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19:rara avis in terris nigroque simillima cygno

「刹那様! こんな夜更けに外出など危険です!!」

「都近付近まで敵が来ている可能性もございます!」


 不可視数術で隠れるのは私達だけ。女王は姿を隠さずに、見張りの少ない城の裏手から脱出を図った。手薄とは言え集まる兵に、彼女は言った。


「ほぅ。死を恐れず妾に意見するか。……其方に其方。そこまで妾を思ってくれたのだな? くくく……見ればなかなか良い男ではないか」

「ならば其方たちのみに教えておこう。この宮中に、すでに敵兵が潜伏しておる。この場に留まるのは危うい。妾はしばし身を隠すが……それを探ってくれぬか? 信じられるのは我が身を案じてくれた、其方らだけなのじゃ」


 言葉だけなら臣下の信頼関係。しかし、そこには欲がある。女王の視線、身振りに息づかい――……その一つを取っても息を呑むほど美しい。否、艶めかしい。この人に気に入られるなら、愛されるためなら何だってしよう。望むことなら何だって。“彼女”は指一本触れさせず、男達の心を魂を抜き取ってしまった。あっという間に彼女の兵ができあがる。その気になればこの城に甦ったというセネトレア王さえ直ぐに追い出せるだろうに。


「さっ! 今のうちに私たちもここから出ますよ! “彼”から教わった隠れ家はこっちです!」


 女王の横を通り過ぎ、ルキフェルさんが先導をする。それにアルドールが続き、アニエス姫……そして私が殿(しんがり)を。そのはずなのに、セネトレアのお姫様は立ち止まる。


「アニエス殿下?」

「ああ、すみませんジャンヌ陛下」

「慣れておりませんので、呼び捨てで結構ですよ」

「では私のことも。王女なんて言っても我が国は兄弟が――……大勢いましたから。私にそんな価値はないんです」


 包帯を巻いた片目の姫が、此方に微笑む。肩で切りそろえられた茶色の髪、薄い赤色の目。真純血の刹那姫に比べれば、タロック人としての色素は薄いが、華奢で可愛らしいお姫様だ。女の私であっても、守りたくなるそんな女性。


「そんなことはありませんよ。さぁ、先を急ぎましょう!」


 彼女の手を引きアルドール達の跡を追う。そんな私の様子に、アニエス姫は小さな笑みで応えた。


「……ジャンヌ様。貴女を見ていると、私の――……2人の騎士を思い出します。ふふ。3人目もいたんですけどね。私では……あの女から、奪うことが出来ませんでした」

「……? 私などが……貴女の大切な方と似ているのであれば、光栄です」

「ふふふ、カーネフェリア様は良い方を妻とされましたね」

「わ、私はその……成り行きで」


 セネトレアは妃によって国を荒らされ混乱の中にいる。刹那が来る前の正妃の娘だったというアニエス姫には、あの女は継母。同じく一国の王の伴侶という身分でありながら、私とあの女は違う生き方をしている。

 あり得ない話だけれど、守るためカーネフェルに嫁ぐのではなく、内側から変えていくためセネトレアに嫁ぐなんて未来があったなら――……


(ラハイア……)


 彼は聖十字として、この国を中から変えることを選んだ。私とは違う道。大勢の味方に恵まれた私とは違う、敵ばかりのこの国で。王宮に入り込まずとも、もし聖十字として彼と共に戦ったなら、彼をあんな風に死なせずに済んだのか。

 私は後悔から目を背け続けてきた。そう自覚した。道化師の数術で裁かれた私は、もっと多くを暴かれてしまったみたい。アルドールを思う気持ちも、彼を一人の人間として見てきたつもりの意識も、自信が持てない。一丁前に嫉妬なんてするくせに。

 彼とは違う弱い貴方を守ることで、私は私の罪を清めようとしていた?

 友を守れなかった事実を、アルドールを守ることで許されたかった? カーネフェルの化身である貴方に愛し、許されることで――……私は救われようとした? 聞こえなくなった声の代わりに、新たな偶像を求めていたの?


「私、彼らに守られることしか出来ない自分が嫌いでした。でも……私にそうすることで、嬉しそうにしてくれる人がいたんです。その時、私の弱さが誰かを支えることが出来るなら。私がそういう風に在ることも意味があるって思えて」


 お飾りの姫であることを、彼女は受け入れたのだろう。戦えない無力な姫が、女王の魔の手から……皮肉にも生き残った。


「貴女が弱いはずありません。貴女の心根の強さが、女王の興味に繋がったのではありませんか」

「ありがとうございます。でも、それももうお仕舞い。髪だけでなく、目まで抉られてしまいましたわ。お飾りの姫はもう要らないんですって」


 彼女の片目を傷付けたのは女王自身。危ないところだったのか。あの女の中身が弟君と入れ替えられて良かったのかもしれない。


「アニエス姫。ここでの立場が危ういのであれば、カーネフェルへの亡命もお心に留めてください。それまで私が貴女をお守りします」

「ありがとうございますジャンヌ様。こんなに勇ましい奥方様がいるなんて、本当にカーネフェルが羨ましい――……私には、貴女も立派な騎士に見えますよ」


 何気なく付け加えられたその言葉。夏の夜風に撫でられた、頬がどうして熱を持つ。

 大通りは夜間でも騒がしい。路地に入れば不気味なほど静か。華やかな都を想像していたのに、荒廃しているようにさえ思う。

 富と貧しさ、この国の光と影を見るようだ。この国にただ立っているだけで不安になる。恐ろしさで押しつぶされそう。通りの向こうからは、人を売り買いする声が愉快に行き交うような場所。そんな暗い異国の街の中、街の明かりとは違う、蝋燭のような小さな炎。私の心に僅かな明かりが灯る。


(私が、私なんかが――…………騎士?)


