2-5.第5話 オークの村からエルフの国へ
『オークはエルフの近縁種であるようです』
宴会が終わり。酔いつぶれた者のためにと、好意で泊めさせて貰ったツイバミの屋敷。その一室でシンの元に、そんな報告がアニマからもたらされたのは、夜も更けた頃だった。
「何故そう断言できる?」
布団の中でシンは寝返りを打ちながら尋ねる。
背中側にはグリントが大いびきで寝ている。酔いつぶれたのは彼とシアンタの二人。ヒュータン号まではそう遠くもない所に留めてあるが、夜の森を酔っ払い同伴で歩くのは骨が折れる。それにツイバミが泊まっていけと勧めてくれたのだ。断る理由もない。それに歓迎の宴会で振る舞われた酒を、あっさり薬で素面に戻すのは気が引けた。
酒に酔うのは楽しいものだというのはシンも知っている。それと二日酔いの苦痛も。
まあそんな訳で有難くシン一行はツイバミの屋敷に厄介になっている。もちろん女性陣はアニマも含めて別の部屋。
今のアニマとはナノマシン通信による会話である。
『ツイバミからもたらされた情報と、遺伝子検査の結果からです』
「カツラの冒険か……」
あの話は冒険譚として面白いというだけでなく、その他にも興味深い様々な事柄が織り交ぜられていた。
特に気になるのは、カツラと共に居たという精霊が冒険のさなか、彼に幾つもの助言やあおる言動をしていた事にある。
助言は的確であったり、意外な結果をもたらしたし、あおる言動は冒険を危なげながらも実りあるものにしていた。
『物語の精霊は、オークという種を促進させようという意思を感じました』
「……結構ふざけているようにも感じるが」
『それは、精霊にも何か意図があったのでしょう。それにツイバミの側に居た精霊フローラが酩酊現象を起こしたとシンが言っていたように、オークは精霊になにがしかの干渉能力を持っていると推測されます。そのせいでしょう』
たぶんそれはない。と、精霊と直接会話できるシンは断言出来た。
精霊とは子供の様な気質を持つのだ。であるからこそ破天荒なオークであったカツラと意気投合も出来たのだ。そんな彼等が『種の促進』など考えるだろうか? いやない。
『ともあれ。オークは遠いエルフを祖とする近縁種であることは間違いありません。ツイバミの不思議な力も、魔法、精霊両面の可能性も踏まえて調査しています』
「……ああ、頼む……」
しかし眠い。麻酔を打たれて長い間眠っていたにもかかわらず、再び睡魔が襲ってきている。どうやら久しぶりの宴会で、思っていた以上にはしゃいでいたのだろう。
『シン? ……お休みなさい』
アニマの囁くような声を脳裏に聞いて直ぐに、シンの意識は深い無意識の井戸に落ちていく。
そういえば――カツラと共に居た精霊の名は何だったのだろう?
ふわりと浮き上がった些細な疑問。だがそこでシンは意識を手放した。
***
翌朝。
オーク達の見送りの元、村を発ったシン一行はそのままヒュータン号で、更に奥にあるというエルフの国を目指す。
「おーなんなのじゃこれは!? ぴかぴか光っておるこれは?」
『決して、決っして触らないでください』
ツイバミがコックピット席ではしゃいでいる。
何故こうなったのか。それは時間をさかのぼる必要もない程に簡単だ。ツイバミが付いて行きたがった。そして誰もそれを拒まなかったからだ。拒めなかったとも言う。
「我は耳長の国に行ったことも、面識もある。向こうの警戒心も薄れようもの。感謝せえ!」
と彼女が言うように、確かに初めて訪れる場所に知見を持つ者の存在は有難い。だがヒュータン号にはシアンタとキリカ、二人のエルフが居る。
キリカは初めて訪れることになるので案内としては勘定に入らないが、今行く場所はシアンタは出身地である。案内人は彼女で事足りてはいるのだ。
とまあ、そんな内容をシアンタがぼかして伝えた所。
「なにお言うか! シアンタは耳長でいわば身内。間者の可能性をも我は考えておるのじゃ!」
