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馬車はガタガタ揺れながら、道を進んでいく。
顔の覆いは邪魔くさいのですぐ外した。
右の窓からは遠く、十キロくらいか先に大きな壁が見える。
目を凝らすと、おそらくあれは城壁だろうと思われた。
多分あそこがミラクテーの街だろうな。
左の窓からは、高い壁が見える。
何の建物だろう、物音ひとつしない、廃墟かな。
門も厳重に封鎖されている。
そうおもっていると、丁字路になっているところで馬車が右へ90度曲がった。
まっすぐ右の窓から見えた壁へと向かっていく。
僕は馬車の中で寝転んだ。
このまま街に行ける。
で、フェニックスの涙を手に入れて終わり。
……なんだ、簡単にいきそうだぞ。
乗り物で行けるなんてなぁ、ははは。
だいたい、もうこのメイドにお使い頼んだら良いんじゃないのか?
大変だと思ったけど、取りこし苦――
「――うわぁあ!」
馬の戦慄く声。
馬車が急停車した。
「いてて……」
ソファからずり落ちてしまった。
何事かと、窓から顔を出し前方を見ると、メイドさんが御者台から急いで下りて、馬の前へと走っていく。
頭のたんこぶをさすりながら、様子を見に馬車から降りた。
森が目の前に広がっている。
この丁字路を境に、草原と森が分かれていた。
木々の良い匂いがするなぁ。
見ると、メイドさんが馬車のすぐ前で、汚らしい男の子と話している。
「どうしました?」
後ろから声をかけた。
「ご主人様!?」
メイドさんが酷く驚いて振り向くと、ピシッと直立する。
「ご主人様!何の御用でございましょうか!?」
焦って、早口になっていた。
「……いや、ただ止まったからなんだと思って……」
「申し訳ございません!この男の子が急に飛び出してきましたもので!」
傍に立っている小さな男の子を見る。
「助けて……ください、お願い……」
男の子は、弱弱しい声で訴えてきた。
「僕、どうしたの?一人?」
男の子に近づく。
「……母さんたちが、死んじゃって……」
男の子が栄養失調なのが、やせ細った姿からもわかった。
年齢は8歳くらいか。
服も体もボロボロで汚れて、黒く染みたものも見える。
血の跡だぞ、これ……。
「死んじゃったって、どうして?」
しゃがんで、男の子に視線を合わせながら尋ねた。
「モンスターに襲われて……逃げてきて……わかんない……」
男の子が俯く。
モッ、モンスター!?
やっぱりそんなのもちゃんと居るのか!
あのおっさん、そういう事も僕に伝えてない。
なんて適当な仕事、襲われたらどうするんだ、お役所仕事の最たるもんだ!
立ち上がり振り向くと、なぜかメイドさんは困惑と驚愕とが入り混じった表情で、僕を睨みつけるように見つめている。
「この子は保護を必要としています」
僕がメイドさんに言うと、もっと困惑と驚愕とが入り混じった表情になった
「……あの、どうしました?何で睨んでいるんですか?」
「へ?ああっ!申し訳ございません!」
直角に頭を下げてくる。
「ご主人様が、いつもと違うので、驚いてしまって!」
「……そう、ですか?」
……しまったな、いつもと違う行動をしてしまってたのか……。
「ああ……まぁ……そんな事よりこの子を助けましょう」
「ええっ!!」
メイドさんが、髪の毛が逆立つほど驚いて一歩退いた。
「ど、どうしました?」
「へ?ああっ!申し訳ございません!ご主人様が、誰かを助けるなんて、そんな、驚いてしまって!申し訳ございません!」
また直角に頭を下げ謝罪してくる。
「そうなんですか……」
この体の奴はよっぽど酷い奴だったということか?
