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Alice in Abyssal Oblivion  作者: エスティ
第1章 天魔の一角獣
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chapter 1-23 決意

 メイベルは苦悩した。アルブムシルヴァ寮監に呼び出されることなどなかったからだ。


 授業が終わり、昼休みを迎えた。幸いにも午後からは空いている。オスカーもメイベルのカリキュラムを知った上で呼び出した。メイベルはせめてもの贖罪として決意を固め、教室を出た。


 魔障史書マディーヒストリックスは貸し出されることなく返却された。


 アリスが戻らぬ今、卒業単位に近づきつつあるメイベルにとって、ブリスティア魔障院がどのような存在であるかを問われている。こんな時間がずっと続けばいいと思い続けてきたが、魔障院生時代の終わりが見えてくると、途端に足が竦み、どうしていいか分からず迷走し、先が見えないのだ。


 ならばいっそ、今まで心の奥底に封印していた想いを自白しようと考えた。


 寮監室の色は各寮のシンボルカラーに染められ、誰でも一目で分かるくらいに色彩と絵がハッキリしている。かつて増設されたことによる影響は大きく、4つの寮を設け、多くの生徒を迎えても空き部屋ができるほどだ。アルブムシルヴァ寮の扉は白く、中央には雪の積もった森が、ニグルムモンテム寮の扉は黒く、中央には高く険しい山が、ルベルムヴァレム寮の扉は赤く、中央には険しい谷が、カエルレウムマレ寮の扉は青く、中央には地平線まで広がる海が描かれている。


 指の関節で音を立て、白い扉を静かに開けると、メイベルは眼球を動かしながら顔を覗かせた。


 寮監室は実にオスカーらしい個室であった。魔草学者だけあり、瓶詰めにされた幾多の魔草が細長い瓶の中を漂いながら浮かんでいる。魔草からは多くの薬が生成され、世に出回っている。オスカー自身も授業の傍ら、流行り病に効く魔草の研究に明け暮れていた。


「失礼します」

「そこにかけてくれ」


 目の前に設置されたソファーに腰かけるメイベル。


「はい……あの、どのような用件でしょうか?」

「さっき読んでいた魔障史書マディーヒストリックスを見せてもらえるかな?」

「構いませんけど、これちょっと変なんです。以前の内容と変わっているんですけど、私は誓って何もしていません。もうどうしたらいいのか分からなくて」

「君が改変したわけじゃないことは分かる。だがこれが世に出回れば大変なことになるのも事実だ。ただでさえ魔障院は立場が悪い。実は他の生徒たちの魔障史書マディーヒストリックスも同じように内容が変わっている。テディが君に魔障史書マディーヒストリックスを貸すように言ったのは、恐らくテディが持つ魔障史書マディーヒストリックスも内容が変わっているからだろうね」

「――! 確かにそれなら説明がつきます! ……みんなも違和感を持っていたんだわ」


 ホッと胸を撫で下ろすと、メイベルは再びオスカーと視線を合わせた。


「メイベル、卒業単位があれば、ある程度の信用は得られるだろう。給料も卒業単位がない生徒よりは高くしてもらえるだろうが――」

「オスカー先生、実は1つ、謝らなければならないことがあります」

「どんなことかな?」

「実は私、ブリスティア魔障院に入った頃、問題を起こしました。アリスと一緒に初めて買い出しに行った時のことです。あの時はアリスが貴族の子供を突き飛ばしたと自供しましたが、本当は私が突き飛ばしたんです……申し訳ありませんでした」


 頭を下げながら涙を流し、跪いて懺悔をするメイベル。


「あの時のことはよく覚えてるよ。何せ魔障が貴族に手を出す事案だったからな。アリスが潔白だったことは、君の戸惑う様子を見て分かった」

「えっ? ……ご存知ならどうして――」

「確固たる証拠がなかった。あの頃のアリスが既に【女神の箒(ゴッデスイーパー)】を手にしていたことを考えれば、仲間想いで不器用なあの子が証拠を掃除したことくらい分かる。君は自分のことを庇ってくれたアリスが、1年の停学処分を受けても助けられなかったことをずっと悔やんでいたんだね?」

「はい……本来なら……今頃卒業単位を手にしていたのは……アリスだったんです」


 袖で大粒の涙を拭き取り、顔を前へ向けるメイベル。


「今の私に卒業する資格はありません。こんな気持ちのまま、卒業なんてできません。処分を受けるべきなのは私なんです。どうか王都の市場への紹介は……なかったことにしていただけないでしょうか?」

「もう済んだことだ。処分を受けるだけが贖罪ではない。自ら悔い改めることもまた贖罪だ。処分が下ることを分かった上で君を庇ったのはアリスだ。その気になれば君のせいにすることもできた中で決断した結果だ。どの道証拠を隠滅した罪もある。あの処分は妥当だろう」

