3:In hoc signo vinces.
「美味ぇ……これが、空気!」
(な、何これ!?)
想像していた妹? の声は、女のそれではあった。しかし言葉遣いが野性的。
「はじめまして、アルマ」
「はん、いぐにすさま、だっけ? 随分と可愛らしい名付け親ちゃんだな。それに綺麗だ。気に入った!」
「こ、これ! 止めなさいシャルルス! 神聖な聖教会内で、しかも次期神子に何てことを!」
「ぎゃははは! 俺様はアルマ様だぜ、間違えんなよ老いぼれ!」
(ど、どうしよう、どうしよう!)
視界に流れる黒い髪。僕とは違う、色の髪。僕はそれを見ているだけ。こんな片割れだなんて知らなかった。アルマは僕への恨み言を口にせず、暴力的にイグニス様を口説き始めた。
「男みてぇな成りしてやがるが、この神子女だろ?」
「だったら何か?」
(ああああ、ごめんなさい、ごめんなさいぃいい!)
でも神子様なんて男らしい。いきなり現れた獣みたいなアルマを前に、平然としたお顔。思いきり突撃されて、床に転倒させられて……腹部に跨がられているというのに。
(アルマ、ほんとにもうやめてぇええええ!!)
エリート街道驀進中だった僕が、人生の左遷罷免に突入する。これは暗殺処刑さえあるぞ。
「次いつ娑婆に出られるかわからねぇから、俺もこの辺で跡継ぎ作ろうと思ってな」
命の短い生き物が子孫を残そうとするかのように、アルマは酷く短絡的だ。目に付いた好みの相手と言うだけで、出会い頭に飛びかかるとは……僕は僕の半身が恥ずかしい。まだ僕への恨み言を、口にしてくれた方が良かった。
「こ、こらイグニス君! この子にバラしていいのかね!?」
「バラすも何も、見破る方の目が凄いな。普通に見えてるようですからね……っていうかチャリス様、見てないで助けてください」
「し、しかし! 儂が婦女子の半裸を目撃するわけには……、だが! これ以上はあのろくでなしが登場する可能性もあるからさっさと収拾を図りたいのじゃが……!」
僕は手を切り落とさなければならない。僕ではない僕が、次期神子様のお体を……その胸部をあろうことか鷲掴みにしているのだ。おまけに服まで破いてる。僕にそんな腕力、ないはずなのに!
もう生きてはいけないと……数術で自害をしようと思ってが、僕は何も作れない。僕の身体は完全にアルマの支配下にあった。
「まぁ、残念だけどねアルマ。僕は今訳あってこんな身体だ。僕の番いになりたいなら、僕の呪いを解く手助けをしてもらいたい」
「は? 何言ってんだ。立派な良い乳してんじゃねーか。子供は何人希望だ? 俺は沢山が良い」
「胸ねぇ……アルマ、それは君もだよね?」
「は? ん……? な、何だこれは!?」
イグニス様は水の数術で鏡を作り、アルマと僕に彼女の姿を知らしめる。黒髪青眼……身体は女性らしい肉感がある混血児。僕の情報が残っていたのは瞳だけ。他は全て別のパーツに置き換えられているようだ。
「混血は、男女の双子で生まれる。シャルルスの身体情報が男なら、表に引きずり出した君は当然女の子になる」
「元に戻せ! 俺は男だ!! なよなよしたあの野郎が女なんだ!」
「どっちがどっちか分からないし、数式の使い方によってはそれも可能なんだけど……それ解除した途端君が何するか分からないしね。しばらくはそのままでいてもらうよ」
「いーやーだっ! 俺は男なんだよ! しかも何だ。お前を男に戻す協力して、俺が男に戻されても意味ねーじゃねーかー!」
「じゃそのままでいるっていうのは?」
「何か腹立つから嫌だ! 今に見てろイグニス! 俺が元に戻って、お前も元に戻って……それでもお前を俺の嫁にしてやるからな!」
「出来るものなら、まぁどうぞ」
にこやかにイグニス様は微笑んで、アルマに向かって手を伸ばす。僕を目覚めさせる数式を展開するつもり? 瞳に僅かに、痛みが走る。数式を、刻まれたのだ。
(痛みがある。それってつまり)
僕の感覚が、戻って来ている。僕の身体に安堵が広がる。
「くそっ、くそっくそっ!!! でもそういう性格悪そうなところ、なんか好きだ!」
「そう。ところでアルマ、シャルルスに何か言いたいことは?」
「味気ねーもんばっか食ってないで、もっと美味いもん食え。こいつ気に入ったから出来るだけ会え。くっそ眠い」
(あ、アルマ……)
ずっと、君に会うのが怖かった。もし君がこの身体の主になる日が来たのなら、君は君ごと僕を殺すんじゃないかって……僕は脅え続けていたのに。
「お帰りシャルルス」
「えっと……ただいま、帰りました」
元の金髪に戻った僕を、イグニス様は優しく出迎える。だけどその笑顔が恐ろしかった。続きの言葉を聞く前に、僕はその場に頭を垂れる。今すぐ首を切り落として欲しかった。
