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Alice in Abyssal Oblivion  作者: エスティ
第1章 天魔の一角獣
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chapter 1-16 海賊漁船

 辺り一面にダイブモールの首が転がり、アリスは思わず息を呑んだ。


 しかし、これで終わりではなかった。1匹のダイブモールの首から黒い汚泥が噴出し、再び体を起き上がらせると、汚泥が体に纏わりつき、更に巨大な体へと変貌を遂げていく。


 胴は太く、手足には筋肉がつき、牙はより鋭く、目つきは獰猛に光り、もはや誰も土竜とは認識できないほど狂暴化した。これほどまでに急速な進化は今までに類を見ないもので、突然変異とも呼べるものであった。茶色い体毛が全て黒く染まり、汚泥がポタポタと地面に落ちている。


「馬鹿なっ! 首を落としたというのに、こいつは化け物か!?」

「何なんだこれはっ!?」

「これがスラッジオよ。環境汚染をしながらクリーチャーに憑りついて狂暴化する厄介者」

「スラッジオだと! リーフォレストでも見たが、姿が全く異なるようだ」


 土竜形態となったスラッジオが雄叫びを上げると、ピクサーブが真っ先に動く。


 水色の剣に魔力を込めると、瞬く間にピンク色へと染まっていく。やがて炎を纏い、長剣の如く長い炎の剣となり、両手を強く握りしめ、素早く近づきながら縦に振り、スラッジオに直撃する。


 硬い物体を強く弾くような音が響いた。黒い汚泥は鋼鉄のように固まっていて、切り裂かれることはなかった。しかし、燃え広がる炎が体を包みこみ、煙が込み上げ、ピクサーブは手応えを感じた。


「やったか!?」


 煙が消えると、傷1つない鋼鉄のような体が元通りの形状を保っている姿が見えた。


「何という硬さだ。まるで鉄の塊のようで攻撃を受け付けない」

「炎や熱は効かないようだな。厄介なゴミ泥野郎だ」

「下がってて、私がやるわ」


 焦りを隠せないピクサーブとジミー。


 アリスが真顔で前へ出ると、穂先の吸い込み口を向けた。


 膨大な魔力が【女神の箒(ゴッデスイーパー)】を覆い尽くすと、箒がアリスの魔力に応えるかのように青い波動を纏いながら光り出し、穂先から白い魔法陣が姿を現した。


「お掃除の時間よ。【蒸気掃除(ヴェーパースイープ)】」


 吸い込み口から白い蒸気を纏った水玉が勢い良く発射され、スラッジオの体にかかった。


 水玉が弾けると、大きくのた打ち回りながら苦しみの声を上げ、スラッジオの表面を覆っている黒い汚泥が溶けるように消滅する。蒸気のかかった部位が開かれ、ダイブモールの頭蓋骨が見えた。


 アリスは箒に跨り、空を飛びながら【蒸気掃除(ヴェーパースイープ)】による蒸気を噴出し、蒸気が土竜形態となったスラッジオの全身へ広がっていくと、鋼鉄の体がドロドロ溶け出し、液状の黒い汚泥へと姿を変えるが、蒸気に含まれる浄化魔力により、形状を失いながら消滅する。スラッジオの雄叫びが姿と共に小さくなっていき、やがてダイブモールの頭蓋骨のみが残り、地面に落ちた。


 ダイブモールの頭蓋骨を拾い上げるジミー。


「ふぅ、お掃除完了」

「あの鋼鉄の体を溶かしたのか?」

「溶かしたんじゃなく、殺菌したのよ。炎や熱に耐性があるなら、低温殺菌すればいいのよ」

「スラッジオは汚れそのものと言っていたな。それで蒸気の力でスラッジオを倒したというわけか」

「ちょっと待て。殺菌って何のことだ? 話がさっぱり分からんぞ」

「流行り病の正体はスラッジオが持ち込んだ微生物だ。それがみんなの体に入り込んで悪さをしていた。しかも酒類が微生物に効くことをアリスが発見した」

「私が魔障院に来て最初の流行り病が発生した時、箒の力でみんなの体を調べたら、表面にたくさんの微生物がいたわ。普段は見ないからおかしいと思って、どうやったらお掃除できるかを試したのよ。結論を言えば、お酒が最も微生物に効くことが分かって、まだ流行り病に罹ってない人にお酒を塗ったら、感染を抑えることができたのよ。後で許可なくお酒を持ち出したことを先生に咎められちゃったけど」

「――ふふっ、はははははっ!」


 上を向きながら口を開け、高笑いをするジミー。


「何がおかしいのよ?」

「大した小娘だ。魔法も使わずに知識と経験で流行り病を攻略しちまいやがるとはな」

「私はお掃除しただけよ」

「……魔障は神の祝福を受けられなかった哀れな山羊だと思っていたが、そうではないようだ。目の前の課題から逃げることなく、魔法に頼らずとも対処することを知っている。俺たちには到底思いつかない方法でな。お前さんは妻のポルトゥス農園を見事に救ってくれた。礼を言うぞ」

