溺愛思考に目醒めた孤独な貴族様は、異世界の奥様を怠惰に堕とす。
この作品は『御都合主義の怠惰な奥様は、永遠に夢の中。』のアリオン視点です。
読んでいなくても、分かる仕様にはなっている…と思います。
カチャカチャ…カチャカチャ…
食器と食器が擦れる音。
そして、自分の咀嚼音。
この部屋には、それしか、響かない。
今まで、ずっと。
それが、いつからだったのか。
もう、殆ど覚えていない。
気が付けば、自分の身体を成長させる為、そして、いつからかは、その身体を維持する為だけに、繰り返していた。
何かを食べても、何も感じなかった。
ただ、口に入った固形物や流動物を咀嚼して、喉を通して飲み込むだけの繰り返し。
毎日、毎日。
この部屋には、一人。
パラパラと、紙を捲る音。
そして、自分の息づかい。
この部屋には、それしか、響かない。
今まで、ずっと。
それも、いつからだったのか。
もう考えなくなっていた。
気が付けば、この家業を維持していく為、そして、いつからかは、その身体を守り抜く為だけに、繰り返していた。
何冊、読んでも、何も感じなかった。
ただ単に、膨大な量の知識や教養、情報、歴史等を頭に、詰め込むだけの繰り返し。
毎日、毎日。
この部屋にも、一人。
何に対しても、心が動かない。
そう。それは、あの時からだ。
目の前で両親を失った。私は、5歳だった。
全てが消え去った。両親と共に。
幼くして、大きな屋敷の主となった。
家業の教育係は、執事ハリソン。
彼は、この家の当主であった私の父の教育係もしていたのだ。
私の家は、少し特殊だった。
存在を知られてはいけない。
故に、他者との交わりは一切なかった。
私が幼いうちは、影の者が父の代わりとなり、表で行動していた。私は、密かに鍛練を積んだ。
成人を迎える前に、少しずつ、影との入れ替わりを繰り返し、成人を機に全てを引き継いだ。
変わらない日常。
毎日、城に出向いては、影で動く。
「やぁ。クリフォード卿。ご機嫌如何かな?」
私は、にっこりと笑い、穏やかな口調で返す。
「変わりはありません。ライアン殿下」
深々と、頭を下げる。
「今日の議会の件なのだが…」
「はい。陛下より、既に伺っております」
書面を差し出し、手順を説明する。
一連の作業が終わると、殿下は微笑む。
「クリフォード卿がいてくれて、助かる」
「勿体無いお言葉にございます」
「ところで、そろそろ身を固める気はないのか?」
ここ10年、ずっと言われ続けていた事だった。
王女と結婚させようとしたり、位の高い貴族の娘であったり。王家としては、縁者を作り、特殊な能力を持っているクリフォード家を、そして、その血を囲い込みたいのだろう。
「私には、心に決めた相手がおりますので…」
「そう言って、もう10年以上経つではないか」
「まもなくです。良い報告が出来るでしょう」
「ほぉ」
ライアン殿下は、口角を上げる。
「卿の決めた相手か…興味があるな」
「殿下には、麗しい妃様がいらっしゃるではありませんか」
「『愛』は万人に与えられるものだぞ」
「私には、出来そうにございませんね」
誰一人、愛することなど…出来る筈がない。
当たり前だ。私は愛など知らないのだから。
定められた時間に、下城する。
定められた道程で帰路に着く。
森に差し掛かると、道端に人が倒れている。
馬から降り、近づく。
倒れているというよりは…寝ている?
「起きられよ」
声を掛けるが、起きない。
身体を揺すり、少し強めの声を出す。
「…起きられよ!」
眉間に皺を寄せるが、起きない。
それにしても…見たことのない人間だ。
異国の者か?
髪の色は、漆黒の如く黒い。
しかし、艶やかでとても綺麗だ。
…綺麗…そんな事を思ったのは、初めてだ。
何なんだ?これは?
これが『感情』というものなのか?
書物で読んだことしかない。
感覚がどんなものなのかは分からないままだった。
普段の表情は、対応の仕方を場面に合う様に、自身で身に付け、使い分けているだけだ。
この感覚が本当にそうなのか?
