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Alice in Abyssal Oblivion  作者: エスティ
第1章 天魔の一角獣
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chapter 1-5 御伽神話

 アリスはグリンに案内されるがまま、公爵の部屋へと入った。


 部屋の中には絵画や青白く光るシャンデリアが燦々と輝きを放ち、ワインセラーの隣には見たことのない古本が並ぶ本棚が見えた。部屋の中央には大きなテーブルと椅子がある。


 貴族がよく使う不死鳥の羽根ペンが橙色に光り、アリスの視線を独り占めにする。


 世にも珍しい不死鳥からしか採取できない貴重な素材を使い、魔力により生成されると、いくら書いてもインクが尽きることがなく、不死鳥の養育に成功するまでは王族しか使えない代物であった。魔障院でレイシーが使っている物と同じであることに気づいた。


「以前の奥様は、私の料理に不満を仰ることはなかった」

「いつからなの?」

「数日ほど前からだ。アニマリーが人里で盗みを働き始めた頃だな。森から作物がなくなり、仕方なく人間たちから食料を貰いに行っていたようだが、王都まで行ったアニマリーの大半は首を刎ねられた。それで仕方なくサーマス島から仕入れた食材を使ったんだが、お口に合わなかったみたいでな」

「サーマス島は不毛の地よ。作物は採れるけど味は最悪だから貴族は食べないって院長が言ってたわ。恐らく食べたのは初めてでしょうね。私も飢饉の時、魔障院が仕入れたサーマス島のジャガイモを食べたわ……全然味がしなかったけど、マッシュポテトにしてから味つけすると美味しいわよ」

「どうして私を庇ってくれたんだ?」

「料理が不味くなった原因があなたじゃないという確信があるからよ。料理番は必ず腕の良いシェフが担当するはずだし、急に不味くなるなんて変よ。それにあなたは嫌がらせをするようなゴブリンには見えないし、わざと公爵夫人を怒らせるほど肝が据わってないわ。犯罪をやり遂げる度胸もない」

「地味に傷つくねぇ~」


 苦笑いを浮かべながらグリンが言った。


「ふふっ、でも安心して。原因があなたでないことを証明すればいいだけよ。まずはルヴァ島由来の食材を探すところから始めないとね」

「今は切らしてるぞ」

「ルヴァ島の食材が買える場所は知っているかしら?」

「それなら王都郊外にあるグラシード市場に行けばあるんじゃないか。あそこは定期的にバザールが行われる。公爵もバザールの時によく赴かれる。この前は公爵が身分を隠してバザールに参加していたところをスラッジオに襲われた」

「――バザール」


 残念そうに目を細め、扉の近くに建ち尽くすグリン。


 バザールという言葉には、アリスにも聞き覚えがある。


 月に一度、各地の市場で開催され、各地方から持ち寄った珍しい商品が売りに出される他、商人以外の人も商品を売ることが認められるために価格競争が行われ、普段よりも商品が格安となる。身分を問わず多くの人々の交流が許されていることから、垣根なき祝祭とも呼ばれている。宗教的にも大きな意味を持ち、正統教や真正教の儀式が開催の証として行われるのだ。


 しかし、赤薔薇の女王が実権を握ってからは正統教のみの儀式に限定され、魔障が商品を売ることは禁じられる事態となった。アリスは初めてバザールに参加した際、店舗の華やかさに惹かれて入った魔箒屋に並び、物置きで眠るように置かれていた【女神の箒(ゴッデスイーパー)】を貰った時を鮮明に思い出す。本棚を見てみれば、魔障院付属図書館にはまず置かれていない本のタイトルが並び、心の奥底に封印されていた神話への興味を再びそそられた。


 信じられないことに、本棚の最上段中央にはアリスが探していた御伽神話、アビサル・オブリビオンが陳列されていた。数百年ほど前に出版された古本だが、保存状態は至って良好だ。


 届くはずのない本棚に思わず手を伸ばすアリス。


「アリス、よさないか。本来なら魔障がここにいるだけでも始末書を書かされる事案だ」

「……あなた、白薔薇の女王は知っているかしら?」

「見たことも聞いたこともない。女王陛下のことを言ってるなら色が違う。ましてや白薔薇は女王陛下が最もお嫌いな花だ。間違っても外で言わないことだな」


 呆れ果てたグリンが着用しているボロボロの布生地を伸ばした。


 部屋の中の絵画を見ていると、王宮で見たものと同じと思われる、王族が描かれた絵画を見つけた。


 中央の玉座には先代王が腰かけ、太々しい表情を見せている。


 左側が1人分抜けているが、クエンティンでさえ気づいていないことが見て取れる。


 部屋の椅子に座り、大人しくクエンティンを待つアリス。僅かに空いている窓の外から小鳥の囀りがアリスの耳に心地良く聞こえてくる。瞼が徐々に重く伸し掛かるように閉じていく――。


 目の前が真っ暗闇に覆われたかと思いきや、突如白い光に包まれた。


『運命の少女アリス、この世界を救うのよ』


 星々が見える空間で浮遊したままでいると、妖艶で高い女性の祈るような囁き声がアリスの頭の中に直接響いてくる。以前聞いたことがある声と同じだ。


 ――世界を救うって、どうすればいいの?