と無理のある言い訳をしだして呆れさせた。
間者というのは古い言葉で内通者、スパイの意味である。ツイバミが年の功だと前置きして語るのは「シアンタが自身の国に連れ込んでシンを篭絡しようと企んでいる、可能性もなきにしもあらず、じゃ」とのこと。
「そんなことしないわよッ!」
と流石のシアンタもキレた。しかしそこは海千山千のオークの長老。
「それは言い過ぎじゃった。だが異種族の目がある、というのはエルフが気付かないような痒い所に手が届く、という事もある。そんな時に我じゃ」
とのらりくらり。
久しぶりにエルフの国に訪れたいという彼女の意向もあり、シンが「構わない」と許可したことで呉越同舟と相成ったわけである。
*
「その席は私のお気に入りなのに……」
はしゃぐツイバミの後ろ。コックピットシートの後ろでシアンタが恨みがましい様子でサブシートに座っていた。
彼女達が居る場所はヒュータン号のコックピット。正規の席は二席しかない狭い空間である。これはこの試作新造艦が、如何に作業人員を減らせるかを試した意欲作であるため。
実際に、コックピットは人が操縦する必要が無いほど自動化されている。これもアニマという優秀なAIが居てこそ、そして権限の多くを彼女に持たせているというこの艦の特徴でもあるのだ。
「まあ、物珍しいんだろうし好きにさせてやってくれ」
直ぐに飽きるだろうし、とは言わず隣に座ってその様子を眺めていたシンがツイバミの肩を持つような発言をした。
彼にとってはツイバミはどう見ても子供。実年齢がどうであろうと見た目というものに人は引きずられるものだ。実際にも顔には出さないが、彼女のはしゃぎっぷりを微笑ましく思っていたのだ。
「シンがそう言うのなら……」
この船の主が許可したのなら文句を言う筋合いはない。とはいえ面白くはない。
「私の空飛ぶお城が……」
この歯噛みしているシアンタと呼ばれる冒険者エルフ。シンに人攫いから助けられた、とか、見知らぬ世界の技術に触れて圧倒されていた。などの理由により快活ではあるが大人びた知的な性格だと周囲からは思われている。
だがそんな事では国を飛び出して冒険者などという荒くれな職業に身を置こう筈もない。放浪するエルフをオークが「変わり耳長」と呼ぶにはそれ相応の理由があるのである。
シアンタの本性、は実にしたたかなエルフなのだ。
彼女は周囲が思っている以上にこのヒュータン号に入れ込んでいるのである。そしてこの船を第二の古巣として世界中を巡りたいと思っているのだ。エルフの王国へシンを招くのもその布石である。
彼女の描く計画はこうである。
先ず国にシンを別の世界から来た人類であることを認めさせ、シンを代表とする自治組織として認定させる。そしてヒュータン号を小さな国として、エルフとの国交を確立させるのだ。
シンとアニマはこの世界では根無し草。この世界にある国との繋がりは彼等にも利がある事だし、友好を望むシンなら素直にその提案に従うだろう。
となれば必要となるのはエルフとシンの標榜する地球国連盟との橋渡し役である。つまり大使である。
となれば領事館や大使館が必要となる。そうなれば占めたもの。
シアンタはシン達との今までの付き合いを前面に押し出し、大使役を買って出るつもりである。そしてヒュータン号の一室を大使館とするのである。いや大使になるのだからもう一部屋くらいは貰える公算が高いかもしれない。
「でもヒュータン号の部屋は少ない……いえ、船という観点からすれば天国の様な素晴らしい部屋なの……でも」
ヒュータン号の居住可能人数は15人としている。その内の一人はパイロットである。多目的強襲艦として設計、建造された艦ではあるので一時的な収容なら三桁は可能ではある。だがしかし、このヒュータン号にはもう一つの隠された、公然にはされていない暗黙の了解という意味ではあるが、秘密がある。
