1-20.最終話 立つ鳥跡を濁さず?
「くそッッ貴様ら! 我にこんな事をしてただで済むと思っているのか!!」
シン達の目の前には簀巻きにされたボルブが喚いている。
ボルブとの戦闘はあっけなく終わった。
ただシンが近づいて銃床で小突いただけである。彼はその筋肉を生かすことなく、そして一振りもその剣を振るうことなく、お縄に付いたのである。
「アニマ、少女の容態は?」
『栄養失調、低体温症、重篤な脳震盪、他にも様々な疾患を抱えていましたが治療済みです。今は眠らせてあります』
「……そうか」
そのままであればいずれ死んでいたか、重篤な後遺症が残ったであろう。
「だんな……」
ヒュータン号から降りて来たグリントは、シンの悲痛な表情に居たたまれず、ただそれだけしか言えなかった。
攫われた少女達の中には助からず、人知れず闇に葬られた者も居るのだろう。診断から少女の扱いを知ったことで、そう確信できた。
「でも、なんであんな隠し玉があったのにギリギリまで取って置いたのよ? いくらかっこつけたいからって危ないわよ」
そうシアンタが冗談交じりに問うたのは、あの転送装置のことだ。さっさっと使っていれば剣と斬り合う必要もなかったのだからそう言いたくなるのも分かるというものだ。
「ああ……あれは条件が厳しくてな。本来は動くものに使うモノじゃあないんだよ」
『世界には動かない物体は存在しません。惑星の自転、公転、だけでなく、その中心たる恒星も銀河という渦を中心に公転し続けています。そしてその銀河も――。つまりは座標点を算出する際に高度な計算が必要なのです。まあ今回は対象と転送先が同じ惑星上でしたから、そこまで困難なものではありませんでしたが』
アニマの怒涛の解説に目を白黒させて、
「……ええと、つまり?」
とシアンタは問うた。
「人を対象にする場合は万全を期して実行しないと……ああなる訳だ」
視線の先には腕を無くしてピクリとも動かなくなった騎士が。
「……ああ」
……なるほど分かり易い。
『まああれはわざとでしたが』
「……恐ろしい魔法ですぜ」
「本当に……」
二人はその意味に気付いてブルリと身を震わせる。
転送装置の使いようによっては対象に一切知覚をさせずに真っ二つ出来るわけである。
「それでシン、こいつどうするの?」
「エルフよ! 我のエルフ! 今すぐこの男を殺して我をかいほ――グケッ!」
ボルブは最後まで口に出来ない。シアンタが彼の顔を派手に蹴っ飛ばしたのだ。
「貴族というから生かしておいたが……冒険者ギルドに引き渡すのが順当だろう」
この世界の貴族がどういうものか、未だによく分かっていない現状。殺すのもはばかられる。
「そうね……そうでしょうね。ここで止めを刺したいけれど」
それが本気であることを示す様に、シアンタは細剣を喉元に突き付けて睨む。
「……ヒィィ!」
ボルブはようやく気付き始めた。もしかしてこのエルフは我を愛してはいないのではないか、と。
「ど、どうか命だけは……」
このままでは殺される。今この時だけは命乞いも仕方がない。
「先ずは口を塞ぎましょう……殺してしまいかねないから」
「ッ……」
シアンタの提案に猿ぐつわを噛ませる事にした。
彼女の手際はそれは手荒な物だった。まるで荷物を縛るかのように、少女と同じ思いを味わわせてやるかのように。
「おっかねえです……あっしが生きているのはだんなのお陰です」
縛る最中にも何度も蹴りを入れている。
「……ああ、俺も怖い」
『真面目な性格ほど、と言いますからね』
「なにか言いたい事でも?」
それに全員揃えて――
『「いいえ」』
怒らせると怖い。アニマはシアンタの情報に新しい知識を加えた。
無言にしたボルブは無視して、会話は救出した少女に移る。
『少女はどうしますか?』
「ううむ……それもギルドに任せたいが……」
「あっし達はお尋ね者ですからねぇ……」
「わ、私は違うわよ!」
お尋ね者はギルドの支部で騒動を起こしたシンとグリントの二人である。シアンタはとばっちりを食らう羽目になっているが追われるような事はしていない。
『少女の調書を作成する際に、シアンタに助力を願いします』
調書とは言ってもただ話を聞くという事だ。この世界を知るうえで、情報の数が多いに越したことはない。アニマはそう考えている。
