をつきながら弁解する。


 アリスに邪悪なる魔力を封じられ、圧倒されてからは目が覚めたように怖気づく。


 悪魔の序列感覚は人間以上に単純明快である。より魔力の強い者に従い、より魔力の弱い者を支配するのだ。下位に属する者に権利などない。あるのは戦いと苦痛の日々だけだ。


「どういうこと?」

「我らが魔王、ダイモニア様が急に天空都市を攻めると仰せになったのだ。幹部の悪魔たちは必死に止めたが、逆らう者は皆殺された……黒き汚泥によって」

「スラッジオのことね」

「ダイモニア様にはもう知られているだろう。ある日突然黒き汚泥がダイモニア様に纏わりついてからは今までの平和路線を覆されたのだ。俺たちは黒き汚泥の目にすぎん」


 両手を震わせながら悪魔兵の1人が言った。


 引き上げていく悪魔兵は飛べない味方を平気な顔で見捨てた。上空の巨大な黒い魔法陣に向けて悪魔兵が逃げていくと、撤退を完了させたところで魔法陣が消滅し、一切の魔力を感じなくなった。


 アリスが隙を見せた途端、慌てて痛んだ両翼を羽搏かせようとするが、天使兵の1人が放った黄色い縄が伸びると、悪魔兵の両腕を巻き込んで胴体に巻きついた。捕縛され、甲冑の剥がれた悪魔兵が捕虜として運ばれていく。アリスは言葉を残した悪魔の行く末を案じた。


 天空都市アンゲロアは悪魔側の攻撃を予期しながらも半壊した。


 都市機能が麻痺すると、天使兵たちは市民の避難を急いだ。


 家と同胞を失い、泣き崩れる天使たちの前にアリスが立つ。


「これでもまだ、悪魔が攻めてこないと言い張るつもり?」

「……こんなの聞いてない。天会は悪魔が攻めてこないと発表したんだ」

「目を覚ませ。天会は支持を失うことを恐れて、耳障りの良いことしか言えなくなってるんだ」


 市民たちを諭すようにマルアスが言った。


「――この悪魔め! 全部お前のせいだ!」

「そうだそうだ! 悪魔の力を持つマルアスが俺たちを陥れたんだ!」

「悪魔や黒き汚泥をもたらした、この一角天魔をやっちまおうぜ!」

「「「「「おお~っ!」」」」」

「いい加減にしなさいっ!」

「「「「「!」」」」」


 張り裂けるような怒号を前に、市民たちが一斉に押し黙った。


「マルアスは……ずっとあなたたちを信じていたのよ。なのに……どうしてそんなことが言えるのよ?」


 充血した目から大粒の想いが零れ落ち、マルアスが自らの胸にアリスを抱き寄せた。


 白いブラウスの袖で頬を伝う透明の液体を拭き取り、水分が滲むように染み込んでいく。


 市民たちは救いを求めながらも、不満を露わにすることしかできず、当事者でありながらアンゲロアの危機さえ他人事のように考える様は、アリスの目には滑稽に映った。


 声を震わせながら啜り泣くアリスを前に、反論する気など疾うに失せている。


 再び市民たちに向き合い、一呼吸置いてから口を開いた。


「以前あなたたちに避難するよう言ったはずよ。でもあなたたちは天会を信じた。剰え無残な結果の責任をマルアスに押し付けて、また犠牲を出そうとするなんて、悪魔の所業そのものじゃない。今のあなたたちに、自分の決断の責任を……誰かのせいにする権利なんてないわ」

「「「「「……」」」」」


 火が消えたように、市民たちの口が固く閉ざされた。


「あなたたちが最もお掃除しなければならない敵は、悪魔でも黒き汚泥でもないわ。長い時間をかけて植えつけられた……行き過ぎた従順さよ。みんなして呑気に天会の発表を鵜呑みにしていたのは、自分の頭で物事を考えられなくなった証拠じゃないの?」

「「「「「……」」」」」

「鉄の掟のために、自分の大切なものを守れないなんて、本末転倒ね」


 吐き捨てるようにアリスが言うと、マルアスの髪を優しく引っ張った。


 市民たちは立ち尽くし、アリスの言葉を噛みしめるしかなかった。


 アリスは天会を見限り、悪魔の討伐を決意する。他の誰でもないマルアスのためではあるが、1つ気に掛かることがある。天魔の一角獣とも呼ばれるマルアスは、天使でも悪魔でもない特徴があった。


「マルアス、あなたが聖なる光を受けても、悪魔の翼が傷を負わないのはどうしてなの?」

「俺は一角天魔だ。天使の力は邪悪な魔力を払い、悪魔の力は邪悪な魔力を増幅する。2つの力が相互に反発し合うことで、本来なら効くはずの魔力も俺には効かないのさ。俺はあらゆる魔力の影響を無視して行動できるってわけだ。その点ではお前さんによく似ているかもな。でも無敵ってわけじゃねえ。こっちの魔力が効かねえこともある」

「全てを虚無に帰す魔力ね。気に入ったわ」

虚無の天魔ヴァニティーエンジェビルだ。この力に何度悩まされたか」

「必ず悪魔を討伐して、天使たちにあなたを受け入れてもらうわ」

「俺は無理をさせてまで、天使に受け入れてもらおうなんて微塵も思ってねえよ。誰とでも仲良くするなんて、大人でもできないことなんだろ?」

「ふふっ、そうね。でも誰かと仲良くなれたら、それはとても素敵なことよ」


 マルアスが笑みを浮かべ、姿勢を低くすると、アリスは阿吽の呼吸の如く背中に跨った。


 壊れた武器庫に着くと、多くの天使兵が武器を持ち去っていた。背中から降りると、一角天や一角魔に使われている鞍、手綱、腹帯、鐙、馬銜といった馬具を見つけると、外の混乱に乗じ、悪魔兵が連行される隙を見て、マルアスの言葉を聞きながら着用させた。


 出撃する手筈が整い、マルアスが屋外に出ると、空高く飛び上がった。


 右手には【女神の箒(ゴッデスイーパー)】を持ち、左手には手綱を力強く握りしめた。


 アリスもまた、天のお告げの行方には関心がある。


 何より、誰がマルアスを通してお告げを伝えたのかが脳裏に渦巻く。

 時折見たこともないクリーチャーに遭遇することから、海の中には異界の門があると噂された。配下の魚人族に海の中を探検させたが、一向に見つからなかった。魚人族が1人も戻ることがなかったからだ。


 港町貿易商人マルコム・デュポールの著書『航海武勇列伝』より

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