02.朝比奈カオルの推理
女子高生を預けた交番から、歩いて10分。神宮家は、閑静な住宅街にある。
「突然お邪魔してしまって申し訳ありません」
朝比奈カオルはそう言って、リビングのソファーに腰を掛ける。
カバンの中をまさぐっていると、神宮志穂がキッチンから姿を現した。
神宮は不機嫌な面持ちで、紅茶の注がれたティーカップをテーブルに並べていく。
成金趣味で有名な彼女らしく、高価そうなティーセットだった。部屋の雰囲気や、彼女の派手な服装によく似合っている。
話によれば、それら全てはオーダーメイドで合わせているらしい。
さすがは金持ち。
金の使い方が派手である。
並べ終えると、神宮は大仕事を終えたように大きく息を吐く。向かいのソファーにどさっと腰を掛けた神宮は、朝比奈を睨みつつ煙草をくわえて火をつけた。
「日曜だっていうのに、ほんっと迷惑。用事が済んだらさっさと帰ってよね。それで? 今日は何の用?」
朝比奈はその様子を見ながら苦笑する。
テーブルに並べられた紅茶は高価なものであるだろうに、その香りはタバコと香水で台無しだ。
朝比奈はわざとらしくせき込む。
嫌いなタバコに対しての、ささやかな抵抗だった。
「あなたの旦那様、神宮光一様が殺された事件に進展がありまして。そのお話をしようと今日、ここに」
「……へえ。進展が?」
神宮は興味なさげに聞き返す。
自分の旦那が殺害された事件の話だというのに、神宮は最近買ったらしいピンキーリングの方に目を落としていた。
初めて会った時から、彼女は変わらずこの調子だ。つまりはこういう性格と言うことなのだろう。
「あ。あった」
朝比奈はカバンから数枚の書類を見つけ出す。テーブルの上にそれを並べると、神宮は不思議そうに首を傾げた。
「なにこれ?」
「先週起きた事件の資料です。この事件が、今回の事件の謎を解く鍵になりました」
書類にはその事件の詳細な説明と、いくつかの写真が記載されている。
神宮はその中の1枚をつかむと、興味なさそうにそれを眺めた。
「この事件が、うちの旦那と何の関係があるワケ?」
「旦那さんを殺害した人物と、同一犯による犯行だと考えられます。事件について、簡単に説明しますね」
朝比奈は紅茶を一口すすると、その事件について話しはじめた。
事件が起きたのは5日前の午前5時半頃。
ランニングを日課にしている男性が、マンションの脇で血を流して倒れている男性を発見した。
遺体で発見されたのは秋山秀夫。32歳の会社員だった。発見したときには、すでに死後数時間が経っているとみられた。
遺体の発見された場所がマンションの脇だったことや、遺体は頭部を強く打ったことによる即死だったこと。
そして何より、マンションの屋上で男性のものとみられる靴が発見されたため、警察は当初、その事件を飛び降りによる自殺だと判断してしまった。
「自殺? それじゃあ、事件じゃないんじゃないの?」
神宮が、真正面の朝比奈に向かって、馬鹿にしたようにタバコの煙を吐く。朝比奈はせき込みながら顔を背け、煙を手で払った。
「コホッ、コホッ……ええ、当初はそう考えられていました。ですが、現場を調べているうちに、自殺と考えるには不自然な点が2つ出てきたんです」
「不自然な点?」
「ええ。1つは靴が綺麗だったことです」
「靴が綺麗って……」
――――それの何が問題なのよ。
そう言いたそうに神宮は眉根を寄せる。
朝比奈は一枚の書類を、彼女の前に差し出した。
「この写真を見てください」
そこには、被害者が履いていたと思われるスニーカーの写真が記載されていた。
神宮は書類を手に取り、まじまじとそれを眺める。
「確かに綺麗だけど。それがどうしたって言うの?」
「これ、ちょっと綺麗すぎるんです」
言いながら、朝比奈はニッコリと笑う。
神宮には、朝比奈の言いたいことがわからない様子だった。呆れたようにため息を吐く。
「だから、それの何が問題だっていうのよ。別にいいじゃない。靴が綺麗だって。刑事さんはそれの何が気にかかるわけ?」
「このスニーカー。被害者の男性が事件の前日に購入したものなんです。
男性の家を調べたところ、レシートが残っていました。購入した店の方からも確認は取れています」
「じゃあ、靴が綺麗でもおかしくないんじゃないの? 買って一日しか経ってないんなら、そんなに汚れないでしょう?」
「いいえ。それがおかしいんですよ。
だってこのスニーカー、そんなに汚れていないのではなく、全く汚れていなかったんです。
恐らくこの靴は、一度も履かれていません」
神宮は朝比奈の言葉に目を細める。
朝比奈はその様子を見て、満足げにほほ笑んだ。説明にもエンジンがかかる。
「一度でも履けば多少の砂の付着や、靴底の磨り減りがあるものなんです。
でも、この靴にはそのどちらもなかった。
明らかに新品。箱から出したばかりのようでした」
神宮は煙草の煙を吐くと足を組み、退屈そうに頬杖をつく。
挑戦的な眼差しは鋭く、朝比奈の胸を射抜くようだった。まさに、蛇に睨まれた蛙だ。
――――怖い。
なんていう目をするんだろう、この人。
でも、この態度に怯んじゃダメだ。
朝比奈は心の中で、自分自身を叱咤する。くじけずに話を続けた。
「でも、そうなるとおかしいですよね。
何故、買ってから一度も履かれてない靴が、屋上に置いてあったんでしょうか?
