1-15.第15話 老人と子供
静かになった館。そこから聞こえる一つの足音。
「! ……お、おいあんた……!?」
「この子達を保護してくれる所を案内してくれないか?」
騒動に巻き込まれぬよう、入り口の隅に隠れていた老人は、戻ってきたシンの姿を見て驚き、つい声を掛けてしまった。間違いなく死んだと思っていたからだ。
そして連れていた存在にも驚く。連れ去られた子供達だ。どの子も顔を見た事はない。老人は只の扉番だから。
老人はこの屋敷で何が行われているかぐらいは承知していた。堅気ではない男達が、何処からともなく現れては合言葉を唱え、肩に抱えた袋を隠された裏口から運び込んでいく。そして扉の隅で縮こまり通り過ぎるのを待つ。それを繰り返す日々。
袋の大きさはどれもが人一人がすっぽりと入る大きさ。
老人は扉番として、それを見て見ぬ振りを続けて生きてきた。
子供達、とシンは一括りした。だがそれにしては年齢には幅がある。最年少は恐らく6才程度。最年長は10代半ば位である。
その数8人。皆が人攫いの被害者であった。
「ほ、他の奴らは――」
「殺した」
「ひっ……」
初対面の印象が「間の抜けた坊ちゃん」であったシンが放った冷たい声に、背筋を震わせる。
「これ以上犠牲を出さないためにな」
屋敷に居た者たちは総勢21名。誰もが小男の息のかかった男達だ。シンはそれを直接、もしくは壁越しに全てを撃ち殺した。
外に出ていた者達もアニマによって処分された。特に宿に泊まっていたならず者はシアンタの部屋に侵入しようとした所を、アニマの操るドローンに真っ先に倒された。
もちろんシアンタはシンの部屋で寝ていたので、男の侵入しようとしていた部屋は無人である。何とも間抜けな最後となった。
そしてアニマの使った兵器は任意の場所に特殊な電磁波を送り込む効果のものだ。死因は心臓麻痺。彼等は突然死として処理されることになる。
そして最後に、アニマによって事前に把握していた、檻に入れられた子供達を発見、救出したのである。
つまりどんな言い訳をしようと、小男の死は免れられなかったのである。
シンは老人の目を見て言った。
「この子達を頼めるか」
泣き止んだ後、大人しく付いて来てくれる子供達を振り返る。
そしてもう一度頼んだ。
「頼めないか? 俺はこの辺の法に詳しくない。あんたなら何か当てがあると思ってな」
突然の申し出に、老人は目を白黒させて生唾を飲み込み。
「……普通は衛兵に預ければ、親元に返してくれるんでしょうが……」
と、何とかそれだけは絞り出すような声で話すことが出来た。
だがしかし。ここの領主の貴族は聞くところによるとここの上得意であると自慢するのを悪漢から盗み聞いたことのある老人は、そんな町の衛兵に預けていいのだろうかと言ってから悩んでしまった。
「……そうだ! 冒険者ギルドは如何ですかい?」
ポンと手を打つといい案だと頷く。
「冒険者ギルド?」
「あそこは何というか……へへ、ちょっと毛色が違うんですよ」
シンはシアンタが語った冒険者ギルドの歴史を思い出す。冒険者ギルドはその成り立ちからいわゆる独立愚連隊のような組織であるという。なるほど確かに国政からは一番遠そうな組織である。
「よし案内してくれ」
アニマの案内があれば道順は問題ないのだがそれ以外の懸念がある。老人を連れて行った方が良いだろう。
それはつまり、市民権のような身分を保証する物が必要になる場合、シンにはどうしようもないのである。
「旦那の役に立ちたいのは山々ですが……すんませんがこの足じゃあろくに外も歩けねえんで」
老人が自身の足をポンと叩くと自虐的な笑みを見せた。
その片足はズボンの上からでもが奇妙にねじ曲がっているのが見て取れた。それが歩行するのに不適切であるのは想像に難くない。
彼が扉番という職に就いていた理由がその足であった。
「酷いな。骨折したまま放置したのか……アニマ」
「あに……?」
老人は首を傾げる。アニマって言うのは誰なのだろうと。
『3番アンプルでよろしいかと』
「……これか。老人、ちょっと足を出してくれ」
「へい?」