 全てに忘れられた私でも、誰かを重ねて好意的に感じてくれる人がいる。それが敵国の人とは不思議な縁だと思う。

 どんな境遇、どんな辛いことがあっても。役割を演じる間は、強くいられる気がする。

 一介の兵士だった私が、騎士を重ねられ――……思い出すのは、カーネフェルの騎士達。王妃の椅子を与えられ、彼らと決して肩を並べることが出来なくなった私が、“騎士”と例えられる。どうしてだろう。それはかつて私が。心の奥底で望んでいた言葉のようで。私が知りもしなかった正解を、突如与えられたようだった。


(そうか、私は――……あの方々が、羨ましかったのでしょうか?)


 カーネフェルに来てから、私はいつもどこか部外者で。私は女の子扱いされていた。ランスのように、セレスタイン卿のように。あの輪に入って、アルドールを守りたかった。私が出しゃばることで、アルドールやランスは困っていた。彼らの事情も知らず、私の思いばかりで先走り、随分と迷惑をかけてしまった。

 けれど。先に王妃の座を与えられ、私だって戸惑っていた。気持ちが追いつかないまま、座らせられた椅子。戦友としてなんて口にしながら、その椅子に意味を求めた。お飾りの妃のくせに、彼の気持ちを望んでしまった。

 外堀を埋められ、思い合う二人を引き裂いて。彼が少しずつ、私の方を向いてくれるようになるのが嬉しかった。そんな己を恥じながら、暗い喜びを否定できない。女を捨てたと言いながら、ただの女に成り下がる。セネトレアに来てからも、この国は私の仮面を剥がそうと襲いかかった。王妃の仮面を纏わなければ、人格者でいなければ。正しきことをしようとして、私は道を間違えなかったか?

 敵の提案を受け入れず、こんな毒を喰らわずに。カードの幸運を消費してでも、別の打開策を探るべきだった。

 私は、ギメル様……イグニス様に負けない聖者でありたかった。そうしなければ、アルドールの愛を勝ち取れないと解っていたから。正しく綺麗でなければあの人は、きっと私を想ってくれない。そうして受け入れた毒で、私は救うべき人々を傷付けた。

 アルドールの記憶が消えてしまってからは、自分に付き従ってくれるランスの存在が本当にありがたかった。私の仮初めの神聖が消えても、彼は私を見捨てなかった。

 その真意に気付かない程、もう馬鹿じゃない。でも、存在死をされた私のことを、彼はどう思っているのだろう。今は彼から離れたことにほっとする。その答えを知りたくないから、こうして通信も出来やしない。彼から連絡が来ないこと自体、彼が私を忘れてしまったのではないか。そんな恐怖を感じながら、目の前のことに救いを求める。今私が必要とされて、誰かを助けられること。その喜びに溺れてしまう。


(私では、アルドールのイグニス様にはなれないし……ランスのセレスタイン卿になれない。誰も……私のラハイアにも)


 ずっと思い知らされてきた。それが酷く悲しくて、寂しかったんだ。

 私が最初からカーネフェルの騎士で、彼らの仲間だったなら。与えられる役割の前に、ちゃんと彼らの仲間になれて――……共に戦えたのかしら。嗚呼、アルドール。私が貴方の騎士になれたならどんなに良かったか。

 そうならなかった理由。心に蹴りを付けたはずなのに、私の頭は正しく認識できていなかった。失った親友。彼の代わりを探し続けていた。アルドールを思うことで埋めようとしたけれど、大切な者が増えただけ。失った傷は痛み続ける。

 友への愛を、恋人への愛で代用なんか出来ないんだ。アルドールもランスも、私の親友にはなってくれない。彼らの親友のように、私を思ってなどくれない。


 私の中に空いた穴。出会ったばかりのお姫様が、そこにそっと収まるように心地よい。失った友とは何一つ似ていない人なのに。するりと人の内側に入り込む。アニエス姫も、リフル様とは違う――……違う魔性と魅力を秘めている。この人は、傷を負った者に寄り添うことに長けている。優しくて慈愛に満ちた声と瞳。赤の他人すら、優しい母のように包み込む。こんなの、実の親より優しいまである。

 刹那がここまで彼女を殺せなかった理由とは、それなのか?

