chapter 3-3 再会
アティ・テル帝立大学の正門を潜り、中庭を抜け、赤煉瓦と白い石の縞模様の回廊を進む。
最も古い棟の最上階に重厚な樫の扉があった。扉の前には銀の百合バッジを着けた学生が1人、静かに立っている。大学には制服こそないが、在学中は紋章バッジを胸部に着けることが義務付けられている。
周囲の学生もまた、同様に銀の百合バッジを着けている。
静かに立つ金髪の学生が懐中時計を見ながら、誰かの到来を今や遅しと待っている。
「あっ、あなた、アリス・ブリスティアでしょ?」
アリスに気づいた学生の1人が駆け寄ってくる。
「そうだけど、何か用かしら?」
「学長が待ってるわ。一度あなたに会いたいって」
「分かったわ。ありがとう」
「じゃあね。幸運を祈ってるわ。学長室はあっちよ」
在校生が笑顔で手を振りながら去っていく。
アリスはポケットからジョーカーカードを取り出す。ジョーカーカードはアリスを引っ張り、学長室を目指していく。ジョーカーカードは全てのスペルカードの魔力を兼ねている。思い描いた場所へと案内する様は、さながらハートのエースに化けたジョーカーのようであった。
学長室の前に着くと、独りでに扉が開く。そこは天井の高い円形の部屋だった。
壁一面が書棚で埋まり、古い羊皮紙の匂いと蝋燭の煙が混じる。中央には巨大な天文儀がゆっくりと回っており、床には星図が描かれた円形の大理石が敷かれている。窓から差し込む光が埃の舞う中で金色の筋を描いていた。書棚の奥、黒と深紅の礼服を纏った老人が、ゆっくりと振り返った。
ユリウス・グーテンベルク。銀髪は後ろに流し、鋭い鷲のような目が、しかしどこか温かな笑みを湛えている。深紅のマントの裾には金の刺繍で聖なる鍵と書物が描かれていた。
「待っていたぞ。アリス・ブリスティア」
声は低く、部屋全体に響き渡る。老人の背後には巨大な惑星儀と開かれたままの古い魔術書が規則正しく置かれている。ユリウスは羊皮紙の束を軽く叩きながら微笑んだ。
「雄鶏像ガルスが君の到着を告げてくれた。聞いたとは思うが、入学手続きは完了している。君は教職学部への加入を望んでいると聞いた。ここではただ知識を詰め込むだけではない。実践こそが真の学びだ」
ユリウスは立ち上がり、窓の外、大学の広大な敷地を見下ろす。
「儂はアティ・テル帝立大学の学長、ユリウス・グーテンベルク。正統教の枢機卿を兼任している者だ」
「アリス・ブリスティアです」
「授業は週5日、半年毎に各科目で単位認定試験がある。授業を受けるかどうかは自由。出席を問うことはしない。最後の試験にさえ合格すれば、単位は認められる。規定の単位に到達すれば卒業だ。教職学部であれば、卒業と共に教職資格を得る。学期末は入学時期から半年毎だ。君は何故ここを選んだのだ?」
「魔障を積極的に受け入れている大学と聞いたので」
「――そうか。だが卒業できるのは、ほんの一握りだ」
アリスが笑顔で返事をしたかと思えば、ユリウスの一言で曇る。
「上げて落とすマネをしてしまったようだが、これは何も魔障に限った話ではない。大学は卒業そのものが長く険しい道のりなのだ。ただ授業を受けているだけで卒業できるほど甘くはない。厳しく難しいからこそ価値がある。何処も彼処も国の中枢にしか大学を置かないのはそのためだ」
「はい。覚悟はしています」
「最近は卒業生の量産を企む者を散見するようになったが、そんなことをすれば、肩書を得ただけの無能が世に蔓延るだけだ。雇用主には好かれるだろうが、意欲と才能がなければ出世は望めん。目先のことしか見えない者は、硝子の如く、見透かされる」
ユリウスが透明のフラスコを顔の前に持ち上げ、液体越しにアリスと視線を合わせた。
「君は何のために教職に就く?」
「魔障院の教職に就いて、多くの知見を得た魔障を育てるためです」
「今の魔障院では不満か?」
「いえ、私は魔障の地位を上げようと――」
「儂が聞きたいのは、君の最終到達点だ」
「――私の……最終到達点……」
回答に詰まるアリス。思わぬ指摘を受け、描いた未来に曇りと綻びが見えた。
「まあいい。君はまだ若い。答えは自ずと出るだろう。星詠みの導きがあらんことを」
学長室の奥へと去っていくユリウス。アリスにはその後ろ姿が大きく映る。
