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8:Matre pulchra filia pulchrior.

 「嬉しそうですねフロリアス」


 振り返る彼の方も、少し嬉しそうだとフロリアスは思う。ここは死の外線。その先頭で猛威を振るうのが……たった一人の混血。“僕ら”は一晩で大勢殺した。一晩で追っ手が増えた。


 「否定はしない」


 十字を切るシャルルスに、フロリアスはそう返す。岩場に腰を下ろせば、僅かに離れた場所へと彼も続いた。


 「無理して付いてこなくて良いんだぞ聖十字」

 「仕事ですから。何処までもついて行きますよ僕らは。それに余計に話が拗れちゃいます。僕がカーネフェリア。貴方が誘拐犯なんですから」


 笑う彼は離れる前に、仲間から精霊を預けられている。彼はそれを使っての通信で、その仲間とはやり取りが出来ているようだ。

 新たに流した情報で、標的はカーネフェリアのみとなり……カーネフェル王を騙るシャルルスが、最も危ない場所にいる。影武者なんて、シャトランジアは良く許したものだ。


 「君は……他国のために、死ねるのか?」

 「国のためになんて死ねませんよ。僕らはジャンヌと違って聖人じゃありませんし」


 面白い冗談を言われた風に、カラカラと彼は笑う。泣くほど笑う奴があるか。こうして共に過ごす内、彼はとても感情表現豊かだと気付く。……違う。それが“アルドール”なのだ。少しの間しか彼と話は出来なかったが、よく似ている。彼は雰囲気で彼を演出している。顔の作りは違っていても、遠目に見れば知人さえ欺せる演技力だと思う。

 何か一つ、ずば抜けての才能があるわけではないが……実に万能。恐らく“やれ”と命じられれば彼はどんなことでも成し遂げられる。


 「貴方に貴方の王様がいるように、僕らにも僕らの王様がいます。僕らはその人のために何か出来ることが嬉しいんです」

 「……それが“イグニス”様、か」


 此方の口から主の名が出たことに、シャルルスは嬉しそうに頷き返す。


 「…………その、王の居ない世界で生きるというのは、辛くないのか?」

 「こう言っちゃ何ですけど……綺麗ですよね」

 「……は?」


 質問には答えず彼は、景色を振り返る。


 「死地は僕もアルマも幾らか抜けて来ましたが、こんなに綺麗な墓地は初めてです。感動してるんですよ」

 「……悪趣味」

 「作ったの貴方じゃないですか」

 「…………そう、だな」

 「…………戦火は草木一本残さない。それが、戦場にこうして花が咲くなんて。ここは良い死に場所です。僕も死ぬならこういう綺麗なところで死にたいな。なんか絵的にグッとくる!」

 「君は馬鹿か?」


 彼も壊れているのだろうか。不躾に尋ねたが、それさえ彼は笑って返すのだ。


 「本当に綺麗ですよ。この国には勿体ないくらい」


 亡骸を吸い上げ咲く花と、僕を交互に眺めた彼が言う。


 「……そんなことより何処で追い付かせる? 戦いに適した場所を君は知っているか?」

 「そうですね……このまま都入りしても良いんですけど……でも、彼方もそう簡単には落とさせてくれません。一つ間違えば挟撃されるのは此方かも」


 「プリティヴィア公ファルマシアンは、油断ならない女です。僕の同僚が、二度殺し……二度仕留め損ないました。今度こそ息の根を止めておきたい」

 「その女は君たちの言う“カード”ではないのにしぶとすぎないか?」

 「“空白札(ブランクカード)”……とても特殊なカードです。審判の儀を行う者が手に入れられる二枚の予備札。一枚は聖教会が守り切りましたが、一枚は……道化師に奪われています」

 「つまり、その女が使われた可能性も」

 「ゼロではありません。ですが……此方にも勝算はあります」


 伏し目がちに新たな単語を持ち出した少年は、ゆるりと顔を持ち上げ此方を見上げる。


 「ブランクカードは、予備の札。リスクも大きい、その反面……ジョーカー以外の全ての数を設定出来る。そして……僕は主から、その1枚を託されました。この意味が分かりますよねフロリアス」


 *


(酷い景色だ……なんと惨い)


 コルディアは人気のない進路に恐れ戦く。第一島から来たという敵は何処にも見えない。既に何者か……おそらくは先を行くカーネフェリアに屠られている。先との距離を示すよう……何日前の亡骸か。乾いた肌は風に撫でられ、崩れて砂に。残る骸は骨ばかり。敵意を消失させるには十分だ。僅かな生き残りが語るには、カーネフェリアを伴う殺人鬼を名乗る男が「女王に会わせろ」と口にしていた。


(殺人鬼SUITは、毒使い――……)


 こんな殺し方をするのなら、セネトレアではもっと大騒ぎになっていたはず。例え被害者が身分の低い者であろうと。


(私は誰を信じれば良い? エリアスは……息子は本当に無事なのか?)


