1-9.第9話 庵でのひととき
薄暗かった部屋は今、ランタンモードにしたライトで優しく照らされている。それを取り出した時にシアンタとひと悶着あったのだがここでは割愛する。シンに「イカス」という幻聴が聞こえた事も割愛する。
「お祖父ちゃんは高名な魔法使いだったけど偏屈ものでね……」
シアンタは鍋をかき混ぜながら話し始めた。
「風の便りで亡くなったと聞いて、この場所を探すための旅に出たの。私おじいちゃん子だったから。それでこの場所を三年前に見つけて、お墓を作って……」
そう言って懐かしそうに微笑む。彼女の脳裏には幼い頃の自分と祖父の思い出が蘇っているのだろう。
「話の腰を折って済まない。亡くなっていたと聞いたならば何故この終の棲家を探す必要があったんだ? 死んだと教えてくれたものに聞けばいいだろうに」
「教えてくれたのがこの子だったからよ」
そう言うと詠唱を始める。すると部屋の中に小さなつむじ風が起こった。
説明するなら風に色を付けたらこうなるだろう、そんな感じのものだった。しかし埃を巻き上げることもなく、ただそこに風があるという事が『見える』という不思議な現象だ。そしてその見える風も人の形をしていた。
――ワイヤデ――
「……」
何故、一地方の訛りがあるのだ。
「フロウは祖父に懐いていた精霊なの。だからこの子が私の前に現れて、悲しい風を送ってくれて……だから分かったの」
「……そうか、それは大変だったろうな」
「遺体はこの小屋のベッドの上で干からびていたわ。フフ、まるで干物みたいに……」
「シアンタ……その、何と言っていいか……」
『興味深い現象です。既にそこに居たものを遅れて知覚するような……これが気づき、あるいは風の便りと呼ばれるものなのでしょうか?』
「「……」」
しんみりした空気など何のその。アニマは風の精霊に興味津々だった。シンは心の中で詫びた。そして、こういう場合にこそ“空気を読む”のだと言ってやりたかった。風の精霊にご教授して貰えと。
「アハハッ」
だがアニマのお陰でシアンタは笑う。精霊は悲しいことが嫌いなのだ。アニマの"精霊”らしさに救われたのだ。だからシアンタは精霊と共にある。
「あ、フロウはこの風の精霊の名前ね。それでこの子に連れられて、ようやくこの場所を見つけて……弔って――」
鍋をドンとテーブルの中央に降ろし、
「――で、こうして毎年訪ねるようにしてるの」
と笑った。
「さ、食べましょ」
――ウマイデ――
精霊はまだ居る。
***
シアンタの用意したのはハーブを入れた干し肉のスープと、テーブルに置いた時にゴトリと音がしたくらい硬く重そうな黒パンだった。
それを二人はぺろりと平らげた。もちろんアニマは食べないのでシンとシアンタの二人である。
パンは堅く酸っぱいもので、シンはいくらか手こずったが、シアンタの真似をしてスープに浸して食べてみると美味かった。塩見と酸味の調和と干し肉の旨味。ハーブが臭みを消して、一つの料理として完成していた。酸味のあるパンは初めてだったが、これが中々悪くない。
しかし食べ盛りのシンとしては量は足りない。
「しばらく滞在する予定だから、あまり出せないの。ごめんなさい」
と謝られてしまった。顔に出ていたようだ。
そこでお礼もかねて大量に持ってきた携帯食を振る舞うことにした。
バイクに積んでいた分以外にも携帯している食料は一週間分ある。アニマが余分に持たせた物だったが腐らせずに済みそうだとほくそ笑む。
ちなみにこの場合の腐るは、持ち腐れの方の意味である。シンの持ち込んだ食料は開封しない限り腐ることはない。
「さあ、好きなものを選んでくれ」
「……なにこれ?」
シアンタはテーブルに並べられた物に首を傾げる。
それは立方体。キューブ状の固形物だった。大きさは一辺が親指の第一関節程度。赤、青、オレンジ、白、緑、と様々な種類が並んでいる。小さく文字も掛かれているが、もちろんシアンタには読めない。
「おすすめはオレンジのカレーセットだ。いや辛いのが苦手なら白のビーフシチューがいいかもしれない。ああエルフはベジタリアンが相場だったな。それなら緑の山菜尽くしにするといい……あれ? さっき干し肉を一緒に食べたな、じゃあ違うか」
