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6:Caelum non animum mutant qui trans mare currunt.

 「……不躾ながら、単刀直入に伺います。取り引きの内容について」

 「要約すると、うちも刹那を殺したい」

 「…………天九騎士の貴女が、ですか?」

 「あかん?」

 「いえ……仲間割れ、という風には見えませんが」

 「そやね。好き嫌いで言うたら、愛しとるわ」

 「は、はぁ……なるほど」


 敵将相手に相槌は打ちつつ、ランスは軽く混乱していた。


(天九騎士、阿迦奢(アーカーシャ)……美しいことは確かだが、嫌なところであの人の血を感じるな)


 以前は女の格好をしていたが、今回は男装中。このセネトレアをタローク女性として彷徨く方が馬鹿げている。前回の邂逅は、囮だったと言うことなのか?

 イグニス様の姉を名乗った敵将。相手が相手と言うことで、教会側は対応しづらいようである。交渉役を買って出たランスにとっても、容易に御せる相手ではない。純血がどうやってこの海の底までやって来たのか。なかなかに彼女も神出鬼没。そこは道化によく似ている。


(相手は身分からして上位カード……たった一人でこの場に無策で来たとも思えない)


 上陸後に遭遇した際は、此方を挨拶代わりに毒殺しようとした相手。それが今度は協力を申し出る? 怪しいことこの上ないが、あの時は此方を見逃したようにも取れる。阿迦奢の伝言は“お前はセネトレアで、大事なものを失うぞ”というもの。アルドール様にとっての大事な物は何か……あの方自身だとするならば、彼女の言葉は当たったことになる。


(イグニス様の……血縁)


 わざわざ彼女がそんな言葉を残すとは思えない。阿迦奢に貸しを作った“イグニス”は、道化師で間違いない。阿迦奢はあの者の正体について知らぬままここに送り込まれたのだろう。ともすれば、これは好機でもある。阿迦奢から、道化師についての情報を探るための……!


 「簡単な話とは行きませんね。食事の席を設けましょう阿迦奢様」

 「堪忍な、助かるわ。うち最近ろくなもん食うてへんねん」


 また妙なことをされては敵わない。海底の岩を家具代わりに始まる奇妙な宴。友好的な対話の提案を装って、ランスは彼女の隣に腰掛ける。


 「ああ、安心して下さい。毒は入って居ません」

 「毒入りでも効かへんよ。ほー……カーネフェル料理も美味しおすなぁ」


 新鮮な魚料理に舌鼓を打つ阿迦奢。皆は緊張している様子だが、今は食事を取るよう指示を出す。


 「……あれは貴女の数術ですか?」


 この距離なら情報数術ですぐに壊せる。情報を引き出すだけならそれでも此方は構わないのだ。また怪しい術を使うなら、この場で仕留める。もし彼女が本当に協力を申し出ている……或いは利用価値があるのなら話は変わるが。どちらにせよ、対話なくしてこの場は動きそうにない。


 「概念の話なら何でも数術やろ。世界に影響を与えるいうんなら、呼吸一つにしろ文字の一文字でも数術やね」


 此方の質問に、阿迦奢は気分良く答えてくれる。料理が功を奏したのか? いや、油断は余裕によるもの。彼女の持つ切り札はそれ程までなのか。


 「哲学上ではそうでしょう。しかしそれではキリがない。ですから数術にも数術使いにも線引きがある。本来、人が誰しも出来ない事象を引き起こすのが数術です」

 「タロックの数術は、そちらさんとは趣が違うてな。大事なんは信じること。そちらさん風に言うなら感情数とか肉体の構成数言うんが関わってるんやろ。騎士はんの目と同じや」

 「遺伝、血統……そして信仰というわけですか?」

 「信仰はちゃうね。風習、文化、伝承。そういうんを大事に守うて来たんが大っきいんや」


 タロックは他国との関わりが薄い。セネトレア、シャトランジアとの交流も一部地域に限られ……他国の情報が全土に広まることはない。


 「便利な数術に頼らない生活、儀式、風俗が……人の感情数により数術へと変化したとういことですか」

 「そやね。裏付けは取れてへんけど」


 学がなくとも数術の才がある者が信仰を受け継ぐ。血と能力は濃くなり長く続いた家には、期待という感情数が寄せられる。阿迦奢は生きた神のようなもの。貴族の血統ではないエルスも信仰により崇められた神である。