シンは腰のポーチから素早く透明な筒を取り出すと老人の側に屈みこみ、ズボンの裾を捲り上げた。
自分達を助けたおじさんが不思議なことを始めたと、その様子を子供達も取り囲んで興味深そうに眺める。
「……予想以上に汚いが大丈夫か?」
老人の足は垢で黒ずんでいる。それも合わさり歪んだ老人の足はまるで老木の根のようだ。
『問題ありません。ナノマシンが浄化してくれます』
「な、なにするんで旦那?」
「まあ見ててくれ。俺は使ったことはないが、研修は受けた」
シンは無自覚に老人を不安にさせることを言いながら、ガラスの筒を足に押し当てた。すると針もないのに透明な筒中の液体がするりと消える。それはまるで老人の足に吸い込まれるように。
するとすぐ変化が起こった。
「な、なんか足がむずむずしやす!」
足が奇妙に脈動し始めたのだ。暗闇の中でも微かに分かり、子供達は小さく悲鳴を上げた。その光景は軽くホラーである。
「あ、熱い!」
「大丈夫だ。遺伝子から情報を取り込みつつ脈動を繰り返すことで、その位置を調整し直しているんだ。痛みも沈静されているから問題ないはずだ」
「でも熱くてたまらねえです!」
「問題ない。実際に熱くなっているのではなく、そう感じるだけだ……たぶん」
「たぶんってなんですかい!」
不安にさせる言葉にたまらず悲鳴を上げる老人。
しかし足の振動も次第に収まってくる。
「わあ」と子供達の、年齢に似合わぬ控えめな歓声が上がった。
そしてそこには奇麗に伸びた足があった。
「あ、足が……」
「しばらくはナノマシンが周囲を固定してくれるから普段より上部な筈だが、杖はまだ持っていた方が良い。左右のバランスを矯正する必要があるしばらくは歩行に違和感が出るはずだ。あと足の修理に使った栄養はナノマシン持ちだそうだ。3日は食べなくても問題ないらしい」
シンがアニマのまた聞きでの説明はたどたどしく、また端折ったものであったが、それを咎める者はその場には居ない。
老人は尻もちを付いていた体をゆっくりと起こし。
「た、立てる! 立てる!」
と叫んだ。
「だから杖はしばらく使うようにな」
聞こえていないのか。老人はピョンピョンと飛び跳ね喜ぶのを止めようとはしなかった。
滋養強壮の効果が効きすぎている気がしなくもないが、とシンは思ったが、まあ問題ないだろう。
「魔法……」
「これが……!」
「すごいー」
子供達も目を丸くし驚き、あるいは老人と共に喜ぶ。
彼等から見れはそれは魔法であった。魔法があるこの異世界でさえ、その科学の御業は奇跡に近い。それは正におとぎ話の体現。
「だ、だんな……俺は最初からあんたを只者ではないと思ってたんだ」
「そ、そうか」
言葉とは便利な物である。
確かに老人はシンを初めて見た時、「只者ではない」と思ってはいた。しかしこの場合の只者とは、悪い意味での「普通の人ではない」である。そして歪んだ足をあっという間に直してしまった後のシンの印象は、良い意味での「人とは違う」であった。
嘘は言ってはいないが、便利な言葉である。
「さあこうなればこんな陰気な所はさっさとおさらばだ。何処へだって行きましょうぜ!」
老人は10は若返ったかのように声を張り上げる。実際にナノマシンの効果によって、ついでとばかりにあらゆる不調は治っていくことだろう。恐らく寿命も延びたに違いない。
「何処へでもではなく、冒険者ギルドでお願いしたい」
「へへっ、そうでしたそうでした。では騒ぎになる前に早速いきましょう。おチビ共も迷子になるなよぅ!」
そうして老人は洋々と歩き出す。片手にはランタンを、そしてもう片手では杖をくるくると回しながら。
「そういや忘れてました。あっしの名前はグリントと申しやす……旦那に大いなる感謝を」
「俺はシンザエ……シンと呼んでくれ」
「へい、シンの旦那」
夜の街を歩く一行。その間に子供達も口々にシンに自己紹介を始める。その顔は笑顔だ。
シンはアニマに頼んで少量のナノマシンを彼等にも散布してある。体調が悪ければそれを直し、用が済めば体外に排出される。無痛治療は科学の発達さまさまである。