「それじゃあそれも含めてシアンタ、彼女を頼めるか?」
「……まあそれはいいわ。ギルドには行きたくはないけど……それもしょうがないわね」
シアンタは昨日、朝からギルドに呼び出され、尋問かと警戒するほどの執拗な質問責めにあったのだ。
その質問の殆どの内容は「シンとは何者か?」の一言に集約される。
知り合って間もないと、はぐらかしながら何とか誤魔化してようやく昼過ぎに解放されたのだ。
また攫われた少女を連れてギルドに戻ることになれば、その追及の激しさは想像に難くない。
逃れられぬ予感に「ハア」とシアンタは溜息を吐く。
「すまんな」
「まあこれで貸一つチャラね」
「貸し?」
『私が行ければ良かったのですが』
アニマの声で思い起こすはあの金属の骸骨。
「それはもっと混乱するからヤメテ」
『そうですか? ……あれも可愛いと思うのですが……』
あの骸骨のようなゴーレムがギルドを訪れたなら討伐されてもやむ無しだ。
結局シアンタが少女を冒険者ギルドに連れて行くことで話は収まった。
*
「そろそろ夜が明けるな」
空は既に赤から白へ、黒々としていた夜空は青を取り戻しつつある。森は気の早い鳥たちのさえずりが聞こえる。
――オヤクゴメンカー?――
今も周囲をフヨフヨと浮かんでいたフォトンがそう語り掛けてくる。
「ああ助かった」
――マタアナタノヒカリノコニアワセテネ――
「? ……ああ機会があればな」
きっとブラスターの事だろう。仲間だと思ったようだ。
――バイビーウォンチュー――
そう言い残してフォトンは消えた。
「あら? 勝手に帰っちゃったのね。シンに何て言っていたの?」
「ああ、明るくなってきたから帰るとさ」
「そうなの……精霊と喋ることが出来るなんて羨ましいわね」
何十年と一緒だというのにそれが叶わないのは残念だ。
「あ、ああ……まあそうだな」
どう聞いても異世界観から逸脱していることを言っているように聞こえる。翻訳の誤作動だろうが、シアンタに聞かせるのは何故だか忍びない。
「まあ大したことは言っていないな、うん」
「シンはそう思うのかも知れないけれど……まあいいわ。それよりあの子の事が心配ね」
話題が逸れた事にホッと胸を撫で下ろす。
『救護者は医務室で寝かせています』
「じゃあ行こうか」
「そうしましょ」
「……こいつはどうするんで?」
グリントの言うこいつとは足元に転がっているボルブの事である。
「まあ放っておくわけにはいかないな」
『ヒュータン号に載せるのはお勧めしません。記憶消去も面倒……いえ、それなりの手間がありますし』
「あまり言っていることが変わってないわよ」
『私がロボットで監視しておきましょう。ゴーレム? と言うものに似ているようですから問題ないでしょう』
「似ているとは言っていないわよ。ただそんな感じってだけよ」
『まあ誤魔化せるなら大丈夫でしょう』
本当に大丈夫かしらと、シアンタは独り言ちる。
どうもシンと同じくアニマも彼女の目には同類に映る。つまりこの世界の常識に疎く、その技術差に無頓着であるという点でだ。
やっぱり判っていないだろう。私がしっかりしなくては、と彼女は改めて身を引き締める。
「じゃあ行こうか」
三人はアニマの動かすロボットと入れ替わるように、ヒュータン号へと戻るのだった。
***
場所はヒュータン号医務室。
ベッドには簡素な白い患者衣を身にまとった少女が横たわっている。白い部屋で横たわるその姿は、まるで霊廟で眠る古の精霊の様に神聖さを感じさせる。
横たわる少女に近づくと、シアンタは目を見張る。
「あら……この子、もしかしてエルフじゃない!?」
『ですからシアンタに協力して欲しいと願い出たのです』
「……暗くて気付かなかったな」
そう言うシンだが、シフォンに照らされていた時にも、少女がエルフだと気付いていない。
それはボサボサだった髪が今は綺麗に漉かれ、シルクの様に流れる髪の合間から、細く長い耳が見えるようになった、今だからこそ分かる。少女はエルフであった。
『身体的な疲労はありましたが、外傷は一切ありません。軽度の虫歯がありましたがそれも治療しておきましたよ』
「そうか、それは良かった」
「……んぅ」
騒がしかったのか少女が目を覚ます。寝ぼけ眼を擦り、周囲を探る様に見渡す。その視線はシアンタを見てピタリと止まった。