「でも……」


 オスカーが椅子から立ち上がると、魔草が入った小瓶を手に取った。


「野に放たれるのが怖いか?」

「……いえ、卒業が怖いわけじゃないんです。ただ、成長した実感もなく、漠然としたまま大人になるのが怖いんです。自分が何者で、何をすべきかも分からないまま卒業なんて……恐怖でしかありません」

「――私が王都の魔法都市大学にいた頃、何をすべきかなど考えもしなかった。ただ言われただけのことを淡々とやるだけで、何の遣り甲斐もないまま過ごしていた暇な学生だった。実を言うと、私は魔草学者になりたくてなったわけじゃない」

「えっ、そうなんですか?」

「どこの学科も人が一杯で入れる気がしなかったから、たまたま空きがあった魔草学科に入った。人気がなかった上に、最初は魔草なんてと思っていたが、私が流行り病で死にかけた時だった。誰もが諦めかけていたが、他所からやってきた1人の薬師が魔草を使って薬を作り出した。目の前で薬を使われたかと思えば、患者たちの流行り病を一瞬にして治したんだ。私は決意した。魔草に拾われた命を魔草のために使おうとな。魔法都市大学を卒業した後、薬師見習いの仕事が舞い込んできた」


 思わず首を傾げながら疑問を覚えるメイベル。


 オスカーの言葉の奥にある意味を理解するのは容易ではない。


 魔草を究めし学者の内、貴族であれば教授か医療院長に、平民であれば研究員か薬師として医療院に所属するのだ。オスカーは真っ先に教授を志したが、平民故に夢は叶わなかった。


 ルベルバス王国の厳格な身分制度に泣くことは、何も珍しい話ではない。


 散らばった机の上にはカエルバス王国の新聞が所狭しと置かれ、表紙からは見出しを覗かせる。


『才より身分、命より身分、絆より身分』


 見出しにはルベルバス王国の貴族が平民で才能ある友人の命と引き換えに、王族から爵位を授かりながら遜っているナンセンスな一枚絵が載せられている。


 寮の外からは扉越しに魔障院生たちの足音が聞こえる中、オスカーは話を続けた。


「最初こそ順調だったが、ある日事件が起こった。魔障の患者が医療院に運ばれてきた時だ。私が治療のために薬草を使おうとした直後、貴族の患者が運ばれてきた。貴族は症状が比較的軽く、後回しにしても助かるくらい軽度だったが、今すぐ貴族最優先で治療しろと、医療院長から命令が下った。私は事情を説明して命令を拒否したが、治療に使える薬草を先に使われ、結局魔障の患者は助からなかった」

「そんな……酷い」

「ああ、酷いもんだ。私は王都の医療院を辞めた。空腹に耐えながら、日雇いの仕事を余儀なくされた。そんな時、レイシー院長から魔障院の教職に誘いを受けた。断る選択肢はなかった。色んな意味でな」

「みんなから尊敬を集めているオスカー先生でも、行き当たりばったりなんですね」

「行き当たりばったりか。確かにその通りかもな。だがいくら計画を立てたところで、人生思い通りにならん。もし何か迷いがあるなら、まずは今できることを精一杯やってみることだ」

「――はいっ!」


 覇気のある返事を聞くと、オスカーはクスッと笑みを浮かべた。


 メイベルは寮監室の扉から出ると、吹っ切れたようにアルブムシルヴァ寮の自室に戻る。棚に上げていた荷物をまとめ、詰め込める物を片っ端から鞄に詰めた。


 鞄を背負うと、今度は院長室へと向かう。


「そういうわけなので、私はアリスを探しに行きます」

「駄目です。いくら移動禁止命令が解かれたからとはいえ、危険すぎます」

「アリスは危険と知りながらも、私たちを懸命に守ってくれました。今度は私がアリスのために命を懸ける番です。退学でも構いません。外出させてください」


 レイシーは口を開けながら額に手を当てた。


 かと思えば、引き出しの中からダイヤモンドの10が描かれたスペルカードを取り出した。


 メイベルの目の前に差し出すと、受け取りながらも目線を落とし、即座に意味を理解する。


 ダイヤモンドの10は旅行目的の通達札である。組織から個人に向けて渡されるが、滅多にお目にかかれるものではない。主に遠征で使われ、制限こそあるが、料金は全て所属する組織持ちとなり、後で組織宛てに請求されることとなるため、買い出しや宿泊などが格段にしやすくなるのだ。