 数術最高峰の聖教会……技術としてはあの女より余程信頼出来るが、あの女の恐ろしさを私はよく知っているのだ。このまま私は無事で済むまい。


(早く、あの子に会いたい)


 こんなもの……死者の行進。凱旋だ。

 セネトレアには数多くの死が横たわる。その中で、最も虚しく……捨て置かれたのが我が第五島。戦火によって元素は壊され、毒に汚染され……不毛の砂漠となった我が領地。

 そんな中、我が島に……唯一外へと誇れる宝があった。我が息子エリアス……あの子ほど聡明で、愛らしい子供は他に存在しない。先祖のように美しい金の髪、海青の瞳。カーネフェル王家の血を甦らせた、私の宝。あの子は私の大事な一人息子だ。目に入れても痛くない。そんな愛しいエリアスが、今は餌とされている。嗚呼、その事実がまず私は許せない。第五島に、我がディスブルー家に何の罪があるというのか。再び戦でこの地を焼けとシャトランジアは言う。


(魔女と教皇どちらが恐ろしいか。そんなもの、私にとって……どちらも恐ろしい)


 そのどちらも、私の命を守る気はないのが見て取れる。エリアスを餌に使えば、私が良いように動かせると知って……この老体を最後まで踊らせるおつもりなのだ。

 言葉として、信頼出来る……力もあるのはイグニス聖下。彼は未来を見通す先読みの神子。しかし先を知る者が、本当に此方の良いように采配をしてくれるものか? 解っているのなら……自国にとって一番良い道を選ぶ。言いなりになった先……エリアスの未来が保証されるか私には確かめる術がないのだ。

 強い側に従えば、媚びへつらえば……我が子の命が守られる可能性は高い。さしあたっては、この度の裏切りを恥じ……犠牲を厭わず従うより他にない。


(解っている……解ってはおるのだ)


 ファルマシアンは純血だ。如何に独自の数術研究に開花しようと……頭の作りが違う混血には勝てない。勝てないが……第五島と第四島が結びつけば、解らない。少なくともあの魔女は、エリアスを守りはするだろう。脅しをかけては来たが、それは確かな治療法を確立しているにも等しい。シャトランジア側も同じ話を持っては来たが、あの女より長く……研究はしていない。故に、エリアスの無事を確認するまでは、明確な答えを出してはならない。どちらの側にも付けるよう……上手く立ち回らなければ。


(あの女に、エリアスが殺せるはずがない)


 第四公ファルマシアンこそ……あの子の母親なのだから。


 *


 「……というわけですのよ僧祗様。美学哲学と言うものが、時に数術を歪める。感情数によるブースト効果でしょうね。思い込みとも言いますが」


 嗅覚数術の概念も知らない純血が、一人でそこまで辿り着く。いやはや立派な物である。


 「故に、人の感情を操ることが出来るなら……数術使い以外にも厄災は引き起こせるのです」


 魔女は元々数術の才のない凡俗な人間だった。一つ、人と違う所を挙げるなら……その歪んだ愛の形であろう。奴隷を使った人体実験。売り捌いた怪しげな薬。このセネトレアで、魔女の薬を服用した……させられた人間は少なくは無い。人間の本能や欲望に、彼女の薬は寄り添っていた。


 「賽は幾つも投げました。そろそろ落ちる音が聞こえてくる頃合いですわ」

 「純粋な疑問と興味なのだが」

 「何なりとどうぞ」

 「そもそも貴女が真理を追い求めた目的、理由は何なのだ?」


 俺にはある、明確な目的が。しかしこの女からはそれが感じられない。手を組む上で隠し事があるのは構わないが、理由のない行動に知性は宿らない。のらりくらりとした有能な魔女……一定の敬意を払うべき相手か、軽蔑して構わない相手かいい加減結論付けたい。個人の好き嫌いのカテゴリー分類、何年も宙ぶらりんのままなのは些か気持ちが悪い物。

