いいさ、もう。
なんだよ。いいよ、そんなこと。
どうせ俺なんて、ちゃんとした仕事なんかなくしちまって、半分、親父の年金で食わせてもらってるようなもんじゃないか。
夜な夜な、遊んでくれる女がいる訳じゃなし、暇をもて余してるより、よっぽどいいよ。
それに、俺にとっても、大事なお袋だからな。毎日会いに来たって、バチは当たらないさ。
だから、いいんだって。何度も同じこと言わせるなよ。
親父もかなり老けた。八十歳の割にはふさふさした頭髪だが、もう随分前から総白髪だ。特段痩せている方ではないが、眼窩は落ち窪み、目の下のたるみが一層大きくなった。お袋を亡くしたことで、さらに老いが加速したようにも見える。気も弱くなった。私に向かって、すまない、すまない、と何度も繰り返す。なにより、あらぬ方を見てぼんやりしていることが多くなった。
こうして毎晩、亡くなったお袋とよく来たショッピングセンターの駐車場に車を停めて、店の出口をぼんやり見ている。待っていれば、今にもお袋が買い物を終えて出てくるとでもいうように。あの頃、そうだったように。待ち続ける。
「 おまえはな、昔から泣き虫だったわ。小さいときからなあ。キャッチボールをすると泣き出すでなあ、たいがい。やれボールが怖い、やれ顔に当たりそうになった、やれ遠くへ飛んでいってしまった…。母さんによう叱られた、俺はなあ。お前を泣かすな、となあ。かわいそうに、て。」
「わしはな、お前のことだけが気掛かりだ。今となってはなあ。母さんもいなくなって、もう他には思い残すこともないからなあ。いいのが見つかるといいがなあ。」
仕事のことを言っているのか、いい嫁が来るといいというのか。その両方か。
自分も、しょぼくれた中年に成り果てた。勤め先を追い出され、必死であがいてみたが、五十一歳、特技無しのおやじでは、雇ってくれるところなんぞありゃしない。独り身で、守るべき家族もないから、もうどうでもいいか、という気もあり──いや、それよりもとにかく──疲れた。一からまた人生を始めるだけの気力が残っていない。それで、適当にアルバイトをしながら、親の年金を頼って、ずるずると無駄な日々を送っている。
もう三ヶ月ほどになるだろうか。こうして毎晩ここへ通うようになってから。
親父は、ボケている訳ではない。頭はしっかりしている。まさか、お袋が本当に出てくるとは思っていない。ただ、思い出をなぞっていたいのだろう。そうすることで、心の落ち着きを保っていられるなら、存分にすればいい。それが端から見たら、ただの不審な老人であっても。いや、不審な二人組か。
「お前はまだ先がある。こんな年寄りは放っておいて、自分のことをやりなさい。」
「いや、もういいんだよ。仕事なんておいそれと見つからないし、家族もないし、俺が野たれ死んだって、誰も困らないもの。今すぐここで逝ってしまってもいいくらいだ。親父には、お袋というパートナーがいた。俺には、それすらないんだよ。何にもないんだ。自業自得なんだから、誰のことも恨んじゃいないけれど、もうどうでもいいんだよ。生きていたいとも思わんさ。」
親父の悲しそうな顔。人間の悲しい顔、本当の悲しみにまみれた顔とはこういうものかと思う。親に向かって、死にたいなどと発言するなんて、バチ当たりもいいところだろう。そうは思いながら、出てくる言葉を止められない。
静かに車をスタートさせた。いつものことだが、今日は道がいつもと違う。このまま家へは帰らず、どこか人目につかない場所を見つけたら、そのときは──。満点の星が、胸にヒリヒリしみる。涙で視界が歪む。泣いている間だけ、生きている感じがする。胸がわずかに温かくなる。
親父の首に手をかけて、一気にきゅっと力を入れる。少しだけじたばたする。やがて、静かになる。呆気ない。まるで夢の中の出来事のようだ──。
と、我に返る。一線を越えるのは簡単だ。星だけが見ている。この哀れな歳老いた親子を。もうすぐ。もうすぐ。夜はどこまでも続いている。このまま明けなければいい。朝に続かない、別の世界へ至る夜の中を。