「妻のって……じゃあこの農園は」

「ああ、今は亡き妻の形見だ。妻はポルトゥス農園を牛耳っていた領主の娘で、俺と駆け落ちした後で農園を引き継いだ。だが妻が行き場のない魔障に殺されてからは不幸続きだった。スラッジオの出現でトランプ兵がいなくなってからは、クリーチャーにぶち破られた城壁からの侵入を試みるダイブモールに苦戦を強いられて、出荷もできなくなった。農園は甥に継がせたが、どうにも心配になってな」

「そうだったのね」


 物音が聞こえなくなると、屋内に避難していた住民たちが外の様子を見ようと姿を現した。


 クリーチャーが全滅していることを知ると、徐々に住民たちの声が騒がしくなる。壊れされた城壁に視線を向け、ジミーが持つダイブモールの頭蓋骨に注目する。


 アリスは【浄化掃除ピューリファイスイープ】を使い、聖なる光によってスラッジオが汚染していたポルトゥス農園の土壌を一掃すると、住民たちの目がアリスに向いた。


「聞けー! ドゥブリスの民よ! 悩みの種であったダイブモールは、このアリス・ブリスティアが討ち取った! この頭蓋骨がその証拠だ!」

「「「「「おお~っ!」」」」」


 住民たちが一斉に飛び上がり、隣にいる住民と抱擁し合いながら歓喜の声を上げた。


「魔障院の掃除番がダイブモールを退治したんだってよ」

「すげえよ。ダイブモールがいなくなれば、また事業を再開できるぞ」

「ああ、奴らは警戒心が強い。仲間の死骸がある場所には近寄らねえし、城壁の周辺にダイブモールの首を置いておけば、もうやってこねえだろうな」

「全部あのお嬢ちゃんのお陰だ。今日はみんなで飲み明かそうぜ」


 火が灯ったように談笑する人々の間には、温かい賑わいに溢れていた。


 ピクサーブが箒の中へ戻ると、アリスは召喚魔法を解き、箒が消滅する。静寂が支配していたドゥブリスの町へ戻っていく人々を見届けると、ジミーはアリスを海岸に連れていく。


 ワンダー号が砂浜に停泊していると、海からは心地の良い波の音がアリスの耳に聞こえた。


「アリス、賭けはお前さんの勝ちだ。俺たちにできることなら何なりと従おう。約束だからな」

「流石は海に生きる男ね。ルヴァ島由来の作物をグラシード村に納品してくれないかしら?」

「それくらいお安い御用だ。実はな、余所者には秘密にしていたが、ドゥブリス農園には地下があって、そこでもゴブリンたちが魔法を使って作物を育てている。本当は自然由来の日光を浴びて育った作物の方がよく育つんだが、お前さんのお陰で、地上でも育てられそうだ」

「地下農園なら聞いたことがあるわ。魔法で疑似的な日光を作ることで安全に育てられるんでしょ?」

「ああ、クリーチャーの脅威が及ばない場所で、王都の連中にも取られずに済む」


 アリスはジミーから王都にまつわる話を聞いた。


 港町ドゥブリスにとって、王都は国内最大の取引先である。


 他国との貿易においては、王都関係者が真っ先に出迎える玄関口でもあった。主に海産物が大漁であったことから、一代で財を築いたドゥブリス出身の大臣が影響力を持つようになってからというもの、古参大臣たちから目をつけられ、ドゥブリスは重税を強いられ、海産物の漁獲量も制限されるほどであった。以降、王都との関係は悪化の一途を辿り、今の好敵手たる対立関係が築かれた。


 グラシード村へ向かおうと、ジミーは船出を決めた。


 ワンダー号に乗り込むと、クック海賊団の面々が留守番のように船を守っていた。


 派手な見た目ではないが、素朴な設計の中には確かな計算がある。帆の表側は赤く、裏側は白く、日光が反射すると、どちらの色にも見える不思議な感覚に魅せられた。


「アリス、船に乗る時は書類にサインしてくれ。後で揉め事になったら困る」

「いいけど、ちゃんと目を通させてもらうわ」

「用心深いねぇ~」


 アリスは羽根ペンと書類を渡され、海賊の掟が書かれた書類に目を通した。


 全ての搭乗員に投票権を与える。戦利品は書類通りの割合で公正に分配するものとする。規定違反者は置き去りか死刑とする。どれも海賊にはよくある掟であったが、ワンダー号特有の掟として、交わした約束を決して破るべからずというものがあった。


 ふと、アリスは以前交わした約束を思い出しながら船内へと入った。


 手早く筆記体のサインを済ませると、すぐさまジミーが書類を取り上げた。


「船を出せ! 英雄の帰還だ! 祝杯の準備をしろ!」


 ジミーが船内から外へ向かって号令を出した。


 魚人族の船員たちが船を後ろから力強く押し出し、グリフォアが舵を握った。


 モックが3本のマストの帆を上げ、ワンダー号の傾きが修正された。


 出航の合図と言わんばかりに赤と白の帆が大きく開いていく。


 潮風がアリスの髪を靡かせ、船が少しばかり揺れた。砂浜を離れ、船底が水上に浮き、沖へと進み出したのだ。初めての船出に心を躍らせ、王都に向けてワンダー号が移動を始めた。ドゥブリスの町が小さくなっていくにつれ、アリスの中ではブリスティア魔障院への想いが募っていく。


