01.朝比奈カオルという人物
「ねえ! 刑事さん、起きてください!!」
停車しているバスの中、朝比奈カオルは、若い女性の声で目を覚ました。
「……なに? どうしたの?」
何事かと目を開けば、朝比奈の前には女子高生がいた。彼女は必死になって朝比奈の体を揺すっている。
彼女は朝比奈がバスに乗った時にいた、唯一の先客だった。それ以上の関係はない。彼女に起こされる筋合いもなかった。
朝比奈は、口元のよだれを拭いながら腕時計を見る。9時30分だった。
目的地には、まだ着いていない。時間もそう過ぎていないように思う。眠ってから、まだ3、4分程度しか経っていないようだ。
女子高生は絶望に歪んだ顔で、朝比奈に言う。
「大変なんですよ!
車内で、人が死んでるんです!」
「……はい?」
寝起きに言われた第一声がこれだった。
朝比奈の脳に、その言葉がゆっくり届く。
「殺されてるって……え?」
「後ろです!
後ろでご老人が刺されてるです!」
女子高生が、後部座席の方を指さしながらわめく。
朝比奈は首を通路に顔を出して、彼女が指さす方を見た
「……は?」
朝比奈は、その光景に目を丸くする。
彼女の言う通り、後部座席には腹を血だらけにした老人の遺体が座っていた。
老人の腹部にはナイフが根元まで刺さっており、彼の着ている白いシャツは赤黒く染まっていた。ぐったりとしており、起きる気配はない。
「こりゃ大変だ……」
後ろから声がして振り向けば、そこには50代くらいのバスの運転手がいた。
遺体を見て、顔を青くしている。
「一体、何が起きたんですか?」
朝比奈が彼に質問する。
運転手は首を横に振った。
「いや……それが分からんのですよ。
突然その子が騒ぎはじめましてね。
で、後部座席を見たらこの有様ですよ」
「なんでこんなことに……」
朝比奈は遺体の状態を確かめるため立ち上がり、後部座席に近づこうとする。
しかし、女子高生に肩をつかまれ、それを引き止められた。
「刑事さん! 外に犯人が!」
女子高生が窓の外を指差す。
窓の外を見てみれば、人通りのない田舎道を、背の高い男がバスから逃げるように走っていた。
男の着ているシャツには赤いものが付着している。血だ。明らかに、彼が犯人に見える。
「刑事さん! 早く追わないと!」
女子高生に言われて、朝比奈は犯人を追うためにドアに向かう。しかし、バスの扉は閉まっていた。
朝比奈は、運転手に向かって叫ぶ。
「運転手さん! 扉を開けて――――」
――――あれ?
朝比奈はそう口にしてから、自分がおかしなことを言っていることに気づく。
扉が閉まってるのに、あの犯人はどうやって外に出たと言うのだろうか。窓が空いている様子もない。外に出る手段はないはずなのに。
「はい! 今すぐ!」
運転手が席に戻り、何かスイッチのようなものを押して扉を開けた。
しかし、朝比奈は首を横に振りながら、扉から後ずさる。
――――この事件、なにかがおかしい。
明らかな矛盾がある。
よくよく考えてみれば、不可解な点はもう1つあった。
朝比奈は、後部座席で死んでいる老人の顔を見た覚えがないのだ。
朝比奈がバスに乗った時、バスの乗客は一人だけだったはずだ。さっき、朝比奈を起こした女子高生。彼女のみ。
田舎に向かうバスは閑散としていて、その後も誰かがこのバスに乗ることはなかった。
つまり、朝比奈はここまでずっと彼女と二人きりだったのだ。老人が乗ってくれば、間違いなくその存在は覚えているはず。
それなのに、あの老人はいつの間にかバスに乗っていた。
――――まさか、わたしが寝てる間に?
いや、そんなはずはない。
寝たのはほんの3分ほど。その間、このバスはどのバス停にも停まらなかった。
不可解な現象に、朝比奈は首をひねる。
「ねえ、刑事さん!
早く犯人を追いかけないと!」
朝比奈が思考にふけっていると、女子高生がそう言って背中を押してくる。
彼女は必死に、朝比奈を外へと駆り立てようとしてきた。
――――そう。
そもそも、これがまずおかしい。
朝比奈は女子高生に振り返ると、片手で彼女の手首を掴んだ。
「……へ?」
女子高生は意味がわからないという表情をする。朝比奈はその表情を見ながら、もう片方の手で自分のスーツの内側を確かめた。
内ポケットの中に、警察手帳がある。
しかし、もう一つ。あるべきものが消えていた。
――――やっぱり。財布が消えてる。
朝比奈の一連の行動を見た女子高生の顔が、徐々に青ざめていく。
朝比奈はそれを見て、笑みを浮かべる。
あらゆる推測が、確信に変わっていった。
朝比奈の中で、すべての謎が解けたのだ。
「――――わかった。
あなた、魔法使いだ。そうでしょ?」
「……へ?」
女子高生はその言葉を聞くと、引きつった笑みを浮かべた。
朝比奈はそれを一瞥してから、運転手に指示をする。
「運転手さん、なにも問題ありません。
早く、次のバス停に向かってください」
「えっ? そんな、大丈夫なんですか?
犯人が逃げちゃうんじゃ……」
運転手は目を丸くしながら、外を指さす。
「問題ないです。
アレ、放っておいて大丈夫ですから」
「ええっ……でも、あの遺体は?