「ちょ、ちょっと。そんなにまくし立てられても分からないわよ!」
食べること対して静かにテンションが上がるのが、シンの特徴の一つである。
『私は青のハンバーガーセットをお勧めします。パン食が主流のようですから』
「そう? なら青にするわ。ありがとうアニマ」
『どういたしまして』
シアンタもアニマに随分と慣れていた。やはり精霊の一種であると勘違いしているようだ。
「じゃあ俺も……そうだな、赤の牛丼セットにしよう」
シンはそう言って赤いキューブを手に取った。
キューブを手に取ったシアンタがおもむろにそのまま噛り付いた。
「……うう硬い」
「おいおい、これは携帯食なんだ、丈夫に決まっている。説明するから待ってくれ」
「……このまま食べるんじゃあないのね」
涙目でシンを睨むがしょうがない。どうやらシアンタも食い意地が張っている性格らしい。
しかしシアンタは携帯食と聞いて、未知の食べ物への期待を下げた。
この世界では携帯食が硬いのは当たり前だ。乾燥させて日持ちを良くするためだ。そして味は塩を利かせすぎてしょっぱい。噛んだ感じ、干し肉なんて目じゃないくらいに硬かったのだ。
「開けてるからしっかり見ていてくれよ。これはこうやって……ここを捻じる」
シンは包装を爪で剥がし、出てきた小さなツマミを捻り、テーブルへ置いた。
「……どうなっているの? 魔法?」
シアンタが驚くのも無理はない。それは見る見る大きくなり、小さな重箱位の大きさになった。
牛丼セットは二重になっており、味噌汁、お新香も付いてさらにお茶も付いてくる。ボリューム満点でアニマもおすすめの一品だ。
「圧縮という技術を使っていて、開封しなければ……ほら、こうして戻すことも出来る」
ツマミを元に戻された箱はまた小さくなった。
「食べ終わったら蓋を閉めて、また小さくしてポイだ。燃やしても安心な素材でできているぞ。さあ試してみろ」
シアンタは同じように操作する。すると目の前に同じ大きさの箱が出来た。
「ツマミのある方が上だ。小さい時はいいが、大きくしている時はひっくり返さない方がいい。中がぐちゃぐちゃになる。確かハンバーガーセットも二重箱だったはず。こうやって捻ると分かれる」
シンが箱の上部を持ち軽くひねるとカパりと二つに分かれた。
「で、最後に蓋を開ける。カトラリーも一式入っているから便利だぞ」
シンの開けた箱には八角形の容器が噛み合うように並ぶ。一番大きなものを掴みだして蓋を開けると牛丼が湯気を上げて入っていた。もう片方の箱には、味噌汁、お新香、そして真ん中に七味唐辛子の入った小さな四角柱の筒、箱の隅には箸とフォーク、スプーンが入っている。
「……凄い」
シアンタは湯気を上げる見た事のない料理と、それを収める容器の質に驚かされる。シンプルな乳白色の器だったが、こんな奇麗な形をしたものなど、それこそ貴族くらいしか使わないだろう。
くぅ。匂いに当てられて小さくお腹が鳴る。
「そっちも開けてみるといい。それじゃじゃあお先に、いただきます」
シンが器用に二本の棒を使って食べ始めたのを見てつい慌てる。取られないとは分かっていても、そうゆう気分になるものである。見よう見まねで箱を二分割して蓋を開ける。
一段目には大きなハンバーガーなる料理と、二段目に、変な容器に細い棒状の食べ物が詰め込まれたもの。そして八角形の箱が二つあった。
「白パンに……お肉と野菜を挟んであるのね。凄い贅沢な食べ方……」
料理の方は奇妙な調理法だが、見知ったものの組み合わせだった。しかし白パンなんて食べるのは久しぶりだ。
白パンは美味しいけれど日持ちはしないし、なにより高い。毎日食べられるのは貴族くらいだ。それに知っているものよりも何倍も柔らかく、とてもいい匂いがする。
そして挟まれた肉。何の肉か分からないが、ジュワジュワと油がこぼれ出していて、まるで焼き立てのようだ。もう我慢できない。
「い、いただきます」
シンの真似をして呟くと、豪快にかぶり付いた。