しかし、いつもと違う行動だからと言って、この子をほっとくわけにもいかないしな。
「お願い、僕を一緒に連れてって!」
男の子は僕を見つめ、強く訴えてくる。
「そうだね、一緒に行こう、もう大丈夫よ」
そう言ってやると、男の子は僕を弱弱しい笑顔で見つめてきた。
体調が悪いんだろう、笑顔でさえ苦痛に歪んで見える。
メイドさんが、またも驚いた表情で僕を見ているのが傍目に見えた。
でももう、ほっとこう。
「僕、名前は?」
尋ねると、男の子は首を振る。
……僕たちを怖がっているのかな……。
「私達、ミラクテーに向かっているところだから、そこに、親戚とかいない?」
「ううん」
男の子は首を振る。
「君も襲われたの?」
「ううん」
「でも、服がボロボロね」
「うん……ねぇ、早く連れてって」
「……えっ、ああ、そうね、行きましょう」
男の子は駆け寄って来て、
「ねぇ、手、つないで」
男の子が手を僕に差しだしてきた。
「うん、一緒に馬車に乗ろうか」
僕がその小さな手を握ろうと手を伸ばす。
森から激しい音が鳴った。
「なんだ!?」
僕も男の子も固まってしまう。
草木を踏みつけ、木の枝が折られる音。
何かがこちらに、猛スピードで向かってきている!
まさかモンスター?
逃げないとっ。
その時、それは森から飛び出してくる。
人だった。
全身を銀の鎧で武装し、長く輝く剣を右手に持って、突風のごとく一瞬で距離を縮める。
声を出す暇もない。
その剣で以って、男の子の腹を突き刺した。
そのまま男の子に馬乗りになり、抵抗し暴れるのを押さえつけ、素早く首を切断する。
目の前で行われた殺戮に、驚きと衝撃で、体が硬直して動かない。
ただ見ているしかできなかった。
鎧の人は男の子の首が切断されると、ゆっくり立ち上がり、剣をしまう。
「ご主人様!」
叫んでメイドさんが駆け寄ってきた。
その手には小ぶりなナイフが握られ、尻尾がピンと立っている。
「落ち着いて」
鎧を着た人が、物静かに優しい声で僕らに言った。
「私はモンスター駆除部隊のテヲ・ライ・ニヨタヒノウ伍長です」
兜でこもっているが女性の声だった。
「たしかに……その鎧はモンスター駆除部隊……ですが、なぜ男の子を……」
「落ち着いて、お二人とも振り返って、その男の子の姿をしたモンスターの姿を見てください」
その人の言われるがまま振り返ると、
「わあぁぁ!」
おもわず声をあげて驚いてしまう。
そこにはドロドロした粘り気のある黄色い液体が地面に零れていた。
さっきの男の子の姿がラテアートのように、その液体の上に描かれているようにあって、そして、どんどん崩れていっている。
「ジャムです」
テヲ・ライ伍長は言った。
「ついに我が国にもやってきました」
「そんな!では早く街に帰らないと!」
メイドさんが叫ぶ。
なんだ……?
……ジャム?
「それは駄目です。あなた方は我々と共に来てもらいます」
「……なぜでしょうか?」
「あなた方が、ジャムの化けた姿かも知れません」
「そんな、そんなわけありません!無礼ですよ、サオン家の令嬢に向かって!」
「サオン家の方……ではこちらの方はそのご令嬢……」
「イノマリ・ヌワ・サオン様でございます」
テヲ・ライ伍長は僕を見ると、困った顔をした。
「どうりで個性的な格好……いえ、どうか事態をご理解いただきたい」
「閣下に伝えてくれれば、私たちがジャムではないと証明してくれるでしょう」
強い語気のメイドにテヲ・ライ伍長は目をそらし、
「……とりあえず私と来てください。あの森の奥の高台です。双眼鏡を覗いていたら、そのジャムが見え、駆除しに来た次第です」
森の奥にある丘を目を凝らして見ると、何か建物があった。
「どうか、共に来ていただきたく」
テヲ・ライ伍長は頭を下げる。
「……ご主人様、いかがなさいましょう」
何か……話についていけてない。
……どうしよう。
ここは従った方が良いよな……。
「はい……そうですね……では、一緒に行きましょう」
戸惑いながらそう答えた。
そう返答すると、メイドさんがまた驚いた顔をする。
「丘の上まで、この馬車に私も載せてもらっても?」
そう聞かれたメイドは確認を取るように僕を見た。
「もちろん、乗ってください」
そう返答すると、メイドさんがやっぱり驚いた顔をする。
「ありがとうございます。搭乗の許し、感謝いたします」
「いえいえ、お礼なんて……」
「では、私の隣へ、御者台へと上がってください」
僕は中、テヲ・ライ伍長とメイドさんが御者台に乗ると、馬車が再び走り出した。