もし本当にそうならば、この人を起こしたら、次はどんな事が起こるのだろう。
「…起きられよ!」
「ん…何?もう朝?朝ご飯はいつも適当にって…」
彼女が薄く目を開ける。
その瞳の色に驚愕した。
この国に存在しない色だったのだ。
彼女は、この国では規格外だ。
胸が、どくりどくりと高鳴る。
…何だ?これは?この感覚は?
胸を押さえたくなる程の動悸。
まさか…これが『愛』なのか?
先程の殿下の言葉が蘇る。
――――『愛』は万人に与えられるもの。
この感覚が『愛』なら、間違いなく私は、彼女だけにしか『愛』を与えられないだろう。
彼女を覗き込む。
薄く開いていた瞳に自分を映すように。
みるみるうちにその瞳が大きく見開く。
「だっ…誰?!」
「いや…こちらが、聞きたいのだが」
――――もっと、貴女を知りたい。
話を聞くと行く当てもなく、身寄りもいないということだった。屋敷に戻る途中で、此処から近いので良かったら来るかと聞いてみると、花が咲いた様に笑い、『是非に』と喜んだ。彼女を客人として我が家に招き、もっとたくさんの話がしたかった。
屋敷に着くと、彼女を客室へ通す。
「そこに掛けて」
「はい…」
緊張した面持ちで、ソファに座ると、ビクッと肩を震わせた。…何か驚く様な事があったのだろうか?
そして、私の様子を伺う様に話し始めた。
「あ、あの…契約書とか作っていただけたりしますでしょうか?」
「え?」
「ここで、働く上で、色々、条件と言いますか…」
――――何を言っている?
私は彼女を客人として、此処に招いたのに。
「雇っていただける訳ではない…のでしょうか?」
「雇う?私が…貴女を?」
「ええ。…でも、もしそういうつもりではなかったのなら、申し訳ないのですが…私は、先程もお話ししました通り、身寄りもありませんし、行く当てもありません。ですから、こちらで雇っていただきたいのですが、お願い出来ないでしょうか?」
彼女は、使用人として、働く気でいる様だ。
『庇護欲』『独占欲』
今までなかった『欲』が次から次へと湧き上がる。
「私にそのつもりはない」
「えっと…それは、私を雇うつもりはないという事でしょうか?」
「ええ。そうです」
そういうと、彼女の顔が急に曇る。
そんな顔をさせたい訳ではなかったのに。
此処に縛り付けておきたい。手放したくない。
例え、屋敷の使用人であっても、彼女を自分以外の者と触れ合わせたくない。
こんな唯一無二の愛しい人を。
「私は貴女を客人として考えております」
「え?」
「この部屋を自由にお使いください」
「…え?」
彼女は、戸惑った表情をした。
「あ、あの…私はお金も着替えも何一つ持っていなくて…だから、仕事を探して、暮らしていくために生活の基盤を作らないといけないのですが…ここでのお仕事がないのなら、何かご紹介していただけないでしょうか?」
あくまでも使用人として、働く気でいるらしい。
絶対にそんな事はさせない。
何もしなくていいのだ。彼女が好きなことをして、此処でずっと過ごしてくれれば。
彼女には、絶対に此処から出ていかないで欲しい。
どうしたら、この屋敷から、この部屋から出さずに済むかを考える。
「暫く、時間をいただいても?」
「ええ!もちろんです!宜しくお願いいたします」
ソファからガバッと立ち上がって、お辞儀をする。
本当に小さくて、可愛らしい。
「あの…クリフォード様」
「アリオン、と」
「へ?」
「アリオンと呼んでください」
「アリオン…様?」
彼女の口から、自分の名前が漏れる。
その余韻に浸っていると、ふと彼女の名前を未だに聞いていないことに気が付いた。
「貴女のお名前を伺っておりませんでした」
「あ!はい。私は、『ユイ』と申します」
何と可愛らしい響きだ。彼女に似合っている。
思わず、名前を呟いた。
「ユイ」
「はい。クリ……アリオン様」
可愛い返事が聞こえたかと思えば、同時に、ぐぅと腹の音が聞こえた。恥ずかしそうに俯く彼女が可愛すぎて、口元に手を当て、悶絶した。
「…失礼。すぐに、軽食を用意させよう。その後、湯浴みの用意も」
「あ、ありがとうございます」
「良ければ、晩餐を一緒にいかがですか」
「宜しいのですか?」
「もちろんです」
晩餐の約束を取り付け、彼女が必要な物を調達するため、部屋を出た。
すぐに、軽食や湯浴みの準備、彼女に似合いそうな衣類を揃え、女性に必要な物をすべて準備させた。
晩餐の時間になり、彼女が、部屋に入ってくると、その美しさに目が釘付けになった。
先程とは違い、自分の選んだ服を着ている。
ひらりと舞うスカート…まるで花の妖精の様だ。
見惚れていると、彼女が言った。
「あ、アリオン様。色々、ご用意いただいて本当にありがとうございます」
私は、小さく首を振った。
…なんて謙虚なんだ。
この国の女たちは、強欲で気が強く、我が儘だ。
彼女は、何かにつけて礼を言う。
「大したことではありません。何か、ご不便はありませんか?」
そう聞くと、彼女は、大きく首を振った。
「それは、良かった」
微笑んで見せると、何故か彼女は、私の顔をじっと見つめた。そして、怪訝な顔をした。
一体、急にどうしたというのだ。
まさか、料理が気に入らなかったのか?