「――ッ」
歯に当たったその感触にまず驚く。柔らかいのだ、白パンも、肉も、そして野菜さえも。
「~~~」
口の中で混然一体となった味の暴力が彼女を襲う。
パンはふかふかでほのかに甘い。肉は油たっぷりで温かく香辛料も入った贅沢な一品。そして野菜は全く青臭くなく、筋(硬い繊維部分)もなくシャキシャキと噛み切れる。
シアンタは無心でハンバーガーを腹に詰め込み続けた。
「ああ、それの開け方を教えていなかったな」
急にかけられた声にびくりと肩をすくませる。別に取られると思っている訳ではない。訳ではないのだが、身体が反応してしまう。
シアンタは冒険者。中々に苦労しているのだ。
のどに詰まらせる前に慌てて口に入っているものを飲み込んだ。
「……ンく。え、なに?」
「それ、飲み物なんだが、ちょっと開け方が特殊なんだ」
シンがそう指さすのは、細く黄色いナニかと一緒に入っていた八角形の箱だった。
「これ?」
と持ち上げる。不思議な手触りだな。シアンタはそう思った。
「そうだ、ちょっと貸してみろ」
「はい」
「見てろ」
渡されたソレをシンは両手で横にして持ち、おもむろに引っ張る。すると箱が蛇腹状に伸びた。その形はまさに大きめのコップである。
シンはその状態でシアンタに返す。
「そこに入っているストローを、その印の部分に刺して飲むんだ」
「麦わら? ああこれね。これをここに刺す……と。なるほどね、子供の頃カエルのお尻に突き刺して遊んだことがあるわ!」
「そ、そうか……」
まさかそんな残酷な遊びが例えに出てくるとは思っていなかった。シンは異文化コミュニケーションの難しさに思いを馳せた。
ちなみにストローの語源は麦わらであるので、そのまま翻訳してしまった為である。この世界に麦わらをストローとして飲食に使う文化はまだ一般的ではない。
そしてシンのそんな思いもシアンタの声で霧散する。
「な、なんこれっ、甘いしシュワシュワする!」
その答えで飲み物の中身の見当がついた。
「ああやっぱりコーラか。ハンバーガーにはやっぱりコーラだな。ハンバーガーに合うわけじゃあないが、やっぱりコーラだ」
そう、八角形の箱にはコーラが入っていた。両側から引っ張ることで蛇腹状の胴体が伸びて、中で材料が瞬時に混ざりあい、ジュース生成する仕組みだ。
ハンバーガーという肉料理に甘いコーラが会う筈はないのだが、それでもコーラなのは伝統だろうなとシンは頷く。
「……不思議な味。でも美味しい……」
始めはおっかなびっくり飲んでいたシアンタ。それも次第に落ち着き、コクコクと飲んでいた口を離し、そしてフウと感想を漏らした。
「そのフライドポテトも冷めないうちに食べたほうが美味いぞ」
「これ? そのなんとかポテトって……どういうものなの?」
「どういうものって……芋だが」
「芋……これって芋なの!?」
「……そうだが」
『固有名詞は少々翻訳に齟齬ができるようですね』
とアニマ。
警戒して損したとシアンタは苦笑する。そのひょろりとした長さが、何かの虫なのかと勘違いしていたのだ。
「もうっ! そうならそうと早く言いなさいよ。こんな変な形に切ってあるから何かと思ったじゃない」
「そういうものか?」
「そういうもの!」
と言ってひょいとポテトを口に放り込む。
芋なんて食べ飽きている。びっくりさせたお返しとばかりに勢いよく食べてやるのだ。
この芋! こいつめ食べてやるぞ。
「……美味い」
だがその思いもあっさりと感謝に変わった。
芋さん食べ飽きたなんて言ってごめんなさい。
「シンプルなのに何故か美味いよな」
シンはうんうんと同意する。彼はもう食べ切っていて今はお茶を啜っている。
「どうしてただの芋なのに――」
しかし手は停まらない。手は口に運んだ途端直ぐにポテトと呼ばれた細い芋に伸びる。また口へ、その繰り返しだ。
「やっぱり揚げ方じゃないか?」
揚げ方――!! 芋を油で揚げるなんてなんて贅沢! シアンタは食べる手を休めず心の中で叫んだ。
***
「……ご馳走様でした」
「はいおそまつさん」