息が詰まるように、心に漠然とした憤りが残る。
アリスは螺旋階段を下り、まだ朝の光が差し込む大広間へと辿り着く。天井は高く、四方形の石柱が林立しており、壁には歴代学長の肖像画と古いタペストリーが掛けられている。床は磨き上げられた大理石に朝陽が斜めに差し込み、無数の銀の百合バッジを煌めかせていた。
広間の中央には巨大な掲示板が据えられ、羊皮紙や羊皮紙の切れ端が風もないまま揺れている。
背の低い、少しばかり伸びた栗色のミディアムヘアーの少女が片手に分厚い本を抱え、もう一方の手で掲示板の紙を捲りながら立っていた。見覚えのある横顔にアリスは安堵を覚えた。
「自分に合ったクエストを見つけるのは、授業より大変かしら?」
アリスが声をかけると、メイベルはパッと振り返り、丸い黒目の瞳を輝かせた。
「――アリス! 入学できたんだぁ~! 良かったぁ~!」
勢い良く抱きつくメイベル。相変わらず小柄で、銀の百合バッジが制服の胸で揺れている。
アリスは苦笑しながら、メイベルの頭を軽く撫でた。
「半年ぶりね」
「そうね。本当なら、アリスが先にここにいたはずだけど」
「それは言わない約束でしょ」
「えへへ。でも無事に入学できて良かった。アシュリーたちは元気?」
「もちろん。今頃は編集に追われてるでしょうね」
「ふふっ、相変わらずね」
クスッと微笑みながら口元を隠すメイベル。
「ところで、メイベルはどの学部?」
「教養学部理科三類。私、魔生物学者を目指そうと思ってるの」
「目標が見つかったのね」
「ここに入学した時、学長から色々詰められちゃったの。私って、今まで何にも考えずに生きてきたんだなって、思い知らされたの。前々から興味があったクリーチャーの研究を始めたの。人間とクリーチャーって基本仲悪いでしょ。でも、ブリスティア魔障院にいた時のアリスとフルーツリープのように、人間とクリーチャーが仲良く共存できる世界を目指してるの」
メイベルは得意げに胸を張り、肩にかけた革の鞄をぱかっと開けて見せた。
上級魔生物学概論、幻獣解剖図鑑改訂第十二版、深海生物生態録、指定危険生物注意事項など、どれも分厚くて重そうな本が所狭しと詰まっている。
アリスは思わず目を丸くしたまま、開いた口を動かせずにいる。
「こんなに? ……まだ入学して半年よね?」
「だって理科三類は1年目から死ぬほど読まなきゃ、とても追いつけないもの。掲示板に良いクエストが出ていたから、単位を稼ぎながら実習もしたいって思ってたところよ」
メイベルはくるりと振り返り、掲示板の1枚を指差した。
張り紙には下水道の落書き清掃クエスト5単位とある。
「これ、私とアリスで一緒にやらない? お掃除はアリスの得意分野でしょ?」
アリスは掲示板を見上げ、少しだけ頬を緩めた。
「考えておくわ」
メイベルはにっこりと笑い、アリスの腕に自分の腕を絡めた。
「じゃあさ、今から図書館に行こうよ。私、まだ下水道の地図を持ってないし、【魔導複写機】で複写してくるわ。時間がかかると思うし、一度下宿寮に行ってみたら?」
朝の光が銀の百合バッジを輝かせていた。大広間の奥で新しいクエストの羊皮紙がまた1枚、ひらりと風もなく揺れ始めた。金髪が風に揺れ、何かに呼ばれたかのように振り返る。
アリスは大広間を出てプラタナスの並木道を抜け、大学の西端に広がる下宿寮へと歩いた。木造3階建ての建物は古風ながらも手入れが行き届き、外壁は蜂蜜色に日焼けし、窓枠は白く塗り直されている。
蔦が這い、軒下には小さな風鈴がいくつも吊るされ、風が吹く度に涼やかな音を立てていた。
玄関を潜ると、仄かに木と石鹸の匂いが漂い、靴箱の上には小さな黒板が置かれている。階段は緊張を煽るように少し軋むが、手摺りは磨かれて滑らかだ。1階の廊下を進み、筆記体でアリスの札が掛かった部屋の前で立ち止まる。鍵は既に差し込まれていた。扉を開けると、小さくも清潔な寝室だった。窓は南向きで、日光がたっぷりと差し込み、白いカーテンが緩やかに揺れている。
木製のベッドは新しく、シーツも枕も真っ白で、まだ誰も使っていない匂いがする。
壁際には小さな本棚と、しっかりした木製の机。