 あの女は、アニエス姫が――……この愛情深さで自分を許すことを求めた? 彼女の親しい相手や家族を失わせても、自分に寄り添う可能性を試していたのか? そして、可能性が潰えたから彼女の片目を奪った? 考えても解らない。あの女のことなんて。


 しかしこの姫のことなら解りそう。世界情勢程度の情報だが、元々のセネトレア正妃は刹那姫ではない。その者を押しのけその座を奪い取った。アニエス姫は、元の正妃の娘である。権謀術数が渦巻く後宮で生き抜いてきた……誰より憎まれる立場の姫は、誰より愛される者を演じた? 王位継承権は兄たちにあり、彼女にはない。妾達との諍いに巻き込まれる兄弟間の不和をとりまとめ……歪な城で家族を築いた。母の愛に飢えた兄弟達をその持ち前の優しさで寄り添ってきたのだろうか。牙も爪も持たない、それが彼女の生き延び方だった。


「ジャンヌ様……復讐に囚われないで。憎み続ける限り、貴女は貴女の大事な人より――……あの女を思ってしまう」


 今だってほら、私が欲しい言葉をくれる。私を正しき者へ導こうとしてくれる。


「私は、駄目でした。何処へ逃げても……変わらない。きっと私も、あの女から逃げ出せはしないんです」


 例え城から抜け出しても、心は逃れられない。アニエス姫の忠告を、正しく受け止めたいと思うけれど。予言に聞こえて背筋が震える。そんな私の手を、今度は彼女が引いてくれた。


「そ、そうだ! いけませんアニエス姫!! 私は風土病に冒されています」


 手袋越しとは言え、手で触れるのは危険だ。万が一、瓦礫で怪我でもしようものなら責任が取れない。


「ジャンヌ様。どうせ私も死ぬんですよ」


 手袋を外し、アニエス姫が見せてくれたダイヤのカード。手のひらに刻まれた数はⅡ。王に続く高貴な人の証のナンバー。


(そ、それってつまり、ルキフェルさんの“革命能力”があれば……?)


 驚愕の後、打算が働いてしまう頭が憎い。そんな私の浅ましさごと、素手のお姫様が私を包んだ。


「情けない話なのですが、誰かの手の温度を感じていないと不安で……私、城の外に出たことなんて、殆どないんです」


 先ほどのリフル様も見事でしたが、アニエス姫も人誑し! これは男性のみならず、きっと女を捨てたつもりの女に特攻人誑し!! か弱いではなく強かなのに、庇護欲を掻き立てられる。女性と手を繋いでここまで緊張するのは初めてだ。


「ふふ、ジャンヌ様の手……あたたかいですね」

「あ、アニエス様……」


「…………あの、隠れ家ここみたいだよ?」


 私たちの様子に、気まずそうなアルドールの声。カーネフェルは女の子が多いからまぁ、そういうこともあるよね、みたいな理解のある視線が辛い。気持ちがリセットされたとはいえ、一応貴方私の伴侶ですよね!? 少しは怒ったりふて腐れたりしてくれませんか!?


「まぁ、アニエス様は本物の貴婦人ですから仕方ないですよアルドール様」


 ルキフェルさんの慰めに、アルドールは複雑そうに頷いていた。





「それにしても……ここって、アトリエかな?」

「ええ。他の隠れ家はすぐにバレそうだと。味方からも敵からもあまり知られていない所を選んだそうです」


 指定された場所は小さなアトリエ。お世辞にも綺麗とは言えない内装だが、暗殺者の隠れ家がこんな所とは奇妙である。


「あ! これこれ!! イグニス様から聞いた話だと……リフル様の本体って、確かこういうお顔なんですよ!」

「ここでモデルでもやってたのかな? スケッチとかも結構あるなー」


 本人はまだ合流しそうにない。私たちは興味本位で辺りに散らばる作品を眺めてみる。刹那姫とはタイプの異なる美形。と言うか美少女。絵のモデルになった時、女装させられていたのだろうか? セレスタイン卿のような無理矢理着せられている恥じらいが、彼には一切存在しない。完全に着こなし、そういうものだと受け入れている。深くうつろで寂しげな目が、此方の胸をざわめかせる。


「私もリフル様本人をお目にかかったことはありませんが……銀髪の美しい混血だとは聞いています。こんなお顔だったのですね」

「そうだなぁ、こうして見るとタロック王にはあんまり似てないかも」


 アルドールとアニエス姫の反応に、私も正直そう思う。描かれた人は、カーネフェルで対峙した狂王とは似ても似付かない。自分の親友が、この人とライバルとして渡り合った想像しても上手くイメージできなかった。

 悪い人には思えないが、手玉に取られ利用された線も否定できない。ルキフェルさんは納得していたが、あれは高度な演技では? 仮に憑依数術は真実でも。タロック王族姉弟同士、裏で手を組んでいる可能性は? どこまで情報を明かして良い? 本当に信じて良いのだろうか?


「あ、あの……ジャンヌ。その、ジャンヌ……さん?」


 黙ってしまった私が怒っていると誤解したのか? 気まずそうなアルドール。


「べ、別に浮気とかそういうのじゃなくて! ただ、綺麗だなって思っただけだから……で、でもごめん!!」


 絵の混血に見惚れていた謝罪をされた。そんなことを言われたら、私も同罪なのだけど。

 存在死で私への気持ちを消されても、責任や情はしっかり感じているアルドール。先ほど私がアニエス姫と仲良くしていた件で、不安になったのだろうか? 自分に自信がない貴方らしい。全てを思い出し、取り戻しても……貴方はアルドールのまま。あの時貴方を信じられず、傍から離れた私が情けない。貴方を傍で支えてくれたのは……命を落として尚、あの方だった。私が嫉妬するなら、余程……其方の方。


(でも……)


 焦った様子の貴方は、どこまで解ってやっているのか。この場を和ますために道化を演じているのかも。そのどちらであっても、貴方の繊細な優しさは、刺々しくなった私の心を和らげる。思わず笑ってしまうくらいに。