結局シアンタは無言で全てを食べ切った。お腹も心も満たされる味は、冒険を続けてきた彼女の心を大いに癒すものだった。
もう一つ残っていた飲み物はアイスコーヒーだった。炒った豆を砕いて抽出したもの、と説明されると彼女は素直に飲んだ。
苦いが不思議と悪くない。ただシンに、後で砂糖とミルクがあると言われた時は睨んでしまっていたが。
「芋を油で揚げる、か……油は何度でも使えるし、芋は安い。新しい商売になるかも」
空になった箱の中身を見てポツリとつぶやく。
彼女の心の中はあの料理をまた食べたいという欲求で一杯だった。その思いが商売という方向へと逸れていく。買えば自分で作る必要もなく、何時でも食べられるようになる。
芋は貧民の主食だ。基本焼くか、煮るかの二択である。油はそれだけでお金がかかる。だが商売としてならどうか。一度油が用意できれば芋は安い。それに何時でも手に入る。単価を安くして大量に売りさばけば、あっという間に油代など回収できるだろう。
「それにあの形……」
あの細長い切り方は直ぐに火が通るように考えてあるのだ。直ぐに揚げられるということは燃料代も安く済む。
「本当によく出来てる」
『酸化した油は体には良くありません。定期的な交換をお勧めしますが』
「え、……ああごめんなさい。私が商売する気はないわ。ただ思いついただけ」
考えに没頭していたシアンタはその声で我に返る。
ご馳走してもらっておいて、その品で商売を考えるなんてどうかしている。どうやら美味しいものを食べて相当気が緩んでいるようだ。
「ごめんなさい。変なこと言って」
「別に構わない」
「お金も払わず不躾な……え?」
「別に商売したいというなら構わない。こちらもご馳走になったんだ、金もいらないぞ」
気まずげに反らしていた視線を、その声の主へと向ける。そこには朴訥とした表情の青年が此方を見ていた。
何を気にしているのか分からない。そんな表情だ。
「……本当に?」
シンは頷く。
「あのフライドポテト? というのは見た事もないからきっとお金になるし、あのハンバーガーもそう! 大金よ! どこかに作り方を売りつけるだけでも! だから……その……本当にいいの?」
「ああ構わない……だが俺は作り方を知らないぞ」
ここで改めて疑問が浮上してきた。あえて事情があるのだろうと押し殺してきたものが口を吐いて出た。
「貴方達いったい何者なの?」
*
シンは「どうしようか」と改めて考えた。異星人、もしくは異世界人のファーストコンタクト。
シアンタに対してそれは、これまでは上手くいっているはず。
しかし「何者か」と問われた際の返事は考えていなかった。
ここは正直に話すべきなのだろうか。それとも現地人として振る舞うべきなのか。シンは測りかねる。
――イッチャエイッチャエ――
――コクハクコクハク――
『なにか混線しているようです』
シンはアニマの声に心の中で同意する。あのフォトンという精霊と会話してからこうなのだ。これまで出てきたフォトンとフロウという名の精霊の声が聞こえるのだ。それも今まで以上にはっきりと。
しかも召喚されていない筈のフォトンの声までするのはどういうことだ?
『私達の技術と、この惑星の力とは、親和性があるようですね』
心の中で肯定。
――ムツカシイノナシ――ラブッテ――
――ソヤソヤピーストラブヤデアンハン――
『この混線も、脳波感応通信ならば、慣れればオンオフが出来るようになるでしょう』
そうでなければ困る。本当に困る。
「もう、急に黙って……そんなに言えない事なの?」
シアンタが眉を八の字にして、悲しそうに言う。
「いや……何と説明すればいいのか考えていてだな」
――イケダキシメッ――
――ソコデチューヤチュー――
『取り敢えず話してみてもいいのでは。害になるようでしたら拘束して艦に放り込んでおきましょう』
――エー――
声を揃えて残念がっている……精霊二人のヤジがうるさい。
「……分かった」
「決心がついた?」
「ああ」
拉致するというのはいただけないが、記憶の消去位なら問題ないだろう。
未来特有のガバガバ倫理観を発揮したシンはシアンタに洗いざらいを話すのだった。