 「確かにカーネフェルにはない考え方です。如何に血筋がどうあれ辺境に追いやられた騎士など、都貴族の犬ですよ」

 「そやろか? シャトランジアにおける神子も似たようなもんやろ? 陛下とお姫さんのことをうちら国王派が認めたんも、シャトランジアとタロックの共通点から解り合えると信じたからや」


 阿迦奢に悪意はない。しかしこの場にはシャトランジア側の人間も多く居る。今のはシャトランジアタロック間の蜜月関係を破壊したのも、タロック王であることを棚に上げた発言だ。一人しか居ない神子を、各地域や名家に点在している神と一緒にされては堪らない。リオさんは不快感を一瞬顔に出した後、落ち着いてくれたが……ルキフェルさんは歯を噛み締めて悔しそう。如何に神子の身内であっても許せない、そう憤りたくなる気持ちも解る。それでも抑えてくれと視線を送り訴えた。


 「それに、カーネフェルかて変わらへん。騎士はんもその子がそういう感じやろ?」

 「……違います。アルドール様は私の主君でありますが、私を友と呼んで下さった。だから私はアルドール様を崇めません。一人の人間として、大事にしたいと思うのです」


 流石に誤魔化せないか。中身が変わっても外見が同じなのだ。視覚数術を破る相手に嘘は通じない。あれがアルドール様であることは認めざるを得なかった。それでも俺は否定する。

 言い切るランスの顔をじっと見つめて、阿迦奢は小さく笑う。


 「王は孤独な生き物やさかいに。あほくさい考えは身を滅ぼすで」

 「あの方のために滅びるなら、この上ない幸せですよ俺は」

 「訂正するわ。滅ぼすのは身ちゃう、心の方や」

 「忠告痛み入ります。しかしそんな警告のために貴女はここへ?」

 「いけずやわ騎士はん! 脱線させたのは騎士はんやろ? うちが言いに来たんは……第四公のことや。あの女については殆ど情報ないやろ?」

 「……そうですね、仕留められるものなら仕留めたいのは事実です」


 セネトレア第四公……プリティヴィア公ファルマシアン。あの女にはハイレンコールで世話になった。俺も、リオさんも。


(あの女は危険だ。放置は出来ない……必ずや我々の脅威となる)


 彼女を始末したい。そんな此方の胸を見透かすよう、阿迦奢は凛と声を響かせる。あの、言霊数術なる術を!


 「“あの女がいないなら、とうに第一島へ上陸できている”」

 「!?」

 「今のは数術ちゃうわ、唯の事実」

 「そのようには思えませんが……次にこの場でその数術を使ったら、交渉は決裂です。その命はない物と思って下さい」

 「嫌やわ、うちなりの友好の証やね? “第四公を排除すれば、お前達は必ず王都まで辿り着く”」


 阿迦奢の言葉は、保証書であり枷。喜ばしい呪いともなる。こんな余裕を見せるのだ。自身を守る言葉は重ねてきていることだろう。この場で死なない自信があるのだ。どうやって丁重にお引き取り頂くか、それを考えなければならない。


(第四公とも違うが……こいつは、呪いの魔女だ)


 数術の絡繰りは解らぬままだが、魔女の機嫌を損ねれば……状況は悪くなる一方。カーネフェルのため、アルドール様のため! 俺はどんなことでもしよう。


 「祝いの言葉、感謝致します。貴女は確かにイグニス様の姉君だ。その言葉全面的に信頼しましょう。我が王、カーネフェリアに代わってこのアロンダイトが」


 心を偽り浮かべる笑みは穏やかに。騎士の模範となるような、かつての自分を装った。もう嫌という程思い知った、自分の顔が女性にどう映るのか。これも使える武器ならば使い倒そう。