 僧祗の疑問に、魔女は質問をもって応える。


 「この世で最も美しいものをご存知ですか、僧祗様?」

 「美しい物……?」

 「私は美しい物を愛しているのです。しかし真に美しい物とは、汚してみたり壊してみないと解らないもの」

 「集めて終わりか」

 「いいえ、生き続ける限り実験と研究は終わりませんわ。何処まで輝かせられるのか、試してみなくなりませんか?」


 魔女は言う。だから、真に美しい物は手に入らないのだと。それが死んでしまうまで、魔女は追い詰め……壊してしまうから。


 「一人……それに近づけた子が居たのです、ふふふ。とてもとても、愛らしいの。決して壊れることが出来ない頑丈な赤い宝石が」

 「貴女を殺しかけた実験動物か? それが美しい物ではないか。貴女が死んでしまったら、研究は終いだからな」

 「ええ。けれど私がこうして表舞台で働くことで、あの子はまた深い傷を負う。あの子が仕留め損なったために、大勢の人が泣くことになる。あの子は自分を生け贄に出来る優しい子……それ故、自分以外が犠牲となることが何より辛い顔をする。ああ……会いたいわ、あの子のその顔を私はこの眼で眺めたい!!」


 それが目的か。最愛の人に消せない傷を付けることが、この女の幸せなのだ。もっともっと傷付けたい、悲しませたいと……。刹那姫は愛がないため、多くを傷付けられる。ファルマシアン……この魔女は、愛のために女王と同じ事が出来る。どちらがマシかという計算の答えは見つからないが、共に死んでくれた方が世の中のためではあろう。


 「でもその前に、仕事ですわね。舞台は整ったことですし……聖女様と遊ばなきゃ。あの子もいいわよね……勘違いしちゃった思い上がりの小娘って感じが堪らない!」


 仮の器を手放して、魔女はまた何処へと消える。便利なものだが厄介な。僧祗はひとつ溜息を零した。


 *


 腹を痛めずに産んだ子供に、母の情は芽生えるだろうか? 相手は魔女だ。何を思うかなど、到底理解は及ばない。


 「ふふふ……貴方の子ですよ、コルディア」


 野犬に噛まれたようなもの。そう割り切るに、過去の記憶は重かった。


 「な、何を馬鹿なことを」


 十数年前の夜……魔女は、一人の赤子を抱いて現れた。子宝に恵まれない私に、魔女が捨て子を与えに来たのかとも思ったが、忌まわしき記憶が私にはあった。


 「エリザベータ……この子はやがて、私を超える魔女になる。第四島、第五島が結びつけば……この国は変わると思いませんか?」

 「あれは一夜の過ちだ。お前の甘言に乗せられた私が愚かだった」


 コルディアは焦っていた。年老いていく我が身……本妻でも駄目、側室、愛人でも駄目。女を何度取り替えても、跡継ぎを作ることが出来ない自分自身に。そんな折、現れた美しい女に“私ならば”と囁かれ……藁にも縋る思いで寝所を共にした。女の正体も企みも知らぬまま――……


 「それは私の娘ではない。私とお前の間の子ならばっ……何故、混血ではない!?」

 「それは私が腹を痛めておりませんから。貴方から直接頂いた情報と私の情報でこの子を作り出しました。数術とは斯くも素晴らしい物なのです!」

 「外見情報まで、弄ったのか!?」

 「作ることは難しくとも、壊すことは容易い物。純血を混血に変えることは神の御技……されど混血を純血に変えることは人にも出来る。構成された数に狂いを生じさせれば良いだけなのです」


 そんな技術があるなら、何故私の妻の情報を使ってくれないのか。答えは先に語られた通り。この女が行ったのは、混血として生まれるはずの子の遺伝情報を狂わせること。エリザベータはその結果の産物だ。

 それでも男児であるならば……我が子として育てたい。だが赤子には女の名が付けられている。


 「混血ならば、双子ではないのか? 外見が変わっても……息子も生まれているのでは!?」

 「息子ならば此処に」


 魔女が取り出す小さな小瓶。そこに愛しい我が子が居るという。


 「先に半分成長させました。片割れがこの外見ならば、此方もカーネフェリーとして生まれるわ……そう、この情報群を貴方の愛する人に与えれば…………その方は名実共に第五公妃! 晴れて民にも受け入れられることでしょう」