彼女にとっては異国の料理なのだろうし、食べられない物があるか事前に聞いておけば良かった。
「どうかなさいましたか?お口に合いませんか?」
心配になって、恐る恐る聞くと、彼女は、ぶんぶん首を振った。
「とても美味しいです…あの、アリオン様」
「何でしょう?」
「何故、見ず知らずの私に、こんなに、親切にしてくださるのですか?」
突然の質問に、戸惑った。
その答えを用意していなかった。
単純に『貴女を一目で愛したから』などと、言える筈がない。
彼女は、慌てて話を変えた。
何かを察したに違いない。本当に心の優しい人だ。
「えっと…アリオン様は、おいくつなのですか?」
「32になります」
「えっ?あの……もっとお若く見えますね!では、ご結婚されていらっしゃいますよね?奥様とか、お子様は、お屋敷にいらっしゃらないのですか?」
心が凍りついた。
まさか、彼女の口から、結婚や妻子の話が出るとは思わなかった。彼女の言葉によって、思いがけず、傷付いた自分の心に驚いた。
「結婚していません」
「そ…そうなのですね。素敵な方なのに」
「…そう、思われますか?」
「ええ。とてもご親切でお優しいですし。何よりもイケメ…いえ、見目麗しいではないですか」
「ユイ。貴女も、そう思っているのですか?」
「えっ?ええ、もちろん」
彼女の反応に、一喜一憂する。
感情に振り回される日が来るなんて…
「さぞかし、引く手あまたなのでは?…それとも、良いご縁に恵まれないのでしょうか?」
「良い縁に恵まれて来なかったのは確かですね」
「そうなのですね。ご縁があると、良いですね」
私は、眉間に皺を寄せてしまった。
私にとっての『縁』は、貴女なのだと。
そう、伝えてしまいたかった。
『蒼き血の一族』
クリフォード家の別の名だ。
代々、クリフォード家の嫡男は、人の思考、動向が読める。そして、それ以外にも個人的に特殊な力を持つ者もいる。
アリオンには、代々受け継がれる力とは別に個人的な能力として、『予知』の力があった。この力が、目醒めたのは、アリオンが成人した時だった。
それは、突然の出来事だった。
『予知』は『夢』として見た。
始まりは、森の中だった。
見たことのない人間。
その人が自分の唯一である事は、すぐに分かった。
ただ、いつ会うのかまでは『予知』出来なかった。
だから、いつも同じ時間、同じ場所を通っていた。
それから、他の『予知』をし始めた。
それは、必ず起こる。良い事も、悪い事も。
そして、それは、変えられない。
…どうやっても。
何度も試してみたのだ。
そのすべてが『予知』通りになった。
一度も、変えることは出来なかった。
彼女と出会った後、すぐに気が付いた。
彼女の心を、読むことが出来ない事に。
最初は、自分の能力が消えたのかと思ったが、屋敷の者の心の声が聞こえた時、彼女だけが特別なのだと気が付いたのだ。
こんなに嬉しいことはない。
ずっと、彼女を探していた。
ずっと、彼女を待っていた。
だから…絶対に手放さない。
どうしたら、彼女は…ずっと私の隣にいてくれるのだろうか。
翌朝。
彼女と朝食を取るため、準備をさせる。
朝から彼女は、可愛らしい。
自然と顔が綻んでしまった。
「おはよう、ユイ。よく眠れましたか?」
「おはようございます。アリオン様。お陰様で快適に眠ることが出来ました。本当に何とお礼をすれば良いか…」
彼女がそう言ったので、早速お願いをしてみよう。
「それならば、私から一つ、お願いをしても?」
「それは、もちろんです!私に出来る事であれば、何なりと!」
彼女は、食い気味に言った。
本当に…優しくて、律儀だ。
「では。ここでの食事は、出来る限り、私と一緒にとっていただけますか?」
――――永遠にずっと。
「え?」
「嫌でしょうか…?」
「いえいえ!そんな事で宜しいのですか?」
「はい」
最大限に微笑んで、懇願する。
「もちろん、それは、喜んで…」
言葉とは裏腹に、彼女の顔は浮かない。
こんな時、いつもなら心を読むことが出来るのに。
彼女にだけ、使えないなんて…