「……1週間だけですよ。それでアリスを見つけられなかったら諦めなさい」

「はい。必ず連れ戻してきます」

「それともう1つ。危険だと思ったら――」

「すぐ逃げること、ですよね?」

「流石はアルブムシルヴァの最優秀生徒ね。行ってらっしゃい」

「行ってきます!」


 後ろを向き、扉に手をかけると、勢いそのままに開放的な屋外に出た。


 向かう先は王都であった。アリスが消息を絶ったのは永劫の獄である。


 新聞でも詳細が記され、何故捕まえられなかったのかが不明のまま指名手配され、功績を無視した上で詰みだけが取り沙汰される事態を疑問に思うのだった――。


 天空界エンジェリアでは、アリスとマルアスが天古城(キャッスロア)に辿り着く。


「我が名はマルアス! セラフィア様に拝謁を願いたい!」


 意気揚々と声を上げるが、一向に返事はない。自らの存在に気づかせようと魔力の波動を飛ばす。だが天使たちが姿を現すことはなく、冷風の音だけがアリスの耳に聞こえた。


「変だわ。屋上から中へ入ってみましょ」

「待て。これは罠だ。許可なく入ったところを捕らえるつもりだろう」

「だったら力尽くでも取り次いでもらうわ」

「どうするつもりだ?」

「正面突破しか知らないけど」

「はぁ~」


 思わずため息を吐くマルアス。アリスには確かな考えがあった。


 お目通り願おうと屋上に降り立つ。両翼を折り畳み、正面の扉を開けた。螺旋階段を下っていくアリスとマルアスだが、音を立てながら堂々と下りる佇まいには辟易とした。


 最上階に着くと、セラフィアとケルビアが佇んでいる。


 当然ながら、マルアスが魔力の波動を放った時点で見つかっている。アリスは構わず目を合わせようと歩み寄ると、マルアスも慌てて後に続く。


「まさか堂々と侵入してくるとは良い度胸だ」


 ケルビアが指を鳴らしながらアリスの前に立ちはだかる。


「侵入者でも何でもいいわ。最初から話し合いで分かってもらおうなんて思ってないもの」

「力尽くって言っても、相手は天使だぞ。さっきの魔法は立派なものだが、それで通用するわけ――」

「ここじゃどうか知らないけど、私がいたルベルバス王国は敵をお掃除した方の勝ちなのよ。恩を仇で返すようで悪いけど、勝負してもらうわよ。私が負けたら大人しく人間界に帰るわ。でも私が勝った時は、マルアスを天使側の一員として認めてもらうわ」

「アリス……」


 穂先を鉄槌に変形させると、ケルビアは円形の盾を持ち、セラフィアの前に立つ。


 王位継承戦争を知るアリスにとって話し合いに価値などない。


 白薔薇の女王は何度も話し合いの場を設けた。しかし、王位継承しか頭にない赤薔薇の女王にとっては単なる時間稼ぎにしか思えず、交渉は幾度も決裂し、戦いに持ち込まれた。勝者となった赤薔薇の女王は軍備増強を推し進め、アーソナ大陸への更なる進出を試みたことをアリスは忘れていなかった。


「お前さん、思ってたより恐ろしいねぇ」

「マルアス、優しいだけじゃ何も守れないわよ。下がってて」

「やれやれ、早とちりもいいところだ。ケルビア、武器を下ろせ。お前が勝てる相手じゃない」

「あぁ!? 何言ってやがる! 相手はたかだか翼のない人間だぞ!」

「翼はないが、下手をすればあの鉄槌で城ごと破壊されるぞ」

「けっ! 舐めやがって!」

「なら一度思い知るといい。アリス、ケルビアの盾を打ち破れた時は、そっちの勝ちでいいぞ」

「分かりやすくて助かるわ」


 アリスは鉄槌へと姿を変えた穂先を構えた。


 セラフィアからはアリスの戦意がまるで見えない。本当に戦意などないのだ。


 しかし、戦わなければ何も得られないことを覚悟した目を見た途端、セラフィアはアリスの意思を悟りながらも大広間の端に身を寄せ、マルアスもまた、セラフィアの隣に並んだ。


 ケルビアが手に持つ【守護神の盾(エンジェリアイギス)】は何人たりとも通さないと言われ、蟻の這い出る隙間もない強固な壁でもある。悪魔の攻撃に備えて作られた女神の力が宿り、天使が持つ盾の中では最も大きな防魔の力があり、持ち主を選ぶのだ。


 強大な魔力を肌で感じながらも、手の平が真っ赤になるほど強く握りしめた。


「上位天使が持つ魔力は神々をも凌ぎ、悪魔をも裁く聖光の力。いくら盾とはいえ、強大な反射の力を受ければ、あの人間はただでは済まないでしょう」


 騒ぎに感づいたソロネアが現れると、表情1つ変えないままセラフィアの隣に並ぶ。


 腕を組みながらマルアスの目を見つめると、ソロネアはアリスを測るように見守った。

 興味深いことに、古代では魔障という言葉が存在しなかったことが判明した。今で言う魔障は人が避ける仕事を進んでこなし、文明に貢献していたのだが、人から忌み嫌われる仕事をしていることから、次第に避けられるようになり、やがて魔障と呼ばれるようになってしまったのは実に遺憾である。


 魔障学者アーサー・アーデルハイトの著書『不能の研究』より

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