「殺して下さい。お願いします……僕はもう生きていけません。命の恩人の教会に、そのトップである次代の神子様にあんな無礼を」
「まぁ、秘密を知られてしまった以上、君を野放しには出来ないよね。シャルルス、アルマ。君たちは今日から僕の配下だ」
僕らは運命の輪に入れと言われた。断る理由はない。今死ぬかではなく、役立ちいつか死ねと言われた。遠い死刑宣告に、僕の瞳からは涙が流れる。悲しかったのではない。嬉しかったんだ。僕と、僕が見ない振りをしていた片割れを、イグニス様は欲しいと言った。純血似の外見だけじゃない。僕ら自身を望まれた。泣き出した僕を、優しく抱き締める神子様。アルマが惹かれるのも解る。初めて会ったのに、……お母さんみたいだと思った。
僕は初めて他人に甘えるように、しばらくされるがままでいた。しかし数分後、耳に届いた物騒な金属音で我に返った。その音は、重厚な金属を引きずり近付いてくる。
「というわけで万事解決だ。ルキフェル、廊下の飾り鎧から拝借した斧は戻してきて欲しいな」
「でも神子様、せめて両手くらい切り落とさないと!」
恐る恐る視線を上げる。その先で、目から光の消えた、青髪青目のシスターが……この世の者とは思えない、恐ろしい形相で僕を見ていた。彼女も混血なのだから、元の顔立ちは整っているのに……こんな悪魔の如き形相。その悪魔はイグニス様が振り向くと、ぱっと可憐な少女に戻る。女って怖い。
「それだと戦力半減しちゃうじゃないか」
「それじゃあ……」
「ひ、ひぃいいい!」
次に混血シスターが目を向けるのは、僕の下半身だった。彼女は可憐な笑顔のまま、僕を冷酷に見下ろしている。
「どうせ混血に子供が出来た例なんてないんですから、切り落としちゃって良くないですか?」
「大丈夫だよシャルルスは、女の子だから、ね」
「は、はぃいいいい! 好き好き好きっ! 男の人だーい好きっ!! 女とかマジありえんっすわー!」
イグニス様のフォローが有り難く、僕も全力でそれに乗っかる。口からの出任せが、本気に聞こえる。目の前の彼女が怖すぎて、実際女は懲り懲りだった。
「そ、そうじゃよ! シャルルスは聖十字でも真面目で聖教会への忠義も厚い! 女性に囲まれ女装での任務も多い中、不祥事も全くない優秀な兵士じゃ!」
チャリス様も何かされたのだろうか? やけにこのシスターに対して脅えている。彼女は教会にではなく、次期神子様に仕えている……そんな気持ちが強すぎて、それ以外の人間に何をするか分からない怖さがあった。
「……あんた、今度神子様に舐めた真似したら私が暗殺するからね」
ルキフェル、彼女との出会いは僕の殺人事件一歩手前。そんな最悪の出会いだったルキフェルが、僕らを頼った。
「助けて、シャル……」
「ルキ……?」
あれは、カーネフェルセネトレア戦争が始まる直前。その日、彼女は泣いていた。全ての支えを失った、子供みたいに。
涙の理由を知った後も、僕はずっと不思議だった。どうして僕らを選んだのかと。
(だけど、今ならこう思う)
本当に怖いのは、イグニス様だ。全ての歯車が噛み合うように、僕らを配置し出会わせた。僕がここにいることは、運命だった。あの方が、作り出し紡いだ物語の。
*
白兵戦はそれほど多くなかった海上任務。教会兵器で船を沈めて多くの場合は勝負が付いた。陸戦は血生臭い。宿を襲った者達は、背後からの奇襲に遭い、すぐに散り散りと逃げた。混乱の中、私達も街から離れることは出来たけど……
「はぁ……」
第五公は、味方ではなかったと言うことなのか。ジャンヌはすっかり気落ちした。
ランスの交渉は失敗したのだろうか? 彼らが宿を離れてまもなく……私達は街を追われた。騙し討ち……? それとも一晩で気が変わった? 疲れも傷も癒えないまま野営。少数精鋭。姿と名前を偽って、兵とし紛れ込んだのは……イグニス様の運命の輪。裏方に徹する彼らが姿を明かしての協力。今はとても有り難い。
(それだけじゃ、ないのかも)
運命の輪は皆、優れた力を持っているようなのだ。それが上手く機能した? ランスは都奪還の際、運命の輪と手を組んだこともあり、彼らの指揮を任せるには十分だった。ランスと運命の輪のおかげで、私達は無事だと言える。
「……また、彼に会ったのですね。彼は何と?」
「説得しましたが、僕らと行動する気はないようです。それで困るのはカーネフェルだと言っていました。……でも、気に病んでいるのが見えて……見ていて辛かったです」
「……アルドール様に、会わせる顔がないのでしょう」