 「そ、……そんな、礼を言われるほどのことでおまへん」


 男所帯の紅一点の女騎士。男と対等に渡り合う武勇を重ねた阿迦奢。それ故男慣れしていない。感謝や好意を声や表情に乗せれば、すぐに赤面して目を逸らす。いざという時此方に肩入れしたくなるように、好意的な人間を演じれば良い。


 「お代わりはいかがですか阿迦奢様? 生憎酒はありませんが……カーネフェル産の茶などは?」

 「こないな場所にお茶(ぶぶ)お菓子(ええもん)まで!? 殿方にお茶貰うなんてうちはじめてやわ。夏やのに砂漠も海も寒いもんやな。温かくてこれもおいしおすなぁ。火、水の数術言うんは便利やね」

 「ありがとうございます。ですが俺の数術など……大したことはありません」


 タロック軍は食料も乏しい。それまで料理もしたことがない兵士ばかりで、戦場ではろくな食事が出ない。出される物全てに阿迦奢は笑顔を向ける。


 「時に阿迦奢様。……貴女は弟君であるイグニス様より我々への協力を頼まれたと言うことなのですか? 貴女は立場ある天九騎士。タロックを追われる身となったと言うのでしたら……カーネフェルへの亡命という手もありますよ」

 「うーん、どやろな。うちはそもそも刹那の騎士。その役目を全うして終わったはずのうちを助けたのがイグニスや。その分弟のお願い聞いとるだけやね」

 「……セネトレア女王の、騎士?」

 「うちも迷うとるんよ。生き恥晒しとるわけやし……ほんでも生きとる以上、刹那は恋しい」


 世間話をするように、嘘も感じさせない言葉を紡ぐ阿迦奢。


 「……“私は刹那に死ねと言われたら死ぬ。それが私の喜びだった”」


 あの女を口にした途端、彼女の顔から笑みも照れも消えていく。目先の誘惑には靡かぬほどの絶対的な存在として位置づけられているかのようだ。冷たい目をした今の彼女なら、料理や茶の味も忘れ……俺を叩き斬ることが出来るだろう。己を越える感情の切り替え速度にランスはぞっとする。


 「“あの人は勝ち続ける。私の祝福によって。あの人は打ち負かされたい。ギリギリの瀬戸際まで追い詰められたい。いっそ死にたいのかも。いいえ、満たされたい。幸せになりたい。でもそれは生きて叶えられる望みでないかもしれない。あの人の願いと叶えたい。それは償い。あの人を喜ばせるために、私はその舞台を用意しなければならない。だから貴方達にはあの人を本気で殺しに来て欲しい。私はその手伝いをする”」

 「阿迦奢様!? その数術は……っ」


 阿迦奢の独白に、騒ぎ出した教会陣。殺して止めるべきかと視線を向けるも、それは駄目だと涙目のルキフェルさんに訴えられる。


(ジャンヌ様……)

 《そのまま見守って下さい。止める際には此方から指示を出します》


 リオさんに守られるよう、アルドール様と共に離れていたジャンヌ様からの応答。教会側はこの数術についての情報がある様子。イグニス様と同じ数術なのだから仕組みにも通じていると言うことか。


 「“あの人は私を特別にしてくれた。その上で私を失おうとした。殺そうとした。その時自分が何を感じるかあの人は知りたかった”」

 「“特別だった私でも、あの人の水面に風を吹かせることは出来なかった。私は私によって失望された。騎士・阿迦奢は役立たず”」

 「“私が生きて居ることを刹那は知らない。ほんの少しは驚かせられるわ。あの人はその僅かな時は喜びで満たされる。刹那は私に恨まれ命を望まれることを歓迎することでしょう”」

