彼女が清楚を投げ捨てた日
色々とあった沙原さんとの登校時間が過ぎ去り、教室に着いた僕達は二人で教室に入る
「おはよ~二人とも。今日も仲良しだねぇ」
いつも最初に挨拶をしてくれるクラスメートに僕達も挨拶を返す。……そういえばこの娘、何て名前なんだろう? 気になるけど、今更聞くのもなぁ……。
と、考えながら僕は自分の席に座る
「よっ、おはよう二人とも」
古宮君がいつものように話しかけてきた。僕達も席に着いて挨拶を返す
「おはよう。昨日振りだね古宮君」
「おはようございます。聞いてくださいよ古宮君、黒木君ったら今朝ですね……」
「ちょっ、ちょっと沙原さん!?」
挨拶が終わった途端にさっきの出来事を話そうとする沙原さんを僕は慌てて止めようとする。だって恥ずかしいし!
「お? 何か面白い事でもあったのか?」
そんな僕の反応に古宮君が興味を持ってしまったようだ。そんな彼に沙原さんが遂に喋り始めてしまう
「それがですね。私に大人っぽく振る舞ってくれって言ってきたのに……」
……結局、彼女は僕が家の鍵をかけ忘れた事とか学校に向かってダッシュしようとした事も全部ばらしてしまった。その話を聞いた古宮君は笑い出した
「はははっ! 結局全然駄目だったのか! 耐性を付けるのはまだまだ先になりそうだなぁ」
「こ、古宮君は沙原さんのあの雰囲気をまともに味わってないからそんな事が言えるんだよ!」
あの空気、本当に凄いんだからね!? 沙原さんの素を知っているはずなのにそれが全て打ち消されるというか……! くぅ、こればっかりは体験しないと伝わらないよなぁ……
「もう。早く慣れてくれると私は嬉しいんですけど」
「そ、それでも前回よりは進歩したよね? 前はほとんど会話も出来なかったんだし……」
少しは僕も前に進んでいるはずだ……! そう思いながら主張する
「まぁ少しは……でも黒木君、このペースだと慣れるまでどれくらいかかるんです?」
「……ら、来年には慣れてると思うよ?」
「かかりすぎです! 慣れた頃には三年生になっちゃいますよっ」
僕の弱気な宣言に沙原さんの突っ込みが炸裂した。ちなみに、古宮君はずっと笑いながら僕達を見ていたのだった。他人事だと思ってこいつめ……。
その後、いつもと変わらず……沙原さんはちょっと頑張って授業を受けようとしたけど、途中で寝たり……とか、色々あって。
昼休みの時間になったので、僕達は桜良さんと合流して四人で学食に向かう。このメンバーで昼休みを過ごすのも慣れたものだ。
そして、学食に到着したのだけれど
「おっと、結構混んでるな。席空いてるか?」
いつもよりちょっと人が多い空間を見て、空席がないか探す。どこか空いてないかな……?
「あっ、あそこ空いてますよ」
「本当ね。あそこなら四人で座れるんじゃない?」
二人に言われた方を見ると、確かにテーブル席が一つ空いていた。でも、すぐに確保しないと他の人に取られちゃうかもな
「じゃあ僕があそこに座ってるね。その間に皆はお昼買いに行けば良いよ」
誰か一人座ってれば大丈夫だろうと思って提案する
「良いのか? ならお言葉に甘えようかな。サンキューな、黒木」
「ありがとう、黒木君。ちょっとの間任せるわね」
古宮君と桜良さんにお礼を言われて頷く。すると、沙原さんはこんな事を言った
「あっ。それなら黒木君の分も一緒に買ってきますよ」
「えっ? でも、大変じゃない?」
「いえいえ、大した手間じゃないですし。黒木君の食べ物の好みは私と似ているみたいですからね。任せてください」
そういえば昨日、ドーナツ屋さんでそんな話をしたっけ。……うん、ここは僕も沙原さんの好意に甘えよう
「うん、じゃあお願いするよ。お金渡しておくね」
気合いの入った様子の沙原さんにお昼の代金を預ける
「はい! では行ってきますね!」
にっこりと笑った沙原さんに続いて、古宮君と桜良さんも歩いていった。後は三人が戻ってくるまでゆっくりと待つとしようか。
