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Alice in Abyssal Oblivion  作者: エスティ
序章 魔障院の掃除番
2/96

chapter 0-2 採取

 魔障にとって悩みの種は使用人試験(サーヴァンテスト)だけではなかった。


 人々からは色眼鏡を通して見られ続ける業を背負い、いかなる場合においても好意的に見られることは少ない。見た目だけでは皆目見当もつかないが、魔障院生については制服で分かる。


 魔障院生でなくとも、基礎魔法を使いこなせないことで露見する場合もある。


 ほとんどは子供の時点で発覚し、5歳から10歳の間に魔障院への入学となり、魔障労働と呼ばれる単純作業へと従事する下級使用人として生きていくことを余儀なくされる。魔障の中には定住することなく、旅人として各地を訪問しながら生きていく者もいるが、やはり一部に限られる。


 アリスが仰向けに寝そべりながら上を見ると、ロビットが天井に貼りついている。


「……そんな所で何してるの」


 見下ろしながら大袈裟に瞬きするロビットを見上げながらアリスが言った。


 ロビットは軽く手を振りながらベッドの上に飛び降りた。


 落ち着きのない言動に早くも慣れてきたアリスは、今更咎めようという気にもなれなかった。何故自分が一介の白兎の面倒を見なければならないのかと、心の内で呟いた。


「採取に行くんだろ。だったら早く行こうぜ」


 こっちの気も知らないくせにと思いながらも、アリスは黙ったままベッドから足を出し、ロビットの隣に座る格好となった。アニマリーらしい何とも言えない臭いに、アリスは脊髄反射的に鼻を摘まむ。


「ちょっとそこに立って」


 アリスが左腕を横に掲げると、【女神の箒(ゴッデスイーパー)】を召喚する。


「お、おい、何する気だよ?」


 のけ反りながら後退りをするロビット。


「あなたをお掃除するのよ。【摩擦掃除(フリクションスイープ)】」


 箒に魔力を込めると、箒から青白いオーラが醸し出され、いくつもの小さく真っ白な雑巾が周囲に召喚されていき、ロビットの体目掛けて飛びつき、ペタペタと貼りついていく。


 雑巾が小刻みに動き、ロビットの体を隅から隅まで拭いている。


「あははははっ! ちょっ! くすぐったいって! あははははっ!」


 地面をのた打ち回りながらも笑いが止まらないロビット。


 しばらくして雑巾が離れると、召喚魔法を解いたことで姿を消した。


 何やらロビットの体に光沢ができている。アリスの顰めっ面は余裕の笑みに変わり、ロビットは不信に思いつつ、自らの腕を恐る恐る嗅いでみる。


「――あれっ、全然臭わねえ」

「これは私の固有魔法、【掃除(スイープ)】の1つで、【摩擦掃除(フリクションスイープ)】は表面の汚れや皮膚の垢を全部お掃除してくれるのよ」

「へぇ~、どうりでこの魔障院だけは綺麗なわけだ」

「他の魔障院は掃除しようとしないの。掃除は奴隷の仕事だからしたくないんですって」

「アリスは【掃除(スイープ)】以外は何が使えるんだ?」

「使えないわ。どの基礎魔法にも魔力適性がなくて、【火炎(フレイム)】も【雷電(サンダー)】も【氷結(フリーズ)】も出せない。どうしても使いたい時は魔石の力を使うことになるわね。お掃除しかできない私だけど、せめて固有魔法だけでも究めようと思って、ずっと【掃除(スイープ)】だけを鍛え続けてきたの。院内をお掃除し続けている内についたあだ名が、魔障院の掃除番。笑えるでしょ」


 寂しげに頬を緩めながら立ち上がるアリス。


 疲れている暇などないと言わんばかりに部屋を出ると、ロビットが後に続く。


 これ以上質問する度胸などなかった。後ろからアリスの体を攀じ登り、肩車をする格好だ。アリスは嫌がる素振りも見せず、再びキョロキョロと首を振るロビットを見ようと、頭と眼球を上に向け、視界に入ってくる両耳を確認する。さっきよりも元気が出ていると、アリスは確信の笑みを浮かべた。


 ブリスティア魔障院の外に出ると、日光が差し込む様子はなく、仄かに風が吹きつける。


 魔障院とその周辺はアリスが通っていることもあり、整備が行き届いている。


 王都ムウニ・ディンロにある真っ赤な王宮が小さく聳え立つ。


 少しばかり離れた場所からは王都の中心へと続く道があり、道中には商人たちの市場がある。


 採取が困難である場合は市場で買い出しを行うが、数日前まで続いた飢饉からの復興を象徴するように談笑の賑わいを見せている。真反対の方向には歪みの森へと続く道があり、森の入り口に設置されている看板には入るべからずと汚い字で書かれている。


