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Alice in Abyssal Oblivion  作者: エスティ
第1章 天魔の一角獣
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chapter 1-11 真実を映す異界の紅茶

 アリスとピクサーブはモードレッドと向かい合った。


 今にも戦闘が始まりそうなくらいに緊張が走る。


 張り詰めた空気の中、誰かの水滴が垂れた時が合図と言わんばかりだ。


 ピクサーブは魔力を込めると、【堅牢の鎧(ロバストアーマー)】を召喚し、全身を包み隠した。


 灰色の甲冑が重く体に伸し掛かり、背中に空いた4つの穴から翼が出る。


 真顔のまま、構えている大剣を観察する。後隙を狙えばと考えたピクサーブが真っ先に足を動かした。重量感のある甲冑とは裏腹に、目にも止まらない速さで連撃を仕掛けるが、モードレッドは涼しい顔のまま華麗にかわし、最後の渾身の一撃をも受け流した。


「なかなか手慣れているが、この程度じゃ俺は倒せねえぞぉ!」

「ぐうっ!」


 大剣を一振りするだけで衝撃波が走り、ピクサーブは強烈な風圧に吹き飛ばされ、少し遠くにある雑貨店に体を激しく叩きつけられた。店主と思われる中年男性は間一髪のところで店を飛び出した。


 商品が大きな音を立てながら床に散らばり、粉々に壊れる乾いた破砕音が市場に響き渡った。


 陳列棚が横倒しになると、市場は静まり返り、客が一斉に逃げ出した。


「がはっ!」

「だっ、大丈夫かい?」

「案ずるな、これくらい大したことない。それより商品を壊してしまって済まない」

「いいんだ。モードレッドはルベルバス王国の剣士の中でも、1番の凄腕と聞く。拷問魔法、大剣捌き、いつも着ている漆黒の背広から、断罪の黒豹と呼ばれている。悪いことは言わん。早く逃げろ!」

「生憎だが、敵前逃亡は騎士の生き恥、不名誉に勝る愚行はない」


 痛みを堪えながらピクサーブが立ち上がると、今度はアリスがモードレッドと対峙する。


「あのエルフの騎士も大したことないねぇ~」

「……黒豹とは言ったものね。心配になってきたわ」

「だったら早いとこ俺に詫びて、負け犬のように尻尾を振って逃げるんだな。はははははっ!」


 高笑いを上げながら大剣を背中の小さな鞘に納めるモードレッド。


「私が心配しているのは――」


 アリスはピクサーブに目をやった後、モードレッドに哀れみの瞳を向けた。


「あなたをお掃除したら罪に問われないかってことよ」

「ふっ、さっきから生意気な小娘だ。いいぜ。もし俺に勝てたら不問にしてやるよ」

「なら安心ね。まだ退学はしたくなかったから」

「その減らず口を叩き直してやるよ。【拷問(トーチャー)】」


 土留色の雷が一直線にアリスを襲う。


「【吸引掃除(サクションスイープ)】」


 穂先の吸い込み口から魔力に対する強い吸引力が発生し、雷を絶え間なく吸い込んでいく。


「馬鹿なっ! 魔力が全部吸引されていくだとっ! クソッ!」


 必要以上に魔力を放出したことで、モードレッドの動きが鈍り、長距離を走り続けたかのように息を切らし、跪きながら【女神の箒(ゴッデスイーパー)】が雷を吸い込む様子を眺めるしかなかった。


「仲間に手を出した報いを受けさせてあげるわ。【排出掃除(エミッションスイープ)】」


 アリスが吸い込み口をモードレッドに向けると、土留色の雷を一気に放出する。


「ぐわああああああああああっ!」


 雷がモードレッドに直撃すると、断末魔を上げ、全身を激しく震わせながら駆け巡り、表皮が切り裂かれる焼けるような痛みと血の生臭い匂いが広がった。


 モードレッドは立つ力もなくなり、煙を上げながら仰向けに倒れた。


「馬鹿なっ! この俺が……魔障ごときに……」


 起き上がろうとするモードレッドに歩み寄るアリス。


「早く王都の医療院まで行った方がいいんじゃない?」

「クッ、防魔の背広で致命傷は免れたとはいえ、先に倒れた以上、俺の負けだ……お前……何者だ?」


 憎悪に満ちた眼光をアリスに向け、再びゆっくりと立ち上がるモードレッド。


「アリス・ブリスティア。魔障院の掃除番よ」

「アリス・ブリスティア。覚えておくぞ……大通りまで戻れ」

「よろしいのですか?」

「構わん。どこからでもルスッカには帰郷できる」

「畏まりました」


 ルスッカ貴族の執事と思われる御者の老人が運転席から降りてくると、車体を浮遊させながら向きを反転させた。御者が再び運転席に着き、モードレッドがのっそりと馬車の客席に乗ると、わざわざ来た道を引き返していき、グラシード村の大通りへと抜けていった。


