えっと、あの……。人間遊びが大好きなだけですよね?(後編-中ノ壱)
本当に美味しいや。こんなに美味しい水、生まれて初めてかもしれない。
思えば冷や汗をたくさん掻いたからな。
俺の身体はずいぶんと前から水を欲していたのかもしれない。
ゴクゴクゴク。ふはぁっ!
そんな自販機前のリラックスタイムが意味もなく訪れるわけはなく──。
「突っ伏寝くんさ、ぶっちゃけ今、ツーリングデート行きたくなくなってきてるっしょ? 正直に言ってみ?」
「えっ。いや……え?!」
まさかの言葉に驚きを隠せないでいると、次の瞬間、さらに驚かされる事態に──。
「つーかさ、右側のポケットにさっきゴリラが配った意味不なプリント入ってるっしょ? 見えちゃってさぁ。まー、あんな風にあからさまに嫌がられたら気が引けちゃうよね~」
「うぶっ……!」
思わず口に含んだミネラルウォーターを吹き出しそうになるも既のところで堪える。
あ、危ない……。仮にも軽井沢さんからごちそうになったお水。一滴たりとも無駄にはできない。
こぼしたりしたら、逆鱗に触れる!
でもこの流れはひょっとして、ツーリングデートを取り止めようとしている……?
……ありえるのだろうか、そんなこと。
人間遊びが大好きな軽井沢さんに限って、今さら取り止めるだなんて……。
しかし可能性があるのなら縋りたい。
やんわりと、どちらとも取れなくもない言葉で意思表示!
「実はちょっと、差瀬山さんに申し訳ないな……なんて思ってたり思ってなかったり……!」
「だよね~。やっぱそう思っちゃうよね~。でもあれ、わざとだから気にする必要ないよ? あぁすれば突っ伏寝くんのほうからツーリングデートキャンセルするかもって魂胆だから。騙されんなよ~?」
「そ、そうだったんだ……!」
いやあれは間違いなく友橋菌警戒Lvファイブ。
これは俺の人生が物語る経験則。あれを演技でやれるのなら、差瀬山さんは主演女優賞を総なめにできるレベルだ。そもそも差瀬山さんって嘘が下手なイメージあるし……。
だからこれは、俺をツーリングデートから逃さないために諭しているだけ。
人間遊びが大好きな軽井沢さんなら、これくらい朝飯前にやってのけるさ!
とはいえ軽井沢さんに意見するような真似はしない。ここは素直に頷き事なきを得る!
「まぁこんなもんはさ、約束した以上は行ったもん勝ちだから。突っ伏寝くんはしっかりワンチャン狙うことだね~。メリットって言ったらそれくらいしかないっしょ。まぁ、楽しみなよ!」
「う、うんっ……!」
正直、軽井沢さんから求められているであろうツーリングデートの合格点を考えると悍ましくなる。
ワンチャンとは犬ちゃんであり、ワンチャンス。
即ち、一匹のオスになれということ。
しかもそのオスとはワンコではなくオオカミ。
そもそも差瀬山さんは彼氏居るし、俺は見てのとおり未経験のピュアボーイ。
それがわからない軽井沢さんではないはずなんだけど。
ピュアピュアチェリーの俺には身に余る要望。
これじゃ無茶振りが過ぎるよ……。
とはいえ軽井沢さんが怖い。
選択肢なんてあってないようなもの。
興味が薄れ、味のしなくなったガムのようにペッと捨てられるそのときまで、
期待に応え続けるしかない……。
──と、このときまでは本気で思っていた。
軽井沢さんはいちごみるくを飲み終わると、優しくゴミ箱へと放り投げた。そして思い出すような素振りを見せた。
「あー、それから。もうないとは思うけどさ、もしまた似たようなことされたらプリントはわたしに寄こせばいいから。こっちでまとめて前の奴に渡せばいいっしょ?」
「えっ、あ、ありがとう……!」
「さすがにプリントまわせないってのはやばいっしょ。原因作ったのはわたしだし、他にもなにかあったら遠慮せずいいなよね~」
「う、うんっ!」
……あれ。なんだろう。
オタクに優しいギャルなんて幻想だ。ずっとそう思っていた。
でもこれはいったい……なんだ?