現場保存とか大丈夫なんですか?」
運転手は、次に血だらけの遺体を指さした。朝比奈は運転手に笑顔を向ける。
「運転手さん。何も問題ありませんよ。
だって、ここでは殺人事件など一切起こっていないんですから」
「はあ……?」
運転手は首をかしげる。
朝比奈は彼を、運転席へと促した。
「さあ、運転手さん。
早く行かないと、時間に間に合わなくなってしまいますよ」
運転手は促されるまま、運転席に座る。
女子高生は引きつった笑みを浮かべながら言った。
「わたし、ここで降りようかな……」
朝比奈は、握っていた彼女の手首をさらに強く握る。朝比奈の笑みは、冷ややかなものになる。
「何言ってるの?
あなたが降りるのは、ここじゃないわ」
「……え?」
バスの扉が閉まる。
ゆっくりと車体は動き始めた。
朝比奈は女子高生の手を引き、彼女を窓側の席へと座らせる。
朝比奈はその隣に座り、一つの疑問を彼女に投げかけた。
「ねえ。どうしても解せない事が1つあるの。なぜ、あなたは私が刑事だって知ってるの?」
朝比奈は微笑みながら言う。
その質問を聞いた女子高生の顔が、見る見る青ざめていく。
女子高生は、自分の犯した大きなミスに気がついたようだ。彼女は首を横に振り、否定した。
「違う……! 違うの! 間違えただけ!」
朝比奈は冷ややかな目で、慌てる彼女の様子を見ていた。
「……なにと間違えるって言うのよ。
あなたは最初からわたしのことを『刑事さん』って呼んでた。
今思えば、わたしはそこでおかしいと思うべきだったんだわ。なぜあなたはスーツ姿の私を見て、『刑事さん』なんて呼んだの? どう考えてもわたしたちは初対面。なのにあなたは、なぜかわたしが刑事であると知っていた。……つまり、あなたはこれを見たのよね?」
朝比奈は、スーツの中に手をいれ、中から警察手帳をのぞかせた。女子高生は、気まずそうに顔を背ける。
「あなたは寝ているわたしの体を探ったのよ。きっと、金目の物を探してたのでしょう。
そして、あなたはわたしのスーツの内ポケットにある財布に気づき、それを盗もうとした。その時にあなたは、この警察手帳も一緒に取り出してしまったのよ。
だからあなたは、わたしが刑事であることを知っていた。違う?
もし当たってるなら、私の財布返してほしいんだけど」
朝比奈が彼女に手を差し出すと、彼女は舌打ちをしながら財布を返してきた。朝比奈はそれを気にとめる事もなく、財布の中を確認してから内ポケットへと戻した。
「ありがとう。助かるわ。
さて、じゃあ今度はあの遺体の正体について話しましょうか。
多分、あれは『魔法』なんじゃないかしら? あなたはきっと、魔法使い。だから、魔法が使える。そしてその能力は、恐らく『幻術』。そうでしょ?」
朝比奈はそういうと、座席から立ち上がり、後部座席の遺体へと近づいた。
朝比奈は老人の遺体をまじまじと見ると、彼の頭部へと手を伸ばす。
朝比奈の手は老人の頭部をすり抜け、向こう側へと突き抜けた。
朝比奈の手に何かが触れたような感触はなく、やはり幻術だと朝比奈は確信する。
「やっぱりそうね。恐らく、あなたはわたしの体を探っているところを、バスの運転手さんに見られたのよ。そして、運転手さんはあなたに声をかけた。違う?」
朝比奈は自分の座席に戻りながら、続きを語る。
運転手に声をかけられて驚いた女子高生は、咄嗟に自分の能力を使い、後部座席に遺体を出現させた。
朝比奈を起こしている振りをして、運転手の目を誤魔化そうとしたか、あるいはもっと大きな事件を起こして、自分の窃盗を誤魔化そうとしたのだろう。
運転手の目を無事に誤魔化した彼女は、次に、どうにかしてこの邪魔な女刑事を外に追い出したいと考えた。
外を逃げる犯人は、そのために出現させたものだ。
そして、彼女は必死に、朝比奈にその犯人を追いかけさせようとさせた。
朝比奈のすべての説明が終わっても、女子高生は窓の外を見て仏頂面を浮かべるだけだった。代わりに、運転手が話し始める。
「確かに、そうです。わたし、その子に声をかけましたよ。何か、あなたに対して怪しい動きをしていたものですから。
そしたら彼女が、後部座席に遺体があると騒ぎはじめましてね。見てみれば、確かにそこには遺体があるじゃないですか。びっくりですよ。
それにしても刑事さん。相当なキレ者ですな。この短時間ですべてを見抜くなんて、驚きましたよ」
運転手がにこやかに言う。
まもなくしてバスは目的地に着いた。
朝比奈は、女子高生の手首に手錠をかける。
「わたし、これから行かなくちゃいけないところがあるの。だから、あなたは交番に預けるから。それまで大人しくついてきてね」
――――まあ、ウォーミングアップにはちょうど良かったかな。
朝比奈はそう思いながら、女子高生とバスを降りた。
――――すべてがこの事件のように簡単だったらいいのに。魔法使い相手の捜査は、通常、困難を極める。
これほど簡単に決着がつくのは、まさにレアケースだった。
今日、これから相手をする魔法使いは、なかなかの強者だ。それを考えると、思わずため息が出る。
不服そうな顔の女子高生を引っ張りながら、朝比奈は最寄りの交番へと向かった。
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