「正攻法での進軍を、支援すると。死ぬ気です、あの人は。それでしか償えないと思っている。追っ手が来る前に、彼を追いかけるべきです。おそらく今なら、第一島には簡単に向かえます」
「そうだな、追い付きたい。アルドール様を復活させるためにも……彼の力は必要だ。身体を休めたらまた……偵察を頼めますか?」
「はい! 皆をよろしくお願いします!」
私達を逃がす傍ら、情報収集・偵察に向かっていたシャルルスが戻って来た。ランスの報告を終えた後、彼は私の隣に足を運んだ。
「ジャンヌ、ちょっと良い?」
「シャル……」
皆から少し離れた場所にいた、私の傍に腰掛けるかつての同僚。彼が私と同じ場所へ赴任したのは、神子に命じられてのことだった。嘘でも嬉しかったのは本当。シャトランジアを裏切って、カーネフェルについた私に、彼らは付いてきてくれたのだもの。
「お疲れ様です。今戻ったばかりなのに、ごめんなさい……私達がもっとしっかりしていれば。貴方方に迷惑なんてかけずに済んだのに」
「それはお互い様だよ。うちの神子様が色々無理させて……大事な戦力潰しちゃったりもしたんだし」
ああ、そうか。彼はセレスタイン卿とも会ったことがあったのだな。彼の変装スキルを気に入り言動が怪しくなっていたことを思い出す。
「ふふ」
「ジャンヌ?」
「ごめんなさい。つい、先日のことなのに……随分と昔のことのようで」
薪のぱちぱち燃える音。瞳を閉じてしまったら、カーテンコールに思えてならない。
「アルドールは、決して強くはないですが……カーネフェルの、私達の要でした」
私だけじゃない。大事な人を失った、騎士様達が戦い続けられたのは、弱くて頼りない彼のため。
「貴方は凄いです。要であるイグニス様が……倒れても、使命のために奔走している。私達カーネフェリーが、王に依存しすぎていただけと……言われてしまえばそれまでですが」
「……それは、僕らはイグニス様が大好きだったけど、たぶんジャンヌやランス様の言う王への好きとは違うから」
そこに互いを哀れむ響きはなく、彼は事実だけを口にする。
「僕らもあの方も、自分たちが死ぬことは前提として考えていた。計画の要であるアルドール様を見極める必要もあったし、見限るならば別の要に挿げ替えていた。……でも、イグニス様が彼を、それに値する人だと認めた。だから僕らはまだ、歩けている」
「今のアルドールを見ても、……そう言えますか?」
「それはジャンヌ達が言ってくれないと困る。僕らは僕らの主が、仲間が犬死にじゃなかった証が欲しい。結果を見届けるためなら、何だってする」
彼の言葉は強かった。イグニス様は死して尚、彼らの指針のままである。私は咄嗟に答えられない。アルドールが元に戻ると簡単に約束できるほど、私は自分を信じられない。私の幸福値を全て犠牲にしたならば、そう……何度も考える。それで成功すると保証されたら私は喜んでそのようにするが、そこまで数術を理解した味方がいないのだ。無謀な賭け、それこそ私も犬死にとなり……カーネフェルは滅ぶ。
「カーネフェルは、祖国での一時は……私にとって夢のような時間でした。こんな状況でなければ、一介の兵士……元は唯の小娘に過ぎない私が、話せるような方々ではないのに……おかしいですよね。私なんかを、様付けで呼んでくれるの。私は……もしかしたら、心の何処かで思い上がっていた。その、報いがやって来たのでしょうか……」
カーネフェルに上陸してからは、戦いの連続。しかし緊張感はなく、危機感に欠けていた。彼らは日常の延長のよう自分自身を持っていて、感情を露わにする……愛すべき人間であったのだ。常に気を張り続けなければならない、そんな心労もなく……不謹慎なことだけど、私は祖国での生活が楽しかった。私自身、ただの人間であるかのように振る舞えた。聖十字に入ると決めてから、忘れようと努めた心に亀裂が入った。アルドール……貴方が倒れた瞬間に、私はもう砕けてしまった。
「僕とアルマは……失敗した混血なんだ」
俯いて泣きそう。そんな私だけにしか聞こえない、小さな声で彼は自身の秘密を明かす。彼は知っているのだ。ずっと私を見てきた……そういう任務。私を陰ながら支えるのが仕事。私が強くあるために、誰かの弱さが必要なこと。
「そんなことありませんよ。綺麗な目です」
「ありがと。でも人は目だけじゃないから」
「え……?」
「僕とアルマは、双子として生まれるはずだった。他の混血達と同じように。だけどパーツが足りなくて……二人として生まれることが出来なかった。心臓が、一つしかない。だから僕らは先代様の手によって、二人で一人になったんだ」
本来死ぬべきだった二人を救った、聖教会と神子への深い感謝。イグニス様に仕えるようになった経緯も、それが始まり?