“だから気にせずツーリングデートに行ってこい”
おそらく背後にある思惑はこんなところだとは思うけど……。それとは少し違う気もする。
だって「行け」と言われたら「はい」と答えるしかない。俺と軽井沢さんの関係って、こんなところ。
なのに、なんだろう。この違和感。
俺は軽井沢さんを誤解していた……?
遊んだら遊びっぱなしにはせず、しっかりとお片付けをする、のか?
味のしなくなったガムを地べたに吐き捨てるのではなく、ちゃんと紙に包んでゴミ箱に捨てる、のか?
“飽きちゃった。もういらない”
ではなく──。
“ごちそうさまでした。さぁお片付け♪”
と、後始末をしっかりつけてくれるのだろうか。
だとしたら──。
俺が味のしなくなったガムになったそのときには、ちゃんとゴミ箱に捨ててもらえる……?
てっきり地べたに吐き出され、数多の生徒たちから踏まれるものだとばかり思っていた。
道路にへばりつく無残なガムのように──。
俺を待ち構える高校生活は閉ざされ暗闇の中にある。そう思っていたけど……。
それは少し、違うのかもしれない。
ゴミ箱に捨てられるいちごみるくを眺めながら、
だったら俺も、いちごみるくになりたいな。と、強く願った──。
☆ ☆
とはいえ、目の前のことに全力投球!
これを怠ればいちごみるくのように優しく捨てられる未来はまず訪れない。
今の俺に与えられた役目は荷物持ち!
このお役目を不手際のないように果たすんだ!
自販機前の雑談が終わると、当然の事ながら軽井沢さんと共に校内を出て駅に向かう。
同じ高校の生徒たちから向けられる奇異な視線は学校を離れるにつれて強まっていった。
まだ校内に居たときは「なんであの二人が一緒に居るんだろう?」くらいのものだったが、駅に着く頃には「友達?」「恋人?!」「│従姉弟?!」って感じの強い視線へと変わっていた。
普段の軽井沢さんなら、たとえ俺と一緒に歩いていてもこんなあからさまに視線を浴びたりはしないはずなんだ。
だって怖いもん。ただ、それに尽きる。
でもここ最近は傷心中で元気のないサラサラストレートヘア。それがなんとも、おしとやかさを演出してしまっている。
言うなれば、草原でバケット片手にお花を摘む、麗しの乙女──。
それでいて、スカートの丈は変わらずギャル丈ともなれば、そのギャップは銀河を容易く貫く──。
くるっくるの巻き髪なら二度見は怖くてできないけど、今の軽井沢さんなら三度見くらいしても実害はなさそうな雰囲気だ。
運が悪かった。せめてくるっくるの巻き髪なら……。こんなにも奇異な視線に晒されることはなかっただろうに……。
しかしそれをいちいち気にする軽井沢さんではない。時折、舌打ちをする場面はあれど、基本はスルー。
その肝っ玉の強さを少しだけでも分けてもらいたいと思う小市民な俺は、そんな態度を悟られないように必死に平然を装った。
“あーしの隣を歩くのが嫌なの?”
なんて思われたら、よもや命はない!
軽井沢さんの隣を歩けて恐悦至極にございます! こうでなければ逆鱗に触れる!
だから笑顔を多少なりとも織り交ぜながら荷物持ちに精を出した。
「なーんかさっきからずっと嬉しそうだね? まー、突っ伏寝くんって見てて飽きないからいいけどさー」
鑑賞用のおもちゃとしては、まだまだ味のするガムということかな。
「そ、それは……。軽井沢さんの荷物を持てるともなれば、笑顔のひとつやふたつ溢れて然り!」
「はぁ? まじなんなの? いちいちうけるんだけど。どんだけ荷物持ちたがりーなの? 突っ伏寝くんってまじ謎だわー」
「あ、あははぁ……」
でもやっぱり、声をかけられると怯えが先行して上手く話せない。
このままじゃきっとだめだ。家に帰ったら発声練習でもしようかな。
俺はいちごみるくになるんだから!
☆ ☆ ☆
そうして、本日最大の事件は電車の中で起こってしまう──。
平日の昼下がりということもあり、特段混み合っているわけでもない車内。しかし座席は見事に埋まっていた。
これには正直、ホッとした。
軽井沢さんと肩を並べて座るなんて恐れ多いにもほどがあるからだ。
しかも座った場合、手提げ袋をどうするかが難儀だ。まさか床には置けないし、上に置くのも気が引ける。誰かが間違って持っていたともなれば、俺は即刻お墓の中だ。
と、なると膝の上に乗せるしかない。
しかも落ちないように両手を添える必要がある。
軽く手を添えるくらいならとも思うけど、この手提げ袋はずっしりと重たくそれでいて袋をパンパンにさせている。……俺の予想が確かなら、中身は衣類系。
いかに袋の上からといっても触っていい物ではない!
