1.伯爵令嬢、婚約破棄される(4)
フランの話を聞いていたロード伯爵は、眉間に皺を寄せた。だが、その彼を後押ししてくれたのは、妻でありそしてカリーネの母でもあるロード伯爵夫人。
「あなた。ここはフランを信じてみてはいかが? カリーネは純粋に魔導具が好きなのよ。刺繍の練習もせずに魔導具をいじるくらいに。その大好きな魔導具のせいで、いろいろとごたごたに巻き込んでしまうのは、まだ可哀そうだと思うの。それに、隣国に行けば、リネーアがフランと出会ったように、素敵な男性と出会えるかもしれないわ」
どうやら、母親の本音は後半部分だ。婚約解消されてしまった不憫な娘に新たなる出会いを。
「私が悪者になる分には一向にかまいません。むしろ、ヘルムート殿と婚約解消されたカリーネを隣国に追いやり、このロード領を我が物にしようとしている、くらいの噂が立った方がいいですね」
フランはそんな自分を想像いているのか、口元をにやにやと緩めている。だが、リネーアは知っている。このフランには悪役が似合わない。良くも悪くも三男坊。
「どうだい、カリーネ。隣国の魔導具士養成学校に通ってみるつもりはないかい?」
義兄にそんな風に優しく問われたら、断る理由など見つからない。むしろ、魔導具士養成学校という名前そのものが、カリーネの心を掴んで離そうとしない。
「カリーネは、魔導具士としてこれから伸びるよ。だけど、ここで独学で学んでは必ず壁にぶつかる。隣国へ行き、然るべき師匠につくべきだ」
「あぁ……」
そこで、声に出るほど息を吐いたのは母親。
「そもそも、あのモンタニュー公爵家がカリーネを望んだときに疑えばよかったのよ。カリーネがデビュタントしてすぐでしょう? しかも、カリーネなんてこんな貧弱な身体なのに。私も、舞い上がってしまったのね」
娘をさりげなくけなしているようにも聞こえるのだが、どうやらカリーネは気付いていない様子。
カリーネがヘルムートと婚約したのは、カリーネが社交界デビューをした十日後。相手がモンタニュー公爵家と知った母親が、断る理由など無い、と熱く語ったから。
だが、このときもフランだけは冷静だった。モンタニュー公爵は歴史ある家柄であるが、最近は資金繰りに悪化しているようだ、ヘルムートにはよくない噂が流れている、と。
それでも受けてしまったのは、やはり相手がモンタニュー公爵家だからだ。
「だからね、カリーネ。あなた、ストレーム国で相手を見つけてきなさい。もう、この国では婚約解消されたという悪評がついてしまうから、望みが薄いのよ。どうせこのタイミングで隣国に行くのなら、未来の旦那様も探してきなさいね」
うぅむ、とロード伯爵は唸った。今、手元にある婚約解消の手続きの書類。これにサインさえすれば、カリーネとヘルムートの婚約は解消される。だが、その後はどうか。あのモンタニュー公爵家から婚約解消を告げられたということは、カリーネについて回る。となれば、新たな相手もなかなか見つからないだろう。と思って、そんな不憫な娘を見ると、爛々とその瞳を輝かせていた。
「カリーネ。ヘルムート殿のことは、もういいのか?」
「お父さま。さっきも私、喜んで婚約解消をすると口にしたではありませんか。はっきりいって、ヘルムート様のお顔も覚えていないのです。目が二つと鼻と口があったことくらいしか。髪の色が何色だったか、瞳の色はと聞かれても、答えることなどできません。だって、婚約の前も、婚約の後も、一度もお会いしたことが無いのですから」
とカリーネは言っているが、実はデビュタントの時に一度だけ会っている。ヘルムートは値踏みするかのようにじっとカリーネとロード伯爵に視線を向けていたのだ。
そしてその十日後。婚約の書類が一方的に送られてきて母親は喜び、ロード伯爵はモンタニュー公爵家に足を運んだ。そこで、何やら話がすすみ、カリーネとヘルムートの婚約が成立してしまった。恐らく、モンタニュー公爵家に足を運んだのがフランであったのであれば、最初からこの婚約は成立しなかっただろう。それほど父と義兄の性格は違う。
そして、それから三か月後の今日。一方的に婚約解消を求める書類が送られてきた、というわけ。
いつの間にか、外は雨が降り出したようだ。先ほどから、雨は窓に激しく叩きつけられている。
「カリーネの婚約は解消する。そして、カリーネ。君はフランの言う通り、ストレーム国に行きなさい。そこで魔導具養成学校に入学し、魔導具士としての腕を磨くこと」
「そして、未来の旦那様を見つけてくること」
と言う、母親の言葉には頷きたくない。別に、未来の旦那様なんて、今のカリーネは必要としていないのだから。
「そうと決まれば、早速根回しをしますよ。隣国には私が留学していた時にお世話になった方がいるので」
そう、このフラン。実は十七のときから三年間、隣国に留学していたのだ。その後、この国へ戻って来て、リネーアと出会う。だから、博識な面を持ち合わせている。
「ああ、でもお義兄さま。今、試作している魔導パン焼き機が完成してから行きたいのですが……」
「何も明日から行け、と言っているわけではないからね。手続きやら何やらを考えると、恐らく早くても一月後だ」
「でしたら、魔導パン焼き機も完成していますね」
「ねえ、魔導パン焼き機って何なの?」
聞き慣れない言葉が気になっている様子のリネーア。
「お姉さま、そのまま言葉の通りです。材料をぽんと入れれば、パンが焼き上がる魔導具です。前日の夜に、魔導パン焼き機に必要な材料をセットしておけば、次の日の朝には焼きたてパンを食べることができるのです」
「へぇ。それは、助かるわね。寝ているうちにパンができるなんて」
「しかも焼き立てですから」
「でも、それでは料理人の仕事が無くなってしまうのでは?」
「もちろん、魔導パン焼き機で作ったパンもそれなりに美味しいですが、料理人が愛情込めて作ったパンには敵いませんよ。手軽にパンを食べたいという、この領民たちのために考えたのです」
「なるほどね。それなら、皆、喜びそうね」
このカリーネの発想は面白い、とフランはいつも思っている。民たちのために、と言いながら、今までにない魔導具を考え出す。
カタカタと窓が震えているのは、雨が激しく打ちつけているからだ。工場の者たちは皆、帰宅したことだろう。
それから十日後のことだった。モンタニュー公爵家のヘルムートとブラント子爵家のスザンナが婚約した、という話がこのロード伯爵の耳に届いたのは。
どうやら、フランが懸念していた通りに事は進んでいるようだ。