「……そういやシンの旦那」
「ん、なんだ?」
グリントはしばし言葉を止める、聞こうか聞くまいか迷っている。
「……なんであっしだけ、殺さなかったんですか?」
その問いにもまた沈黙。子供達も空気を読んで静かになった。
「それは――」
「……それは?」
「グリント。貴方は臭くなかったからだ」
その答えにグリントと子供達は自分の身体をクンクンと嗅ぎ始めた。
***
夜の冒険者ギルドには明かりがまだ灯っていた。
もうそろそろ深夜と言える時間帯。業務時間は疾うに過ぎている。しかし冒険者ギルドはその門戸を完全には閉じることはない。
まだ帰らぬ冒険者が居るのなら、まだ依頼に訪れる市民が居るのなら。冒険者ギルドは眠らないのだ。
「あ~ほんとブラック」
小さな燭台に刺されたロウソクに照らされた一人の職員が机にうつ伏せになって呟いた。まさに薄暗い中で一人。視線は部屋の隅、明かりが届かない場所。つまりまさにブラック。
彼女は今日は夜番である。夕方仕事に入り、明け方退社する。そして一日非番なのであるが、徹夜が辛いことには変わりない。
「そんな姿勢で居ると眠くなるよ」
「……こんな煩いんじゃ眠れるわけない」
ちらりと視線を横へと移す。
そこはカウンターの向こう側。待合スペースの横にある扉から行ける場所に、ギルドに併設された食堂兼酒場があった。そこには大勢の冒険者達が、なおもまだ騒いでいるのが漏れ聞こえてくる。
フロアを区切る壁に規則的に取り付けられた室内窓からは、煌々とした明かりが漏れ、賑わっていることを教えてくれる。
自分達の居るカウンター席とは大きく違う。
「ほらほら、利用者が来るかもしれないんだから、シャンとしなさい」
「は~い」
何時も小言をもらうが、同い年の筈である。納得がいかない。
あくびを噛み殺し姿勢を正した彼女はリリッタ。この冒険者ギルドの職員である。その顔にはまだ幼さが残り、短めの髪と相まって、どこか少年のような屈託さがあった。
そしてそのリリッタに眠気覚ましの飲み物カティを差し出すのはラールア。同期のリリッタとは正反対の容姿で、長い髪を一つにまとめた大人びた雰囲気の少女だ。
彼女達は同い年。しかしそれを聞いたものは、始めに絶対に嘘だと笑いとばすのだ。
「こんな時間に誰も利用者なんて来ないんだから、もう閉めればいいのに……」
渡されたカティに感謝の言葉を返し、揺れる黒々とした表面を眺める。ラールアは甘味を入れずにカティを飲む。眠気覚ましには有難いが、苦いのは苦手である。
ギルドに砂糖なんて高価なものは常備されている訳もなし。自費で蜂蜜でも持ち込もうかと本気で悩む。
カティは眠気覚ましの効果があると、労働者の間で常飲されている飲み物である。
カティの木と呼ばれる植物の葉を熟成させ焙煎、煎じたお茶だ。カフェインの含有量が他に飲まれている紅茶などよりも多く、癖になると愛飲者も多い。だがしかし、非常に苦く渋みも強いと、特に若い世代からは敬遠されている。
そんな飲み物が常備されている職場の労働事情は、そう良いものではないだろうことは想像に難くない。
「そんなこと言っても隣の酒場は続けてるんだから、私達ギルドが閉めるわけにはいかないでしょ」
酒場で働いている者達も、雇われではあるが便宜上はギルドの職員だ。そしてギルドに併設された酒場の売り上げは、貴重な副収入になる。
冒険者ギルドが冒険者に支払った金を、冒険者ギルドの店で消費してもらう。正に金は天下の回り物というわけだ。
「あっちは繁盛、こっちは閑古鳥。意味があるのはどちらか明白だけどね……」
ちびりとカティを飲む。濃すぎて苦い……。ラールアも甘党な筈なのに、カティだけは別らしく、美味しそうに飲んでいる。
ああ……せめて甘いお茶請けでもあれば最高なのに。
もうひと踏ん張りと眠気覚ましにグビリと琥珀色のカティを飲み干したその時、ギルドの扉がギイと開く音が鳴った。
「まだやっているだろうか?」
その声はややとぼけて聞こえた。
第一印象は奇妙な男。
何故なら、その男は一見普通に見えるが、夜更けに大勢の子供とハツラツとした老人を連れ、ギルドにやって来たのだから。