 「“故に私は、可愛いイグニスの不利益にならない範囲でカーネフェルに協力をする”……そやな、これが答えやと思うわ」


 自身の考えをまとめるように、彼女自身にかけられた数術。


 「自分にこれ使うんは禁術や」


 女王の騎士としてか、教皇の姉としてか立場は選びきれない迷い。カーネフェルに賭けを持ちかけに来たのだと俺は彼女と共に理解する。


 「女王の忠臣としての行為が反逆で、その結果生き延びた方のために生きよう。そういうことなのですね?」

 「そやね。今後タロックでの立場が必要かもしれへんし、天九騎士のままやと思うけど。後はそやな……“僧祗を始末したい。奇襲失敗したから手を変える必要がある”。僧祗はん、うちが生きとるの知ってはるんよ。あのお人協調性皆無やからな……しばらくは刹那まで届かん思うけど……第四公が目障りや。あのお人には早いとこ退場してもらわんと、うちも敵いません」


 名目上、此方と其方は利害は一致している。しかしこの女の言葉を何処まで信じて良い物か。言霊数術時代は制約という縛りとなって、彼女の身体に刻まれていく数値が見えてはいたが……。判断材料を求め、ランスは追求を続ける。


 「阿迦奢様、ちなみに言霊数術による誓いに逆らうとどうなるのですか?」

 「原理は説明してもわからんやろ? でもまぁろくな事にはなりまへん。その時はうちを簡単に殺せる思うてええで? 言霊数術言うんは、万能やない。何かを確実な物と因果に縛り付けるには、同じだけ制約や約束事を枷とする。自分を犠牲にして使えるようになるもんや」


 呪いや祝福。他者への言葉を真実にするための代償は、術者自身が己に厳しい制約を課すと言うこと。自己犠牲の上に成り立つ数術なのだと彼女は言った。おそらくそれは真実だ。その言葉を疑う者はこの場に居ない。イグニス様が同じ術を使う姿を我々も目にしている。疑うとすれば全てを忘れたアルドール様くらいなものだが……彼はジャンヌ様の命令通りむっつり黙り込んだまま。


 「うちがうちに言うた言霊に背けば、うちが誰かにかけた祝福さえなくなる。ま、うちが刹那に捧げた時間、人生はうちの過去そのものや。それを打ち消すっちゅうのは並大抵なことやあらへんけどな。“セネトレア女王を殺したいのなら、私にとって何より大事な約束を破らせる必要がある”……うちがカーネフェルの手伝いさせるんは、セネトレア攻略に必要なことや」

 「……では、既に貴女が此処にいる。貴女が我々に協力すると言うことは、その行為自体が貴女自身への裏切りとなりませんか?」


 セネトレア女王は、言霊の加護を失い……既に殺すことが出来る存在。そんなランスの呟きに、阿迦奢は呆れた様子。


 「そないに簡単な話やない。あの人の心は誰より複雑。私の裏切りこそあの人の望み、願いでもある。私が今此処にいることが、あの人への誓いを守ることへも繋がる」

 「そ、それは解釈によって嘘にも真にもなるのでは!? そんな不確かな物で言霊数術が成立するのですか!?」


 揚げ足を取るような彼女の物言い。それは手強く、隙がない。


 「女心言うんは秋の空なんよ、騎士はん。“私が刹那へ誓った、己に賭けた言霊は……この命ある限り彼女を裏切らないこと”。刹那の真の願いを見破って、うちを裏切らせる。それが出来なければ、どんな祝福も相殺される」

 「……同行はしていただけませんね? 貴女は貴女の生存を隠したいとのことですから」

 「そやな。ひとまず、刹那を追い詰めたいっちゅー点では利害一致や。世話してもろた分、お代は払いますえ。うちを信じる信じないは騎士はんらで話し合うてな」


 席を立つ前、阿迦奢は最後と茶を啜る。


 「第四公は女狐で古狸や。無邪気さがない分、刹那よりも質が悪い。今回の悪事もディスブルー公や僧祗はんが考えた物とは思えへん。裏で操ってるのはあの女。……悪意を打ち負かせる正義はない。悪に勝てるのはそれを越えた悪意だけ。正義を捨てられる者だけが、あの女にも対抗できる」


 この場に悪になれる者は居るかと問いかけられている。それが出来るのは運命の輪と、俺しかいない。これがカーネフェルの戦いである以上、全てをシャトランジアに背負わせられない。ならば、それは俺であるとランスは阿迦奢を強く見つめて頷いた。


