表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
強欲の結末  作者:
1/2

前編

元伯爵令嬢と、その元婚約者と、彼を略奪した異母妹。

ありがちな配置から作ってみた、ありがちからは少しズレたお話……だと思います。

「エヴァ、少しいいだろうか?」

「良くないに決まっているでしょう、オズワルト伯爵家次男ロドルフ殿。よりにもよって婚約者の異母妹に惚れ込み、瞬く間に姉から異母妹に乗り換えて婚約者となっておきながら、未だに元婚約者(エヴァ)を愛称で呼ぶだなんて、一体何を考えているのかしら? それに、エヴァは今、()()()()()()()歓談の最中なのだけれど、それくらいは見れば分かることではなくて?」


 王立学園のサロンにて。

 愛しい恋人であり正式な婚約者となったヴェロニカのため、彼女の腹違いの姉エヴァ──エヴァンジェリカに意を決して声をかけたロドルフは、同席していたエヴァの親友に情け容赦なく撥ね付けられることとなった。

 とは言え、その言い分は全て正論であり、相手は間違っても逆らっていい相手ではないので、内心怒りを覚えながらも何とか騎士の礼を執る。


「ぐ……ご、ご無礼申し訳ありません、アレクサンドラ王女殿下。ですが私の方は、緊急の話なのです。どうかエヴァと、いえエヴァンジェリカ嬢と二人だけで話をさせていただけないでしょうか」

「……『二人だけで』ですって?」


 再びの失言に、アレクサンドラの柳眉が跳ね上がる。


「あ、いえ! その、おかしな意味ではなく!……ただ、これはエヴァンジェリカ嬢の実家、クレメント伯爵家に関わることなので、出来ることならば内密に話し合いたいと思っているのです」

「あら、そうなの。エヴァ、どうしましょうか?」

「申し訳ございませんが、ロドルフ様。ご存知のように、わたくしは伯父であるバーヘイゲン侯爵の養女となりましたので、クレメント家とは既に無関係の立場ですわ。ですので今となっては、実家について話し合うことなど、わたくしには何もございませんのよ」


 アレクサンドラの陽光のごとく輝かしいブロンドとは対照的な、月光を帯びた夜の清流を思わせる艶やかな黒髪が、さらさらと華奢な肩を滑る。

 母を除いた家族全員が癖のある赤毛のロドルフは、エヴァの全く癖の付かない髪が珍しくて、昔は彼女に許可をもらって髪を触らせてもらったものだ。

 今は当然そんなことはできないし、何より最愛のヴェロニカに余計な心配をさせたくないので、したいともしようとも思わないが。

 それでなくとも今のヴェロニカは、義務とは言え猛勉強を課された上に、姉と比較され続きで精神的に参ってしまっているというのに。


「君にはなくともこちらにはある。とりあえず、この手紙を読んでほしい。義父上(ちちうえ)……クレメント伯爵と、ヴェロニカからだ」

「まあ。今や血縁上の繋がりしかない娘や、持ち物を全て取り上げて用無しのはずの姉に手紙だなんて、珍しいこともありますのね」

「本当ね。特に伯爵の方は六年前に、愛人とその間にできた娘を引き取ってからは新しい家族にかかりきりで、エヴァのことは視界から除外してしまったようだったのに。()()()()()()()()


 王女の痛烈な当てこすりには何も言えない『誰かさん』である。


 確かに二人の言う通り、未来の義父クレメント伯は、二人目の妻と娘を溺愛している。彼女たちが伯爵邸で暮らすようになってから、以前にも増して寂しげなエヴァの様子を、ロドルフは何度も目にしていた。

 でも、心配して声をかけても彼女はロドルフを頼ってくれず、ただ気丈に振る舞うだけだった。


 エヴァにしてみれば、将来は伯爵家を継ぐ身なのだからと、ただそれだけを拠り所に、如何に精神的に辛くとも人に弱みは見せられないと、立場に相応しくあるために気を張っていたのだ。アレクサンドラのようにそれを理解してくれる者もいたが、生憎ロドルフは察せられるほど鋭い人物ではなく、よそよそしい様子の婚約者に踏み込むこともせずただ憤りを抱くだけだった。

 弱きを守る騎士を目指して日々鍛練を重ねる彼にとっては、女性とは自分を頼って然るべきであり、そうしようとしてくれないエヴァには、自分は頼り甲斐がない相手と見なされているのだと判断してしまった。実際のところ、いわゆる脳筋のロドルフは、領地経営等の実務面ではほとんど当てに出来ないので、その判断は必ずしも間違いではない。