 子を為せないのは、私の身体の所為だと魔女は言う。先の戦で食らった毒が、私の身体を蝕んでいる。子を為すには数術を用いた体外受精しか道がない。金さえ出せば人間さえ買えるこの国で、そんな技術に用はない。そんな研究をしているのはセネトレアでもこの魔女くらい。縋れる神は、悪魔の方に微笑んでいた。


 「何故……一年前にそれを話さなかったのだ」

 「あらだって、それじゃあ貴方喜ぶだけじゃない。私は貴方のその悩み苦しむ顔が見たかったのですよ。趣味じゃない女役で寝た甲斐があったというもの。その気になったら第四島までいらっしゃい。ああ、この子は貴方に預けます。研究の一環として」


 何を企むか、魔女め。金髪の赤子を私の腕に押しつけて、女は歪んだ笑みを浮かべる。


 「もしその子を死なせでもしたら、この小瓶がどうなるかよぉく考えてご覧なさい」


 魔女が去った後、私は何年も悩み続けた。その間も……娘は愛らしく育つ。私の血を継ぐ娘と知っても、魔女の娘かと思うと上手く愛情を与えられない。寂しそうな娘の顔を思い出す。嗚呼、可愛らしいのだ……娘も。しかしあの子を見る度、魔女の言葉が甦る。ファルマシアンを超える魔女……そんな風にエリザベータが育つのならば、殺してしまった方が世のためではないか? それが親として、公爵としての責務。けれど触らぬ神に祟り無しとも言うではないか。迂闊に刺激をすれば、それこそ娘を魔女に変えてしまうかもしれない。あれのことは最低限の生活をさせ、居ない者として扱う。名ばかりの娘として育てよう。嗚呼……それでも一日一日、娘は美しく育つ。小瓶に眠る片割れを先に映した顔で。


(エリザベータが男だったら……)


 何度もそう思った。何度もそう願った。どんなに愛らしい、見目麗しい跡継ぎか。男ならば魔女にはならない。あの女より私に似ているだろう。きっと正しい人間として生きられる。魔女の息が掛かった娘とは違う、血を分けた私の息子……魔女に敗北を認めれば、この腕に抱くことが叶う。頭を下げて懇願すれば、妻の悲しむ顔も笑顔に変わる。この秘密は私が墓まで持っていけば良い。


 「ファルマシアン! 私はお前に魂を売ろう! どのようなことでもしよう!! だから私にっ……」

 「ふふふ、では。私の弟子を……勉強させに行っても良いかしら? 第五島にはあの病がある。薬作りには毒の解析情報が何より大事。私は多忙なの。だから弟子達にそれをさせようと考えていますのよ」


 何年も悩み導き出した結論に、魔女が語るは小さな願い。そんな簡単なことで良いのかと、不安になる。風土病の解決で恩を売っておくつもりか? 後で何を請求されるか怖くもあるが、城に……領地に第四島の息が掛かった者を私は受け入れた。やがて生まれた我が子……エリアス。あの子が体調を崩した折に、魔女は「最高の弟子」という少年……オルクスを城内へと送り込む。

 ディスブルー島の崩壊は何処から始まっていたのか。今となっては……解らない。島を魔女に売り渡しても、娘の悲しげな顔をも塗り替える……愛しい我が子、我が息子。エリアス、あの子は私の宝だ。島を売り渡した罪深き私と、あの悪しき魔女から生まれたとは思えない……心根まで澄んだ天使のようなあの子。あのままあの子が健やかに育てば、私の後悔も第五島の悲しみも……全ては報われる。あの子こそが王の器だ。第五島など小さすぎる、やがてこのセネトレアを統べる王となる! あの子は気高きカーネフェリア! 獅子のように勇敢な王となるだろう。その時は……必ずや、父の無念を果たしてくれる!


