chapter 1-14 港町
アリスが辿り着いたのは、海岸沿いに家が並ぶ港町ドゥブリスであった。
ドゥブリスはルクステラ帝国を始めとした隣国とドゥブラ海峡を挟む形で繋がり、貿易船が真っ先に辿り着く外交貿易の拠点である。海の近くということもあり、魚人族の割合が高い。
澄み渡る景色と豊富な海産物を求め、外から移り住む者も少なくない。
例の如く、町の周囲には昔の名残からか、城壁で囲まれている。門番らしい者はいない。城壁の一部は壊され、修理すら行われていない体たらくであった。青く輝く海に反して田畑は荒れ、見るも無残な姿であった。特にアリスが気になったのは野菜畑である。フルーツリープもいなければ野菜の生るクリーチャーも生息していないドゥブリスでは、自前で農園を設けるのが常識であった。
グラシード村でルヴァ島由来のジャガイモが置かれていないことを思い出し、大地の力をまるで感じない不毛の地と化したドゥブリスは、以前アリスが聞いた話とはまるで異なっていた。
港町ドゥブリスはジャガイモを始めとした作物の名産地でもあった。
広大な面積を誇る『ポルトゥス農園』で採れる作物は王都にも流通するほど質が高い割に量産化されているために物価も良心的であった。特にジャガイモは比較的寒冷地であったルベルバスにおいても関係なく育ち、庶民の味方を象徴する作物となっていた。
アリスが異変を感じた日までは、紛れもなくルベルバスの生活を支えていた。
農園には僅かばかりのゴブリンたちが足元を茶色く汚しながら作物を耕している。
「――ここ、野菜畑じゃないの?」
アリスが後ろを振り返り、コリーに尋ねた。
「ああ、少し前まではな」
俯きながらコリーが答えた。何か理由があるのかと、アリスはコリーの目を見続けた。
「何かあったの?」
「不作が続いてるのは知っているよな?」
「ええ、王都周辺も不作で困ってるわ」
「ダイブモールが野菜を食い荒らしちまうんだ。穴の開いた城壁を通ってな」
コリーが指差した先には、無残にも外から壊された形跡のある城壁がある。
内側に残骸が転がり、クリーチャーがいつ通ってもおかしくはない。農園には野菜が植えられ、いくつかは目を出しているが、コリーはどうにも希望が見出せない。
畑土竜ダイブモールは人里に現れては田畑を荒らす土竜のクリーチャーである。表面の分厚い毛皮のお陰か寒さにも強く、場所を問わず生息するほどの生命力を持ち、集団で狩りを行う習性があり、凶暴な性格からクリーチャーに指定された。畑狩りの異名を持ち、グラシード村にも度々現れ、市場の食物を食い荒らしたこともある。先の尖った嘴があり、木の実を啄むように進化している。普段は山の地中で暮らしているが、山が少なく、平原が広がるルヴァ島では、町や畑は格好の獲物だ。
しかしながら、城壁が壊れているにも拘らず、誰1人として農園を守ろうとはしないことに違和感を抱いた。クリーチャー討伐はトランプ兵の役目であるが、不思議なことに、肝心のトランプ兵が1人もいないのだ。これでは荒らしてくれと言っているようなものとアリスが気づく。
「どうして誰も守ってないの?」
「昔はトランプ兵が農園を守ってくれていた。でもある時から状況が変わった。スラッジオが出現するようになってからは、ここにいたトランプ兵も王国軍の増援として駆り出された。この壊れた城壁は、普段はあの山奥にいる強力なクリーチャーに打ち破られたものだ。修理しようとしても、城壁に開いた穴からダイブモールが侵入してやりたい放題だ。ただでさえ無防備な上に、トランプ兵でも苦戦する相手じゃ、俺たち庶民じゃ勝てっこねえ。今は諦めて、サーマス島の作物を輸入してるってわけさ」
「だったら私がお掃除するわ」
自信満々にアリスが言った。コリーは耳を疑いながら首を傾げた。
「本気で言ってるのか?」
「ええ、本気よ。ダイブモールは魔障院にも度々現れていたわ」
「奴らは夜行性だ。夜中になれば出てくると思うが、肝心の餌がねえとな」
「作物はどこで売っているの?」
「アクアヴィーテ市場で売ってる。でも大半の作物は魔法都市に持って行かれちまった……このままじゃ王都を始めとした重要拠点以外はみんな飢えちまう。赤薔薇の女王は地方の町や村のことなんかどうでもいいんだ。大臣は王都第一主義なんて言ってたらしいが、結局どいつもこいつも自分第一主義だ」