 アリスが星々に向かって問いかけたが、一向に返事が来ない。


 足をばたつかせ、声がする方向へと進んだが、これ以上声は聞こえない。


 眩いくらいの光がアリスの目を晦ませた――。


 しばらくは目を閉じていても強い光を感じるくらいで、まともに目を空けられなかったが、体を自由に動かせることを確認し、再び目を開けてみれば、目の前には巨漢の男がアリスと対面する形で、赤茶色の肘掛け付き木造椅子に腰かけている。


 アリスが座っているのは、比較的安いウッドフレームの素材が使われた椅子だ。


 部屋に入った時には、既に来客を招き入れるかのように置かれていた。


「良い夢は見られたかな?」


 語りかけるように口を動かしたのは、クエンティン・マウルタッシュ公爵であった。


 以前市場で出会った時には感じられないほどの風格があり、服装も一発で貴族と分かるくらいに煌びやかなマントを羽織っている。白髭を蓄え、堂々とした佇まいは、アリスの目を急激に覚ました。


「……クエンティン公爵……なのですか?」

「いかにも。君に命を救われた商人だ。是非とも君に会いたかった。この前は本当にありがとう」

「いえ、助けたのはただの副産物ですから」


 クエンティンは頭を下げ、釣られるようにアリスも顔を下に向けた。


「そうだとしても、あの掃除魔法には驚かされた。君のことも調べさせてもらった。スラッジオを倒したことを記事にしてもらった後、ブリスティア魔障院まで赴いたが、あの時はアリスが無断外出をしていると聞いて驚いたよ。せめてものお礼をさせてはくれないだろうか」

「お礼と言われましても……あの本棚にある古本は、全部公爵のコレクションですか?」

「ああ、どれも集めるのに苦労した。私は歴史家でもあってね、どれも年代物の古本だ」

「つかぬことをお伺いしますが、公爵は深淵なる忘却という現象は御存じでしょうか?」

「知っているとも。御伽神話アビサル・オブリビオンだろう?」

「はい。私は昔から神話が好きなんです。もしよろしければ、アビサル・オブリビオンの内容を書き写させていただくことは可能でしょうか?」

「ふふっ、そこまで好きなのか――ならその本は君にあげよう。御伽神話は専門外だからね」

「本当ですかっ!?」


 思わず立ち上がり、満面の笑みを浮かべ、目を見開くアリス。


「命を救ってもらったんだ。これくらいはさせてくれ」


 クエンティンは席を立ち、のっそりと本棚に近づき手を伸ばした。


 アビサル・オブリビオンと書かれた本を取り出し、アリスに差し出した。


 思わぬ幸運に、本に強く抱きつくアリス。ページを捲ると、著者による当時の言葉の訛りが入っていることが見て取れる。所々に1枚絵が飾られ、興味深く観察する。


「ありがとうございます」


 丁寧にお辞儀すると、クエンティン公爵は満面の笑みを浮かべた。


「アリス、もし何か困ったことがあれば、いつでも私を頼ってくれ。それと、このジョーカーカードを受け取ってほしい。これがあればルベルバス王国内にある全ての門番を問答無用で素通りできる。いざとなれば、私が運営するマウルタッシュ商会が後ろ盾になろう」

「お気遣い、感謝します」

「良ければマウルタッシュ商会にも、顔を出してもらいたいものだ」


 上機嫌のまま、公爵の部屋を出たアリスは静かに扉を閉めた。


 箒を召喚し、アビサル・オブリビオンの本を箒の吸い込み口に投入する。ハートクイーンカードと同様に硬いジョーカーカードを魔障院制服のポケットに入れた。


 階段を下りた先には、チェシャがニヤニヤと笑いながら浮遊している。


 アリスの目の前まで下りてくると、首から先を透明化したまま視線が合う。


「奥様とグリンのことは伝えたのかい?」

「伝えるわけないでしょ。グリンがクビになるわ」

「作物はともかくとして、いつもの食材が公爵家でも使われなくなった原因は漁業不振だ。しかも赤薔薇の女王が『貿易封鎖令』を出したせいで、アーソナ大陸から食材が入って来なくなった」