それは要人輸送艦としての役割である。
護衛対象や組織の重鎮など、重要な人物を安全かつ快適に目的地へと送り届ける艦としても設計されており、それ故の立派な居住区と娯楽室などの完備。そしてパイロットを含めた作業要員を少数とする運営思想なのだ。大人数が乗っていなければ警戒する人間も少なくて済み、身内で固めることも可能なのだ。
「アニマは部屋を使っていないから除外するとして……シン、グリント、キリカ、それに私。残りの部屋は確か11部屋」
艦内見学は最初に済ませてあるから間違いない。海を行く船の艦長室よりも豪華な部屋がそれだけあるのは、船としては多い……けど少ない。古巣の知人たちへの交渉材料とするには。大使になる為の餌としてはあの部屋は破格の材料になる。
話は変わるが、彼女の今の幸福は、部屋で庵から回収した祖父の蔵書をコーヒーを飲みながら読みふける事である。カティと似た飲み物であるコーヒーだが、渋みが無くすっきりとした苦みがとても気に入り、お茶請けのケーキとの相性も抜群だと常飲している。そして疲れたら大浴場でゆったりし、娯楽室でゲームと呼ばれる遊戯で遊ぶ。
この一連を体験した彼女は既に都会かぶれした若者の様な面持ちになっている。ずばり「田舎になんか帰りたくない」に似た心境だ。
ちなみに遊戯室はVRなどSF的なものではなく、大衆旅館のゲームコーナーのような雰囲気である。体験した軍人にはその方が受けが良かったのだからそうなっている。
景品の出るクレーンゲームの類もあり、シンの計らいで専用トークンがシアンタ達に幾らか支給されている。
シアンタの部屋には最後に一枚で手に入れた宝物となったぬいぐるみが、ベッドの上で可愛く鎮座している。
『シアンタ』
「ハヒ!?」
『どうかしましたか?』
「い、いえッ、なんでもないわ!」
思考の海に潜っていたシアンタはアニマの声に引き戻されてバクバクと鳴る心臓を必死で抑えた。良からぬ企みである自覚はあるので尚更だ。
「で、どうかしたの? もう着いた?」
『いえ、事後報告になって申し訳ありません。貴方の祖父の蔵書を勝手に閲覧してしまいました』
「え”」
「俺からも謝罪する。一言断るべきだった」
とシンも頭を下げた。
するとどうだろう。
シアンタの顔が真っ赤に染まっていくではないか。
「どうした?」
我らが唐変木はその妙な態度に訝しげであるが、アニマは彼女が何を考えているのか察しがついた。
シンは忘れているが、庵にあった蔵書は魔法書の類のみならず、世俗的な物、いわゆるエロ本も含まれいる。そしてシアンタがその愛読者であることをアニマは知っている。
「そ、それは、その……あ、あれとはか、そのッ」
しどろもどろである。
「……どうしたのじゃこの娘は?」
外を見ていたツイバミも、その異様な反応に気付いて不思議そうに尋ねる。
「あ、あれはおじいちゃんの趣味……ではなくて学術的……そう学術的なもので」
『私達にとっては全てが貴重な資料です。量が量でしたのでシンには見せず、概要だけを教えています。そうですよねシン』
「ん? そうだがそれが?」
シアンタは察した。アイコンタクト……いやアニマのアンドロイド形態は今ここには居ないので目は無いが、女性同士の相互理解で把握したのだ。
艶本のことはシンには伏せていると。いや伏せてはいないのだが忘れているなら同じこと。
「まあ回収した時に、資料として複製したことを言っておくべきだった。済まない」
「ま、まあ盗んだり、傷めたりしなければ問題ないわよ。それにあの量じゃあ私だけで内容を全部理解するのは無理だしね」
気を取り直したシアンタは訳知り顔でそう返した。
よく考えればあの量の本だ。自身が艶本を愛読していた等とシンにも分かり用はない、と。まあアニマは知っているのだが。
『ありがとうございます』
「ありがとうシアンタ」