 *


 「人を隠すなら人の中。これで移動は随分楽になる」


 身体は揺られて馬車の中。第一島へと向かう軍勢に、我々も加わっていた。先陣を切るのは第五公。彼を囮とすることで、仕掛けてくるであろう第四公をおびき出す作戦。確かにこれは彼の手柄だ。


 「移動の間、色々聞かせて貰えるかリオ?」


 大した活躍もしていないのに何故私に懐いたカーネフェリア。各人の視線が痛い。教え子も騎士様も戸惑いと嫉妬の視線を此方へ向ける。


(私だって、複雑なんだよジャンヌ)


 隣に座り、輝いた瞳で見上げるカーネフェリア。そんな姿は無垢にも見える。けれどこの子は……王だ。選択した者。自分一人の言葉によって……ディスブルー島の人々が死地へと向かう。その罪悪感もないまま笑う“マリウス。守るべきはカーネフェル。今は盟友のシャトランジアも守ってやる。……セネトレアの民など利用するまでよ。悩みもせずに彼は瞬時に割り切った。

 対するコルディア=ディスブルー。彼は最愛の子のために、セネトレアを裏切り、我々を裏切り……再びセネトレアを裏切った。愚かな男だ……第五公。

 こうして考えれば、まだ狂う以前の須臾王は……出来た王ではあったのだ。国の方針のため、愛する我が子を生け贄に捧げることが出来たのだから。ディスブルー公に王の器はない、領主の器さえ備わってはいない。他の公爵達に弄ばれるわけだ。


(善人だが迷いの多い男だ。あれは騙されれば何度でも裏切る。……その前に彼は、駒として消費する気だ)


 善人だが、支配者ではない。カーネフェリアもディスブルーも共にそう語られた人物。戦う術には長けていた傑物の先王にもその節は見受けられたため、あれはカーネフェルの血とも言えよう。

 一度初期化することで使える駒に変わるなら、もっと早くにそうするべきだ。イグニス様がそれを怠ったのは……本当にあの方らしくない。盲目なこの私でさえそう思うのだから、同僚達を各地に派遣した意味も自ずと知れる。


(あの方が守りたかったのは……シャトランジアでもこの世界でもない)


 “彼”を守ることで、平和な未来という結果が付いて来る可能性はあったとしても。


 「……どうした、リオ?」


 口を開かない私にじっと見つめられるのが、気になる様子のカーネフェリア……“マリウス”。


 「何からお教えすれば良い物か……悩んでいます」

 「では私から聞こう。セネトレア第四公爵、プリティヴィア公……そいつはどんな女だ?」


 精霊に、防音数術……盗聴結界は張らせている。込み入った話をするための問題はないことを再確認し、私は小さく口を開いた。


 「同僚が一度仕留め損ないました。いえ……正確には二度」


 セネトレアが生み出した悪しき数術が一つ、“オルクス式憑依数術”。ディスブルー公お抱えの名医オルクスは、肉体を捨て代えることで不治の病を克服する治療法を編み出した。その情報が広まることを恐れ、教皇イグニスは暗殺請負組織と手を結び、オルクスの殺害に成功。これで悪しき数術は止みに葬られた……とも限らない。

 セネトレアにはまだ、幾つもの問題が残されている。オルクスの治療を受け、その数術を知る者を……運命の輪は見過ごすわけにはいかない。


(第四公は憑依数術を知る上、同様の結果を生み出している。厄介なことになった)


 此方としても、第四公の排除は必要。知り得る全ての情報を、カーネフェリアに伝えるべきだろう。リオはルキフェルと話合い、その点では意見が一致している。


 「それが“憑依数術”か、リオ」


 “マリウス”様は“アルドール”様と違い、私を随分買っている。過ごした時間など、空っぽの彼には関係ないことなのか、能力で人の価値を計っているのだ。


(……イグニス様を名乗るなんてと、内心腹を立てもしたが)


 今のカーネフェリアは、確かに少し……あの方に似た雰囲気がある。カーネフェリアはあれほどあの方を慕っていたのだ。消去されても尚、“イグニス”様に関する情報が残っている可能性がある。仮人格を構成する上で、復元出来た情報を組み合わせた? 本来の自分と、思い続けたあの方を。


(複雑だな)


 信頼され頼られて……あの方を微かに感じて嬉しい反面、不快でもある。“逆”の可能性さえあるのだから。

 イグニス様は本来の“マリウス”がどういう人間だったかも、過去読みで知ることが可能。最初に神子として振る舞う際、幼いあの方はそれを手本にすることも出来たわけだ。いつか“アルドール”が壊れた時に、必要な情報を残せるよう威厳ある姿を演じ……彼にその姿を見せ続けた。その位、あの方ならやってのける。

 それだけあの方にとって、この少年が大切だったという事実が……どうしても私の胸を締め付ける。


(イグニス様……)