「ふふ、そうですねアルドール? 相手が男性であっても浮気は浮気ですからね」

「うっ、ユーカーがこの場にいたら多分一緒に狼狽えてくれたのに。早く帰ってきてーーセレスちゃーん!!」


 セレスタイン卿なら、狼狽える前に否定しそうなものですが。


「アルドール、今度はセレスタイン卿に浮気ですか?」

「痛ててて! そ、そういうんじゃないって!」


 軽く耳を引っ張れば、大げさに彼が狼狽えた。まったく。この場にいなくても貴方が信頼している相手は一番にイグニス様、時点でセレスタイン卿。出会った順によるものならば、長く生き残り傍に居なければそれに勝つことも出来ない。それとも……その二人は、貴方のことを深く知っているから? 貴方が深く知ってしまったから? 一度気に入ると、突き放されても冷たくされても大好きなんですよね貴方は。私なら、怖くて出来ない。いいえ、既にやってしまった。一度貴方を見限った。どんな風にあなたとこれまで通りを装えば良いのか。私たちは互いに罪悪感を抱えている。


(でも……私とアルドール。自分のことを明かしていないのは、本当はどちら?)


 身分があって、ある程度のバックボーンが公になっている那由多王子が羨ましい。ただの村娘だった私は、仰々しく語れる過去なんて。いつだって私たちには今しかないのだ。ただ、日々を生き延びることで精一杯。回し車のネズミのように。必死になってそうやって。何かを動かす。

 間違えたことを取り戻そうと足掻く度、取り返しの付かない場所まで車輪を回してしまって、もう戻れない。そんな状況に私は陥っていないだろうか?

 誰かに大丈夫と言って欲しくて、私の元に戻ってきた十字架を……そっと握りしめる。


「そ、そうそう! 那由多王子の件はシャトランジアでも有名ですから、アルドール様やジャンヌ様もご存知では? シャトランジアのマリー姫とタロックの須臾王の政略結婚で生まれたのが那由多殿下で……」


 私とアルドールの少しぎこちない関係に、ルキフェルさんも気を揉んでいる。すかさずフォローを入れてくれたが言葉が良くない。元々、彼女の得手ではない分野?


「あ! す、すみません。せ、政略結婚だったとしてもお二人のように仲睦まじいことだってありますから一概に悪とは……その、すみません」


 今度は三人揃って黙り込む。そんな我々の様子をおかしいと、くすくす笑ったアニエス姫。


「本来混血でさえ誕生しない銀色の髪。タロックの赤、カーネフェルの青が交わった……奇跡の紫。義賊と呼ぶには罪深い、この世の者ならざる殺人鬼。美しい彼に会いたくて、わざと罪を重ねる愚か者も、この国には大勢いるんです。撒き餌として奴隷や混血を犠牲にして……」


 抑止力どころか、罪の卵と鶏。どちらが先か? わからない。カーネフェルでは理解できない価値観に、私は目眩を感じてしまう。そんなことが、この国では罷り通るのか。美しいものを見るために? 己の欲のために、他人を傷付け命さえ奪うのか。


「カーネフェリア様がたも、ご存知ですよね? 混血は双子で一緒に生まれる。けれど、片割れを失った者は強くなる。リフル様は生まれながらに片割れを失った混血児。ですから二人分の美しさと魅力を持って生まれたのかもしれません。見惚れて当然ですよ。私だってそう思います。誰であろうと……そういうものなんです」


 触れれば死ぬと知っていて。求めずにはいられない存在。故郷へ帰れない王子が、暗殺業に身を落とした理由。私達は軽く受け止めていたのかも。これまでの戦いで死んでいった人々。その一人一人を私たちは覚えているか? カードであった人々や、近しい聖十字やカーネフェル兵。それ以上に死んでいる。

 では、殺した相手は? 重い責任は騎士達に、ランスやセレスタイン卿にさせていた。

 あのタロック王子は、暗殺者として自身の手で殺し続けた。他人の命を犠牲にして、誰かを救うことに向き合ってきた? 命令で人を動かす私たちとは違うやり方で。本当ならば、誰かに命令をして殺させる側の人間が。

 嵌められたと言い訳しても、罪は罪。私が病を広げ、傷付けた人々のこと。その命を、私は背負えるだろうか。その上で、ちゃんと立っていられるだろうか。それは、いつまで……?


「俺たちは――……負けない限り、死なないけど。殺されないけど。この人は……勝った後も、死ぬ気なんだよな」


 アルドールが呟いた声。小さいけれどそれが大きく響く。

 最終的に死ぬために生きている。それはアルドールを勝ち残らせたい私だって同じだけれど……。道化師に消された私とは違って、あの人は自ら存在死を選んでいる。歴史の表舞台から消えた人。

 殺して勝って、なる英雄。それが私たちならば。

 あの人は、殺して救って、殺人鬼。身分がないということは、命以外で償えないこと。許されないこと。逃げ道を封じるために、彼はセネトレアにいたのだろうか?


(存在死を科された私は、もはや彼と同じなのでは……)


 人々にとって、私は。祭り上げられた英雄ではなく、既に。只の人殺しになっていないか? カーネフェルのために使う命が、祖国のためにならず、報いのために消費される未来が待ち構えている? 他人からの評価など、恐れなかった。私は私として、正しきことを選んだはずだったのに。他人の言葉で、私が何者であるか変えられてしまう。私と居たことが、アルドールとカーネフェルにとって、汚点とされてしまわないか。

 私は何も変わっていないのに、今や全てが恐ろしいのだ。


 訊ねるようにもう一度、見つめた絵の先で。私はその人が笑っていたことに気がついた。彼は何を思い、こんな風に笑っていたのか。那由多王子……殺人鬼Suit。彼はどうして平気なの? 一度殺された人間が、今もどうして笑っていられる?