「ま、世話になっているしね」
「??? なんじゃ?」
シアンタは知らない。アニマは女の勘で、彼女がこのヒュータン号に執着している事実に感づいたことを。
シアンタは気付かない。取引の材料として、艶本の有無を匂わせた事を。
したたかになりきれないのは彼女の若さゆえか、それとも本質なのか。それは本人さえもあずかり知らぬことである。
*
『目的地に到着いたしました』
「もう着いたの!」
と驚くキリカ。
「ん~……ずっと森しか見えやせんが」
と訝しげに外を眺めるグリント。
「我も随分と昔に来た以来じゃから分からんの」
と呑気なツイバミ。
狭いコックピットに一同が介し、皆でモニターに映る外を見る。
外は何時もと変わらぬ樹海さながらの大森林である。これまで地形を確認しつつゆっくりと飛んでいたとはいえ、この森の広さにシンは舌を巻いたほどの広大さだ。
「ここからは歩いて行くわ。結界にぶつかったら何を言われるか分からないから」
そう胸を張って宣言するシアンタの指示により、一同はヒュータン号を降りることになった。
『では後部ハッチへ移動してください』
アニマの指示により向かったのは格納庫兼搬出用の出入り口となる広い空間である。ここからバイクのホイッスルや、装甲服のアイギスワン。荷物などの出し入れを普段はしている。緊急の場合は付属する転送装置を使うのだ。
「これは……また」
シンは目の前に鎮座する物体に言葉を濁した。
それを自身は知ってはいる。しかし実際に見たのはこれが初めてである。
「視覚的に警戒されないように、と用意しました。この世界にはゴーレム、と呼ばれる動力体が存在するようですし」
運転席から降りて来たアンドロイドのアニマがそう説明してくれた。
しかしシンは納得がいかない様子。
「これを、ゴーレムと言い張れるかな?」
「大丈夫でしょう」
「ううむ」
「なに文句言っているの! いいじゃないコレッ!」
「はええ……旦那は何でも持っておるんですねえ」
「可愛い!!」
「なんというか……美味そうじゃな」
惑星アルファ組には好評である。
「俺に取っちゃ歴史で学んで以来の骨董品なんだが……歩行の歴史だったか?」
喧々諤々と人が騒いでいるその前に鎮座するのは新たな乗り物。その名を『ウォーキングビークル』。名は体を表す、というように車体に足の付いている“歩く乗り物”だ。
それは見た目はずんぐりむっくりとしていて短足。口さがない者は「鼻の短い豚のよう」と評するだろう。機体カラーは白。ちなみに『ウォーキングビークル』はこの系統の乗り物の総称であり、この機体の商品名は『ピピフット』である。
この乗り物は、生物にとっては移動法として最もポピュラーである脚部、そのの機械的な再現方法が確立した、そんな時代に産み出された商品の一つである。
車輪走行よりも燃費が良いと盛んに世に出され、注目を集めたのだ――が、しかし。「遅い」「揺れる」「メンテが面倒」など散々な結果に終わり、結局一部のレジャー用具としての普及にとどまった不遇の名作である。
名作である、と断言するのは先ず燃費が恐ろしく良かったこと。自身の重心を推進力に変換することで驚くべき効率を産み出したこと。そしてもう一つ、未舗装路や山岳地帯、狭い隘路でも標準搭載されていたセンサーですいすい進めたのである。
そうして一部の者達は愛好し、長らく使われて来た『ウォーキングビークル』、略して『WV』であったが、迫りくる技術の波に押し流され、あえなく博物館でに沈んだのである。
それがシンの目の前にある。彼のご先祖様であったら「なっつかしーー!」とはしゃいだであろうが、残念ながら子孫は初見であった。
「もちろん軍の備品ではないんだろう?」
「はい。視覚で友好性を表す乗り物をと設計図を検索していたらこれを見付けまして。可愛かったので作ってみました」
「かわいい……」
可愛いのか?