「ママッ!」
「いいィッ!!」
いきなり少女に抱き着かれて戸惑うことしか出来ない。それはそうだ、まだシアンタは140才。
大人びて見えるがエルフとしてもまだまだ子供なのだ。
「……既婚者だったのか。済まないまだ未成年かと――」
シンは大真面目に驚いている。
「未成年よ! 子供も産んだことなんて……」
その顔は真っ赤だ。一体彼女は何を想像したのだろう。
「ママァ……」
「あ、あのねッ、私は貴方のままじゃなくてね……」
「……うん分かってる……」
「え……?」
棟に顔をうずめた少女の口から意外な言葉が漏れて、皆は少し冷静になった。
この少女がエルフであるならば、見た目通りの年齢ではない。エルフはその見た目に精神は引っ張られる傾向が強い所属であるが、知識や経験が損なわれるわけではない。つまり見た目以上に耳年魔になりやすい。
だがそれでも、少女の横顔はシアンタよりもなお、大人びて見えた。
「私の名前はキリカ。皆さんは?」
シアンタから離れると、キリカは興味深く三人を見回す。その顔は好奇心旺盛な子供の顔。
「そう、キリカか。俺はシン」
「シアンタよ」
「グリントっていうケチな老人ですぜ」
『アニマです。この船の運航を任されています』
アニマの声にピクリと身を震わせるキリカ。しかしその声は助けてくれた時に確かに聞いた声だった。
「アニマさん……も助けてくれたんだよね?」
『はい、治療を行いました』
「グリントさんは私を運んでくれてた……よね?」
「へい……意識があったんですかい」
「うん」
朦朧としてはいたが突き付けられた剣も不思議な浮遊感も覚えていた。
「そしてシンさんが、あの悪い人をやっつけてくれた」
「まあ、そうだ」
「……シアンタさんも」
「対して役には立ってないけれどね」
キリカは一人ずつ確認するように声を掛けていく。
そして俯く。耳が赤く、そして肩が震えている。それは泣くのグッと堪える仕草。そして――
「助けてくれてありがとうございました!」
上げられた顔は涙に濡れながらも、それは正しく満面の笑みだった。
*
「キリカちゃん、貴方の氏族名を教えてくれるかしら?」
場所を移して食堂。夜も開けたこともあり、ここで朝食を食べることになったのだ。
そして食べながらキリカの事を聞こうという事で、最初の一声が上述のシアンタの質問である。
「……多分ありません」
「多分?」
「私の両親は獣人族でしたから」
「んん? 君はエルフじゃあないのか?」
奇妙な発言にシンは声を上げた。
そして首を傾げる。キリカはどう見てもエルフの特徴を有している。
白い肌、長いブロンドの髪、華奢な体格。そして長い耳。シアンタよろしくファンタジーに出てくるエルフ像そのものだ。
「もしかして……チェンジリング!?」
「何ですかいシアンタ嬢、その“ちぇんじりんぐ”ってえのは?」
チェンジリング――
いわゆる取り替え子。
同じ種族のつがいから異なる種族の子供がまれに産まれる現象。その確率は非常に低いのではあるが、様々なトラブルが起きやすく、時には不貞の証拠としてその場で殺してしまう事もあったりする。
その為チェンジリングの子供が成人するのは稀であり、また、知られないように隠蔽する等、あまり知られている現象ではない。
この世界でも、妖精が攫った子供の代わりに妖精の子を置いていくと言われているが、取り換えらえたとされる子供の種族は千差万別である。
「――というものなの」
『興味深いですね』
「「っへえ~」」
シンとグリントの声が揃った。
「何よ男二人して気持ち悪い」
二人でしょげた。
「それで、ご両親は……あ」
その表情で察しが付く。
「もう随分前に亡くなりました」
「キリカ……君は一体幾つなんだい?」
「……確か百才は越えたと……それ以上は分かりません」
「う~ん……私の見立てでは100って所だけど、小さいわね」
シアンタが言うには実年齢よりは幼く見えるらしい。しかしエルフの加齢具合など知らないシンは首を傾げるしかない。
「今までどうやって過ごしていたんだ?」
「……両親が亡くなってからは、しばらく孤児院でお世話になっていたんですけど、エルフだとバレてからは町を転々として……ハイテの町に着いてからもそうやって物乞いをしながら暮らしていたんですけど」
「……」
壮絶である。