 全てを知り、理解した上で……それでも貴方を裏切れない。愚かな恋を抱えた我々を、貴方は最期の供に選んでくださった。

 その気になればもっと多くの仲間に恋愛感情を抱かせられたであろうあの人が、そんな未来を選ばなかったのは……多すぎる愛は崩壊を意味することを知っていて。貴方はいつも“世界のために”と口にして、殉教したのはこの少年のため。貴方の目的を知れば、運命の輪さえ瓦解する。最後に残るのは……そんな貴方を深く愛するが故、許せてしまう愚か者。それが私と彼女だったのだ。アルマについては思慮の概念がないためこの話からは除外する。シャルルスが悩みすぎる分、あれは本能だけの生き物だ。


(最後の供が、理性と本能か……)


 心強いだろうな。あの二人は、私に出来ないことをする。運命の輪で憑依数術に抗える者がいるとするなら、その代表格はアルマだろう。


 「セネトレア産の数術は、理論がなっていません。故に安全性はなく犠牲を強いる物が殆ど。私もあの式を浴びました。今精霊に解析させていますが……解読を拒むべく、故意に式を狂わせているようです」

 「結果として現象は起こり得るが、それを破ることは限りなく不可能……そこから生還したリオは凄いのだな」

 「私は例外です。私一人では破れなかった……彼を褒めて下さい、貴方の騎士を」


 私は私の存在を保管することが出来る。憑依により人格を壊されずには済むが、身体の支配権をあの女に明け渡してしまった。


 「よくやった、偉いぞアロンダイト。褒めて使わす我が騎士よ」

 「……身に余る光栄です、陛下」


 私などを名で呼ぶ彼が、気安く名を呼びもしない。表面上は認めても、心の扉は閉ざされた。拒絶されながらも歩み寄ろうとした王が、今度は騎士をこの扱い。突き放されたと感じるだろう。騎士の表情は微かに固く強張っていた。


 「ランス、彼方はリオ先生に任せて……私達は先に物資の確認を済ませましょう。この馬車の中にある物は好きに使って良いとのことですから」


 彼を気遣ったジャンヌが、馬車後方へ騎士を誘う。二人きりで話したいことがあるのだろう。私は其方にも精霊を向かわせ防音数術を展開させようとした……その時だ。馬車が……この軍が歩みを止めたのは。


 「先頭で何があった? リオ、彼方の精霊は何と?」


 マリウス様が問いかける。しかし私は答えられない。


 「先頭は橋を渡りきり、第一島へ。そこで……第一島ベストバウアーより、第三聖教会から……聖十字軍を名乗る者の、加勢の申し出がありました」

 「嬉しそうな顔には見えないが?」

 「……信用できない相手だからです」


 援軍を隠している。この先、第一島のある村で合流したいと語る兵士。その男の名は……姿形は寸分違わず懐かしい男の姿をしている。


 「聖十字を率いる男の名は“ラハイア”。殉死した……私の教え子です」

 「ら、ラハイア!? 彼が、彼が生きて居るのですか!?」


 嘘を吐くべきだったか。いやすぐに知れ渡る。ここは嘘をつけない。だが、面倒だ。ジャンヌまで取り乱してしまっている。


 「落ち着けジャンヌ。彼の亡骸はセネトレア女王の手の内だ。憑依数術の依り代に使われた可能性が高い」


 不敬は承知で教え子を叱りつけるが、彼女に言葉は届かない。この状況だ。信頼出来る一番の親友の存在……その生存を知れば信じたくもなるだろう。


 「……彼の中身が偽物か本物かどうか、会えば解ります。私が行きます!」

 「“道化師”の入れ知恵だ! 此方には情報がある。“道化師”は“遺体”を操る数術を会得している!」


 その事実を目の当たりにしたのは、この場にはアルドール様だけ。彼の人格は今は無い。人伝に聞いたことはあったとしても、恐れを知らない。生半可に頭が切れ腕が立つ連中は、こういった時扱い辛い。僅か数日の間にも、此方の性格は相手方に知れ渡っている。ファルマシアンは恐るべき女だ。