呆れた様子で愚痴を言い始めるコリー。
港町ドゥブリスの惨状を初めて知り、途方に暮れた。
アリスが聞いた限りでは、ドゥブリスは海産物だけでなく、作物も豊かな土地であった。噂と実態の乖離をこれほどまでに突きつけられたのは初めてであった。
ポルトゥス農園の地質を確かめるべく、土を拾おうと地面に手を伸ばした。
「そこで何をしている!?」
野太い声が聞こえると、アリスとコリーが声のする方に顔を向けた。
星の紋章が描かれた船長帽をかぶっている中年男性が佇み、アリスに近づいてくる。
コリーが噂したジミー・クックと見て間違いないとアリスは確信する。冷淡な表情を崩すことなく、アリスを警戒している様子を見せると、思わず片足を後ろに踏み出し、困惑の目を船長帽の男に向け、箒を強く握りしめた。魔障というだけで嫌な顔を見せられるのはこれが初めてではない。
「――船長!」
「コリー、無事だったのか」
「ええ、あのアリス・ブリスティアに助けてもらったんです」
「お前は何を言っているんだ。魔障ごときにそんな力があるわけないだろう。王都の法螺吹き共の言うことをいちいち真に受けるんじゃねえ!」
熱のこもった声を荒げると、アリスは酷く呆れてしまった。
ジミーは毛嫌いするように、青と白を基調としたカエルレウムマレの魔障院制服を睨みつけた。
突っ撥ねられるのはいつものことだ。あからさまに嫌悪する者と戦う気などない。自らが立ち向かうべき相手に比べれば全く大したことないと言わんばかりだ。本来ならば相手にする気にもなれないが、目的のためにと思い、アリスは内に秘めた憤りを押し殺した。
貫禄のある皺が際立ち、コリーはアリスの横顔を物惜しそうに眺めた。
「随分な言われようね」
「黙れっ! コリー、魔障なんかと仲良くすれば、お前も外を歩けなくなると思え!」
「船長、ちょっと落ち着きましょうよ」
「ねえ、どうしてそんなに魔障を目の敵にするの?」
「理由は他でもねえ……俺は魔障に……家族を殺されたんだ!」
「――家族」
アリスは大きく目を見開き、小さく呟きながら自らの過去を思い返した。
朧気ながらも家族の姿を思い浮かべた。アリスには両親の記憶がない。
魔障院に入学してからというもの、記憶を抹消されたかのように思い出せない。いくら思い返そうとしたところで、鍵がかかったように思考が止まり、思い出そうとする前の状態に戻された。考えるだけ無駄と諦め、自ら記憶を辿ろうとはしなくなる。
深淵なる忘却は、アリスを暗黒の闇の中へと放り込み、思いのままに操っていた。
「分かったらとっとと帰れ。ここには魔障を歓迎する奴なんかいねえぞ」
「そういうわけにはいかないわ。ポルトゥス農園が不作になってから、私たちも作物に困ってるのよ。勝手に作物を取り上げるのはどうかと思うけど、私はどうしても救いたいの。ブリスティア魔障院も、王都ムウニ・ディンロも、港町ドゥブリスも」
「船長、どうせこのまま指を咥えて状況を放置しても埒が明かないんですから、賭けてみましょうよ」
「今はそれどころじゃない。ドゥブリスも流行り病に侵されている。巷じゃ魔障が井戸に毒を入れたとまで噂されてるんだ。痛い目に遭う前に帰った方が身のためだと言いたいが……どうにも追い返せる余裕すらない。救えるというなら、救ってもらおうじゃねえか」
「じゃあ――」
一瞬、アリスの頬が緩んだが、ジミーは油断の隙を与えまいと一歩詰め寄った。
「だが救えなかった時は、問題を起こした魔障として王都に通報させてもらう」
これだけ言えば流石に引き下がるだろうと、ジミーは嫌味の笑みを浮かべた。
「ドゥブリスを救った時は、私に協力してもらうわ。それと決着がつくまでの間、妨害は一切禁止よ。賭けをするなら公平にやらないとね」
「……いいだろう。1週間だけやる。それまでにこの状況を何とかしろ。できるものならな」
捨て台詞を吐きながら後ろを向き、渋々と引き下がるジミー。
コリーは肝が冷え、アリスに恐る恐る歩み寄る。
「おいおい、あんな約束しちまっていいのか?」
「ええ、これで道は開けたわ。患者の所に案内してくれない?」
「別に構わねえけど……」
コリーは生きた心地がしなかった。海に生きる男の掟に触れたからだ。