「人攫いの連中に捕まって……彼らは私がエルフであると知っていたみたいです。耳は隠していたんですけど、まあ成長しない子供がいたら可笑しいって思いますもんね。噂になっていたみたいだし」
「……」
「でも囚われて、あの貴族様の所へ連れて行かれてからは、毎日ご飯が出たんです!」
「うん……」
キリカの壮絶な人生に言葉を失う面々。それをものともしない彼女の明るさにも心打たれる。
「……朝食を続けようか!」
「はい! ここの食べ物はとっても美味しいです! 白いパンなんて初めて食べました!」
「たくさん食べるといいぞ」
「はい!」
今日のアニマの選んだ朝食は、目玉焼きにウィンナー、コーンスープにザワークラウトだ。パンはミルクパンとクロワッサン、イングリッシュマフィン、ベーグルが中央に置かれ、好きにお代わりできるようになっている。
誰もがキリカの食べる様子をつい目で追ってしまう。それはそれは美味しそうに食べるのだ。積まれたパンもモリモリ減っていく。その姿は微笑ましい。
そして小さい身体の一体何処に、あれだけの量が入るのだろう。と誰もがそう思った。
それを眺めていてシアンタはふと気づく。
「……あれ? そう云えば私の事を『ママ』って呼んでいたけれど、貴方の両親は獣人って言っていたわよね?」
キリカはホットミルクで食べたものを飲み下してから、
「……ンク。はい、犬獣人です。……えっと初めて同じエルフに会ったから……」
「……そうだったの……いいわ! これから私の事をマ――」
「というのは嘘で、そう言っておけば庇護欲をそそってくれるかなって」
ピキリ……そんな音が聞こえてくるようだ。
固まったシアンタを横目にペロリとお茶目に舌を見せるキリカ。強かさを隠そうとしない事に決めたらしい。
「どんな人達か分からなかったから、出来るだけ見捨てられないようにしようって……でもこんな凄い朝食を出してくれるんだから、凄いお金持ちですよねっ!」
「……この船の持ち主は私じゃなくてシンとアニマだけどね」
「パパァ!!」
「え…うおぅ」
キリカはシンに突然抱きつく。突然のスキンシップにタジタジである。
『はいそこまでです』
その声と共に、何時の間にか現れた人物がひょいとキリカを抱え上げた。
それは見た事もない人物だった。
白縹の髪はボブカット。瑠璃色の瞳。年齢は十代後半くらいだろうか。女性としてはやや長身で体格はすらりとしている。それを包む服はぴっちりとしていて、その美麗な体の線を明確にしている。
「……誰?」
初めに声を出したのはシアンタだった。
「アニマですが」
「ええ……アニマさん?」
シアンタもグリントも目を見開き驚く。それはそうだ。二人はアニマを精霊だと思っていたのだ。もちろんロボットも精霊が操るゴーレムだと考えていた。
キリカは抱えられたままポカンとしている。
「アニマ、アンドロイドを作ったのか」
「はい。船外活動の必要性が増しましたから。以前より少しづつ進めていました」
「アニマってこの船の精霊じゃなかったの?」
「まあこの体はゴーレムのようなモノです」
「嘘ぉ……人にしか見えない……」
アンドロイドは限りなく人に見せかけたロボットである。
骨格も人体を模した形状をしており、筋肉も再現され、血も流す。しかしそれらは全てが特殊な代替物で構成されている。
骨は発泡タングステン合金。筋肉は電気収縮炭素繊維。血液は赤色人工液。人工皮膚は疑似的に汗もかけるし、体温を再現することも可能。有機物を分解出来る胃があるため食物の摂取で栄養を取ることも出来る。
アニマの創り出したアンドロイド。
その白磁を思わせる白い肌と青系の髪と目も合わさり、まるで美しい雪女を思わせるその姿。人類が到達しうる完璧な美を造形しているという事実が、彼女を造り物であると知り得る唯一の手掛かりだ。
「シン、どうでしょうか?」
「ん? ……ああ、よく出来ているよ」
「いえ、もっとあるでしょう?」
「えーと……そう、奇麗だ!」
「まあ次第点はあげましょう」
ふう……と内心溜息を吐く。
アニマも女性であるという事かと今更気づく。AIにも性別はあるが普通は本人もそこまで頓着しないものだった。しかしここまで意識させられたのは初めてである。流石は最新鋭に積まれたAIアニマだと感心する。……一体何に感心しているのだ?