 「確かなのですか、先生。彼の亡骸を見た人は、本当に……それが彼だと裏付けは取れたのですか?」

 「ジャンヌ……お前はもはや一介の兵士でも私の教え子でもない。一国の王、その伴侶だ。その王妃がこんな見え透いた罠にのこのこ出向くというのか!?」


 私は正論を語り彼女を諭しているつもりだ。しかし、彼女の瞳には疑念が宿る。一度でも被憑依された私が悪い。肝心な時に、彼女の信頼を得られないとは。


 「仮に中身が第四公なら、俺には解ります。一度戦った相手です……私に行かせて下さい陛下」


 ジャンヌの言葉を受けて、名乗りを上げた騎士ランス。カード数として彼一人では心許ないため、私は彼女へ頼み込む。


 「……ルキフェル」

 「……解ったわ。他に方法は無さそうね。私もラハイアとは会ったことあるし、見れば解る」

 「その男はこの国で、有名な男なのか?」


 話が決まりかけたところ……様子を窺っていたマリウス様が、静かに口を挟み込む。


 「彼女の親友にして、この国における英雄にして聖人です。偉業だけならカーネフェルにおけるランス様をも凌ぐかと」

 「そうか……それは良いな!」

 「マリウス、様?」

 「敵と似た事が出来る者はいないか? 私はその男の身体が欲しい」

 「アルっ……マリウス! 何てことを!!」

 「そうだろう姉さん? その男が英雄ならば、亡骸でも生きたように動かせるなら……民は此方に付いて来る。精々騙された振りをしてやろう」


 使える者は何でも使う。そう語る少年王に恐れを感じる者は居ても、悲しみを覚えない者は居ない。“アルドール”様をよく知る者であれば尚更だ。僅かしか知らぬ私でさえ、胸が確かに痛むのだから。


 「“アルドール”」

 「姉さん?」


 何故皆が悲しむのか理解出来ないマリウスを……ジャンヌはぎゅっと抱き締める。少年のかつての名を呼んで。


 「“お願い”を……聞いて。いつもの貴方に……“アルドール”に戻って。貴方の顔で……貴方の声で、貴方が殺されていくのが…………私にはっ、耐えられない!」

 「……“ジャンヌ”」


 いつもの呼び方、呼ばれ方。奇跡が起きたのかと目を輝かせるジャンヌに、少年王は機械めいた冷たい視線を持って応える。


 「それならば情報を下さい。僕は、僕とはどうあるべきなのですか? 貴女の望む僕とは? “アルドール”とは何なのですか?」


 その返答に深く傷ついたジャンヌ。もう見ていられなかったのか、カーネフェルの騎士は青い瞳で主を強く睨んだ。


 「……私の王は、弱くて頼りなくて。それでも共に泣いてくれる人だった。泣けない者には、代わりに泣いて下さった」

 「何をそんなに怒っているのだランス?」

 「“マリウス”! 貴方はカーネフェリアなどではない。ジャンヌ様を一人泣かせる貴方は、俺の王などではない! 今この場においてカーネフェリアはジャンヌ様唯一人! 何なりとご命令下さい女王陛下。貴女の騎士が、どんな願いもこの手で叶えて見せましょう!」


 マリウス様が何かを返す前に、ジャンヌを抱えて騎士は馬車を飛び降りた。後続の馬を奪って彼らが駆けるは橋の先……近付いて来た第一島。

 此方もすぐさま追わなければ、取り返しの付かないことになる! 慌てて精霊に後を追わせるが、此方は荷物が多すぎる。ルキフェルもマリウス様も馬などろくに操れはしない。馬車の操縦を奪っても、橋の上では追いつけやしない。二人を見失わぬよう、追跡させるが精一杯だ。


(くそっ、これならまだ本当に抜け殻の方がマシだった!)


 唯の抜け殻であれば、保管することもできたのだから。苛立ちを隠せず私は王に憎しみを込めた視線を送る。その先で、少年は戸惑っていた。


 「リオ……これは、何だ?」


 悲しくもないのに何故、自身の頬に涙が伝っているのか。意味も分からず彼は呆気に取られている。


 「“アルドール”様」


 驚く私は答えられない。私に代わって答えるルキフェルは、小さな子供に教えるように……彼にその意味を伝えた。


 「貴方は覚えていないかも知れないけれど、貴方は悲しかったんですよ。貴方はランス様とジャンヌ様のことが、大好きだったんだから」

 「好きだと何故悲しいのだ?」

 「二人に、今の貴方が嫌いだと言われたからです」

 「そうか……私は、悲しかったのか」


 馬車に揺られながら、暫し彼は考え込んでいた。壊れてしまった人形が、再び人間になろうとするように。彼は考えて、やがて私達にこう言った。


 「…………ルキフェル、リオ。頼みがある……聞いて貰えるだろうか?」

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