「イグニス様は……二人で一人だった僕らを、一人で二人にしてくれた。それは先代様にも出来なかったことで。だから僕らはイグニス様が大好きなんだ」
私の疑問に答える風に、シャルルスはあの人への信頼をも口にする。
混血は男女の双子で生まれる。共に心臓を共有して生きる、人格と余分なパーツは数値化され体内に保管される。保管数術の一種。表に出す情報を入れ替えることで、彼と彼女は入れ替わる。肉体、人格が共に。
「僕の青眼は視覚数術じゃない。普段はアルマの目を借りていた。僕らは目さえ取り替えれば、タロック人とカーネフェル人に見えるから」
元は今私が見ている赤い瞳が、彼の目か。こんな話を聞いてしまうと、彼と定義して良いかももはや不明。人格通り、彼女であるのかも。シャルルスが数術特化、アルマが肉体の筋力特化であるようだけれど……単純に考えるなら、男性の方が筋力はあるような気がする。
「先代様が、情報数術で人格取り違えたとかですか?」
「まぁ、些細なことだから。あの方の許可が下りれば、変身数術と違ってパーツの貸し借りは出来る。そもそも僕ら自身、何処から何処まで……何が自分のものかなんて分かってないし」
「シャル……ル、ス」
「先代様は、シャトランジア暮らしなら……どうせなら稀少なカーネフェリーの男の方が良いだろうって外見を僕に設定したんだろうね。情報の紐付けを変える機会はあったけど……アルマが男だとイグニス様の安全が危ないし制限は加えられてるよ」
「……ど、どういう方なのですか貴方の片割れは」
「……狂犬」
「まさか」
真顔のまま吐き出された言葉。シャルルスはまともだ、と思う。彼がそうならば、彼の片割れだって。ハイレンコールで出会った“彼女”は理性的な人間だと私は思った。そんな私の言葉を彼は否定する。
「死ぬはずだった僕らを、生かしてくれた。だけど、アルマはずっと眠ってた。だから欠けている。知らないことが多すぎる。先代様は良かれと思って、数術とか色んな才能を表の僕に振り分けてくれたから、アルマは要らない物で出来ている。その不要なものを、隠してきた僕を……僕らの目を必要としてくれたのはイグニス様だ」
数術に不可能はない。限界があるのは数術ではなく、それを扱う人間側。とは言え、医学も突き詰めれば何もかもが数術。専門外の私には、難しい話でしかない。
「私が数術使いでないからでしょうか。数術の話を聞いていると頭が痛くなります」
彼が嘘偽りなく、自らを語ってくれているのに、半分も理解できない自分が嫌だ。数術使いと、それ以外の人間。混血と純血の壁? そんなものを感じてしまう。
アルドールとイグニス様は、その壁を壊すためにカードを地位を望んだ。彼らを特別差別するつもりはなくとも、本音で語り合っても解り合えないのは辛い。純血同士だって、そう。結局の所、人が誰かを完璧に理解することは不可能なのだ。
イグニス様が皆に好かれたのは……、人ではなかったから。人が出来ない数術の領域に居て、完全に理解することが出来たから。
「あはは! ジャンヌは昔からそうだよね。学校でもそうだった」
「そうでした?」
明るく笑っているのに、どこか無理をしているような。ほんの少し、場の賑やかし加減に既視感がある。アルドール……のような。そう感じた途端、彼はその場から腰を上げるのだ。
「ごめんね。僕はアルドール様の代わりにはなれないから、行くよ。頑張れば傍でジャンヌを欺せることは出来るけど……それって僕も、ジャンヌも悲しいことだと思うし」
「シャルル…ス……?」
「フロリアスさんが本当にアルドール様の昔の知り合いなら、術士の数式を間近で見ている。解決の糸口がそこにある。それに、彼らも……」
何かを言いかけ、彼は一度言葉を濁す。改めて吐き出されたのは、別のこと。言葉を選び直した?
