⑨
“僕はいったい何をしているのだろう……”
バスが出発して、再び色のない景色の中に取り残されたとき、ふと自分の不可解な行動に気付く。
何故、バスに近付いた?
そこから誰が降りてくると思っていた?
そもそも、何のために散歩に出た?
しかも、傘まで持って……。
“直美のため?”
“まさか!”
アイツは僕のことを使い勝手のいい家来としか思っていない。
こんなに夜遅くなるまで野球の応援だなんて、やはり直美の本命は野村に決まっている。
アイツは悪魔だ!
僕の心を搔き乱す。
バス停の前で突立ったまま、そんなことを考えていると急に悪魔の光に照らされた。
“異世界に連れて行かれるのか……”
バタン‼
何が起きたのか分からなかったが、車のドアが閉まる音に似たような音が聞こえたかと思うと、小さくクラクションを鳴らした白い車が僕の横を通り過ぎて行った。
「なんだ、車だったのか、脅かせやがって」
特に嫌な気はしなかったが、悪魔の光と勘違いしてしまったので、そんな言葉がつい口に出ていた。
「車でなきゃ、いったいなんだと思ったの?」
不意に背後から掛けられた言葉に驚かされて振り向くと、そこには悪魔!……ではなく、森村直美が居た。
一瞬この前屋上で僕の事を打った怖い顔をした彼女の顔が浮かび硬直して立ち止まった。
「こんな所で、何をしているの?」
しかめっ面をした直美の目が、暗闇にギラギラと光る。
“やはり、コイツは悪魔だ!”
しかし直ぐに気が付いた。
目がギラギラ光っていたのは、濡れた目が車の光を反射していたからだと言うことが。
ゴォ~っとトラックが通り過ぎて行く。
直美の口がパクパクと動いたが、トラックの轟音に掻き消されて聞こえなかった。
「えっ、なに!?」
僕が聞き返す間に直美は自分の顔を隠すように手を当てたかと思うと、次に見せた顔には柔らかな笑顔が浮かんでいた。
“が、顔面チェンジ!??”
「迎えに来てくれたの?」
直美は柔らかな笑顔のまま僕に言った。
「べ・別に……散歩していただけだよ」
「よく散歩中に合うわね」
「ぐ、偶然だな……」
「傘を持って散歩?」
「夕立が来るかも知れないだろう!」
思わず自分の口から出た言葉に違和感を覚える。
夕立が降るかも知れないという不安を持っている場合、普通の人は先ず散歩に出ない。
出るとすれば、それは犬のために出る散歩だけだ。
「へえ~……。でも、いいわ」
直美はそう言って僕に近づいて来ると「じゃあ、私も散歩付き合おうかな」と言い出した。
「もう帰るところなんだ」
「あっそう、じゃあ一緒に帰ろう」
なにか知らないが、直美は僕の言葉に今にも吹き出しそうな笑顔を見せて言った。
「今日、勝ったね……」
話題に困り僕にとってはどうでもいい試合の事を聞くと、野村が凄い投球をして相手を完封した事や同じクラスの尾形が決勝打を打ったことなど今日一日の出来事を話してくれ僕はその一つ一つに頷いていた。
「ねぇ!聞かせてあげようか!」
「なに?」
僕の答えも待たずに彼女はケースからオーボエを取り出しながら
「おうえん歌」と言い、いきなり僕の手を引いて帰り道とは逆の土手の階段を駆け下りて行った。
転びそうになりながらもなんとか河原に辿り着いた僕に、直美はケースから取り出したオーボエを構えた。
高校野球でお馴染みの曲が始まるものとばかり思っていたら、なにやら高校野球とは関係のない曲を演奏し始めた。
微かに聴いた覚えのある曲だが題名が思い出せなくて、演奏が終わった時に直美に聞くと内緒だと言ったあと何故か照れたように笑っていた。