……と、席に座って思った時だった
「……ちっ、何であんな奴が沙原さんといつも一緒にいるんだよ」
舌打ちと共にそんな声が聞こえてきた
「お、おいやめとけって。聞こえるぞ?」
「知らねえよ。俺はずっと気に入らなかったんだよ、二年生になってから急にしゃしゃり出てきたあの野郎がな、黒木とか言ったか?」
……やれやれ、やっぱり僕の話か。あんまり聞きたくないけど仕方ない
「いつもいつも沙原さんの隣にいやがって……自分の立場ってのが分かってねえのかね? あんな平凡野郎が沙原さんの隣にいて良いわけがないだろうがよ」
「やめろってマジで! 沙原さんに聞かれたらどうすんだよ……!」
「はっ、案外沙原さんも嫌々一緒にいるのかもしれないぜ? よく見ろよ、性格悪そうな顔してるぜあいつ」
ああ、こっちに顔を向けないでくれよ。僕はとりあえず下を向いておくことにした。
……ふぅ、当たり前だけど僕が沙原さんと一緒にいることを面白く思わない人だっているよね。他に一緒にいる男子には古宮君もいるけど……毎日一緒に登校しておまけにたまに手を繋いで歩いてる始末だし。こういう事を言われることはこれからもあるはずだ、少しずつ慣れていかないと……はぁ……
「よっ、黒木。大丈夫か?」
と、声をかけられたので顔を上げると古宮君が立っていた。先に戻ってきたみたいだ
「ん、おかえり。もしかしてさっきの聞こえちゃった?」
「おう。こんな所であんな話を大声でする奴がいるとは驚いたぜ、ははっ」
古宮君は軽く言って笑ったが……目は笑ってない。明らかに機嫌が悪そうだ
「……もしかして怒ってる?」
「ダチの悪口を言われて怒らない奴はいねえだろ」
「ありがとう……でも、僕は大丈夫だよ。これくらい、どうってこと無いさ」
彼の気持ちは嬉しいけど、僕は平気だ。そもそも、こういう悪口とかは僕の問題だしね。
しかし、古宮君はため息を吐いて
「はぁ……なぁ黒木。少しは周りを頼って良いんだぞ。辛いなら辛いって言っても良いんだからな」
「そんな、僕は別に平気……」
「平気だったらあんな辛そうに俯いてねえだろ」
……そこまで見られてたのか
「沙原さんだってお前があんな悪口言われてるって聞いたら……」
と、古宮君が続けようとした時
「ただいま戻りました! 黒木君、お昼買ってきましたよ……? あれ、何かあったんですか?」
「何だか変な空気ね。どうしたのよ二人とも」
沙原さんと桜良さんが戻ってきた。二人に心配をかける必要はないと思ったのだが……古宮君が先に口を開いた
「ちょっとな。黒木がどっかの誰かに悪口言われてたから慰めてやってたんだよ」
「ちょっ……」
そんなことわざわざ言わなくて良いんじゃないか、と僕が続けようとした時だ。
……僕の言葉は止まった
「ーーーは?」
一言、たった一言彼女が口にすると同時にその場の空気が冷えていった。
そう……沙原さんが今まで聞いたことがない程低い声で言葉を発したのだ
「何ですかそれ」
「うっ……!? い、いや……」
「誰が黒木君の悪口を言ったんですか。黒木君が何かしたんですか」
「お、おおっ……!?」
古宮君が圧倒されている。無理もないだろう、今の沙原さんは例の清楚モードな上に、無表情だ。直接向かい合っていない僕ですら怖い。
で、でもこのままにはしておけない、僕は勇気を振り絞って声を出す
「さ、沙原さん。ちょっと落ち着……」
「黒木君。何があったか話してください」
「うっ」
彼女がこっちを向いた。それだけで凄い圧力が僕に降りかかる。
今朝僕が鍵のかけ忘れで見た少し怖い雰囲気なんて比じゃない。沙原さんが本気で怒っている
「え、えっと……」
「黒木君」
「た、大した事じゃないよ本当に! だから気にしないで」
「話して」
「ううっ……!」
こ、怖すぎる! 以前、僕が自分を悪く言った時に大きな声で怒られた事があったけど、あの時とは全く違う。今回は静かに……でも、あの時以上の怒りを感じる……!