だからそれだけを懸念して学校から駅まで歩いてきたくらいだ。
本当に良かった。何事もなく荷物持ちの任は果たせそうだな。
なんて思いながら、電車の中を歩く軽井沢さんについて行くと、定位置を見つけたのかドアを背に寄りかかった。
軽井沢さんはスマホをポチりながらも、当たり障りない会話を振ってくれた。
「そういえばバイクはどんなの乗るの? あんま詳しくないから言われてもわかんないんだけどさー」
「び、ビッグスクーターを買おうかなって!」
「あ~、それ知ってる! なーんだ。そういう系統だったのか~! バイクヒーローとか言ってたからイメージと違ったな〜」
「う、うん! い、妹がビッグスクーターがいいっていうから!」
「はぇ~。妹なんて居たんだ。なんかぜんぜん想像つかないし。しかもそれで車種決めちゃうとか、ちょっとうけるかも。見かけによらずシスコンじゃん!」
「あ、あははぁ……!」
俺との共通の話題なんて針の穴を通すほどに見つけにくいはずなのに、息を吸うように会話が繋がる。そして瞬時に広がる。
まともに受け答えができているか怪しいのに、そんなのお構いなし。
コミュ力の違いを見せつけられるとともに、生物としての格の違いをもひしひしと感じる。
恐れるべき存在であることを再確認する。
と、このタイミングで電車が激しく急停車をした。
──キキィィィイイイー。
「うおっ、とっ!」
不意なことで、あわや軽井沢さんに覆いかぶさる既のところで……ピシィッ! なんとか耐えた!
しかし──!
手提げ袋が地面に着く0.2秒前!
あぶない──ッ! 緊急回避──!
身体をねじるようにして、手提げ袋着地の阻止に入るッ!
どっりゃァァああ!
動けぇぇええ! 俺の身体ぁぁああ!
──ズッドーン。
「はぁはぁはぁ……」
無我夢中だった。視界は切り替わり、車内の天井が見えた。
俺は手提げ袋を守れたのか……?
お腹の上にずっしりと重たさを感じる。あぁ、良かった。本当に良かった。
手提げ袋は床に落ちることなく、俺のお腹の上に乗っていた。
「ちょっ、突っ伏寝くん?! 大丈夫?! どんな転け方だし?!」
「う、うん。平気平気!」
「まじうけるんだけど……。なんなの? 本当に大丈夫なの?」
言いながら手を貸してくれて立ち上がる俺は、恐れ多くも軽井沢さんの手を握っている現状に戦慄を覚える、そんな最中──。
軽井沢さんは険しい顔を見せると、そのまま引き寄せるように手を引っ張った。
そして、俺の顔を覗き込み、これまた険しい顔で首を傾げた。
「突っ伏寝くんさ、ちょっと顔上げてみ?」
「えっ……?」
めちゃくちゃ近い。軽井沢さんの息遣いを間近で感じる距離。
ひょっとしてこれは、ガン垂れ?!
「んー……。なーんかさっき一瞬、違和感あったんだよなー……」
しかし険しさは増すばかり。ガンを垂れているのとは少し違うっぽい?
それに違和感ってなんだろう?
そんなことを思っていると、次の瞬間──。
軽井沢さんの手が伸びて来て、俺の目前を掠めた──。
ひぃ……!
しかしそのまま優しくおでこに触れると、前髪をかきあげた?!
……え?
驚きとともに視界が一瞬で広がる。
前髪というノイズなしでクリアに映った世界に現れたのは、麗しの乙女。
元気のないサラサラストレートヘアは飾られた人形のようで、とても人を殺せるようには見えなかった。
それどころか──。
耳を澄ますと草原のせせらぎが聞こえてくるようで、優しさに溢れているとさえ思えてしまう。
今まで感じていた命の危機に疑念を抱くも、事は最大限にまずい方向へと傾いていた。
「あー……。前髪を上げるだけでだいぶ印象変わるなぁ~。へぇー……。びっくり……」
前髪……。あ……れ?
バリアが……前髪バリアが……!