「いいじゃない、私に相応しい優美なシルエットね!」
「白じゃなくてもっと華やかにしたいですね」
「いや、どうせなら焼けた色に艶をじゃな……」
女性陣には大うけである。
「可愛いのか?」
声に出してしまう。
「いや、あっしにはちょっと……」
その声を拾ってくれたのはグリントだけだった。
こうして過去の名機は相手を警戒させず、ゆっくりと接近するのに最適だと、再び異世界の大地を闊歩することと相成ったのである。
*
「わぁ~全然揺れないですね!」
「馬車なんかよりよっぽど快適ね」
「ふへぇ~ホントに歩いてますぜ」
「ヒャヒャッヒャ! シンの側におると飽きぬのう!」
森の木々を縫うように、ピピフットは進む。
六人乗りのその巨体は大型動物のように見えるのか、野生動物も驚いて逃げてしまう。
その様子を助手席から眺めて、そういえば今だに魔物を見たことが無い、と気づくシンである。
運転はアニマが行っている。器用にハンドルを捌いているが、実際には必要のない操作である。AIであるアニマなら直接動かすことが出来るのだからとシンが尋ねると「楽しいからです」と率直な理由が述べられた。
それには同意すると肯定したシンであるが、なんとものんびり進むピピフットに揺られていると、バイクのホイッスルが無性に恋しくなった。あと馬車にも何時か乗ってみたい。
馬車などシンの世界では、一部の趣味人か高貴な身分の者しか乗る機会が無いのだ。
「で、どれくらいで着くんだ?」
「へ? ああ結構離れた所で降りるように言ったからもうちょっと掛かると思うわ」
シアンタの蔵書により魔法の知識も随分と溜まったシンとアニマであったが、国が発動している大規模な魔法を警戒した故の、今回の行軍である。ヒュータン号はその巨体さ故に小回りが利かないのだ。
「センサーにも引っ掛からない、光学的にも不可視なフィールドか……軍の技術者連中が聞いたら徹夜ではしゃぐだろうな」
ヒュータン号建造に関わっていたシンも面識のある彼等の顔が脳裏をよぎる。ああいう者達の情熱はある種の病気だ。
「不可視化もジャミングもヒュータン号は出来ますが……空間に作用する、それも国ごと覆う広大な装置は存在していませんから」
「アニマが言うならそうなんだろうな」
そもそも“国を隠す”などと体逸れた事を考えた施政者など歴史上存在しない。あるとすれば海に沈んだ国とか、蜃気楼で隠された、などオカルト方面になってしまうだろう。
「エルフの国ってどういう所なんだろう……」
キリカの呟きは誰に向けられたものではない。しかしその声に不安が混じっているのには誰もが気付いた。
「大丈夫よ。私みたいなはみ出し者が居れたくらいにはチャランポランよ」
「ちゃらんぽらん……」
「いい? エルフの国の成り立ちってのがね――」
翻訳の関係で古い言い回しが多くなるのは分るが、シアンタの説明にシンは笑いそうになった。チャランポランとはすなわち『いいかげん』という意味合いだ。
「――ってわけで、エルフの国なんて精霊を遊ばせるおもちゃ箱みたいなものなのよ」
「我は若い頃に行った限りじゃが……いや言葉の綾で、まだ我は若いぞ!」
「な~に、気に入らねえならまたヒュータン号に戻ればいいんでさあ。種族にこだわる必要なんかありゃしませんよキリカ嬢ちゃん」
グリントはその小さな頭にポンと手をのせて笑いかけた。
「……はい! そうですね!」
キリカは獣人の親の間に産まれたエルフという奇特な経歴がある。チェンジリングという異なる種族から異なる子が産まれる、非常に稀な生まれなのだ。
それゆえ寿命も異なり両親は既に他界していて、キリカは一人で生きてきたのだ。外に出る事が滅多にないエルフという種族。シアンタと出会った彼女はエルフの国へと共に向かうことを望んだ。
それは望郷の念によるのか、はたまた打算的なものなのか。当の本人も自身の決断を計りかねていた。
「そういえば、キリカに精霊の加護とやらを授けるのもエルフの国に行く目的だったな」
シアンタが以前言っていたことだ。
「そうよ。エルフには最低一柱の精霊が付いているものなの」
「一柱?」
「なに?」
「いいや」
一柱二柱は神を数える際の単位である。精霊を信仰しているエルフならばそう数えてもなんら不思議ではないが……精霊と会話できる側としてはツッコミを入れたくなったのだ。
「まあいいわ。それでエルフは幼い頃に精霊殿に集められて、そこで一生共に過ごす精霊と出会うの。それが加護精霊の儀、と呼ばれる儀式になるわ」
「なるほど……」
そんなに大仰なものではなさそうだ。シンはそう思ったのだがキリカは違ったようだ。
「はわ~……そんなものに私が出ていいのですか?」
「フフフ、エルフの子供なら誰でも出れるから大丈夫よ」
そうの様子はまるで仲の良い姉妹のようだ。
*
「そろそろシアンタの言った境界線です」
「ああ、そうみたいね。アニマいったん停まって」
ピピフットが停止するとしゃがんだ昇降姿勢をとる前にシアンタは飛び降りた。今のピピフットはオープンモードで屋根が無いのでそれが可能だ。