そもそも被害者は靴も履かずに、どうやってマンションまで来たんでしょう?」
男性の遺体は裸足で発見されていた。その足は砂で汚れている様子もなく、綺麗なものだった。
そこから考えると、被害者が裸足で移動したとは考えづらい。
そうなると、被害者は靴を使用せず、なおかつ裸足でも移動をしなかったことになる。
そんなこと、普通ではありえない。
つまり、これは魔法が使用された事件なのだ。
犯人は、この状況を可能とする能力、魔法を持っている。
5年前に生まれた魔法病という奇病のせいで、こういった事件は爆発的に増えていた。
では、犯人が持っている能力は、一体どういったものだろうか?
朝比奈が導き出した答えは、一つだった。
「つまり、被害者は自分で歩いてきたわけじゃないんです。きっと彼はむりやり誰かに移動させられた。犯人は恐らく――――」
「――――で? もう1つの不審な点ってのはなんなの?」
朝比奈が言おうとすると、神宮はまるでそれを遮るように話題を変えた。
朝比奈は面食らったが、ここで次の話題に移るのも悪くないと思える。
――――そっちがその気なら。
そう思いながら、朝比奈は次の説明に移った。
「もう1つは、マンションの屋上の鍵が閉まっていたことです」
「……鍵が?」
「ええ。現場検証のために警察が屋上まで上がった際、屋上の扉の鍵は閉まったままだったんです」
「それの何が変なのよ」
神宮はいらだったように、煙草の灰を灰皿に落とす。
「変ですよ。だって、扉の鍵が閉まってたのに、どうやって被害者は屋上に上がり、そこから飛び降りたんですか?
被害者は扉の鍵なんて持ってませんでした。それどころか、そもそも屋上の扉のドアノブには、被害者の指紋なんて付着していなかったんです」
朝比奈はそれらの説明がある書類を手で示したが、神宮はそちらを見ようともしない。
――――まったく、嫌な女っぷりが徹底している。
彼女は気にせず、話を続けた。
「屋上の手すりも隈なく調べました。でも、被害者の指紋は屋上からは一切見つかりませんでした。ここから言える事はひとつ。
被害者はそもそもこのマンションの屋上になんて上がっていなかったんです」
朝比奈は得意気に言う。神宮は睨むような視線を朝比奈に向けた。感情を隠そうとしないその態度は、あまりにもわかりやすい。
「……意味が分かんない。結局、何が言いたいワケ?」
「簡単ですよ。被害者は屋上に上がらなかった。つまり、彼はそこから飛び降りたわけじゃないんです」
「待って。それはおかしいじゃない。屋上に上がらずにどうやって飛び降りたって言うのよ。それにこの事件が、旦那の事件との同一犯とも思えないわ。犯人のやってることが、全然違うじゃない」
「いいえ。そう思われるかもしれませんが、この事件は間違いなく同一犯による犯行。どちらも、とある能力があれば実現可能な犯罪なんです。
それでは次に、旦那様の事件について振り返りましょうか。ご存知かと思いますが、一応こちらの方を」
そう言いながら、朝比奈はテーブルの上の書類をまとめて端に置き、神宮家の事件に関する書類をまた新しくテーブルの上に広げた。