僕がどうすれば良いかあたふたしていると……ここで助けが来た
「朱凛さん、一先ず落ち着いて。そんなに詰め寄ったら話すものも話せないじゃない」
「私は落ち着いています」
「そんな怖い顔してよく言うわよ。ほら、座ってゆっくり話しましょう。ね?」
「………………はい」
桜良さんのお陰で沙原さんは少し冷静さを取り戻してくれたみたいだ。表情はそのままだったけれど席に着いてくれた
「さて……じゃあ改めて聞きましょうか。黒木君……はあんまり話したくなさそうだし、古宮に聞こうかしら」
「お、おう分かった。黒木、話すけど良いか?」
「……うん、分かったよ」
どっちみちこのままでは沙原さんが納得しないだろうし、僕は頷いた。
そして、古宮君はさっきの出来事を二人に話したのだった
「……と、まぁこんな感じで黒木が沙原さんと一緒にいることを面白く思わない奴がいるって話だよ。黒木は気にしてないって言ってたんだが……」
「ふーん……何とも胸糞悪い話ねぇ。というかこんな人が沢山いるところでそんな話を大声でするなんて馬鹿じゃないの? 誰かに聞かれたら自分は器の小さい人間ですって言ってるようなものじゃない」
「さ、桜良も結構言うじゃねえか」
「悪い? これでも腹が立っているのよ。自分の仲の良い相手の悪口を言ったどこかの誰かに、ね」
冷静に見えた桜良さんも怒ってくれていたのか。僕はそれだけで嬉しいよ……。
と、思っていると隣から声がした
「……どうして……」
「沙原さん……?」
「どうして私と一緒にいただけで黒木君がそんな風に言われるんですか。私が誰かと仲良くするのはそんなにいけない事なんですか」
沙原さんは怒りながらも……悲しそうな声でそう言った
「黒木君が悪口を言われるのは……私のせい、なんでしょうか」
「沙原さんは悪くないよ」
「だって、黒木君は何も悪くないのに。私と一緒にいたから酷い悪口を言われたんですよ」
不味い、沙原さんがどんどん悪い方向に考えてしまっている。彼女は何もしていないのに、ただ僕と一緒にいる事を楽しんでいただけなのに
「僕は平気だよ。このくらい……」
「ーーー私は嫌だよっ!」
……再び、この場の雰囲気が一変した。きっとこの場にいる皆は初めて見ただろう、沙原さんがこんなに感情を露にして叫んだ姿を
「私は……私は黒木君が悪い人じゃないって知ってる! 一緒にいると楽しいから……だから一緒にいるだけなのに……っ! どうしてそれだけで黒木君が悪く言われるのっ!?」
「沙原、さん……」
……ああ、本当にその通りだ。沙原さんが誰と仲良くなろうと彼女の勝手じゃないか。確かに、それが邪な感情を持って近づいてきた輩だったりしたら口を挟んでも良いかもしれない。でも、そうじゃなかったら……そこに文句を付ける権利なんて誰にもない。
……そう。今、彼女を追い詰めて泣かせているのはそれが分かっていない身勝手な人なんだ
「黒木君がこれ以上悪く言われるなら……わ、私と……私とこれ以上一緒に……ぐすっ、いない方が……良いんじゃ」
ーーー彼女がそう言った瞬間
「ねぇ、ふざけないでよ」
僕は咄嗟にそう言っていた。
……彼女にこんな強い口調で話したのは初めての事だった
「え……黒木、君……?」
「僕は平気だって言ってるじゃないか。なのに、何で君が勝手に僕との縁を終わらせようとしてるの? いつ僕が君と一緒にいて辛いって言ったんだよ」
「だ、だって……! 私のせいで黒木君が悪口を……! 黒木君だって嫌でしょうっ!?」
ああ、今の僕はきっと冷静じゃない。端から見たら口調や表情は落ち着いているように見えるかもしれないけれど……頭の中は真っ赤だ。何も考えられないや。
ただ一つ言えるのは、僕は怒っているんだろう。でもそれは自分の悪口を言われたからじゃなくて……
「平気さ、悪口なんて。というかあの程度の悪口で君との繋がりがなくなる方がはるかに嫌だ。……僕だって君と一緒にいるのが好きなんだから」
そう、あんなどうでもいい悪口で彼女との仲が破壊されそうになっている現状に怒っているんだ
「黒木君……」
「だからさ」
僕は改めて沙原さんを真っ直ぐ見つめる。いつも通り、隣に座る彼女を
「ーーー隣にいてよ。僕は君が……沙原朱凛っていう女の子が隣にいる環境にすっかり慣れちゃったんだから。今更離れたいとは思えないし、離れさせないよ」
「……うん、うん……! 私も……もう、言わないよ。誰がなんと言っても……貴方と一緒にいるこの空間を手放さないから……っ!」
ーーー二人でそう言って笑い合う。こうして、僕達の仲がまた深まった気がした。
「……やれやれ、また二人で解決しちまいやがったな」
「本当に……改めて、朱凛さんが黒木君に出会えて良かったわ」
「だなぁ。にしても……怒らせたらどっちも怖いなあの二人。最初の沙原さんの迫力にも驚かされたけど……」
「ええ……黒木君も怒ると静かな迫力があったわね。私も少し驚いちゃった」
「おう、俺もだ……っておいおい、そろそろ昼飯食わねえと時間無くなるぞ?」
「あら、色々と話してたから時間が無くなってきたわね。そろそろ二人を引き戻しましょうか」
「二人の空間の邪魔をするのは忍びないがしょうがねえな。……おーい、二人ともー? そろそろ飯食うぞー」
ーーーこの日、学食で起こった出来事により、その場にいた生徒達は思い知った。清楚な美少女で高嶺の花である沙原朱凛の隣にいる黒木廉にも相応の覚悟があってそこにいるのだと。
……ついでに、この二人は怒らせるととっても怖いという事も