「あれっ、アリスじゃない。どこかに出かけるの?」


 声をかけたのは、アリスと同じくらいの背丈を持つ茶髪の少女であった。


 後ろに数人の魔障院生が佇んでおり、アリスの様子を見ようと歩み寄ってくる。


「ええ、院長先生から直々に補習を言い渡されたわ」

「また授業中に寝てたんでしょ?」

「この白兎と追っかけっこしてたの」

「えっ、もしかしてアニマリーを飼ったの?」

「飼ってないけど、しばらく面倒を見ることになったの。ロビットよ」

「へぇ~。私はメイベル・ブリスティア。よろしくね」

「おう、よろしくな。ていうか何でアリスと同じ名字なんだ?」

「魔障院生は所属している魔障院と同じ名字なの。どこの出かハッキリ分かるし、成人前に受ける使用人試験(サーヴァンテスト)で合格すれば、最初に内定した場所から新しい名字を貰えることになっているの。みんな孤児だし、身元不明の人も少なくないから」


 健気にも笑いながら説明するメイベル。


 天真爛漫な明るい性格、気さくな印象の短い茶髪は周囲をほっこりさせる。


 ロビットの剽軽な立ち振る舞いに安心と親しみを覚えたのか、メイベルの後ろにいた魔障院生たちが男女と年齢の区別なく、アリスの近くに集まってくる。


 1人の明朗快活な少女がロビットの体を持ち上げた。


「アリス、こんなに可愛いアニマリーがいるなら、あたしに教えてくれればいいのにー」

「デイジー、その子はペットじゃないわよ」

「じゃあさー、あたしが飼ってもいい!?」


 真っ赤な短髪のデイジーが声を張り上げながら言った。


「駄目、これから採取に行くの」

「ちぇっ。つまんねえの。アシュリーあっち行こっ」

「うん……」


 銀髪で背丈の低いアシュリーがデイジーの後ろから顔を覗かせる。


 かと思えば、入れ替わるように、2人の男子がアリスに歩み寄る。


「やれやれ、捕まえたかと思えば、盗人と一緒に採取とはな」


 両手を広げ、呆れるように長身で肩まで伸びた黒髪の男子が言った。


「ディック、遊びじゃないわよ。ロビットが盗みに入ったのは森で餌が採れなくなったからよ」

「嘘だろ。森と言えば餌の宝庫だぞ。もしかしてまた飢饉が起きたのか?」


 慌てふためきながらも、緑色の短髪にずんぐりした体格の男子がアリスに尋ねた。


「それはないわ」

「良かったぁ~」

「食いしん坊のフレディにとっては一大事かもな」

「他人事みたいに言うなよ。もう飢饉は真っ平御免だ。また食糧が値上がりしたら、食堂のジャガイモを減らされちまうんだぞ」


 フレディの深刻とも大袈裟とも受け取れる言葉に、ディックはニヤリと口角を上げた。


 メイベルたちもアリスと同じデザインの魔障院制服だが、アリスとは異なる色を基調としている。


 魔障院生はいくつかの寮に別れて過ごすこととなり、年齢によって学年を分けることはない。入学してから20歳を迎えるまでは同じ寮の所属となる。


 ブリスティア魔障院には4つの寮がある。


 ルベルムヴァレム、カエルレウムマレ、アルブムシルヴァ、ニグルムモンテム。アリスが所属しているのはカエルレウムマレである。寮は入学時点での適性検査で決まるが、カエルレウムマレは魔障院の中でも特に成績の悪い者が所属し、使用人試験(サーヴァンテスト)の際には、青い制服を着ているだけで不採用にする職場さえある。アリスは魔障院生としては成績が芳しくない。


 基礎魔法も使えず、他に取り柄がないとなれば、不採用は当然とも言える。


 下級使用人は様々な雑務を実行する必要があり、料理や接客を満足にこなさなければならず、アリスが持つ【掃除(スイープ)】だけでは力不足なのだ。


 魔障院生たちを見送ったところで、アリスとロビットは採取へと向かう。


「なあアリス、採取って何をするんだ?」

「森や草原に生えている薬草や木の実を採って市場に売りに行く。市場の商人たちは国中から商品を仕入れているけど、仕入れ値を下げるために、旅人が採取した商品を安く買い取ってくれるの。買い出しの場合は、換金したお金で買い物をすれば完了よ」

「座学だけを教えているわけじゃないんだな」

「魔障院は他の学校みたいに魔法は教えないし、座学だけじゃ生きていけないわ。実学的な経験を積む必要があるから、物理的な作業ならどこの学校よりも詳しいのよ」


 得意げに言ってみせるアリス。


 魔障院からあまり距離のない草原に辿り着く。辺りには風に煽られている花や雑草が揺れ、かつて石造りの古城があったことを示さんばかりに城壁が転がっており、城壁の角は小鳥の住処となっている。