「どうするのじゃ?」
ツイバミは前方を眺めるも何もない。ただ同じように森が続いているだけである。
「貴方も一度は来ているんでしょう? それならお付のエルフの迎えがあった筈よ」
「む~ん……そうじゃったかの?」
頭を捻るツイバミを尻目にシアンタは懐から何かを取り出した。それは小さな小瓶のようだ。
「それはなんだ?」
「う~ん……通行証のような物ね」
それの封を解くと、おもむろにピピフットにふりかけだした。
「これはエルフの国で採れる特殊な薬草を煎じた物なの。つまりこれを持っているということは――」
「エルフの国にゆかりがあるという証明になるのか」
「そういうこと!」
振りかけ終わって、
「さ、これで大丈夫よ、行きましょ」
と、シアンタが乗り込もうとしたその時――
「動くな!」
と鋭い声が森を切り裂いた。
「……どうやら向こうの方からお迎えが来てくれたみたい」
「お迎えと言うのか? 随分物騒だが……」
会話をしつつ、シンは直ぐさま行動する。ピピフットを降りシアンタの側に立って警戒だ。
「物は言いようってやつね」
「喋るな!」
こちらが見えているであろう、声の主。しかしその姿は一向に見えない。
『私のセンサーにも反応がありません』
ナノマシンを介してアニマがそう告げる。彼女は運転席で何時でも動かせるように待機状態だ。
「ということは不可視のバリアの内か……」
ここはエルフの領域、その境界付近である。つまりは現代科学の粋を集めて製造したヒュータン号ですら見通せない領域がすぐ目の前にあるということだ。
恐らく声の主はその中に居るのだろう。
「シアンタお姉ちゃん!」
「大丈夫よ」
キリカの不安げな声に優しく返すシアンタ。しかしその彼女も戸惑って見える。
「これが普通ではないのか?」
「まあ、ね」
お迎えはお迎えでも、手痛い歓迎というやつだ。
「よし! 我の出番か!」
「じっとしててくれ」
どうにもツイバミはトラブルメーカーの気質があるように見えて信用ならない。シンは己を棚において失礼な事を考えている。
「あわわわわ」
グリントは突然の事態に目を白黒させるばかりである。
「全員、その不可解な魔物から出てこい!」
また声がするが、その声は初めの声とは違う。どうやら複数人いるらしい。
「私はエルフよ! 乗っている子の一人もエルフ! どうしてこんな所で足止めされなければいけない訳!?」
「黙って指示に従え」
またも違う声。どうやら聞く耳は持たないようだ。
『声の発信源は不完全ですが特定できますが、木々によって音波が乱反射しています。しばし時間が掛かるかと』
アニマの計算速度であればたった一声でも容易く位置を特定、そして射撃できる。いわゆる音紋索敵というものだ。
しかし森の様な障害物の多い場所ではそれでも時間が掛かる。そして目標が声を出した場所でじっとして居る保証もない。
あまり音を頼るのは当てにはならない。
その時ナノマシンで強化されたシンの耳に、キリリと木材を擦るような音が聞こえた。
「シン!」
同じくそれに気づいていたアニマが声を上げる。
これは弓を引き絞る音だ。
――ヒュン――
風を切る音と共に眼前から矢が現れる。虚空から突然だ。結界の向こうからの攻撃。
だがしかし。それは人を狙ったものではなかった。
――カン――
小気味よい金属音が響く。ピピフットが矢を弾いた音だ。
「ッ!? 巨大甲虫か!!」
相手からはこちらが見えているのは間違いない。そしてどうやら相手は愛嬌のある四足歩行の乗り物を最大の脅威と感じていた様子。
しかし甲虫とは。まあその丸いシルエットは見ようによってはそう見えなくもない。そう、上から見ればだ。
「……木の上に居るのか」
「ッ!? 喋るなと言った!」
どうやらシンの発言がお気に召さなかったらしい。先程よりもドスの効いた声であった。
「もう! ただの客人を連れて来ただけだって!」
「黙れと言った!」
シアンタの仲裁にも頑なに応じない。
どうやらピピフットでの移動が、エルフ達の警戒度を上げてしまった要員らしい。見た目が可愛かろうと、見たこともない乗り物というのは理解されないものだった。
「ゆっくりとその魔物を下げろ!」
と可愛さ効果作戦は失敗のようだ。
「さて、どうするか……」
初めて遭遇する捉えられない相手にシンも歯がゆく感じてくる。
――どうにかならないものか。
――マホウダヨマホウ――
その時精霊の声が聞こえた。
――ケッカイハマホウ――
シンは周囲を見渡すが、何も見えない。
「シンよ! 我はもう我慢がならんぞ!」
「まて」
ツイバミに手で抑えるように合図しながらも、声に耳を傾ける。
――シンハ、イセカイヤーーイウテヨロコンデタンニ、マホウヲアンマツカワヘン――
――ネー――
あの関西弁はフロウという風の精霊か。ということはもう一匹、もとい、もう一柱はフォトンか。
しかし魔法を使えということだろうが、この状況でどう使うのか?