「漁業不振なのに、貿易封鎖令まで出したの?」

「怪しいよねぇ~。アリスは何が原因と思うのかな?」


 面白おかしく顔を逆さにしながらチェシャが尋ねた。


「貿易封鎖令は相手国に物資が入らないようにするための作戦と聞いたわ。でもスラッジオが各国に現れて破壊の限りを尽くしている今の状況でアーソナ大陸と距離を置こうとするなんて変よ」

「しかもアーソナ大陸に住む王国民の帰還も認めてないんだ。何があったのやら」

「――流行り病よ。以前も飢饉が訪れた時、流行り病が同時に襲ってきて、貿易も中止されたわ。あの時はカエルバス王国から貿易封鎖令が出て、北からの物資も途絶えたわ」

「赤薔薇の女王は流行り病があってもお構いなしに貿易を続けるお方だ。なのに今回貿易封鎖令を出したのはどうしてなのかねぇ~」

「……分からないわ」


 公爵家邸宅の外に出ると、日光がアリスの肌を刺すように照らした。


 チェシャはアリスを見届けるように塀の上に降り立ち、のんびりと居座りながら姿を消した。


 王都に戻ると、アリスは早速道化の描かれたジョーカーカードを使い、門番が慄きながら道を譲る様を笑いを堪えながら通過する。どこの誰であれ、王都の有力者及び有力者の後ろ盾の証明となるカードであるため、いかに生真面目な王都の門番であろうとも、ジョーカーカードの前では無力である。


 例外的に何度でも使い回すことができ、スペルカードの中でも最上位に位置する。


 元々は勘合符として作られたスペルカードであったが、いつしか貿易だけでなく、あらゆる用件を1枚のカードだけで知らせるための通達札となった。


 待ち合わせの場合、スペルカードの魔力により、相手の場所を探知できる。


 スペルカードは種類によって独自の意味を持つ。ハートクイーンカードは真昼の仕事案件を、スペードクイーンカードは夜間の仕事案件を意味している。失効期限を過ぎるか目的を達成した場合、内蔵された魔力により消滅する。アリスが持っていたハートクイーンカードは最初に王都を通過した後、レティシアに近づいた時点で消滅しているため、基本的には使い捨てにされるカードである。


 人通りが少ないムウニ・ディンロ公園を見つけると、アリスは木造のベンチに腰かけた。


 手に掴んでいる箒の吸い込み口からアビサル・オブリビオンを取り出し、目次を開いた。


 誰かに邪魔されることもなく、目を釘付けにし、次々と読み進めていく。


 旅人が故郷を離れ、再び戻ってみれば、全ての住民が旅人のことを忘れていた。旅人の家族に至るまでの旅人にまつわる全ての記憶が消失し、最初からいなくなっていたことに違和感を持ち、改変された世界の記憶を取り戻そうと決意する。再び旅に出ると、深淵なる忘却という現象に見舞われた多くの人物と出会い、根拠に基づいた真実を発見しようと指摘してみれば、何事もなかったかのように消滅したはずの記憶を思い出したばかりか、家族も旅人を思い出し、再び共に暮らし始めた。


 神話作家シャルロット・ガーランド自身の経験を元にした物語だが、当時の人々はただの妄想と受け取っていることが目に見えている。真実を見ようとしない者には、世界が歪んで見えていると旅人が言い残したところで、物語は終幕を迎えている。改変された世界は元の記憶を失い、人々の生き方さえ歪ませているのだ。かつて世界を征服した帝国があった。人々は帝国の名を忘れ、法を忘れ、秩序を守ることさえ忘れた。各地で争いを始め、いくつかの国が独立していったことを示唆している。


 アリスの中で全てが繋がり、周囲の時が止まって見えた。


 分裂していたガラスのような記憶の断片が繋がっていく感覚を覚えた。

 白金貨1枚=金貨10枚=銀貨25枚=銅貨50枚=青銅貨100枚と決まったのはルベルバス王国が建国されるよりもずっと昔である。多くは銀貨、銅貨、青銅貨のみで取引され、金貨や白金貨は大規模な貿易でのみ使われる代物である。白金貨は龍神、金貨は聖獣、銀貨は精霊、銅貨は不死鳥、青銅貨は一角獣が表に描かれており、裏は共通で各国の王冠であることも大きな特徴だ。


 国教会枢機卿ザカリア・ローガンの著書『血肉に染まる歴史』より

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