 そんなロドルフが、姉とは正反対に感情のまま振る舞い、可愛らしく甘えたりおねだりをしてくるヴェロニカに惹かれるのは時間の問題だった。たとえそれが計算されたものだったとしても気づける彼ではなく、生涯最初で最後の恋に目が眩んでいれば尚更である。


 先に伯爵の手紙に目を通したエヴァは、苦笑しながらそれを興味津々のアレクサンドラに渡す。

 いくら王女相手でも、差出人に断りもなく他人に手紙を見せるのは──と言いたくとも言えないロドルフの前で、次に異母妹の手紙を開いたエヴァは、レディらしくもなく吹き出して、しばらく肩を震わせて声もなく笑い転げていた。

 その反応は、憔悴しきった婚約者の様子を知るロドルフには許容しがたい代物で、殊更に冷たい声になってしまう。


「──ヴェロニカは一体、君宛に何を書いたんだ?」

「あ、あら、失礼。想像以上に泣き言だらけでしたのでつい……婚約破棄の際に、貴方と二人寄り添ってあんなにもきっぱりと、『お姉様以上に良い当主になって、ロドルフ様と一緒に伯爵領をもっと繁栄させてみせます!』などと言っておきながら、()()なのですもの」


 ひらひらと差し出されたヴェロニカの手紙を、ロドルフはひったくるように受け取って読み始めた。


『──お姉様、お元気ですか? まんまと私に大変なお役目を押し付けて、ご自分はめでたく侯爵令嬢になってさぞ楽しい日々を送っているのでしょうね』


 素直で優しく愛らしいヴェロニカの、のっけからあまりにもらしくない皮肉げな文章に、ロドルフの眉間に皺が寄る。要はそれだけ、クレメント家の当主教育が厳しいということなのだろうが。


『私は今、お姉様の元教師の皆様に一日中しごかれる日々を過ごしています。お姉様が十年以上をかけたカリキュラムの内容を、私が十八歳になるまでの二年間で全て叩き込まなければならないのだとか。そんなの無理に決まってるのに。

 お父様に緩めてもらえるように頼んでも、全然聞いてくれなくて、今ではもう学園に通う時間もないくらいです。酷いですよね。

 まさかとは思いますけど、この先生たちの厳しさはお姉様の差し金ですか? だとしたら、いくら何でもあんまりです』


 クレメント伯爵家は、建国からさほど間を置かず興った家柄であり、貴族の中でも歴史ある家として重要視されている。ロドルフのオズワルト家とは爵位こそ同格だが、それ以外の家格は比べるべくもないというのが周囲の認識だった。もっとも、現当主による極端な娘たちの扱い──特に、完璧に教育を施した後継者であったはずの長女を、社交界の噂になるほどに冷遇した挙げ句、他家の養女になることを選ばせてしまうような立ち回りのせいで、これまでの評価は既に地に落ちてしまったようなものだが。


 噂話には疎いどころか興味そのものがないロドルフは、婿入りする家の悪評という、本来ならば真っ先に知っておくべきことさえ把握していないほど脇が甘い男だが、それでも貴族の一員として、家を守るためには多くの力や努力が必要であり、それは一朝一夕では身に付かないと分かっている。実際に兄やエヴァの頑張りを目にしてもいたから尚更だ。

 だから正直、ヴェロニカの言い分は甘すぎるとも思うのだが……


(まあ、仕方ないよな。彼女はまだ、貴族となってから六年ほどしか経っていないのだし)


 ロドルフのヴェロニカへの評価も、同レベル以上に甘いものだった。


 ──ロドルフ様との結婚のためですもの。立派な当主になるために頑張ります!

 ──あの……ロドルフ様も騎士としてお忙しいのは知っていますけど。出来れば一緒に、当主教育を受けることを考えていただけませんか? 勉強の休憩時間もあまりなくて、なかなかゆっくりお会いできないから寂しくて…………そう、ですか。任務は、大事ですものね。はい、大丈夫です。一人なのは寂しいですけど……


 当主教育が始まる前に可愛らしく宣言した姿や、会える時間がなかなか取れないせいで甘えてくるヴェロニカの様子を思い出し、彼の口元が緩む。

 が、次の文でその顔が盛大に強ばった。


『夫婦になるのだし、ロドルフ様にも私をフォローする義務がありますよね? だから一緒に教育を受けてほしいと思ってお願いしたのに、騎士のお仕事が忙しいからとすげなく断られてしまいました。確かにロドルフ様はお勉強が苦手だと言ってましたけど、大変な状況の婚約者(わたし)の様子を見れば、少しくらいは時間を割いて、一緒に頑張ってくれると思っていたのにがっかりしました。