 1頭の焦げ茶色の馬が鳴き声を響かせ、北へと引き返していく。


 ルスッカはルベルバス王国北方に位置する地方都市として栄え、カエルバス王国の国境に隣接していることもあり、王国軍の中でも比較的練度の高い常備軍が駐留している。


「ありがとうアリス。さっきの台詞、カッコ良かったわよ」

「掃除魔法もなかなか興味深いわね」

「スラッジオだけじゃなく、あのモードレッドまで倒しちまうとはな。大したもんだ」


 頭皮が見えるくらいの白い短髪、小さく丸い眼鏡をかけた痩せ型の中年男性が轍で盛り上がった泥を踏みながら市場の通路を渡り、愛嬌良く歯を見せながらアリスに歩み寄った。


 雑貨屋『ジェネラレックス』店主、レックス・テイラーはフルータブルの斜め前に店を構え、地方都市から取り寄せた品物に加え、通行人からも旅先で得た戦利品や掘り出し物を買い取っている。考古学や政治学の知識にも長けており、グラシード市場の御意見番と称される。


 連なっている他の店からも、奥に引っ込んでいた店主と思われる者たちがぞろぞろと現れた。


「この前も石になったあたしたちを元に戻してくれたし、本当に助かるわ」

「それより雑貨屋の商品だが、壊れた物を買い取らせてくれ」

「いいんだ。傍から見ていたが、市場の商売人たちを守ろうとしてくれたことくらい分かる。今は小さくなったグラシード村だが、数十年ほど前までは、王都民がわざわざ来るほど栄えていてな、バザールの時は王族の方も、店を構えて参加されていたんだ――あれっ……誰だったかなぁ~」


 左手で頭を抱えながら目を瞑るが、レックスは一向に思い出せない。


「もう、祭り嫌いの女王陛下が参加されるわけないでしょ」

「俺の思い違いかな。まあそういうことだ、気にしないでくれ」

「……そうか」


 下を向きながらだんまりを決め込むピクサーブ。


「商品なら治せるぞ」

「「「「「!?」」」」」


 アリス、ピクサーブ、ヘレン、ジョアンナ、レックスが声のする方へ顔を向け、目を見開いた。


 ウインクをしながら現れたのは、他でもないハッターであった。


「ハッター、どうしてここに?」

「さっき移動許可が下りたお陰で、やっと王都から出られた。みんなしてアルコールで壁や床を拭き掃除し始めたから何事かと思ったが、やはり君だったか」

「まあね。でもこれは【修復(リペア)】の使い手を探さないと無理だと思うけど」

「僕がその固有魔法の使い手さ。ここには世話になってるからね」


 ハッターは【操作(オペレーション)】を使い、商品の破片を浮遊させながら拾い集めた。


 横倒しになった陳列棚までもが容易く起こされ、アリスは驚きを隠せない。


 主に売られていたのは、紅茶を淹れるティーカップであった。


 花柄のカップに見覚えがあった。王都では御法度とされている白薔薇の描かれたティーカップは、かつての狂ったお茶会で見た香しい風味が漂う赤茶色の紅茶を思い起こさせた。


「【修復(リペア)】」


 魔力をカップの破片に集中させ、乾いた音を立てながら割れる前の状態へと戻っていった。


「ありがとうハッター、お陰で助かったよ」

「気にするな。悲劇に巻き込まれるのは、いつだって善良な市民だ」


 雑貨屋はすっかりと元通りになり、ハッターが再びアリスを見た。レックスはホッと胸を撫で下ろし、ヘレンとジョアンナもフルータブルへと戻っていく。ハッターはグラシード村でも知られていたが、本名だけは誰もが忘れていることに、アリスは漠然とした違和感を持つ。


 様子を見守っていたピクサーブは【堅牢の鎧(ロバストアーマー)】を解除し、召喚魔法が解けた甲冑が消滅すると、見覚えのあるハッターに詰め寄った。


「お前、この前の帽子をかぶった男だな?」

「おやおや、妖精界で僕を追っかけてきた騎士じゃないか。まさか人間界まで来ていたとはね」

「ハッター、話はピクサーブから聞いたわよ。どうしてリーフォレストの作物を盗んだの?」

「盗んだわけじゃない。大きな茶葉の木から採取しただけさ。分析してみれば、リーフォレストの作物は非常に質が高いことが分かった。紅茶に使われていた茶葉はリーフォレストで採取したものだ。より一層素晴らしい風味を感じることができた」

「あれは女王陛下に献上する予定だった貴重なヴェリタスの茶葉だ。お前のせいで採取の時期を遅らせる破目になったんだぞ。しかも『ヴェリタスティー』と知らずに飲むとはな」