男は名を出意備州新左衛門と名乗った。
*
「はいようこそ冒険者ギルドへ。ご利用は初めてですか?」
姿勢を正し、接客用スマイルをして、マシュアル通りの台詞を述べるリリッタ。その姿は先程までも気だるさは微塵も感じさせない。
そして本人だけが、慌てて火傷した舌の痛みを堪えていることを知っている。
「……ああとだな。子供を保護したんだが、親元へ戻す協力をして欲しい」
「この子供達ですか!?」
「そうだ」
その意外な依頼に、改めて対応したリリッタと側に居たラールアは、その集団を観察する。
先頭に立っているのは普通の男。十代後半か二十代半ばくらいの容姿。仕立ての良い、しかし装飾の欠片もない草色のチュニックを着たその姿は冒険者に見えない。しかし腰に奇妙な物を下げている。曲がった木の棒だ。
老人は擦り切れた古いコートの、薄汚れたみすぼらしい姿をしている。どう見ても冒険者ギルドに用がある人種ではない。そして何故か晴れやかな表情をしている。
そして子供達。女の子ばかりで麻袋のように目の粗い、白い貫頭衣を全員が着ている。それだけで、彼女達がただの迷子ではないと分かった。
しかし興味深そうにギルド内を見回すその様子は、心身に問題がないことを見て取れる。
「私が依頼の中から、行方不明者の捜索が無いか探してきます……お嬢さん達。お名前を教えて貰えるかしら?」
この男達よりも先ずは子供が優先だ。
ラールアはカウンターから出て、子供達に順に名前を聞いていく。
「それじゃあしばらくお待ちください……リリッタここはお願いね」
と、メモを取ったラールアは依頼書を調べるために奥へと早歩きで去っていった。
「……ええと、ここでは何ですので、奥の個室で話を聞きましょう!」
酒場の冒険者の幾人かが、なんだなんだと、こちらに興味を示し始めている。あいつらは酔っ払い集団だ。面倒なことになるのは目に見えている。それは勘弁なので場所を移すことにした。
*
場所を少し移して、ギルド内の小さな個室。ここは多目的室として様々なことに使われる部屋である。来客用というよりも、もっと事務的な部屋で、多くの机と椅子が少々乱雑に置かれていた。
「ほ~う、こんな部屋があったんですな」
グリントも初めて入ったらしく、興味深そうに声を漏らす。
「散らかっていてすみません。急でしたので、準備もしていなくて……」
リリッタは手近な机に書類を置きながら、申し訳なさそうに眉を下げた。
「いや、こちらこそこんな夜更けに申し訳ない」
「あはは、そう言ってもらえると助かります。さ、子供達も椅子に座って、近くにね」
見知らぬ場所におどおどしていた子供達も、シンとグリントが適当な椅子を持って彼女の近くに腰を下ろしたのを見て、それを真似するように椅子を引きずり腰を下ろす。最年少の子には、年長の少女がそれを手伝っている。
彼女達はしばし同じ場所に幽閉されていた。そして姉妹の様な関係を築いていたのだ。
「え~と、それじゃあえーと、しんざぁえうもさんに経緯の方の説明をお願いしても――」
「シンと呼んでくれ」
「――じゃあシンさん。お願いでき――」
――クゥ――
とそこで可愛らしい音が室内に響いた。
シンが何事かと音のした方を振り返ると、集団の中に顔を真っ赤にした少女が一人。
そう言えば彼女達は救出されてからも、何も口に入れていないことを思い出した。
「ここで食事をしてもいいか?」
とシン。
「え、ええもちろんかまいませんけど……」
リリッタは「こちらはお金を出せませんが」という言葉を濁した。接客用の経費はそれなりの身分の物で無いと落ちないのだ。
了解を得たシンは早速と鞄を探り出した。
そんなに量は持って来ていないが携帯糧食の常備は欠かしていない。
何があったかと探っていると――
『小麦を主体としたバーと果汁味の飲料が甘くて警戒もされずよいでしょう』
とアニマから助言があった。
「これを食べるといい」
シンは背負っていた鞄がみっちり詰まる位の量を机の上にどさりと取り出した。