机の上には丁寧に折り畳まれた大学の案内と注意事項が書かれた羊皮紙の束。そしてその上に、ここに帰ることを待っていたかのように、銀の百合バッジが朝陽を受けて静かに輝いていた。百合の花弁の1枚1枚が細やかに彫られ、中央には小さなルビーが埋め込まれている。アリスはそっとそれに触れた。指先に伝わる冷たさと同時に感じる、ここから始まるという朧気な期待。
「あのバッジ、妙だな」
ピクサーブが箒越しにアリスのバッジを睨む。
「バッジがどうかしたか?」
「よく分からないが、視線のようなものを感じる」
「気のせいじゃねえか。俺は特に何にも感じねえぜ」
マルアスが隣に佇みながら冗談交じりに言った。
「……だといいがな」
注意事項を読み上げたアリスはバッジを胸に留め、窓の外、帝都の屋根と聖堂の尖塔を見上げた。
銀の百合バッジが新しい朝陽を浴び、初めて、静かに光を放った。
在学中は校章バッジの着用が義務付けられ、校則違反には罰則が設けられる。ルクステラ帝国への反革命行為はもちろんのこと、正統教の悪口さえ厳しく取り締まられ、真正教信者は肩身の狭い思いでいた。
アリスには密かな悩みがある。このままでは学費を払えないことだ。
しかし、クエストによっては、単位、賞金、資格などを授与する種類もある。貯金がなく、一刻も早く学費を稼がなければならないアリスとしては、賞金を優先する以外の選択肢はない。
更には、卒業単位の半分は定期試験によって取得した単位でなければならない規則もある。
「アリス、大学生活を謳歌するのは構わないが、できれば聖剣ヴォーパルを探してくれないか?」
「聖剣ヴォーパルはカルド枢機卿が奪い去ったって聞いたけど、どうやって探すわけ?」
「あれはカルド枢機卿でさえ制御できない代物だ。常に持っているわけにもいかない。アリスは知らないと思うが、アティ・テル大学はカルド枢機卿の隠れ蓑だ」
「隠れ蓑ですって!」
「そうだ。お前が所属していたカエルレウムマレは、雇用主から敬遠されるほど雇用には不向きな寮だったと聞く。そんな寮から進学するのは不自然だ。アルブムシルヴァの中でも最優秀生徒が推薦されることがあるくらいで、他の寮からは尚更あり得ない。しかも学長のユリウスはカルドの腹心だ。今頃はお前と会ったことを報告していても何ら不思議じゃない」
「全てはカルドの手の平の上というわけか。話を聞いた限りだが、なかなかに強かだ」
ピクサーブが呟く。ジャンヌは僅かな希望に全てを託そうと前へ出る。
「アリス、私は魔災として一度処刑された身だ。大っぴらには動けない。カルドが聖剣の力を開放するようなことがあれば、被害は帝都だけに留まらないだろう。各国の王都や帝都へ一瞬にして兵を送り、蹂躙する計画を立てているが、鞘なき聖剣の力を侮った所有者たちは、いずれも滅びの運命を辿っている」
「あなたが言うと説得力があるわね。分かったわ。どの道帝都を守らないと大学卒業どころじゃないし、時間がある時に学内を探してみるわ」
「……済まない」
ジャンヌが俯くと、ピクサーブは切り株の椅子に腰かけ、顔を見上げた。
「ジャンヌ、アリスに協力を仰ぐのは勝手だが、確認しておきたいことがある」
「何だ?」
「お前はアリスを見張りながら、何故そこまで協力する?」
「そんなことか。単に利害が一致しているだけのことだ。アリスが望む、誰もが平和に心置きなく過ごせる世界を……私も見てみたくなった」
「お前が見た予知夢は本当に当たるのか?」
「……」
押し黙るジャンヌ。ピクサーブは答えを知っているかのように口を開く。
「本当はアリスを1人にして始末するつもりじゃないのか?」
「! ――そんなことはない。疑うのは勝手だが、発言には気をつけることだ。長生きしたければな」
少しばかり離れた席に腰かけるジャンヌ。張り詰めた空気が箒の中を支配する。不覚と言わんばかりに眉間に皺を寄せ、口を噤み、アリスの様子を見守っている。
一方、マルアスはネレイアラと他愛もない話をしながら距離を詰めるのだった。
魔障が魔導具の製造や使用を制限される理由は至って簡単なものだ。魔法を使える者と魔導具を使いこなせる者に大差がないことにある。常人と魔障の差が埋まるようなことがあれば、常人の沽券に関わるのだ。
魔法史家エレノア・ダークシェルの著書『魔導具は語る』より