「どんな効果があるの?」

「ハッターが採取したのは、ヴェリタスの木と呼ばれる茶葉の木に生えているヴェリタスの茶葉。紅茶にして飲むと、世界の真実が見えるようになる。更には虚偽の魔力も一切受け付けなくなる代物だ」

「――虚偽の魔力だって?」

「そうだ。例えば魔力によって世界が変化したとしても、飲んだ本人の認識は変わらず、所有物も変化に巻き込まれなくなる。まさかとは思うが、アリスも飲んだのか?」

「確か歪みの森に入った時、ハッターのお茶会に参加して――私も紅茶を飲んだわ!」


 アリスは大きく目を見開き、少しばかり口を開けたまま呆然とする。


 過去の記憶を辿り、たった1つの真実へと辿り着いた。


 狂ったお茶会で飲み干した赤茶色の紅茶は、紛れもなく世界の真実を映すヴェリタスの木から採られた茶葉によって特異の風味を放つ紅茶、ヴェリタスティーであった。


 紅葉のような形に咲く赤茶色の茶葉であり、世界の変化を逸早く感知し、真実を映す鏡として、妖精界リーフォレストの歴代国王にのみ献上され、王族のみが飲むことを許されている。妖精の渓谷(フェアリーデイル)の最奥部にのみ存在する幻の木は多くの妖精たちに守られ、滅多なことでは流出することのない開かずの間であった。しかし、ハッターたちは飢えのあまり血眼になりながら死に物狂いで採取を始めると、妖精たちの怒りを買い、追跡されながら辿り着いた先はヴェリタスの木であった。


 幸い、捕まることなく採取を終えたハッターたちは、人間界ヒューマースへと帰還した。


 ハッターはヴェリタスティーが持つ魔力を知らぬまま、ロビット、チェシャ、ヘイヤ、ドーマにヴェリタスティーを振る舞い、お茶会の途中でアリスが乱入すると、同様に紅茶を振る舞った。


 ――だから私の魔障史書《マディーヒストリックス》だけ内容が変わってなかったのね。やっぱり世界は改変されていたのよ……恐らく……深淵なる忘却によって……。


「どうした? アリス」

「ピクサーブ、ハッターのことは許してあげて。飢えていたなら仕方がないわ。偶然かもしれないけど、私がヴェリタスティーを飲んだことで、深淵なる忘却に侵された世界の真実に一歩近づけたわ。ハッターが採った分は人間界で手に入れた戦利品を献上すればいいじゃない」

「アリスに乗っかるわけじゃないが、済まなかった。僕はともかく、お茶会の仲間たちまで飢え死にさせるわけにはいかなかった。ロビットを森の外にまで行かせたのは、食糧を探すためでもあったんだ」

「……いいだろう。アリスに免じて今回だけは見逃してやる」


 ピクサーブは引き下がるように小さく渋い声で言った。


「問題を1つお掃除できたわね。これで門番の借りも返したわよ」

「やれやれ、過去を蒸し返された時はどうなるかと思った。これからどうする?」

「クエンティン公爵に許可を貰ってドゥブリスまで行くわ。流行り病の発生源をどうにかしないと」

「そうか。ならお別れだ。僕は歪みの森に戻って作物が枯れた原因を探ろうと思っている。また豊作になってくれれば、わざわざ異界にまで行って恨みを買わずに済む」

「言ってくれる」


 不機嫌そうに目を顰めるピクサーブ。ハッターはピクサーブを気にも留めず片目を閉じると、背を向けて走り始めた。遠くに停めていた白馬に乗り、蹄の軽やかな足音を響かせながら走り去っていった。


 世にも不思議な帽子屋は人を惹きつけるだけの魅力があった。


 アリスはハッターたちを仲間と認め、また狂ったお茶会に参加したいと、段々と小さくなるハッターの背中を見ながら願いつつ、目で追うアリスをピクサーブは見ていられなかった。


 事を急ぐように翼を広げると、アリスも箒に跨り、共に王都へと戻っていく――。


 一方、魔障院は徹底した防疫により、壁や床だけでなく、天井に至るまで酒類による拭き掃除が行き届いていた。メイベルは他の魔障院生に会うことなく、真っ先に院長室にまで赴く。メイベルの姿に気づいたレイシーは書類を書く羽根ペンの動きを止め、迎え入れるように笑顔で面会する。


 メイベルは1冊の本をレイシーに渡し、読むことを促した。

 聡明でない国王ほど、最適解を探し当てたかのように懲りず過ちを繰り返す。民を困らせることだ。特に有名なのは、失地王ケネスが国土を二分し、ルヴァ島の北半分を有力貴族に任せた結果、北方民族と手を組んだ挙句、カエルバス王国の建国をあっさり許してしまい、取り返すために重税を強いたことだろう。


 国王直属侍女オクタヴィアン・セクシアの著書『アトロウシャス・ガバメント』より

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