ショートブレッドタイプと呼ばれる携帯食が入っている収納箱に入っていた物で、詮索されぬように机の影で箱の大きさを元に戻し、その中の物を机に並べたのである。鞄の中に入れていた時の実際の大きさは手のひらサイズだ。
味の種類はチョコフレーバーからメープル味、アーモンドバターにフルーツ味。軍用に製造されている為どれもカロリーたっぷり。
しかしながら、改めて明るい室内で見る子供達は少しやつれていた。治療も済ませたと安心していたが、栄養はいくらでもあるに越したことはない。いくらナノマシンでも空腹までは癒せない。
そしてジュース。六角形のカードのような形で収まっているので、先んじて飲みやすい様にと一つ一つ、その形をコップ状へと戻して置いていく。
「さあ食べていいぞ。グリント爺もついでに食べるといい。小腹のすく時間だしな」
「へ、へえ……」
しかし、包装紙に包まれた食べ物、という物を始めてみた者達は手を出さない。もちろんそれはシン以外の全員の事だ。
「これは、こうして、剥いて食べる。こっちのは飲み物で……このストローを刺して飲むんだ」
ならばと実演して食べてみせ、飲んでみせる。
「……本当に食べていいの?」
「ああ」
「私、お金持ってない」
「お兄さんのおごりだ」
その言葉に、子供達は一人、また一人とクッキーと見紛う携帯食に手を伸ばし始めた。
子供達が戸惑っていたのは見慣れない食べ物であるという事も理由であったが、それよりも無一文であるということに、気後れしていたのだ。
シンが出して、食べて見せた物。それは少女達にはまさしく厚手のクッキーに見えた。甘い蜂蜜や煮詰めた樹液を混ぜた、お祭りのような特別な時にしか食べられない、あのクッキーだ。
だから、とても高価に違いない。そう思ったのだ。
「それじゃあ私もご同伴に……」
そう言って最初に口にしたのはグリントだった。気後れする子供達の背を押す様に。
見せつけるように包装をはがし、そして小さくかじる。見た目より若いのか、彼の歯はしっかり生えそろっていた。
「こいつは……甘い」
目を丸くして租借しながら己の付けた噛み口を凝視している。そのあと猛然とかじり始めた。
それを見た子供達も、一斉に噛り付く。
人攫いの屋敷からギルドまでの道中でグリントは「おじいちゃん」と言われるぐらいに、子供達に懐かれている。その信頼関係が功を弄したのだろう。口下手なシンだけでは子供達はこうもすんなり食べてくれなかったに違いない。
人攫いの一味であった彼としては、複雑な気分だっただろうが……。
「あまい!」
「おいしいっ!」
「す、すごいやわらかい……」
一様に歓喜に溢れた表情で噛り付く。それは確かにクッキーだったが、クッキーではない。食べなれた小麦の香りがするのに、比べ物にならないくらい美味しい。
彼女達には知っている筈の、しかし理解できない美味しさの、未知の甘味として受け入れられた。
「何本でも食べていいが、喉を詰まらせないように、ジュース……ええと果汁水も飲みなさい」
「これもあまい!」
「絞ったばかりみたい!」
「知らない果物の味だけど美味しい……」
勧められて飲んだジュースもやはり美味しい。そして何より甘い。
子供達にとって、甘味は最も中毒性の高いご馳走であるのは、どの世界でも共通なのだ。
子供達は貪るように甘味を味わった。
*
「……」
その様子を無言で見つめる者が居た。
飲食を許可したこのギルドの職員、リリッタである。
苦いカティの味は、既に自身のとめどなく溢れ続ける唾液によって、とっくに消えてなくなっている。
甘い、甘い、いい匂い、爽やか、甘い、甘い、甘い。
子供達のその歓声に近い喜びの声が、リリッタの脳内をある欲求で満たす。
「甘い物が欲しい……」
「え」
グリントと子供達が食べ比べをしている様子を微笑まし気に見ていたシンに、その呟きははっきりと聞こえた。
「あ」
振り返ると、口を押えて顔を真っ赤にしたリリッタが居た。羞恥でプルプルと震えている。
シンは改めて冒険者ギルドの職員である彼女を見る。彼にはリリッタがさらわれた子供達の年長とそう変わらない歳に見えた。
彼の父性をくすぐる。
「君も良かったら食べるといい」