「アニマさん?」
「これは失礼しました」
抱えていたキリカを降ろす。アンドロイドの身体には少女の体重など羽と変わらない。それは抱えていることを忘れる程だ。
「あ……いいえ、改めて助けていただきありがとうございました」
「これはご丁寧にありがとうございます」
揃って生真面目に頭を下げる様子は何故か微笑ましい。
「アニマの事はママッて言わないんだ」
とシアンタがチクリ。
「だって……こんなに奇麗な人だと……怖気づいちゃった」
「んなっ!」
「私は綺麗じゃないって言うの!」と掴みかかろうとするシアンタをなだめるグリント。それをアニマの影から眺めるキリカ。なんとも騒がしい光景だ。
「そういえばこの世界にもお辞儀が通用するんだな」
「目を逸らすという行為事態が、野生動物でも意味がありますからね。お辞儀の文化はそう珍しいものでもありません」
お辞儀は主に東アジアで多用される、挨拶、お礼、謝罪の行為だが、ヨーロッパなどにもお辞儀はあり、女性はカーテシーを行う。
しかしイスラム圏ではお辞儀は神のみに行う行為であるとされている所もあるので注意が必要だ。
また、目を逸らすという行為は動物においては、敵意を持っていない事を相手に知らせる。相手を見つめるというのは、一挙手一投足を確認する、つまり警戒している際の行動だからだ。
熊に遭遇した場合「目を逸らさずに後退するべし」とされるのは、目が合うほどに接近した状態は、既に熊の必殺の間合い、縄張りを犯している状況であるからである。「こちらもお前を警戒しているぞ」という意思を見せることで、熊にも警戒を促す必要があるのだろう。
もちろん筆者が実際に熊に遭遇したことは無いので、聞きかじりと憶測を述べている事をここに記す。
熊に遭遇するような場所に近づかないのが一番の防衛策であると思う。
――閑話休題。
「……私が頭を下げたのは、シンさんが時折そんな仕草をしていたからですよ」
「ええ、俺そんなにお辞儀してたかな」
「何言ってるの、結構しているわよ。どういう意味か言われて今気付いたわ」
「そうですねぇ……こうやって飯食ってる間もやってましたよ」
そんな風に言われてしまうと急に恥ずかしくなる。
「……気付かなかった」
シンは頭を掻いて照れる。
「日本人の悲しいサガですね」
つまりキリカは短い時間でシンの仕草を観察し、その意味を理解して実行したのだ。
「賢い子ですね」
「俺らよりも年上だけどな」
「私はマザーから産まれたAIですが、人のそれとは違い、知識は受け継がれていますから。それを言うならこの中で一番の高齢者ですよ」
「それはズルくないか?」
巷にあふれるAIは、一から作成されるのではなく、マザーのアーキテクチャを応用して形作られる。つまり全てのAIはマザーの子供であり、分身の側面があるのだ。
「アニマおばあちゃん?」
「……それは少し複雑ですね。これでも私はこのヒュータン号と同時期に設計製造されたのですから」
「……つまりどういうこと?」
「ピチピチということです」
その受け答えは若いのだろうか、とシンは疑問に思ったが口には出さなかった。
*
朝食の後、キリカはヒュータン号を見学したいと言い出したので、アニマは新しい体でその案内を買って出た。慣らし運転に丁度いいらしい。それに船内は彼女の体内も同然である。案内役としてそれ以上の適任は居ない。
こうしてアニマはキリカを引き連れて食堂を後にした。
残ったのはシンとシアンタ、そしてグリントの三人である。
「それじゃあこれからハイテの町へ戻るという事でいいか?」
丁度良いと、シンはこれからの行動の最終確認を行う。
「へえ、それでいいんじゃないですかい?」
「そこでシアンタに、ボルブだったか? あいつの引き渡しと、キリカを冒険者ギルドに預ける――」
「キリカはエルフの国に連れていくことにする」
その発言に彼女に視線が集まる。
「それは構わないが……」
確かに彼女はこの町の出身ではなく、両親ともすでに生き別れている。このまま町に戻ったとしても、ギルドがどう扱うのかは未知数だ。
「恐らくキリカは冒険者じゃない。だから彼女を連れて行っても門前払いになる可能性があるわ」
「それは何故だ?」
「簡単に言えば見た目が問題ね」
確かにキリカは十に満たない位にしか見えない。しかし彼女はエルフ。実年齢は100を超えると言ったのはシアンタだ。
「君が口添えをすれば問題ないのでは?」