暗く沈んでいると、彼女が声を掛けてきた。
「あの?アリオン様?いかがなさいましたか?」
「無理に頷かせてしまいましたか?」
「え?」
「全ての食事を一緒に…なんて、嫌でしょう?」
「いえ!そんな事はありません。毒味役ですよね!大丈夫です!お受けします!」
――――え?毒味役?
彼女は、何か勘違いしている。
この私が、愛する彼女に毒味役などさせる訳がないというのに。彼女は、何も分かっていない。
沸々と怒りが湧いてきた。
「ユイ」
思いの外、低い声が出てしまった。
視線を合わせると、彼女の肩が上がる。
怖がらせてしまっただろうか。
「私は、貴女に毒味をして欲しい訳でははい」
「え…」
「ただ、貴女とこうして、食事をとりたかっただけなのです」
ふぅと、一息吐くと、顔を緩めた。
「ずっと、一人だったのです」
「え?」
「ここで。ずっと一人で食事をしていました」
彼女は、戸惑った様に、私を見た。
「自分の立てる食器の音。食事の音。この部屋にはそれしか響きません」
目を伏せた。
今まで、感じたことのない感情。
すべて、貴女が、教えてくれた。
「昨日、貴女とした食事は、とても美味しかった。そして、楽しかった。誰かとする食事が、こんなに美味しいものだということを、初めて、知ることが出来ました」
彼女は、優しい。
その優しさに、付け込もうとしているなど、考えもしないだろう。
「ごめんなさい。私でよろしかったら、是非、一緒にお食事をさせてください」
「でも…嫌なのでは?」
「いいえ。嫌だった訳ではなくて…無償で、食事を一緒になんて、私にとって良いだけのお願いだったので…ですから、是非、何か、私にお仕事をさせてください!…見つけてくださるのですよね?」
いや…仕事をさせるつもりはない。
…どうしたら、良いか。
ある程度、彼女の希望通りにさせておいた方がこの先の長い時間、留まっていてくれるだろうか?
そうであれば、目が届く範囲に置いておきたい。
「では…この屋敷の手伝いをしていただいても?」
「え!本当ですか!?ありがとうございます!」
やはり、間違っていなかった。
彼女が、喜ぶ顔を見る事が出来た。
ただ、彼女に仕事をさせるというのは複雑だった。
出来る事なら、主と使用人という関係にはなりたくなかった。けれど、彼女が他に仕事を見つけ、此処から出ていってしまう事だけは避けたかった。
…だから、仕方がない。
それから、彼女には、主に執務室の仕事を頼む事にした。雑用みたいなものだが。
実際にやってみると、これはこれで私にとって利点が多かった。
彼女が、いつもすぐ側にいるのだ。四六時中。
仕事中も彼女を近くで見ていられる。幸せだ。
私は、王城に出向く事を控えた。というより、自然と足が遠退いた。さすがに王家から、二日に一度は登城する様にと、言われてしまったが。
ある日、登城すると、前方から来たライアン殿下に声を掛けられた。
「最近、よく屋敷にいるじゃないか。卿の屋敷には何かあるのかな?」
彼は、察しが良い。
心の読める私でさえ、敵に回したくない相手だ。
「ええ。まぁ」
その反応に、殿下は目を細めた。
「まもなくの件かい?」
「どうでしょうか」
「王城に何か起こるから…と避けているのではないのなら、何も言わないよ?」
「大丈夫ですよ。王城には、何も起こりません」
「それは、良かった」
そう言うと、立ち去ろうとした私に去り際言った。
「紹介、待ってるからね」
「……」
――――絶対にするか。
彼女は、私だけの唯一だ。
他の誰にも見せるものか。
その日、いつもの様に彼女の買い物に同行すると、彼女が、私の方をチラチラと伺っている。
そんな姿も、可愛すぎる。
「あの…アリオン様」
「何ですか?ユイ」
貴女の望みなら、何でも叶えてあげたい。
「今日は一人で出掛けたいのですが」
「一人では危ないよ?侍女達だって、護衛をつけるのに」
「では、護衛をつけてください」
「私が護衛ですよ」
「えーっと…そうですか」
ごめんね。それは、叶えてあげられない。
貴女は、無防備過ぎる。
ほら、周りを見てごらん?