(彼が本当に、那由多王子なら。……信じても、いいのかもしれません)


 知りたいと思い見つめれば、もうその絵から目が離せない。

 そうなったのは私だけではなかった。いつしか私たち全員が、その絵に見惚れてしまっていた。その中で、最初に文字に気付いたのはアルドール。


「……“リア”?」


 作品に記された画家の名を、彼が呟いた時だった。“彼”もここへとやってきた。

 姿は刹那姫なのに、一瞬絵の中の人が出てきたように錯覚してしまう、私たちは今度は彼から目が離せない。


「いい名だろう? かつてここに、私をかくまってれた友人の名だよ。本当はマリアと言うのだが……」


 追いついて扉から現れると思っていた相手。それが、少し息の乱れた様子で上の階から降りてきた。なぜ。


「普段の技が使えないせいで遅くなった。すまない。追跡されてはいないと思うが、物資の回収も兼ねて回り道をしてきた。ついでに屋根を伝って来た。基本的に、セネトレアの夜間移動はこれが楽だぞ」

「あ、あはは……お帰りなさい。この街って建物密集してるから言われてみれば便利そう? カーネフェルだとあんまり使えなさそうだけど」

「ひとまず物資はこれと。それからここのは……缶詰くらいは大丈夫そうだ。彼女の貴重な非常食、心苦しいが分けて頂こう」


 慣れた手つきで家捜しをし、リフル王子はテーブルに食料を並べていった。こんな時でも安心すると空腹になるもので。ありがたく、それを分けてもらうことにした。





 食事の間、何故か空気が重くなる。奇妙なメンバーでの沈黙に耐えきれなかったのか、口を開いたのはアルドール。


「あの……その、ここの持ち主だった、マリアさんはどういう方なんですか? 出来れば後からお礼でも」

「礼なら既に。ここの絵を気に入ってくれたことで、彼女は十分喜んでくれたはずだ。食料を無駄にした方が怒りそうなものだしな」


 王子の言葉から、なんとなく……もう会えない人なのだと私たちは気がついた。この王子様は、自分の大事な思い出の人との場所を、見ず知らずの私たちのために提供したのだ。これが刹那姫の演技であるなら、私はもう何も信じられない。


「さて。話が山積みだな。まずは先ほどの件……私の友人、リアの話は今回の話にも通じるところがある。このセネトレアでは、少し前に“名前狩り”というものがあってな」

「名前、狩り……? 言葉狩りみたいなものですか?」

「似たものではあるが、犯人は自分の姉と同じ名の者を殺して回った事件だ。その前段階として、ある公爵が民に……姉と同じ名の者は改名しなければ死罪と言った。あまつさえ、それをこのセネトレア第一島でも執り行おうとした」

「れ、連続殺人事件の犯人が……公爵の一人!?」

「し、信じられません!! 五公の一人がなぜそんなことを!?」


 家主が既にいない理由が明かされて、私とアルドールは震え上がった。私の場合は怒りだが。


「セネトレア王は君臨すれども統治せず。第一島以外は各公爵が法だが、この島は……真の意味での無法王国。生き残れば何でもありの世界だ。込み入った事情のため詳細は省かせて頂くが、今セネトレア王に乗っ取られた男がその事件の犯人で――……リアの弟。ついでに現アルタニア公――……セネトレアの公爵の一人だ」


 蝋燭のかすかな明かりに照らされた室内。散らかっているが画材だけは揃っている。落ちていた紙切れに、アニエス姫がセネトレアの簡易地図を書き込んだ。私たちが今居る場所が中央の小さな島第一島。西から時計回りに二・三・四・五島と続く。


「セネトレアは大きな五つの島を、それぞれ公爵一人ずつが治めています。あなた方が上陸された第五島ディスブルー島の公爵が第五公。今回の憑依数術事件に関係するのが第四島を治める第四公。アルタニアは第三島なので、第三公。王都ベストバウアーがあるこの地が第一島ゴールダーケン。他島での公爵に等しい存在が第一公あるセネトレア王。つまりは私の父です」

「第一公であるセネトレア王が、アルタニア公っていう第三公の体を乗っ取った? その公爵自身も連続殺人犯??」

「現アルタニア公は、紆余曲折あり改心というか手駒に出来たから、共闘関係に落ち着いたんだがこの様だ。城の方が一枚上手だったということか」

「す、凄い事情ですね……?」


 大事な人を殺した相手と共闘を? 大義のために個人の感情を捨てすぎではないでしょうか? 私が今、目の前の人の中身があの女であったとしても……手を取り合うような有り得なさ。弱くて頼りないから支えたい、そんなアルドールとは違う。リフル王子はアルドールとは異なる王の器がある。目的のためなら手を汚し、個人の感情を捨て去れる人。自分自身をも駒に出来る悲しい人。Aのカードを得られなかった王族は、こんな風になってしまうものなのでしょうか?