シンはこの世界に降り立ち、先ずはエルフの蔵書から。そしてシタンタの精霊魔法、そして人攫いの魔法、そしてツイバミの重力を操るような不思議な魔法。そういった様々な未知の現象と遭遇してきた。
それらの情報はアニマによって統合、精査され逐次シンへと知識と技術と共に送られて来ている。
しかしシンが魔法を使ったのは二度だけだ。一度は試し打ち。もう一度は人攫いの館での一射だ。それ以来使っていない。
それは何故か。シンは魔法に恐怖を感じたからだ。
今も木の杖を腰に差しているとはいえ、実際には使用しなくても魔法は撃てるのだ。魔法とは人単体で起動する武器といえる。それがシンには危険なものに映ったのだ。
理屈で言えば、子供でさえも魔法を使えれば人を殺せる。もちろん魔法を使う事が簡単ではなく、多くの訓練や資質が必要なのだと、アニマがもたらした情報によって理解している。自分達が魔法を使えるのはズルをしていのだと。
だがそれでも。銃を持つことが合法であった国の歴史がチラついたのだ。
だが魔法とはそれだけの者なのだろうか?
「アニマ。魔眼の章があったよな?」
「え? ……はい、シアンタの祖父の書物ですね」
シンの突然の脈絡もない言葉に、さしものアニマも反応が遅れた。
「それには魔のものを見通す魔法があると」
「そうです。しかし抽象的過ぎておとぎ話か伝説の類と結論づけました」
「だが本当にあったらどうだ?」
「黙れと警告したはずだ!」
またも弓を引き絞る音と共に、風切り音。
「う……!? バカな!」
しかし今度は誰にも当たらなかった。
飛んでくる矢をシンが手で掴んだのだ。
これくらいの芸当ならシンとアニマはお手の物だ。しかも周囲の地形の数値化も完了。音紋索敵も既に完了し、高い精度で相手が何処に居るのか判明している。それこそ身じろぎした僅かな音でさえアニマは瞬時にその姿勢を把握し、シンの網膜に情報を送り続けている。
「え?」
「旦那ッ!?」
窓から覗いていたグリントが悲鳴に近い声を上げる。
「大丈夫だ」
矢が狙っていたのは肩だった。相手を殺すことなく無力化するには理想的な部位であるが、少しずれれば肺か頭に当たる。相手は相当弓の腕が立つということ。
「攻撃されたのじゃ! もう我慢する必要はないのじゃ!!」
ツイバミはそれこそ引き絞られた矢の如く、車内から飛び出した。
「ッ!? オークの赤姫!」
結界の向こうから押し殺した驚き声。どうやらツイバミはエルフの間でも有名人らしい。
「まてツイバミ」
「シン! これだけされてまだ言うかッ!! 無礼どころの話ではないぞ!!」
ツイバミは赤い肌を殊更赤くして激昂している。
しかし当のシンはどこ吹く風だ。
「アニマ。幻を魔法の香水で散らす物語もあったな?」
「……はい。あれは道に迷った少女に魔女が与えた物でした……シン?」
シンの良く分からない質問にも健気に返すアニマであったが、やはり不安になって来たようだ。
「……つまりは魔法とは攻撃だけの物ではない、ということ」
何を当たり前な、と誰もが思った。
――アタリー――
だが次の瞬間。驚くべきことが起こった。
シンが腰に差していた短い杖を手に取り、目の前に向かって一振りすると――
「あ、アレを見て下さい! 町です! 町が見えます!!」
事が起こって最初に聞こえたのはキリカのはしゃぐ声だった。
「ど、どういうことよ……」
シアンタはよろめきそうになる体を必死に堪えて目の前の現象を目に刻み込まんとしている。