 確かロドルフ様との婚約は、『クレメント家次期当主の婿となる』ことが条件でしたよね? 私としても、期限内に教育を終えられる気がしないし、何より察しが悪くて、私の手助けを何もしてくれないだろう未来の旦那様にはもううんざりです。

 なのでお姉様にお願いがあります。是非とも我が家に戻ってきて、またロドルフ様と婚約してくださいませんか? お姉様なら当主教育も終わっているし、周りの助けなしでも伯爵家当主として完璧にやっていけますよね。以前はロドルフ様とも仲良くしていらしたのだから、婚約を結び直せばまた上手くやっていけると思います。

 あ、でもお姉様がクレメント家にお戻りになったら、伯父様が寂しがってしまうでしょうね。それなら私がお姉様の代わりに、バーヘイゲン家の養女になれば丸く収まると思うので、お姉様の方から話を通してくださると嬉しいです。

 大好きなお姉様にまたお会い出来る日を、クレメント家でお待ちしています。──貴女の可愛い妹、ヴェロニカ』


「……愚かさと身勝手これに極まれり、という手紙ね。確かにこれは笑うしかないわ。この『可愛い妹』とやらは本当に、エヴァの持つ全てを手に入れなければ気が済まないようね。()()()()()()()は簡単に捨ててしまおうとするくせに」


 ロドルフが知らず取り落としていた手紙を、拾い上げたアレクサンドラが読み終えた感想がこれだった。

 完全に呆れ返りつつ、強調したあたりで意味深長に目の前の騎士を見やると、立場に相応しい大きな体躯を硬直させて立ち尽くしているだけだった。


 そんな彼を気にも留めずに、エヴァはまだ笑いを止められないまま、目尻の涙を拭いながら言う。


「そもそも、わたくしはバーヘイゲン侯爵の実の姪であり、後継者としても見込まれたからこそ養女になれたのですけれど。血の繋がりが皆無な上に、クレメント家の当主教育にすら耐えられない令嬢が、より格上の侯爵家の跡取りになどなれるわけがないでしょうに。まして、()()()()()()()()()()()()()()()()()()、欠片程度にでも自覚があれば、バーヘイゲン家の養女になりたいなどとは絶対に思わないはずですわ。……本当に、どこまでも愚かで可愛らしくて強欲な異母妹(いもうと)だこと」

「愛娘の本心は知らないまでも、クレメント伯爵も今では完全に、彼女に次期当主は到底務まらないと骨身に染みているようね。手紙だけでもかなりの平身低頭で、切実に貴女に戻ってきてほしいのだということがよく分かるわ。でも今更、ねえ?」

「ええ、今更ですわ。仮にわたくしが実家に戻ったところで、クレメント家の社交界での評価は最早、地に潜りかねないレベルですのに、そんな家の次期当主を引き受けるなど考えなしにもほどがあるというものです。……まあ、ヴェロニカは望んで次期当主の座を手にしたのですから、せいぜい努力して立派な女伯爵となり、生涯をかけて勤め上げてほしいものですわね」

「その生涯がどれだけ続くかがまず疑問だけれどね。下手をすればそのうち、色々な意味で耐えられずに命を落としてしまうのではないかしら? まあ、現当主と婚約者の手助けがあれば、先に家が潰れるくらいで済むかもしれないけれど」


 妙齢の美女たちが交わすにはあまりにも冷酷な会話の内容に、流石のロドルフも硬直から回復して割って入った。


「恐れながら、アレクサンドラ殿下! 国の重鎮たる伯爵家の存亡についてそうも軽々しく口になさるなど、一国の王女としては如何なものかと存じます!」

「あら、そうね。でも一つ訂正させてもらうなら、クレメント家はバーヘイゲン家とエヴァに縁を切られた時点で、重鎮などという立場ではもうなくなっているのよ? 婿入り予定の貴方には残念でしょうけれど、将来の自分の立ち位置に関係する情報くらいは積極的に集めておくのが賢明だわ。如何に性に合わないことでも、能力的にも性格的にも人脈作りが絶望的な未来の奥様よりは、貴方のほうが社交界での情報収集はしやすいでしょうから、せいぜい頑張ることね」

「な……! そんな、馬鹿な……!」


 愕然たる面持ちで、悪い方へと一瞬で書き換えられてしまった未来と、最愛の婚約者にも愛想を尽かされているという現実に絶望していると、不意に背後から柔らかな男性の声がした。


「待たせたね、エヴァ。迎えに来たよ」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