皆、貴女のその麗しい黒髪に見惚れているよ?
貴女は、私の唯一。貴女の隣にいるのは、私だけ。
王城での仕事があったある日。
昼食を取る為、王城から屋敷に戻ると、中庭で花に囲まれた彼女を見つけた。自然と、顔が緩み、心が穏やかになっていく。
「私、この季節が一番好きかもしれません」
「花は、心を穏やかにしてくれますからね」
私にとっては、貴女の存在が花ですが。
こんな気持ちも、初めて知りましたよ。
食後にカモミールティーが出てくると、彼女は顔を綻ばせた。
「ユイはカモミールティーがお気に入りですか?」
「はい。お茶なら基本的に何でも好きですが、香りの強いアールグレイやカモミールは特に好きです」
「そうですか…覚えておきますね」
「?」
彼女は首を傾げ、不思議そうな顔をした。
私は、貴女の事をもっと知りたいのだ。
…ああ。このまま貴女と此処にいたい。
また城に戻らなければならないのが辛い。
城に戻るとすぐにハリソンから連絡が来る。
…ユイに何かあったのか?
急いで屋敷に戻る。
彼女は、午後を休みにして、一人で街に出掛けようとしていた。何故?あんなに危険だと言ったのに。
…鍵をかけて、部屋に閉じ込めておけば良かった。
こういう時、彼女の心が読めない事が悔やまれる。
屋敷の門の前で、彼女を待つ。
彼女は、私を見ると驚いた顔をした。
「アリオン様…何でここに?」
「ユイ。何故、一人で出掛けようとするのです?」
「え…あの、そんなに悪いことですか?」
「一人では、危険だと言ったでしょう?」
「それは聞きましたけど…今まで、特に危険な事はなかったですよね?」
「私が貴女の側にいたからですよ!」
ビクリとする彼女に気が付き、ハッと息を吸う。
また怖がらせてしまった。
「すまない…でも、ユイに何かあったらと思うと…恐ろしくて…」
「そんな…心配しすぎです。私、いい歳ですし」
「関係ない。失いたくないんですよ」
「え?」
「一目見た時から、ずっと。貴女を愛しています」
彼女は、少し目を泳がせながら言った。
「えっと…お断りしても…?」
「え…?何故?分かるように教えてください!」
必死に懇願すると、彼女は口を結んでから言った。
「あの…どうして、私の事をそんなに簡単に愛せるのです?私の事、全然、知らないのに」
「あの森の中で、一目惚れしたのです」
「それこそ、何で?この国の方々は、皆さん、見目麗しくて、いらっしゃるのに。私なんか、足元にも及ばない…」
「何を言っているのです?貴女の、その髪の色も、瞳の色も、小さな身体も、そのすべてが初めてで。とても可愛らしい。他の誰にも渡したくない。他の誰かの目に映す事さえも躊躇う程に」
「重っ…」
「えっ!あ、いや…そのくらい愛おしいって事で」
慌てて、弁明する。
彼女は、大きなため息を一つ吐くと、決意した様に言った。
「私の事を全てお話しします。それを聞いても気持ちが変わらないのであれば、私も真剣に考えます」
私は、力強く頷いた。
私の事を真剣に考えて貰えるなら…そして、貴女の過去を知る事が出来るなら…喜んで。
「始めに…私は、この世界の者ではありません」
――――世界が違う?国だけではなく?