「……い、いいんですか!?」
「ああ、これだけあれば子供達でも食べ切れるものではないだろう」
シンが出した携帯食は、まだ机の上にこんもりと小山を形成している。心配性のアニマが持たせたのは一か月分。そして取り出したのは二週間分だ。これだけでも28セットにもなる。この場に居るのは、子供達の8人と、グリント、リリッタ。シンも含めても11人しかいない。二つずつ食べてもなお余る。
しかもこれ以外にも、シアンタに出した糧食も一か月分ある。ショートブレッドタイプは緊急時、もしくは間食用であるのだから。
「で、では有難く頂きます!」
ぴょん、という擬音が聞こえてきそうな勢いでリリッタは飛び上がると、それを掴み、破り、齧った。その一連の動きは迷いがなく鋭い。
「あ、あまぁああああああぁぁぁぁ……」
それは嗚咽のような、悲鳴のような、形容しづらい声。
甘味に飢えた少女、リリッタが手に取ったのは図らずも、ヌガーバーであった。
シンが適当に取り出した為に紛れ込んでいた、ショートブレッドよりも甘いヌガーバー。
それはナッツ類とドライフルーツを砂糖と水飴で固めて棒状にした食べ物。
カロリーも高く、水がない状態でも分泌される唾液で苦痛なく食べることが出来る、正真正銘の戦闘糧食、コンバットレーションの一つである。
「う」
「……う?」
「うももおおおおぉぉぉぉいよぉぉぉぉぅ」
「……」
目を潤めながら鳴いている。リスのように齧りつつだ。
ちなみに日本以外の戦闘糧食には甘味は付きものである。携帯性に優れ、保存も長期行え、更に栄養価も高い甘味は、非常時や短時間での栄養補給に優れている。
戦闘糧食。コンバットレーションが不味い物というのはもう昔の話。いまや各国は兵士にいかに美味い物を戦場で食べさせることが出来るかを日夜開発している時代である。
だから自衛隊にもレーションに、レトルトだけじゃなくいろんな甘味やアメニティグッズも入れてあげてもいいと思う。金平糖が悪いわけではないし、戦闘糧食が必要になる日が来ることは望まないけれども。
――閑話休題。
小さな子を除いて二本ずつ平らげた頃。
「みんな、シン様に礼を言いなせ」
「ありがとうございました!!」
グリントの合図に合わせて子供達が声を揃えての感謝の言葉。思わずシンも笑みをこぼす。
「お粗末様だ」
「おそまつ?」
「いや……どういたしまして、だ」
グリントは随分子供の扱いが上手くなった。これは彼の隠れた才能なのかもしれない。
「私もありがとうございました……催促したみたいで申し訳ないです」
「女性は甘い物に目がないというからな。お気に召してくれたようで何よりだ」
「ええッ!! それはもう!」
と拳を前にして見せるその表情から、その満足感が言葉にしなくてもにじみ出ている。
リリッタは結局、レーションを二本。ジュースを一杯平らげた。そして未だ残る机の上の物をチラリチラリと伺っている。
それもシンは気付いたようで――
「余った物は欲しい者が持っていくといい」
と皆に言った。
「やった!」
と子供達が一本と一杯ずつ取っていく。
「へへへ……ではあっしも」
と、グリント。彼は一本しか食べていなかったが、やはり子供達に遠慮していたらしい。
「あ、ありがとうございましゅ!」
リリッタも一揃えを手に入れ、大事そうに抱え込んだ。彼女が選んだのはもちろん幸運にも残ってたヌガーバーだ。
小さな子は一つしか食べておらず、シンが口を付けたのは新たに取り出した物。残っていたのは10セット分。子供達8人と、グリント、リリッタで丁度はけることになった。
これにて完売、またのご利用お待ちしております、である。
ちなみに虫歯の心配はない。未来のお菓子は歯医者も逃げ出す技術で作られているのだ。
*
「リリッタ。ここに居たのね。幾人かは捜索依頼が――あら?」
見当を付けて訪れた部屋の扉を開くと、想定通り全員が揃っている。
そして満面の笑みを浮かべて上機嫌な同僚が居た。先程までの気だるそうな、そして初めての事態に緊張していた様子はもう何処にもない。一体何があったのだろうか?
