④
あの日、僕は夕方遅くに散歩に出た。
それまでに宿題と今日の復讐は終わらせていたが、予習に入った途端イライラして落ち着かなくて、気晴らしに家を出た。
行く先なんて決めていないが、僕の足は条件反射的にいつもこの時間に向かう川辺へと向かっていた。
楽器の練習を誘いに来るはずの(厳密には、強制的に付き合わされるだが)直美は、今日は部活が遅くなるからと言っていたから、僕には特別休暇が与えられていた。
だから今日は自室で思いっきり勉強できるはずだったのに……。
トボトボと通りを歩いていると、自販機のある駄菓子屋のある交差点を出たときに、川沿いの土手のバス通りを2人乗りの自転車が走って来るのが見えた。
自転車を漕いでいるのは背の高い男子と言うだけで野村だという確証はないが、斜陽に微かに照らされて白いはずのブラウスが少しオレンジ色に光っている背の高い女子が森村直美であることだけは確実だ。
はやり噂は本当だったのか。
咄嗟に自販機の影に隠れるが、この場所だと直美の家の前まで自転車で送られれば確実に見つかってしまい、逆に隠れていることを怪しまれてしまう。
“僕は何も人に怪しまれるようなことはしていない”
むしろ怪しまれる行為をしているのは森村直美の方だ!
だからと言って堂々とこの場所から出て行く気にもなれずに、自販機の影からコッソリ顔だけ出して様子を窺うと、2人を乗せた自転車はコッチには向かって来なくてバス停のある場所で止まった。
危機から逃れてホッとしてまた様子を窺う。
直美は自転車の荷台から降りたがナカナカ歩き出さない。
野村らしき人物も、自転車に跨ったまま発進しない。
“何をやっているんだ。早く分かれろ!”
森村直美を家の近くまで運ぶという目的は済んだのだから、これでもう気が晴れたはず。
目的が済んだのならサッサと帰るか、次の目的に挑戦するかのどちらか。
ナカナカ帰らない野村に苛立ち、ナカナカ帰ろうとしない直美に何故か腹が立つ。
もう日も暮れて2人の表情まで確認するのは無理だけど、少しでも様子が知りたくて眼鏡を動かしてみるがもうシルエットしか見えない。
2人のシルエットが近付くたびにイライラはつのり、離れると安堵する繰り返し。
“何をやっているんだ”と2人にも、そして自分にも問うが答えは何も見つからない。
ただ、この状況はヤバイ事だけは十分に予想可能。
そして森村直美に近付くように自転車が少し後退したかと思うと、とうとう2人のシルエットが重なった。
心臓の鼓動が一気に早くなり、血圧も優に200は超えたと思えるほどの衝撃!
心筋梗塞の1歩手前。
たしか、ひい爺ちゃんはコレが原因で死んだんだ。
“落ち着け!”
“落ち着くんだ‼”
“いま、こんな所で死ぬわけにはいかない!”
自販機の横で蹲って死んでいる状況を他の人が見たら、まるで自販機の下にあるかも知れない“落ちている小銭”をあさっていたように思われるじゃないか。
この若さで、しかも小銭泥棒の濡れ衣を着せられたまま死んで堪るものか!
自らの言葉で自分自身を必死に気持ちを鼓舞し、焦っていた気持ちを静める。
僕が今見ているのは、シルエットだ。
シルエットには奥行きが無く、漫画やアニメと同じ2次元の世界。
だが実際の森村直美と野村は3次元の世界に生きているから、実際に2人のシルエットが重なり合って見えたとしても、それは本当のこととは言い切れない。
しかしこの原理だと、そうでないとも言い切れないところが何ともモドカシイ。
自販機から少しだけ顔を出した状態では埒が明かないので、首を伸ばしてもっと顔を出して確認しようとしたところ、シルエット化して全く見えないはずの直美と目が合った気がして慌てて首を引っ込めた。
“見つかった‼”
森村直美のシルエットの微かな動きに、僕はそう感じて動揺した。
“ヤバイ!”
心臓の鼓動と、吹き出て来る汗が半端ない。
心を落ち着かせるために、いや直美に怪しまれないように、しばらくは顔を出さずにいた。
そうすれば先方も、実際に見たとしても、目の錯覚だと勝手に思ってくれるだろう。
すこし経ってから用心深く少しずつ自販機の影から顔を覗かせると、バス停の前にはもう野村の自転車はなく、背の高い直美のシルエットも見えない。
“どこに行った!?”
“土手の道を河原に降りた??”
“まさか!こんな所で!?”
我ながら大胆過ぎる発想。
だが飛躍し過ぎていて、状況判断を誤っていることに直ぐに気付く。
土手から河原に降りる道は階段になっているから、降りるとすれば自転車が置いて行かれるはず。
自転車が無いという事は……。
“!”
冷静になった途端、全く見逃してしまっていた事態が発覚する。
それは近付いて来る、直美の足音。
ここに隠れて2人を見て直ぐに思っていた危険性をなおざりにしたまま。
つまりこの場所だと直美が家に向かっていけば確実に見つかってしまい、逆に隠れていることを怪しまれてしまうってこと。
“あーっ、なんてバカなんだ”
僕のするべきことは、できっこない確認に固着することではなく、敵に発見されないうちに速やかに撤退を始める事だったのだ。
“どうする三木博文!?”
僕の一生は、この後の判断に掛かっていると思った。
判断を謝れば、僕は一生“覗き魔”として社会から冷たい目で見られながら生きなければならないのだ。
そして今の日本では未だ導入されてはいないが、僕が大人になった頃にはアメリカなどと同じように“性犯罪者”の所在は一般人でも簡単に検索できる状況になっているだろう。
そうなれば商店街の通学路も僕が居るという事で迂回することになるばかりか、その商店街にも居られなくなる。
“あー……僕は、なんてことを”
秒針がタイムリミットを伝えるように、暗い商店街の入り口を目指す森村直美の足音が徐々に近づいて来る。