「其方のセネトレア攻略の障害となるのは、セネトレア王と公爵達だ。ああ、少し前に第二島は落ち着かせたから、まぁ第二公は敵にはならない。タロックへの警戒と島内の立て直しもある。今回は静観するだろう」

「第五公もですか? 一応我々カーネフェルはディスブルー公とは協力関係にあるはずなのですが」

「奇遇なことに此方もだ。訳あって仲間が公爵令息を保護している。だからこそ、どう動くかな。彼も風土病に感染させられた。その病を治せない限り、親馬鹿の第五公は安定しない」


 憑依数術で、健康な体に乗り換える方法。もしそれを城や第四公から教えられれば、ディスブルー公は此方を裏切る可能性がある。


「金の髪に青い目の少年。器として狙われるとしたら……アルドール王、君かもしれないぞ? くれぐれも、心折られぬよう強くあってくれ」


 正確なメカニズムは不明でも、自ら死を望むような絶望を知ったその隙に、憑依数術は体を奪う。リオ先生は保管数術の才があったから、自らの人格を残すことに成功したが……常人ならばどうなるの?


「その、奪われるトリガーはわかりました。でも、発動するためには準備が必要だと思う。何か接触されてるはずなんだ。貴方もそうなるより前に、女王に直接会ったんですよね?」

「彼女もそうだが、憑依数術の元凶にも遭遇したのでな。心当たりが多すぎて絞れない。……ただなぜ今なのかとは思う。あの男を失うよりも、もっと良いタイミングがあったはずだが――……」


 もっと大事な人を失った時。強く死を望んだ瞬間。その時に、憑依数術は起こらなかったと彼は言う。


「今この悪事を企み憑依数術を扱っている者が、まだセネトレアに来ていなかったのだろうな。まったく、いつにも増してこの街が騒がしい」


 リフル王子のこの一言で、私達は理解する。道化師の、仕業だろうと。


「城で掴んだ情報では、第五公の軍は私の名前を騙る輩との戦闘で大敗したそうだが。第五公は生死不明。先に第一島に上陸した部隊の殆どが死亡したとも。何かに血を吸われたようなカラカラの死体が山程あったとか」

「……すみません。えっと……多分それうちのフロリアス、俺の昔の友達で……大事な部下です」


 顔を引きつらせながら、アルドールが頭を下げる。先を進んでいた者達は激闘だったのか。味方の血まで奪わなければ勝てないほどの相手が?


「ちょっと特殊な混血で、数術使いで……タロックの天九騎士 僧祇って奴に改造されて風土病に感染させられて……血を入れ替えながらじゃないと戦えなくて」

「そうか。何というか……お互い、大変だな。恐らく面識はないが、うちの騎士がすまない」


 カーネフェルタロック間の代理謝罪合戦になったところで、シャトランジアのシスター・ルキフェルが小さく呟いた。もしかしたら……その一言が、私たちに気付かせる。


「第五公も別の体に移されたかもしれません。セネトレア式の憑依数術は、本当に厄介なんです。広まる前に、聖十字で《禁術》に指定しなきゃいけないレベルの」

「術者のオルクスは此方が倒したが。やはり、未だに続いているのはそういうことか」

「ええ! 彼はその知識を城に売ったんですよ! 何らかの取引をして!! そして今、城にはそれを扱えるだけの数術使いがいる!!」

「敵が全て違う姿になっているのは面倒だな」


 熱くなるシスターの横、王子は無感動に言い放ち……机に置かれた茶をすする。私には、なんだか彼が……心を落ち着けようとしている風にも見えた。


(この人が……本当に絶望した瞬間ってこの家の、リアさん? それとも――…………)


 私に出会わなければ、貴方はこの十字架をどうしていたのですか?

 どうしても聞きたい。知りたいことが、私にはある。


「リフル様、一つだけ教えてください……貴方はセネトレア女王と体を入れ替えられた。にもかかわらず、なぜラハイアの遺品を……?」

「彼の十字架は私が譲られた。もう片方が……城内にあった。折角奴と入れ替えられたんだ。それだけは取り戻せた。其方は元々貴方のものだと聞いている」

「そうでしたか……感謝致します。食事中ですが、失礼しますね。あっ、乱心などではございませんから」


 刹那姫が憑依していた亡骸は耳飾りがあった。私はそれを思い出し、釈明しつつも触媒兼を手に取った。怖くてたまらないけれど、今はやるしかない。


(……ランス、聞こえますか? 私は今……)


 対剣を持つ騎士に問いかけるが、答えは何も返らない。彼が目覚めていないだけならまだ良い。彼が死んだとも思いたくない。耳を澄ませばかすかに何かが聞こえる。不快な雑音めいたメロディー。これは何らかの数術だ。そうだ、例え私への気持ちを失っても、ランスは理性的合理的動ける騎士。戦略のためにも、私の状況は必要不可欠。連絡を寄越さない理由がない。ならば答えは……。


「申し訳ありません…………やられました。この触媒を使った、仲間との通信手段が妨害されています。実は……“彼”のものと思われる耳飾りを此方の騎士に使い、彼の振りをさせ逃げようとしたのですが……」

「なるほど。では先ほどのそれも……同様の偽物かもしれない。相互に妨害させる術が刻んであるのなら、持ち歩くのもよくないな。ルキフェルさん、ゴーグルで見ていただけるか?」