 草原には人の数倍の大きさを誇る羊たちが黙々と群れで雑草を口に頬張り、口を開けることなくムシャムシャと汚い音を出しながら咀嚼している。


 頭部と背中からは枝分かれしている大きな角を持ち、角からは巨木を思わせる樹皮が生え、樹皮の枝からは、苺、葡萄、蜜柑、林檎などが生っている。性格は至って大人しく、アリスたちを襲う様子はない。アリスは足を止め、余韻に浸りながら羊を眺めている。


「あの羊はフルーツリープだな。俺も時々果物を採りに行くんだけどよ、この前は失敗して1個も果物を採れなかったんだよなー。乗ろうとすると暴れるんだ」

「無理に取り上げようとするからよ。そこで見ていて」

「お、おう……」


 ロビットを地面に下ろすと、アリスはフルーツリープに近づき、手で頭を優しく撫でた。


 フルーツリープはアリスの手の平ほどの大きな目を閉じ、呼吸が緩やかになっていく。アリスはフルーツリープの頭部から離れ、今度は腹部を手で優しく擦る。フルーツリープは足を下ろし、アリスの目の前に蔓が落ちてくる。蔓を手に掴むと、フルーツリープを刺激しないように足を引っ掛けて体を攀じ登り、全ての果物を丁寧に捥ぎ取り、【女神の箒(ゴッデスイーパー)】を召喚する。


 アリスが【女神の箒(ゴッデスイーパー)】に魔力を込めると、筆のようにピンと立っている穂先がドーム状に開き、ラッパのように広がった管の形状となった吸い込み口へと変形する。吸い込み口に捥ぎ取った果物を次々に投入すると、フルーツリープの背中の上から軽々と飛び降りた。


「すげえな。俺でも採れねえのに」

「ブリスティア魔障院で果物を採取できる生徒は私だけなのよ」

「他はいきなり攀じ登ろうとしたりするんだろ?」

「そうね。みんなフルーツリープを何にも考えてないクリーチャーと思って乱暴に扱うから反発を受けるのよ。あの子たちも私たちと同じ、自然に生きる仲間なんだから、大切に扱わないとね」


 アリスがロビットを見下ろしながらにっこりと微笑む。


 ロビットはアリスの真心とも受け取れる自然への尊重に深く感心する。


 箒の中に詰め込んだ果物はいつでも取り出すことができ、箒の中の空間は外側の大きさに反して非常に広く、常に浄化されている空間でもあるため、どれほどの時間が経とうとも鮮度を保てるばかりか、表面や内部の汚れを取り除くこともできる女神の聖域である。


 草原での採取が続く。アリスは所々に咲いている薬草や花を手で千切るように根っこから摘み、同様に吸込み口の形へと姿を変えた【女神の箒(ゴッデスイーパー)】の中へと投入していく。


 召喚魔法が解けると、【女神の箒(ゴッデスイーパー)】がアリスの手から消滅する。


 採取が終わり、十分に資源を回収できたところで帰路に就く。


 アリスが魔障院へと進み始めた時だった――。


 何やら町の方から大きな爆発音が鳴り、アリスとロビットの耳を抉るように響く。同時に首を振り替えると、目線が合い、同時に頷いた。町の方へと向かい、途中でアリスたちの方へと、着の身着のまま息を切らしながら足を動かす商人の男がアリスに気づく。


「そんなに慌ててどうしたの?」

「いきなり歪みの森から腐敗した泥を纏ったドラゴンが現れたんだ! 市場を荒らし回って、周囲の連中をみんな石に変えてしまった! 君も早く逃げるんだ! 石にされてしまうぞ!」

「石にされる?」

「おい、あれ見ろよ」


 ロビットが指を伸ばした先にはドロドロとした黒く汚い粘液を帯びた龍が佇んでいる。フルーツリープや他のクリーチャーたちは危険を察知し、直ちに草原の奥へと立ち去った。


 ふと、ブリスティア魔障院付属図書館の本棚に並ぶ、歴史書に登場する伝説の龍をアリスは思い出す。腐敗した泥の状態ではあるが、禍々しい姿の龍はジャバウォックと酷似している。


 目に入る敵を全て焼き尽くさなければ気が済まない巨竜にして、邪知暴虐たる赤薔薇の女王に仕える忠実な僕であることをアリスは朧気ながら脳裏に刻んでいた。


 幼き頃より培った恐怖の象徴は、記憶の奥深くに封印された過去を振り返らせた。

 魔障には2種類の型が存在する。ほとんどは生まれつきの魔力自体が低いために全ての魔法がうまく使えない不能型が占めるのに対し、特定の魔法のみ魔力の強さが極端に高い偏重型が稀に存在する。偏重型の魔障が固有魔法を使えば異常なまでの強い威力を発揮する。問題は鍛錬を重ねなければ制御できないことだ。


 魔障学者アーサー・アーデルハイトの著書『不能の研究』より

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