chapter x-20 卒業
第2章幕間はここまでとなります。
次回からは第3章鉄仮面と失われた聖杯を投稿します。
アリスの新たな出会いをお楽しみくださいませ。
翌日、アリスを含む数人の魔障院生たちが卒業となった。
アリス自身は進学が確定したことによる合格卒業だが、中には雇用先が見つからず、半ば押し出される形で成人卒業を迎える者もいた。だが彼らの顔色に焦りはない。
自律のある大人の育成を目指してきたブリスティア魔障院での学びは無駄ではない。
優等生を除く大半の魔障は雇用先を求め、採取と野宿の日々を送り、居場所を得て配属先の名字を手に入れることを目的とする。魔障は最初の配属先から名字を貰い、過ごした魔障院とは異なる名字となることで一人前とされる。だが彼らを待っているのは下級使用人としての過酷な労働だ。
魔障の敵は待遇だけではない。魔障を良く思わない者たちの鬱憤晴らしとして魔障狩りが行われ、命の保障もないまま、怯えながら過ごす毎日だ。魔障狩りの多くは常人とされる者たちの中でも成績が悪く、学舎を追われた者、雇用先がない者、不平不満を溜めた者ばかりであった。
耐えられなくなった者から脱落し、魔障盗賊団へと入団し、飢えを凌ぐため、悪事に手を染めていく。
魔障院の卒業式は月単位で行われ、誰も卒業しない月もあれば、数十人程度が魔障院を去る月もある。
ブリスティア魔障院卒業式は裏庭にある墓標の前で粛々と行われた――。
苔生した石畳、赤き獅子の彫刻が立つ。鐘は鳴らない。花は飾らない。
ただ、6人の卒業生が最後となるであろう魔障院制服を着用し、静かに並ぶだけだった。
裏庭の周囲には魔障院生たちが寮の窓や回廊から無言で見送る。
強制収容所から修道院に建て替えられ、修道院解散後は魔障院となった異色の歴史を持つブリスティア魔障院において、墓標を目前にした卒業式にはただならぬ意味があった。
二度と同じ惨劇を繰り返さぬよう、立派な魔障となり、世間の目を変えることが責務だ。
魔障院の卒業式は過酷な迫害の犠牲者たる多くの魔障に対する責務の誓いでもあった。
レイシーが生徒たちの前に立つと、書状に書かれた文章を淡々と読み上げた。
「あなた方はブリスティア魔障院における学業を満了し、卒業資格を得ました。中にはまだ雇用先が見つからない者もいるでしょう。ですが、ここを去っても決して希望を捨てないでいただきたい。魔障が報われる未来が訪れるかどうかは、あなた方の肩に懸かっていると言っても過言ではないのです。皆さんもご存知の通り、ここにいるアリスはカエルレウムマレ寮の生徒としては初めてのアティ・テル帝立大学への進学を決めました。先方の意図はどうであれ、合格卒業の中でも格別であることは歴然とした事実。在院生並びに後から入学するであろう多くの新入生に希望を与えたことを私たちは一生忘れません。歴代卒業生は全て記録されますが、ただの記録ではありません。あなた方全員が、今の時代を懸命に生き、理不尽な世と戦い続けた当事者にして、魔障院の誇りなのです。今までも、そしてこれからも、私の自慢の教え子でいてください。ブリスティア魔障院長レイシー・ブリスティア」
読み上げるや否や、レイシーとアリスの視線が一致する。
アリスが静かに手を叩き始める。すると、1人、また1人と、寮の窓や回廊にいた魔障院生たちが惜しみのない拍手をし始めた。法則のないまま刻まれたビートは裏庭全体に広がり、墓標の前に響き、赤き獅子の彫刻に届く。レイシーがお辞儀をすると、笑顔で院長室へと去っていく。
卒業生たちは散り、それぞれの自室へと戻り、労いの言葉を貰う。
アリスは最後に自室の掃除を始める。所持品から教科書までを箒の吸い込み口へと詰め込み、掃除道具がアリスの意思に従い、部屋の中を忙しく駆け回るように清浄する。
まるで魔障院に来る前の真新しい部屋へと様変わりし、中には埃1つない。他の魔障院生にも掃除の習慣が根付き、流行り病とは無縁の場所となりつつあった。
アリスが全ての荷物をまとめ、院長室へと挨拶を済ませようとしていた時であった。
院長室の扉の前に辿り着くと、先客と思われる魔障院生が院長室の扉を閉めたばかりであった。卒業生が最後の挨拶を済ませる風習は以前から根付いていたようで、アリスも前例に倣う格好だ。
一瞬躊躇するが、行動しないことが最も良くないと感じ、指の関節を当てる。
扉越しに声が聞こえると、アリスは深呼吸を済ませてから中へ入る。
