⑦
「あー、もう我慢が出来ない!」
やけっぱちのような言い方だった。
何の事かサッパリ分からないで突っ立っている僕に、噂のこと知っているでしょ!と言ってきたので、野村が野球部員全体を引っ張って甲子園を狙うって言う噂のことかと答ええると直美は少し怒った口調で言った。
「もう!相変わらず素直じゃないのね!アンタの引っかかっている噂って、それじゃないよね!」
僕は、直ぐに野村と彼女の恋愛がらみの噂のことだと分かったが、それをどう答えて良いか分からなかった。
「いいよ。どうせいつか分かっちゃうんだから言うけど、噂の半分は本当で半分は嘘だからね」
僕は俯いてただ「うん」とだけ答えた。
「アンタにだけは言っておかなくっちゃって決めていたから言うけど、確かに野村君に告白されたのは事実よ」
“えっ、やっぱり本当だったんだ”
「でも、甲子園に行ったら彼女になってあげるなんてひとことも言っていないから」
「じゃあ何で野村は部員全員を巻き込んで頑張り出したの?」
森村直美の言った回答と、野村の行動に辻褄が合わない事を疑問に思って、思わずそう聞き返してしまった。
僕にとっては素朴な疑問だったが、彼女にとっては、どうも答えにくい質問だったようで、なんでアンタは、そういうところだけ素直なんだ?と頭を掻き毟っていた。
別に答えたくないのなら、無理に答えなくても良いと思って野球部の練習が見える場所に移動しようと歩き出すと、その行き先を停めるように前に回りこんできた彼女がバツの悪そうな顔をして言った。
「実は……つい出来心で……県大会の決勝まで行ったら、付き合うの考えてみても良いって答えちゃったの、ゴメン!」
「なんだ、そんなことか。それにしても、なんで謝るの?」
何か森村直美の弁解するような口調に居心地が悪くなった僕は野球の話しを始めてしまった。
うちの高校が優勝したら創立初めての快挙になるとか、野村はヤッパリ凄いとか、プロになったら町の自慢だとか。
本当は野村が羨ましいとか、優勝したら凄いとかなんて思ってもいなかった。
肝心なのは物事の結果ではなく、経過だと常々僕は思っている。
「あの野村が、そうやって頑張って甲子園に出たら僕も応援に行こうかな。あいつが本気出したら甲子園でも良い所まで行って、その後はプロ野球選手なんだろうな、契約金一億とかでさ……」
なんか自分の言っている事が自分の心とは違い、嘘だらけで空しくなってきた。
「ゴメン……」
なぜか彼女が謝ってきたのを不思議に思ったが、聞こえていないふりをして彼女にとって背の高さもバランスがとれてお似合いだとか、二人とも運動神経も良くて音楽が好きで趣味も行動も一致していて、中学から六年間も一緒だから気心も良く分かっていて似合いのカップルだと、僕は台風の後に泥だらけの川が流れる様な勢いで、二人が付き合ったときの事を想定した賛美の言葉を並べ立てていた。
次の瞬間、左の頬に焼ける様な衝撃が走る。
「パシン!」
音が後から追いかけてきた感じがして、メガネが吹っ飛んだ。
“なっ、なに!??”
左の頬に手を当ててその熱さを感じて、始めて僕に起こった事が分かった。
いま僕は、森村直美に頬を打たれたのだ。
「勝手に決めつけないでくれる!私、答えを出すとは言ったけど告白を受けるなんて言った覚えはないわ!」
言うなり僕に背を向けた彼女はドスドスと大股で去って行った。
そのとき、彼女がどのような表情をしていたのかメガネを失った僕の目では確認する事が出来なかったが、おそらく僕は彼女を傷つけてしまう何かマズイ事を言ってしまったのだろうと思い、慌てて落ちたメガネを探した。
メガネを見つけて、それを掛け直し屋上の階段を駆け下りたが彼女の姿はもうどこかに行ってしまっていて見つけられなかった。
僕が言った何かが森村直美を傷つけた事は確かなようだったが、その何かが思い出されずにいた。
そして僕には彼女を追いかけて行き、理由を聞く勇気なんてなく、掛け直した眼鏡で屋上の床をただ眺めているだけだった。
白いコンクリートにいくつもの汗が僕の影を濡らし、吹奏楽部の奏でる曲から直美の吹くオーボエの音がまる怒りをぶつけてくるように激しく僕の胸を刺していた。