 十字架を託されたルキフェルさんは、しばらくそれをくるくる回し、様々な角度からゴーグル越しに眺めていたが。やがて、一つの結論へとたどり着いた。


「一見普通の、聖十字の量産触媒です。ですが……断言は出来ません。潜伏している今、危険性は排除したい。お二人の心情的には大切にされたいものでしょうが……」

「ちょっと、貸してもらってもいい?」


 保証が出来ない以上、苦渋の決断をと迫るルキフェルに。アルドールが提案をする。


「壊すんじゃなくて、作り替えたら多分……そこでかけられた数式は解けるんじゃないかな。多分もうここに結界張ってもらってるよね、数術使っても大丈夫?」


 ルキフェルさんへ確認を取ってから。彼は台所を物色。鍋やら食器を溶かしていくつかの塊を作り出す。そこで塊と十字架を見比べた後、今度はアニエス姫の方を見る。


「すみません、アニエス姫はセネトレアのお姫様ってことは、土の元素と相性がいいですよね?」

「え、ええ。私が何か?」

「ちょっと元素の移動でここの表面、これと同じ形にへこませられますか?」

「ええと、こんな感じ……でしょうか?」

「ありがとうございます! 完璧です!!」


 アルドールが作っていたのは金型。アニエス姫がへこませた穴に、十字架がはまることを確認し、蓋を閉じる。注ぎ口から今度は十字架の方を燃やして液体状に! 湯口からそれを流し込み……十字架を再び同じ形に整える。


 鋳造か。考えたこともなかった。アルドールの数術、炎の使い道。

 戦闘でもないこんなことのためにと呆れてしまうが、繊細で高度な調整……アルドールは炎の数術を、すっかり使いこなしている。金属を溶かせる炎が出せるのだ。その気になれば……甲冑をまとった兵士ごと、焼き殺すことだって可能なのでは?

 上位カードが元素に愛される、その意味の恐ろしさを見せつけられたに等しいが。そんな力をこんなことのために使ってくれた。

 以前より技術レベルが上昇している。マリウスの人格、記憶を取り戻した影響か? 出来ないと弱音を吐くだけじゃない、今のアルドールは客観的に、自分に出来ることをよく理解している様子。


「はい。これで多分大丈夫かな……昔読んだ本の見よう見まねなんだけど、アニエス姫のおかげで綺麗に仕上がったよ」

「嘘っ! アルドール様こんなこと出来たんですか!? 事前情報ではただのへたれ男だって聞いてたのに……見直しました!!」

「うぅ……それ言ったのイグニスかな? 否定は出来ないけどさ」

「火の数術か……あまり此方では見かけないが、見事なものだ。数術方面で期待できそうなのは、君とアニエス姫のようだな」

「ええ。やり方によっては、十分いけます。我々は良い組み合わせかもしれません」


 ルキフェルさん、それにリフル様もアニエス姫もしきりに感心。皆から褒められ、アルドールは照れている。あまりない経験なのかもしれない。戸惑う素振りを見せつつも、喜んではいるようだ。

 アルドールが褒められると、なんだか此方まで嬉しくなってくる。戦力として期待されている以上、戦略のため情報は明かして置いた方が良い。

 私は手袋を外し、己の紋章をその場で明かす。私に続いて、アルドールも。この場の人々を、信頼した証として。


「リフル様。この場で最も強いカードは貴方です。ですが、アルドールはA。刹那姫だけではありません。我々にとっても貴方がたにとっても、排除すべきカードが他にもいます」


 ……言うべきだ。ラハイアの亡骸まで悪用されていたことを。この人は刹那姫ではないのだから。道化師のこと、確認を取るためアルドールを見れば彼も頷く。私は意を決し、全てを話すことにした。



「リフル様、アニエス様。アルドールの因縁の相手に、道化師がいます。道化師は、死体を操る数術を持っていて――……数日前、私はその悪しき術で生者を装うラハイアと、出会いました」

「それはまた……随分な、相手だな。“道化師”が来たか……セネトレアに」

「確かにこのところ、刹那に怪しい動きは感じていました。でも、そんな恐ろしいことを企んでいたなんて……まぁ、でも使えるならやりそう。ここは死なんか日常茶飯事ですものね」

「ああ。だが皮肉なことに、この第一島で五体満足な亡骸なんてまず存在しない……安心してくれ。殆ど売り飛ばされて、操れる者はそう多くはない」


 二人とも、一瞬顔をゆがめたが……すぐに平常通り笑ってみせる。なんて切り替えの早さ、そして強さ。それとも残酷に心が麻痺してる? セネトレア在住の王族コンビの発言に、笑える者は此方にいない。これがセネトレアのブラックジョークなのかしら。答えはきっと、値段が付くから。それでもこれは笑い話などではない。確認すべきはここからだ。


(ルキフェルさんは、笑っていない)


 彼女は何か、知っている。私はその確信を得た。


「彼の亡骸に、刹那姫の意識がありました。あれは……憑依数術と死霊数術の合わせ技。道化師が刹那姫、或いはセネトレア王その両者に接触したのかもしれません」


 被憑依使いのエフェトスが道化師の手に落ちた可能性がある。そこに、憑依数術まであいつの手に渡ったなら……これまで以上に面倒。一定の会話の応酬がスイッチとなるエフェトスの数術とは違い、憑依数術はまだ未知数。

 どんな状況で、体を奪われるのか……今回のような入れ替えならまだ良い。意識を乗っ取る形で奪われたものは……取り戻すことは出来るのか。もし、乗っ取られた者の精神、魂を破壊するようなものなら、その時点でカードは死ぬ? 解らなければ対策のしようがない。


「その時、片手しか確認していませんが……ラハイアの体には生前のカードが刻まれたままでした。今のリフル様には、貴方自身のカードが刻まれている。この絡繰りについてルキフェルさん……教会は何かご存知ですか?」