キリカがエルフであるとエルフである彼女自身が示せば、ギルドに登録できるだろう。
それに冒険者ギルドは冒険者と名の付く組織だが、その実態は何でも屋の側面が強い。危険な依頼だけでなくそれ以外の雑事も多い。
それならば少女のようなキリカでもやっていける筈だ。
「彼女がどうなったか忘れたの?」
「ああ……そういう事ですかい」
シアンタはまた攫われる事を懸念しているのだ。
「また、ああいう事が起きるというのか?」
シンのその問いに大きく頷く。
「エルフというのは人一倍トラブルに遭いやすい種族なの。そしてキリカは自衛の手段がない……いえ、きっとあるにはあるのでしょうね。あの強かさと、機転の利く性格だから人一倍には」
「それじゃあ――」
「でもエルフとしての力は皆無と言っていいわ」
エルフの力。それがシアンタを若くして銀等級冒険者としての地位を獲得した理由。
「彼女には、キリカには精霊の加護が付いていないの」
シアンタは語る。
エルフはある年齢を迎えるとある洗礼の儀式をするのだという。それにより生涯の友となるべき一柱の精霊を迎えるのだ。そして精霊は育んだ友情によってその力を貸してくれるのだという。
つまり取り替え子であるキリカはその洗礼の儀式を受けていない。
「それは、そうね……人に例えると裸で歩き回っている状態、みたいなものかしら」
つまりエルフから見れば、同族が裸で歩き回っている様に見えるという事。それは非常に不安になる状態だろう。
「ではエルフの国に行って、その儀式をキリカにさせたいと?」
「そう。儀式の年齢はとっくに過ぎているけれど、多分出来ると思う」
シアンタの見せるエルフなりの心配の仕方に、シンはよりエルフの国へ行ってみたいと思いを強める。
「ちなみにシアンタの友になった精霊はフロウなのか?」
「いいえフォトンの方よ」
「……違うのか」
エルフのイメージで何となくそんな気がしたのだが外れたらしい。
「フロウはずっとフォトンと友達なの。その縁で私に力を貸してくれるのよ」
「精霊様を友達にするなんて、やっぱりエルフってえのはすげえですね~」
「おだてても何もでないわよ」
とは言いつつも嬉しそうだ。
精霊を様呼びしてことが気になって、グリントに尋ねてみると、この地では精霊信仰が行われていることが分かった。それは何処でも行われているのか聞いてみたところ、ハイテの町から出た事がないから分からないと謝られる。
しかしシアンタによると、田舎ほど精霊信仰が活発なのだと教えられた。
「ハイテの町は開拓村の中心的な存在だったな……田舎だ」
「まあそういう事、後エルフの国に近いからというのもあるかもね」
とシアンタ。
「近いのか?」
このヒュータン号の目を以てしても、エルフの国の位置は未だに判明していない。
「う~ん近くは無いけれど……人族の治める町としては一番近い、かしら」
つまりその間に広大な自然が広がっているという事だ。
「さて、計画の変更だ」
エルフの国に向かうという目的はそのままで、キリカをエルフの国に連れて行く事に変更。森に転がされているボルブはハイテの町の門前に放り出して置くことに決定した。
「という事だアニマ。ボルブを収容次第、出発しよう」
『了解艦長。記憶操作の準備を進めておきます』
そう端末からアニマの声が聞こえる。アンドロイドを動かしながら他の事をするなど造作もないことだ。
記憶操作はボルブと遭遇した所からの一連の記憶を消去するため。
これは皆で決めた事である。
ボルブとお付の騎士を倒したことを冒険者ギルドに知られると厄介なことになる。それが満場一致の意見だった。
ボルブの記憶を、逃亡中に森で魔獣に襲われ騎士が死んで自分は逃げてきた、という事にしてしまう。
シアンタを追っていたという事実も消す。そうすればシアンタの祖父の庵の場所も知られずに済む。そして人攫いの男達が残したであろう痕跡など、放って置けば大自然の前ではあっという間に無くなってしまうだろう。
「よし、キリカにも伝えよう」
きっと彼女はこの誘いを断らないだろう。目端の利くキリカであれば、それがどれだけ自分に恩恵のあることか、理解できるであろうから。
それに、とシンは思う。
あの時、シアンタを「ママ」と呼び抱き着いたあの感情は、出し抜くための演技ではなく、真に感情が溢れ出したものなのではないだろうかと。
あの、飛びつく間際に見せた表情を一生忘れることはないだろう。
キリカのあの溢れ出るような笑顔を。