レイシーはいつもの如く、羽根ペンで羊皮紙に書き記す作業に追われていた。不死鳥の羽から作られた羽根ペンは魔力により尽きることのないインクを自ら出し、独りでに動いている。
「失礼します」
「あら、あなたも挨拶に来てくれるなんてね」
「しばらくはルクステラに行くんですから、当たり前じゃないですか」
「まるで今生の別れのようね。縁起でもないけど、今日だけは無礼をしても見送るわ」
「院長先生、1つだけ尋ねたいことがあります」
「どうしたの? そんなに改まって」
口を噤もうとする理性を振り払い、アリスは再び口を動かした。
「あくまでも噂ですけど、院長先生が死刑執行人の子孫と聞きました」
一瞬眉を顰め、本のページを捲ろうとしているレイシーの指と同時に羽根ペンが動きを止める。
「――それは誰から聞いたの?」
「半年ほど前、討伐クエストでカエルバスに行っていた時、パーティを組んでいた仲間の1人が、グレイシャーから聞いたそうです。嘘ですよね?」
「……本当よ」
「えっ!?」
予想だにしていない返答を聞き、開いた口が塞がらないアリス。
羽根ペンの先がゆっくりと硝子の筆箱に立てられると、レイシーは珍しく目線を落とし、語り始める。
「ここが魔障強制収容所だったことは知っているでしょ。私の祖先は王都に仕える死刑執行人で、父の代までは地方の牢獄に仕えていた生粋の死刑執行人だったわ。私は父からこのことを知らされた時、悲劇の立会人にだけはなりたくないと思って家出をしたのよ。修道女となってからしばらくの間、身寄りのない魔障の子供を世話しながら過ごしたわ。でもある時、先代王が修道院解散命令を出して、当時最後の修道院長だった人から引き継ぐ形で、ブリスティア魔障院を始めたのよ」
「どうしてグレイシャーはそのことを知っていたんですか?」
「グレイシャーは……いえ、ガイは……勉学に優れたアルブムシルヴァ寮の中でも特に勉強熱心な生徒だったわ。きっとブリスティア魔障院の記録をどこかで見つけたんでしょうね。もっとも、公になったところで問題ないわ。人殺しを祖先に持つ人は少なくないもの。ガッカリしたかしら?」
「まさか。ビックリはしましたけど、院長先生は自慢の恩師ですから」
「あらまあ。アリスも言うようになったわね」
レイシーがクスッと笑い、口に手を当てると、アリスが微笑み返す。
「今でも恐怖に感じることがあるわ。大勢の魔障を手にかけた死刑執行人の血が流れている自分に。残虐王ジェノ時代の魔障たちには……本当に申し訳ないと思っているわ」
「院長先生は何も悪くありません。悪いのは当時の人々に巣食っていた悪意です。私は世界中の悪意をお掃除して、二度と惨劇を繰り返すことのない、真っ当な時代を築いていきます」
「もちろん信じているわ。ガイもここを卒業する時は、魔障が報われる世を夢見ていたもの」
ぐったりした顔つきを崩すことなく、遠い過去を思い返すレイシー。
29年前――。
卒業式の日、グレイシャーが墓標の前でレイシーに告げた。
「院長、俺、卒業したら一生懸命働いて、魔障の国を創ろうと思ってる。まだ開拓されていないサーマス島を魔障の聖地にするんだ。もしどこかで居場所もなく、ひもじい思いをしている魔障がいたら、魔障の国に迎え入れたいんだ。まずは色んな場所に魔障院を建てるところからだな」
輝かしい笑顔を浮かべながらグレイシャーが言った。
だが、その約束は魔障盗賊団の支部団長へと変貌し、闇に呑まれた――。
誓いの言葉を発した時点で偽りなどないことは、直に聞いたレイシーが最も理解していた。
「私はグレイシャーとは違います。一度会って、相当苦労を重ねていたことが見て取れました」
「何か言ってなかったかしら?」
「魔障盗賊団に誘われましたけど、きっぱり断りました。魔障院の方針が変わったのは、グレイシャーがきっかけなんですよね?」
「ええ。魔障は魔導具の登場や飢饉で雇用先が激減して、自分で仕事をしようにも多くの制約がある中で過ごすことを余儀なくされれば、当然飢える人が出てくることは想像に難くないわ。なのに何の対策も取らなかった王国側にも責任があると多くの人が感じていたのよ。彼がしたことは許されないけど、魔障院の硬直しきったカリキュラムを変えるきっかけになったのは確かよ。仕事に就く前提の方針から、仕事がなくても生きていける方針に変わるための犠牲になったとも言えるわ」
「良くはないけど、意味はあったんですね……お世話になりました」