「複合元素使いの条件って、混血でもかなり限られる。それに命知らずだなんて……方法さえ選ばなければ、彼は一人でセネトレアを落とせる」
「!?」
「でもそれは、良くないことだから。だから僕らが止めてくる。こっちも彼の力が必要なのは、確かだし」
「あ、……っ」
僅かばかりの休息で、シャルルスは馬に跨がり行ってしまった。殆ど休めていないだろうに。
(何故、私にあんな話を……)
彼とは長く一緒に居たのに、私には……そんなことさえ解らないのか。
*
優しくて、力強い笑顔。再会した彼は、脅えた瞳の少年に変わっていた。僕が彼をあんな風にしてしまった。昔のあの人が戻らないなら、せめて守りたいと思った。思う余りに壊してしまった。今はもうどこにも居ない、あの男の呪縛に縛られる。術者を失っても、解けない呪い。一度数式で壊された人間は、二度と元には戻らない。数術に不可能はなくとも人間に限界はあるから。
僕らが一体何をしたというのだろう。悔やんだところで答えは出ない。誰かを羨み己を哀れんだって、何も変わらない。後悔しても、時は戻らない。自分に残された時間が少ないのなら、一秒として無駄に使える時間はない。フロリアスが単独行動を決めた理由はそのためだ。生き延びるための、清潔な血液。味方から奪うことなど許されないが、幸いにしてカーネフェリアには大勢敵が居る。
(まだだっ!)
限界なんて、言い訳は出来ない。フロリアスは己を叱り飛ばした。
(外れ、こいつもはずれ! こいつは当たり!)
ハズレの血液でも、末期じゃない。潜伏者、運び手の血でも少しは凌げる。手当たり次第で構わない。末期患者は寝たきりだ。こんなところ彷徨きはしない! 誰でも良い、立ち塞がるなら全て糧とし道とする! 地を這う蔦で捕まえた、人々の血液を僕の汚れたそれとと入れ替える。僕のパーツは既に病に冒されている、それでも血液を奪っていくことで、僕は常人のように戦える。
「俺を都まで連れて行け。俺はSUITだ……セネトレア女王と話がしたい」
「ひ、ひぃいいい……!」
「無礼な真似をしてみる。その時は他の奴らのように、お前達を殺す」
橋の上に残された馬車。その中には、ガタガタ震える商人家族。それ以外全てを始末した。
これだけ大暴れをすれば、援軍も此方へ向かう。第一島からこの橋に兵士が流れ込む。別路の彼らは楽に第一島へと渡ることが出来るだろう。
「まってっ……くだ、さい!」
「っ!」
身を隠すための馬車などより、馬を此方も使うべきだった。そうすれば追い付かれずに済んだとフロリアスは後悔する。極論を言えば空間転移が最も良かった。だが、それでは後続の彼らは遅れ、新たな危険に襲われる。シャルルスと名乗った聖十字は馬を飛び降り、僕の傍へと跪く。演技に協力してくれるというのか。
「俺はセネトレアを滅ぼす力を持っている。お前達も目にしただろう」
「殺人鬼SUITは、銀髪です。人質……カーネフェリアは僕がやります」
視覚数術? 少年は息を整えながら術を展開。彼の仮の姿は確かに、若いカーネフェリー。僕より外見は幼い。どちらが王役に向いているかと考えるなら、その申し出は断れない。
「……本気か?」
「勿論」
頷きながら少年は、商人に教会兵器を撃ち込んだ。頭に弾を撃ち込まれた男は倒れ、しばらく痙攣を繰り返し……静かになった。
「死んだのか?」
「はい。今の会話を聞かれましたし。馬車なら僕らが動かしますよ」
思い切りの良さ。顔色一つ変えずに彼は人を殺める。それが手慣れているというよりは、覚悟を決めた顔と言うのか。
「……良いのか? 傍に居たら君も」
「いいんですよ、僕は。それに……万が一があっても、大丈夫。僕も最後まで生き延びるつもりはありません。貴方のやりたい方法で、この盤面を進めて下さい」
「何故、僕を助ける。何の得にもならないのに」
「神子様が、僕らを此処に配置したのは……貴方と出会うためだった。そう思うから、僕は貴方のことを見届けたいんです」
短くなってしまいました。でも年内にアップしたかったんだ! 悔いはない。