「ん? 耳長共が我の怒気に尻込みしたのかの?」
とツイバミ。
「……あんな所に町なんてありましたかね? それに畑も……」
グリントは何度も目を擦っている。
「よし。出来た」
シンは杖を目の前に持ち上げてご満悦である。
「この現象を観測して、結界の情報を多く更新出来ますね……」
アニマは何時の間にか運転席から降りて臨戦態勢だった。その体の力をゆっくりと抜くと、溜息でも混じっていそうな声でそう呟いた。事実、アニマの電子頭脳はこの目の前の状況をせっせと解析し始めている。
「なるほど。これだけ人里から近い場所だったのなら、あれだけ警戒されるのも頷ける」
シンがそう語るのは、木の上に居て弓をつがえている数人のエルフにだ。
「ば、バカ……な」
結界が消えた。いや、大穴を空けた。杖の一振りで。それが信じられず、脳が否定を繰り返している状態。しかし目の前の光景が事実であると認めざる負えない。
「済まなかった。どうしても試したくなったんだ。もう一度戻す」
「……なんだ――」
木の上のエルフが言い終わる前に、再びシン達の目の前が深い森に戻った。
「……」
一同、困惑。どうすればいいのか分からない。
「さて。どうにかして誤解を解かないとな」
「馬鹿ぁ!!」
パカンと音がして後頭部に衝撃が走る。シアンタの鉄拳制裁だ。
「な、なんてことを……ッ!? いいえ、何をやったの!?」
結界が破られるなど国の一大事。しかしそれよりも知識欲の方が勝ったらしい。
「精霊が教えてくれた」
「なッ!? ……な、ななッ!!」
「あのフォトンとフロウっていう精霊だ」
「あ、な!? が……!!??」
「大丈夫か?」
大丈夫なわけはない。
自分が連れて来た客人が、国を守る結界に一瞬とはいえ大穴を空けたのだ。しかも、しかもだ。その術を教えたのが常に共に居る加護を受けたフォトンと、祖父の精霊だったフロウであるというのだ。
シアンタはシンを責めるべきなのか、それとも己を責めるべきなのか。自縄自縛に陥るしかない。
精霊は元来悪戯好きというが、これはない。これはないよ。
「本当に大丈夫か?」
「あ、うんだいじょぶ」
大丈夫なわけない。
「で、どうするんですかい?」
グリントが席から身を乗り出して尋ねる。どうやら周囲の雰囲気から事態は脱したのだろうと、気楽な様子。年の功というやつだろうか。
「エルフの国はもう目の前じゃと分かったのじゃ。このまま進めばよろしかろうに」
「結界って硬いわけじゃないんですよね?」
一同もリラックスした様子。シンが何かを仕出かして、エルフに一泡吹かせた。それだけで空気が軽くなる。シンの信頼は中々に大きいのだ。
ただ一人だけ様子の可笑しなものが。
「おい、シアンタ。どうするんだ?」
「だいじょぶだいじょぶ、へーきへーき」
大丈夫なのか?
「どうします?」
「こうしていても埒が明かない。全員乗車、ゆっくり進もう」
と、改めてピピフットに乗り込もうとしたその時。
「全員動くな!!」
結界を越えてエルフの兵が現れた。
現れたエルフの兵は数十人。
恰好は木の上で弓を構えていたエルフと似たようなものだった。恐らく正規兵の装備なのだろう。濃い緑色の服の上から軽装な胸鎧を身に纏い、お揃いの革のブーツを履いている。防御力よりも起動力重視。そんな出で立ちだ。
その中でも「動くな」と吠えた人物は比して銃創に見える。どうやら隊長格の人物のようだ。
「抵抗すれば――……シアンドレーヌアンタ様?」
「だいじょぶだいじょぶ」
本当に大丈夫なのだろうか?