「その髪の色、瞳の色、顔立ち、体つきで、異国の方だとは分かっていましたが、世界まで違っていたとは…思いませんでした」
「そして、年齢は、42歳です」
「えっ!私は、年下だとばかり…」
「私の世界の種族の中で、私の人種は幼くみられる傾向がある様です。だから、無理もありません」
驚いた。彼女は、年上だったのか。
しかし、自分の気持ちが変わることなど絶対ない。
「ですが、ここからが重要です」
私は、息を飲んだ。
「元の世界に、夫と子どもがいます。だから、純潔ではないし、既婚者です」
私は、目を伏せた。
年齢を聞いた時、一番最初に過った可能性だった。
ただ、そんな事、私には何の問題もない。
異国ではなく、異世界であるなら、むしろ好都合。
絶対に、元の世界に帰しはしない。
…どんな手段を使ってでも。
「話は、それで終わりですか?」
「え?あ、はい…」
「構いません」
「へ?」
変わった返事をする彼女の目をまっすぐに見つめて言った。
「構わないと言いました」
「あの?」
「貴女がこの世界にいる限り、この世界では、未婚だし、夫も、子どもも、存在していません」
彼女は、信じられないという顔をした。
「でも、年齢的にも問題では?こんな大きな家柄であれば、跡継ぎとか必要でしょうし」
「ありません」
「え?」
「必要ありません。私に必要なのは貴女だけです」
「何故?」
「愛しているからです」
「いや…愛は冷めますよ?一時の感情に流されてはいけません」
「そんなこと、絶対にないです」
「私は経験したので、間違いないです」
必死に『愛はなくなる』と言い張る彼女に違和感を覚えた。もしかしたら…
「では、ユイは夫と上手くいっていなかったの?」
「……まぁ…そうですね。既にお互い、愛は冷めていたと思います」
思わず、口元が緩んでしまった。
「では、こうしましょう。もしも、私が貴女を愛さなくなった時は、莫大な慰謝料をお支払し、離縁に応じます。それは、もちろん、貴女が私からの愛を感じなくなったらで構いません」
「そんなの、私に有利でしかありませんが…」
「構いませんよ」
彼女が、安心できるように微笑んで見せた。
そして、大切な話を始める。
「あの…先程の話で…純潔ではないと言っていましたが…その…どのくらい経験がおありですか?」
「え?ええっと…関係を持ったのは夫だけですが」
「そうですか…」
ホッとした。
「それならば、なお、問題ないですね」
彼女の瞳をまっすぐに見て言った。
「未亡人や後妻みたいなものではないですか」
「!!」
彼女は、ハッとした様に見つめ返した。
この国の女は、平気で嘘を吐く。
自分を、より良く魅せるために。
それが、悪い事だとは思わないが、好感が持てるかと言われれば、私には難しかった。
彼女は、自分から不利になる出来事をさらけ出したのだ。…全く。まっすぐにも程がある。
その上、経験も夫のみであれば、何の問題もない。
不貞をしていた訳でもなく、婚姻関係がある自身の相手のみにしか許さないその清らかさ。充分だ。
それからは、彼女を妻にするため、ありとあらゆる手段を使い、彼女を誘惑した。来る日も来る日も。
ゆっくりするのが好きな彼女に、怠惰な生活を提供する。本を読むのが好きだと聞けば、新しい本を、書棚に新調する。香りの強い茶も種類を増やした。
喜ぶ彼女の顔を、隣でいつまでも見ていたい。
半年後。
ようやく、彼女から『愛』を貰えた。
これからも、永遠に彼女に私の『愛』を伝え続けていくだろう。婚姻して、彼女が、クリフォード家の正式な一族となったことで、初めて私の本来の仕事や一族のことについて話をした。
私はその『血』を絶やしても構わないと思っていることも。だから跡継ぎを考えなくてもよいのだと。
彼女は、運命に任せてみようと言った。
私たちが、この世界で出会ったように。
跡継ぎ問題は、すぐに解消された。
第一子は、男児だった。
彼は『蒼き血の一族』として後継者となるだろう。
そして、程なくして第二子である女児が生まれた。
妻によく似た黒髪の可愛らしい娘だ。
絶対に嫁にはいかせない。
私たちの幸せな日常は、永遠に続いていく。
私の妻となった彼女を怠惰に堕とし入れてでも。
――――私の『予知』は、外れない。
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