 「“我が王と、祖国カーネフェルのために。成し遂げられぬ事などありません”」

 「“では第五公に会いに行け。彼は貴方達を歓迎する。その上で全てを見極めろ。カーネフェリア、貴方が王だというのなら……貴方達がその盾であるというのなら、必ずそれを成し遂げろ。その時私は、一度カーネフェルの力となろう”」


 *


 信じて見守るのも辛い。何度口を挟みそうになったことか。内心脅えながら、ジャンヌは時が過ぎるのを待ち続けた。


(ランス……)


 聞こえているだろうか、この祈りは。握りしめた剣から伝わる心……うまく言語化できないから、伝わってはいない?


(どうして貴方は、カーネフェルのためにそこまでしてくれるの?)


 貴方の忠義は疑わない。だけど、どうして? 疑問は尽きない。

 貴方はカーネフェルで生まれ育った。一度として私のように国外へ逃げてはいない。ずっと戦いながら生きて来た。貴方の人生は、貴方の命はカーネフェルその物なのだろうとも思う。

 一度は怖いと思った貴方のこと。だけど知りたいと思う。願っている。この場でアルドールを守れるのは私と貴方しか居ない。お互い、もっと信頼し合わなければ乗り切れない。貴方はきっと無理をしている。一人で背負っては駄目。アルドールを大切に思ってくれるのなら、二人で支えていくべきでしょう?


(女の私では、貴方の友になれませんか……ランス)


 貴方だけが悪を抱える必要はないのに。どうせ間も無く死ぬ私に、罪を着せても良いの。どうしてそれをしないの? アルドールさえ綺麗なままで居てくれればそれでいい。それでカーネフェルの栄光は守れる。


(どうして貴方は……私を聖女でいさせたいの?)


 何も答えは返らない。心と頭、考えていることが複雑で、念話数術として成立していないのだ。


 「長の間、おやかまつさん。ほな、さいなら」


 敵将は最後に微笑んで、その場から姿を消した。後に残されたのは……水壁の外を泳ぎ消えていく小さな魚。


 「き、消えた……!? 空間転移?」

 「いえ……精霊数術、でしょうか?」

 「分類するなら一種の憑依数術だ。使役する精霊に自身を映し、実体化させたのだ。タロック側にそのような認識はないだろうが……土着信仰のシャーマニズムのようなものだろう」


 目を瞬く私とランスに、リオ先生の注釈が入る。若干表情が陰っているのは、トラウマとなった数術との関係からか。


 「……数術とは、本当に何でもありなのですね。そんな、神の御使いのようなことを……人間が出来るなんて」

 「唯の人間ではない。タロックとシャトランジアは違っているが、イグニス様と同じような存在なのだ彼女は」

 「うーん、むしろ先祖代々受け継いだ精霊を、現地の生き物に憑依させたって方じゃない? 悔しいけど……本当みたいだわ。あの人……イグニス様のご身内って言うのは」

 「そうだな。先読みは神子の特性だが、言霊数術は……タロックからあの方へ受け継がれた物だろう」


 リオ先生とルキフェルさんの会話から、私は唯ならぬ物を感じる。


(イグニス様……)


 あの方の過去を、私は詳しくは知らない。アルドールや人伝に少し聞いているだけ。アルドールの大切な人で、シャトランジアに来た移民。かつて奴隷に身を落としたことがある……聖教会の長。


(そんな方の姉が真純血のタロック貴族……)


 阿迦奢はきょうだいの存在すら、少し前まで知らない風だった。望まれた出生であるとは思えない。


 「……リオ、覚悟は出来た?」

 「とっくに出来ている。私が仕えていたのは私の両手に自由をくれたイグニス様だ」

 「そう。シャル達にもあの事は教えてある。他のメンバーはもう、敵と思って進むわよ」

 「まさか最後に傍に居るのが、お前と私とはな」

 「ふん、嫌なのは私も同じよ。でも仕事だからそういう感情抜きで、やるわよリオ」

 「無論。ジャンヌ様……ランス様」


 頷き合った二人は、揃って視線を私達へと向ける。彼女達は大事な話だと言って、海底空間の場所も移動させた後、幾重にも数式を貼り、阿迦奢の痕跡さえ残さぬよう徹底付けた。