「魔障院に帰るのはいいが、移動禁止命令が出ている中でドゥブリスまで来て大丈夫なのか?」

「正直に言えば、かなりまずいわ。公爵に許可を貰ってから行く予定だったけど、結局私1人で行くことになったわ。どうしても証明したいことがあったの」

「作物を調べていたことと関係があるのか?」

「ええ、ゴブリンの料理番が公爵家に仕えているの。でもある日、料理の腕が落ちてしまったことを理由にクビを言い渡されて、仕入れ先の市場を辿っていったら、ここに辿り着いたわけ」

「お前さんは変わってる。みんな流行り病のことで頭がいっぱいだというのに、たかがゴブリンの料理番のためだけに各地を回るなんざ、思慮が浅いにも程があるってもんだ」


 ジミーは嘲笑を浮かべ、外の甲板へ出ると、頭を冷やそうと風に当たる。


 アリスは沈黙を守ったまま、自らの浅はかさを悔いた。


 流行り病など問題ではなかった。むしろ尊厳を踏み躙られ、存在そのものを惨めに扱われることの方が問題であると、アリスは潜在的に感じていた。ワンダー号の速度が上がるにつれ、魔障院制服のスカートがふわりと揺れ、頭の上の黒いリボンまでもが動いた。


「――だがな、お前さんのお陰で、ドゥブリスの町が救われたことも事実だ」

「どうしてワンダー号を港に停泊させないの?」

「停泊すれば港税がかかる。王都の大臣共は他の町が栄えることを良く思ってない。港税がなくなるまでは人気のない海岸に停泊するつもりだ。出来レースが好きな奴らに払う税金はねえよ」


 不貞腐れながらも陸に沿うワンダー号から赤い王宮が見えた。


 グラシード村には船の停泊場所がある。だがアリスが懸念しているのは脱走の発覚であった。


 クエンティンの忠告を思い出すアリス。


 両手の指を組ませながら無事を祈り、穏やかな漣の音に耳を預けた。


 魔障の立場が悪いことなど承知の上であった。ゴブリンの料理番の立場が決して良くないことを知った途端、後のことを考える余裕さえなくなった。まずは公爵家を訪れ、事の真相を話そうと考えた。


 王都に距離が近づくにつれ、アリスの呼吸は緊張を飲むように乱れていく。アルバンが魔障院解散を企んでいることを知りながらも、ドゥブリスへと赴いた自らの決断を悔いた。しかしながら、作物に飢えていくばかりか、使用人を顧みることさえできないほど、思いやりの欠片さえなくなっていくルベルバス王国民の姿を見ていられなかった。公爵家は後回しにすることを考え、用が済めば一刻も早くブリスティア魔障院へ帰ることを思い立ち、グラシード村の港へ船が着く。長居すれば港税が発生するが、ジミーはアリスを置いて行こうとはせず、黙ったままアリスの後に船を降りていく。


「アリス、これを持っていくといい。いざという時に使うんだ」


 モックが右の片鰭に緑色の小瓶を持っている。


 アリスの手の平に収まるくらいの小瓶の中には、一口分の白く濁った液体が透けて見えた。


 小瓶の表紙には『Drink Me』と下手な字で書かれている。


 何とも奇妙なメッセージに思わず首を傾げるアリス。手に取ってみれば、小瓶は思った以上に軽いものであった。アリスが難なく片手で持ち上げられるくらいだろうか。


「面白い贈り物ね。希望でも入ってるのかしら?」

「希望の量は無限だよ。ただ僕らの分はほとんど残ってない。嘆いたところで意味はないよ。いくら足掻こうとも、僕らにはできることしかできないのさ。この小瓶のようにね」

「そうね。ありがたく貰っておくわ」


 ポケットの中に小瓶を入れると、モックは前歯を見せながらアリスに微笑んだ。


 右の片鰭を振りながらアリスとジミーを見送るモック。


 王都に続く道には彫りがあり、石畳と砂で覆われている。地面を踏みしめながら進むアリスからは緊張と不安が漂っていることが見て取れる。ジミーは船長帽を深くかぶり、外からは目が隠れる格好だ。


 海から遠のくにつれ、アリスの耳を癒していた漣の音が聞こえなくなっていく。

 ルベルバス王国の建物ほど意図がハッキリしている構造物はない。煉瓦造りは貴族、木造建築は平民と決まっているが、煉瓦造りの方が火事を起こしにくく、攻撃魔法を受けた際に燃え広がらないためだ。ルベルバスでは煉瓦が高いこともあり、裕福さを誇示する狙いもあるのだ。


 ルクステラ帝国建築家ジュリアン・ロジュロの著書『魔法建築大学』より

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