その当人は入ってきたラールアを見て、何かを慌てて背中に隠している。
「ら、ラールア。その、見つかったの?」
「……ええ、そちらも事情は聴けた?」
「え、あ……いや。……まだ」
リリッタは気付いた。事情聴取用にと広げた紙は真っ白だ。
「もう、しょうがないわね。それじゃあ一緒に始めましょう」
子供達の表情が明るくなっているのを見届けて、それ以上は言わないでおく。さらわれた子供達が側に居るのだ。落ち着くまで待ってあげていたのだろう。
後、何を背中に隠したのかは後で聞こう。
ちなみにその後。リリッタがおやつとして取って置こうと思っていたヌガーバーとジュースは、バレたことでラールアの胃袋に入ることになる。
「それでは話を聞かせて貰えませんか?」
「ああもちろん」
そしてシンは事の顛末を語りだす。時折アニマ指摘する補足と誤魔化しを交えながら。
知り合ったエルフ、シアンタが人攫いに狙われていることに気付いてから、そいつらのアジトを発見し、撲滅。子供達を開放し、ここギルドに辿り着いた。そこまで一気に話し終えた。
グリントのことは途中であった親切な老人という事にして。
*
「で、冒険者ギルドなら彼女達の処遇の助言をくれると思って訪れた訳だ」
「なるほど……それは、凄いですね」
「シンさんはお強いんですね!」
ラールアは感心するのと呆れるのと、半々の表情。リリッタは手放しに称賛する。双方の違いは、後者が胃袋を掴まれているからというのが大きいようである。
「しかし、その人攫いの男の言葉が気になります。領主様が得意先、ですか……」
「そう言っていた」
「この地の領主様と云うと、シバカリア辺境伯様ですけど……悪い噂は聞いたことはないですね」
とリリッタ。
「それにハイテの町には年に一回訪れる程度ですし、辺境伯様は領地の中でも王都に近いここから北の街、グラスロールにお住いの筈です」
アニマから脳裏に地図が送られてくる。グラスロールは此処より何倍も規模の大きな街でかなり遠い。
「つまりシバカリア辺境伯は、ここら一帯を治める大貴族ということか?」
「はい。グランザリア王国の南端を統治されているお方です」
と、ラールア。
グランザリア王国。このハイテの町を最南端とした。ローザリア大陸最大の国家。
シン達はその更に南の大森林からこの国に訪れた事になる。あまり大きな街からではなく小さめの町からと選んだハイテの町であったが、RPGよろしく、本当に辺境のからスタートになっていた訳である。
「年に一回しか訪れないハイテに、浚った子供を取りに来る……もしくは遣いに取りに来させる……」
シンは想像を呟く。有り得ない話ではない。有り得ない話ではないが……どうにも効率が悪く、腑に落ちない。そんな偉い人物が、ついでにであっても、わざわざ子供を回収する為に年一回訪問するとは考えにくい。
「それに……一番おかしいのは――」
まだ何か知らない事があるのかと、リリッタの話にシンは耳を傾け。
「――シバカリア様は女性です」
「うぅぅん……ないな」
と唸った。
モーラシリス・ロー・シバカリア。
数年前に王より辺境伯の名を賜り、この地を統治する貴族。先代の孫にあたる彼女は、親の不幸によってただ唯一の後継者となり大抜擢されるに至る。
そして誰もが想像しえなかったその手腕で、己の統治する地を急速に繁栄させ始める。
辺境であるという土地柄から、他の貴族とも縁遠く。しかし貴族どうしのいざこざに巻き込まれずに済んだことが、彼女と、この地に住まう人々には幸運な出来事であった。
そしてもちろん、彼女には女色の気は噂の類であっても聞いた事がない。
その概略を聞いて、シンは首を傾げた。どう聞いても善政を敷いている良い統治者のようだ。
「……つまり嘘を吐いたのかしら?」
「でしょうね」
とリリッタとラールア。
「しかしこのハイテにそんな不届き者が居るのは、この町に人が集まっているという事の証左でもあるのでしょうね」
と溜息を吐いた。