ルベルバスにおいて漁業に務めるのは、他でもない『海賊』と呼ばれる組織である。
一度交わした約束は絶対視され、何人たりとも破ることは許されない。
たとえ相手が、魔障であったとしても――。
ジミー率いるクック海賊団は、ルベルバス王国公認の海賊である。人間だけでなく、魚人族や海亀族も船員として参加する荒くれ者の集まりだ。海での戦いは得意である一方、陸ではあまり強くはなく、船出していない時は、専ら大工の仕事に駆り出されていることが見て取れる。
アリスがドゥブリスの通りで見た光景はこの世の地獄であった。
流行り病によって全身が黒く壊死した亡骸が転がり、怯えた町人の多くが助けを求めて他の市町村へと旅立ったことを知り、慢性的な人手不足に陥っていることを知る。
船長は船員たちの投票で決まる。持って生まれた身分など、船の上では何の役にも立たない。必要とされるのは、海と格闘しながら船員をまとめられるだけのリーダーシップである。
「つまり、海賊の掟に乗っ取れば、船長であっても約束破りは許されないのね」
「ああ、破れば海賊団から追放される。それと海賊船に乗る時は誓約書にサインをさせられる。アリスも船に乗る時は気をつけろよ。俺も最初は痛い目を見たからな」
「機会があればそうするわ……さっきはありがとう」
「何だよ急に」
「庇ってくれたでしょ。私が魔障であることを知りながら」
「……勘違いすんな。命を救ってくれた分を返しただけだ。別に偏見があるわけじゃねえ。でも俺にも立場ってもんがある。悪いが、手助けしてやれるのはここまでだ」
「ええ、助かったわ」
コリーが医療院にまで案内すると、アリスから離れていく。
「――変わった奴だ」
後ろを振り返り、不思議な少女の姿を見守りつつコリーは呟いた。
アリスは医療院の扉を開け、顔を覗かせながら中へと入った。中には大勢の患者の他、表面に蝋を引いた革製のガウン、鍔広帽子、嘴状をした円錐状の筒、強い香りのする香料、木の杖を持ち、藁を詰めた鳥の嘴のようなマスクを着用した医師たちが治療を施している姿が見えた。
魔障院制服を着用したアリスを前に、医師たちはお互いの顔を見合った。
物怖じすることなく、アリスは医師たちから事情を窺った。幸いにもアリスの名が知れ渡っていたこともあり、医師たちは藁にも縋る思いでアリスに事のあらましを説明する。上陸したスラッジオは海岸からドゥブリスへと侵入した。巨大なヤドカリとなった姿で既に壊れていた城壁の穴から侵入すると、住民や家屋を襲い、瞬く間に壊滅的な被害を与えた。住民の中にはスラッジオの黒い泥をかぶり、真っ先に流行り病に感染した者もいる。最初は黒い泥が感染源であることなど、疑ってすらいなかった住民たちはロクに拭かないまま助けを求め、各地へと繰り出した。
残った者はスラッジオが立ち去るまで、地下へと逃げ込み、辛抱強く耐え続けた。やがて王都から使いの者が駆けつけると、町の人々は港町ドゥブリスの惨状を訴えた。流行り病に際して組織された悪魔祓いの集まりが医師として各地に現れるが、状況は一向に改善しないばかりか、奇怪な治療法を試した末に死んでいき、分かったのは人を伝って感染する流行り病であることのみ。魔草を使っても症状が一時的に抑えられる程度で、改善には至らなかった。
スラッジオが流行り病の運び屋として上陸したことまでは判明した。
しかし、人の移動がない町や村にまで流行り病の影響が及んでいる理由までは分からなかった。
香料の強い臭いがアリスの鼻を突く。
何でも、邪気を払うために魔草の香料を使っているとのことだが、患者は増える一方で、意味がないことには感づいていた。余計な口を開くなというレイシーの忠告を思い出し、言及はしなかった。
――思ったより深刻ね。まずは患者をどうにかしないと。
使われている魔草を確認すると、医者の鞄が動き出し、中で鼠が動いている様子が窺えた。
自らの存在がいなかったことにされ、書き換わった偽りの世界は、誰かにとっては居心地の良いものであろうが、存在が想定されていないことの苦しみを味わう者は声を上げることもできない。下手に目立てば反感を買うもので、自らもまた、誰かの存在を想定せず、苦しめていたと思い知らされるのだ。
神話作家シャルロット・ガーランドの著書『アビサル・オブリビオン』より