「行ってらっしゃい。たまには顔を見せに来て頂戴ね」
「――はい」
一呼吸置いてから返事をするアリスの顔は清々しいくらいに澄んでいた。
他の卒業生たちと共に門の外へ出ると、門番を務めるルベルムヴァレムの生徒と視線が合う。
「卒業おめでとう」
「ありがとう。まさかあなたより先に卒業できるとは思わなかったけど」
「10単位のクエストを何度もクリアしてたくせに、よく言うぜ」
「全くだ。騒がしいのがいなくなって清々したぜ」
後ろに佇んでいたもう1人の門番が言った。
「普通の人のふりをした変人さんは相変わらずね」
「誰が変人だ。大学で魔障の恥を晒さないか心配になってきたよ」
「ふふっ、そこまで心配してくれるなんて、案外優しいのね」
「うっかり魔障狩りを殺すんじゃねえぞー!」
アリスが去っていくと、捨て台詞と言わんばかりに門番が言った。
ブリスティア魔障院の敷地内からは、アシュリー、メロディ、ベラがアリスを見送るのだった――。
カエルバス王国王都ラバン・ディエの港に1人の妖狐が打ち上げられている。
朝靄が立ち込める漁港、潮と魚の匂いが混じる石畳の通路。潮が引いた波打ち際に赤と黒の着物が血と海藻に塗れて横たわっていた。狐耳はぺたりと濡れて伏せ、1本の尾は力なく波に洗われている。
手には刀が握られ腰には鞘をぶら下げている。
走って半ば抜け、胸から腹にかけて深い一文字の裂傷がまだピクピクと血を滲ませていた。
「おい! あれはアニマリーか?」
朝の漁を終えた漁師の1人が網を抱えたまま駆け寄る。
「担架を持ってきてくれ! まだ息がある!」
血の滴る体を漁師たちが丁寧に毛布に包み、港の石段を上っていく。
尾が揺れる度に血がポタポタと落ちる中、石畳に小さな紅の花を咲かせた。
「狐族のようだが、見たこともないアニマリーだ。変わった装束を着ているな」
「誰かに切られた傷みてえだけど、ありゃ派手に切られたな。恐らく戦場にいたんだろう」
しばらくすると、ナオカゲは柔らかなソファーに横たわっていた――。
傷口は冷たい湿布と包帯で固く巻かれ、痛みは遠く、まるで夢のようだ。女王の間は白い大理石と金箔の装飾に満ち、窓からは朝陽が差し込み、白薔薇の香りが微かに漂う。
目の前のソファーには白薔薇の女王が腰かけていた。ホワイトスタードレスに白銀の刺繍、長い白髪をゆるやかに編み、深い水晶のような碧眼を心配そうにナオカゲに向けている。
「――ここは一体どこじゃ……」
「気づいたようね」
「妙な形をしちゅうようじゃが、おまんが助けてくれたんか?」
「助けたのは港の者たちよ。酷く傷ついていたけど、もう大丈夫よ」
「……かたじけない。儂は追手に斬られて、崖の下の海に落ちちまったはずじゃき」
「ここはカエルバス王国王都ラバン・ディエ。あなたはラバン・ディエの港で漁師たちに引き上げられたのよ。珍しい装束の妖狐がいると噂を聞いて引き取ったのだけど、どうやら異界からの旅人のようね」
ナオカゲは白薔薇の女王のホワイトスタードレスをジッと見つめる。
――確か蛇人遊女が白い星柄の装束の人間と言っていたが、この者のじゃろうか。
「どうしたの?」
「いや、何でもないぜよ。儂は稲荷藩郷士、ナオカゲっちゅうもんじゃ」
「私はカエルバス女王。みんなからは白薔薇の女王と呼ばれているわ」
「そうじゃったか。女王殿。昨日までおった世界が大変なことになっちゅう。儂は一刻も早く武妖界に戻らんといかん。つかぬことを聞くが、元居た世界への帰り方は知らぬか?」
「異界の門は神出鬼没よ。港まで行ったところで、閉じている可能性が高いわ。戻りたいならば、できる限り手を尽くそう。けど、今はここで休むといいわ」
「……お、おう。何から何までかたじけないぜよ」
「困った時はお互い様よ」
白薔薇の女王が微笑みながら言うと、ナオカゲは初対面ながら安心を覚え、拳が緩む。
狐耳をピクピクと動かしながら首を振り、興味深く部屋の中を物色するナオカゲ。見たこともない異界ならではの光景を目の当たりにすると、片時ではあったが、成すべきことを胸の奥へとしまい込む。
女王の間が薄暗いことに気づくと、ナオカゲはいくつかの狐火を手の平から飛ばし、部屋を照らした。
魔障院で単位を得る方法は何も授業だけではない。クエストによって単位を稼ぐ方法もあるが、掲示板には成績から単位の傾向まで細かく記録された書類が届き、雇用主がじっくりと品定めするのだ。
ロンディア魔障院長チェルシー・ヒルズの著書『魔障院発祥の地』より