ハイテの町は絶賛拡大中だ。家が次々と建設され、人手も足りていない。そんな場所には様々な人が集まる。もちろんその中には招かれざる存在も多く混じるというもの。
「……しかし、男達は妙に余裕があるように見えた」
シンはそこが引っ掛かっている。あっさり降伏しようなどと焦っている者ならば余計にしないものだ。
――コンコン――
扉がノックされる。
「はい」
「ご家族が迎えに訪れました」
ラールアの返答に、扉の向こうから男がそう返事をした。
それはラールアが、リリッタ達がリスのようにお菓子を貪っていた間に、自身の仕事を行っていた。その結果が結実したことの知らせでもあった。
「ローリー」
「ままぁ!」
親と再会した子供達は誰もが飛びついて、泣きじゃくった。
「ショルテ!」
「パパッ!!」
と、何度か親子の再開を繰り返し、ギルドの書類に何かを書き込んではお辞儀をして帰っていく。
そんな光景をシンはグリント共ににこやかに見送った。
リリッタは挽回するようにせっせと手続きをしていく。
そんな様子を見ていたシンは、ある物に興味を示した。
「それは、紙なのか?」
「え、これですか?」
それは紙と言うにはややぶ厚く、羊皮紙と言うには質感が滑らかな、奇妙な紙だった。
シンの考えるファンタジーにおける紙とは、羊皮紙か、主人公が広める技術という先入観があった。それで気になったのである。
「これはパルスピ紙と言うんですよ」
と説明するリリッタは何処か自慢げだ。
パルスピ紙はパルスピの木、その樹皮だという。
その木は幹が幾重にも折り重なるように出来ており、それを剥がし、特別な溶液に漬けながら伸ばすことで、白く丈夫な紙として利用できるようになるのだという。
「最近売りに出されるようになったらしいんですけど、冒険者ギルドでもこうして採用されて、使われているんです。最新です!」
つまりリリッタは自分の職場に誇りがあるのでこういう態度になったわけである。
「さらに! この紙の凄い所はですね……シンさん、ちょっとこの隅を爪で引っ掻いて下さい」
「……こうか? ……おお、これは」
「でしょう! これで只の棒なんかでも字が書けるんです!」
パルスピの樹皮の特性として、裏側を傷つけられるとその部分が黒く変色することにある。
その為そのままでは直ぐに黒くなってしまう。それを補うために、漂白効果と維持を目的とした溶液に漬け、表面を白く加工する必要があるのだ。
「でも長い間放って置くと、茶色く変色しちゃうらしいんで、正式な書類には、こっちの羊皮紙が必要なんです」
それさえなければな~とリリッタ。
言われて見れば、木の棒の他にも、インク壺と羽筆が置いてあった。
「カーボン紙みたいだな」
『これは面白いですね』
シン同様興味を持ったアニマは早速鑑定を試みているようだ。
未来の世界でも紙偏重主義は残り、日本で紙は生産され続けている。日本人にとって、紙は文化の一つであり、切って切れない存在だったという事だろう。海外にも好事家を中心に輸出され、特に和紙は人気のある品になっている。
日本の血を引くシンもその例外ではない。
『パルスピの木というのは恐らく、バナナの木のような、草木に分類される植物の様ですね』
バナナの木は実は木ではなく野菜に分類されるのだ。幹の部分は実際は葉の茎なのである。
『黒く変色するのは傷で内部組織が大気に触れるせいでしょう。使われている溶液も恐らく漂白だけでなく、それを抑える効果を併せ持っていますね。しかし長期保存には確かに向きません。性質上書き直しも難しいですからメモ用紙に適しているのでしょう』
「……なるほど」
これなら簡単に消しゴムが作れる等、あっと言う間に分析したアニマのうんちくに耳を傾けていると、最後の親子が訪れ、子供を引き連れ帰っていく。
「ありがとうございました」
「お兄ちゃん、おじちゃんまたね!」
「ああ」
「もうさらわれるんじゃねえよ!」
ずずっとグリントが鼻をすする音が聞こえた。
これで問題は一応の解決を見たのである。