 「もうお気づきのことだろうが、伝えさせて頂く。阿迦奢を助けたというイグニスは、道化師だ。我々の念話数術回線に、アクセスがあったことから間違いがない」

 「私達は道化師からの連絡を無視している。真実に気付いた裏切り者だと彼方にはもう知れ渡っているはずよ」

 「私が身を明け渡した切っ掛けは、イグニス様の崩御を確信したことだ。あの悪しき術は、深い悲しみ……絶望により身を塗り潰す。もし狙われることがあっても、どうか心を強く持ってくれ。……負けた私が言えたことではないけれど」

 「……リオ先生」

 「ルキフェルさん……」


 もうシャトランジアへは帰れない。カーネフェルのために命を投げ出し、道を作ると告げた彼女らの言葉が重くのし掛かる。


(アルドール……)


 責任、重圧はこんなに重い物だったか? 元の貴方がいないだけで、こんなにも私は弱くなる。弱い貴方が居てくれたから、私は強い振りが出来ていたのに。


(駄目ですね、私は)


 一瞬でも逃げ出したいと思ってしまった。そんな自分を恥ながら、ジャンヌは顔を上げる。


 「ア……、マリウス?」


 その先で、庇っていたはずの背中を見た。


 「もう、喋っても良いか姉さん?」

 「マリウス……? ええ、でも」

 「話は全て聞かせて貰った。あの女の言葉を信じた上での行動をする……という方針で良いのだろうか? その……イグニスとやらのことは解らないが、教えて欲しい。私は何をすれば良いんだ? カーネフェリアとして私は責務を果たしたい」


 命令に従うだけの人形。であるはずのアルドールが、命令より前に勝手に動き考え出した。今度は何が起きたのだろう!? 私達は慌てふためく。


 「ら、ランス! アルドールを診て下さい早くっ!!」

 「アルドール様、お気を確かに!!」

 「ちょっとリオ、これって空っぽの仮人格じゃないの?」

 「いや、これは……この状況が、新人格構成のナビゲートをしてしまったのだ」

 「しかし新人格インストールされたら、名前でリセット適応するはずでは?」

 「例外処置により入れ替わったんだ。恐らく……以前までの名前の方がリセットワードと入れ替わるバグが生じている」

 「でもそれもさっきジャンヌ様とランス様が呼んだわよね?」

 「確かに。では何が今度はリセットワードになったのだ?」


 迂闊に話しかけられない。どういう言葉に反応し、彼がまた真っ新にされてしまうか解らない。脅える私達を心配そうに、……いや呆れたようにアルドールが見つめている。


 「売られた喧嘩は買わなければ。舐められるぞ姉さん。貴方が僕に教えたことだ」

 「ええとその、そうだった……かしら?」


 それは、ルクリース様……貴方の本当の姉君との思い出ではないの? まさかアルドールは、奴隷になる以前の記憶を……微かに取り戻している?


(……それだけじゃない)


 今、私達にとって必要な存在。弱く傷ついた私達を導ける王……必要とされて彼はそういう人格を形成した。そのための手掛かりが、消去された過去にある。無理矢理修復されたから、一部分しか復旧しなかった? それともこれから全てを思い出すの?

 そうやって本当の貴方が取り戻された時、上書きされたアルドールは……私が出会い共に過ごした彼は、完全な物として取り戻せるのだろうか?


(怖い……)


 これ以上何も思い出さないで。だけど……指針となる者がいなければ、私達はこの砂漠を海を彷徨い続けることになる。


 「まずは情報が欲しい。情報さえ揃えば、この島は私が落とす」


 殺戮に脅えていた少年は、見る影もない。望まれた王の器だけがここにある。魂の抜け殻……空っぽの器がここに。


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