「ええと……そうですね。禁則事項、禁則事項……イグニス様の死後なら、そうね。ではお伝えします」


  《運命の輪》は気に入らない相手は拒めるようだが、求めに応じてルールの補足説明が可能らしい。敵との交渉材料に情報を使う、或いはこうして味方のためにだけ情報を開示する。彼らに気に入られ、味方につけることが……審判を勝ち残るために必要なことだとよく分かる。イグニス様がカーネフェルに肩入れしてくださった事は、こうして後々もしっかり生きている。ルールはあれど《運命の輪》も人である。公平ではない。それが今は、ありがたい。


「カードを掴んだ手に紋章が出ますが、生者は基本的に、魂に。精神にカードが刻まれるんです。ですから仮に、紋章を焼いても腕を切り落としてもカードはカード。審判からは逃れられません」


 憑依数術での疑問であった体と精神、その問題がここにも繋がる。

 考えたこともなかったが、そういう結論にたどり着くものもいるか。強カードが終盤まで手を切り落として保管して、最後に腕をまたくっ付ける。それで幸福値をたくさん残したまま審判に戻られても厄介だ。除外されていて当然だろう。


「でも、紋章を目視できなくするのはまぁ、意味はありますよ。はったりとしては。その場に潜伏させた者との総幸福値で、数兵がコートカードを装うとか。まぁ、数術使いからみれば大体の数値が見えるから無意味ですけど」


 情報が行き渡らない序盤であれば有効と。なるほど、序盤から腕を焼いたり切り落としたりする程、覚悟が決まっている者ならば……勢いで押し切れるかもしれない。


「ひえぇ、そこまでやるかぁ。そんなことする人いるのかなぁ……」


 腕を切り落とすなんてと青ざめるアルドール。貴方とカーネフェルのためならば、やりそうな人を何人か思い浮かべるも……その中に自分も入っていたので私は笑えなかった。


「先ほども言いましたけど、基本的にカードは魂に刻まれるんですが……死んだ瞬間、カードが肉体に固定されるんです。証として焼き印を残していく、みたいな。だからこれは逆に……ある程度情報を掴んでいる者に対して、トリックにも使えるんです」


 これは言える、これはまだ言える。情報を小出しに確認しながら、ルキフェルさんは回りくどい説明をする。


「幸福値を遺して死んだ者、或いはカードを植え付けた死体なら……そこに別人が乗り移ることで、カードをリサイクルすることは可能。その場合……魂と肉体、それぞれがカードを持ち……両手に紋章が刻まれる。何らかの手段で両手の二枚持ちになったなら、どちらが自身の真のカードか解りませんよね?」


 カードの二枚持ちが許されていた!? そんな卑怯な者がいたなんて。しかし、だまし討ちには有効か? 片手だけを見せることで、自身のカードを偽れる。その上、他人の幸福値を奪ってのうのうと……有利に審判を進められる。まとめられた情報に、私は声も出なかった。私の代わりに、手を震わせながらアルドールが呟いた。


「道化師が、カード二枚持ちって可能性も……あるのかな?」


 ギメル様のハートのQ、そして道化師本人のジョーカー。ギメル様の亡骸を乗っ取った、道化師が憑依&死霊数術で動かしている可能性。

 イグニス様を失い、ギメル様本人も既に失っている疑惑に迫るその言葉。

 認める辛さを乗り切った、その強さはマリウスのもの。今のアルドールには過去がある。混血の双子に出会う以前の自分がある。それでも口に出すのは恐ろしいだろう。ふーっと一息吐いて顔を上げ、彼の震えが止まる。カーネフェル王の顔になる。


「どうなんですか、ルキフェルさん」

「……解りません。ですが、私はイグニス様のカードのことなら知っています」


 ルキフェルさんは、慎重に。少しずつ言葉を紡ぐ。


「ハートのKと……ハートのQ。それが、あの方のカードです」


 明かされた情報に、私たちは絶句する。だってあの方はハートのジャック、聞いていたカードと数値が違う。そもそもハートのKはラハイアの亡骸にあったカードだ。


「ハートの、女王……? それにキングまで!?」

「初期の道化師がハートのQを装ったのは、イグニス様のカード一枚を盗み見たからです。これによりあの方は、Qを所持していることを貴方がたに言えなくなりました」


 道化師にカードを知られていなければ、あの方は最初からギメル様としてアルドールを支えたに違いない。あの方は、ある意味でイグニス様でもありギメル様でもあったのだ。


「私から言えるのはこれだけ。私のイグニス様は、両手にカードが刻まれていました。そしてイグニス様は、特殊な数術により……一時的にご自身のカードと、ラハイアのカードを入れ替えておられました。ラハイアの死により、カードは元の場所へ戻ったはず」


 死んだ瞬間、ラハイアの手に偽りのカードを刻んで残し、持ち主の元へ帰って行った。

 私がそう理解した時、王子が机に己の拳を叩き込む。何度も、何度も……凄まじい怒りを込めて。でも、なんて非力。机に傷一つ残せずに、己の手から血を流すだけ。彼の手袋に少しずつ赤い染みが広がった。荒い呼吸を繰り返し、その後また冷たい目に戻る。激しい怒りが消えた後も赤い瞳だけはいつまでも、悲しみに染まっているみたい。

 間違いない。この人はラハイアのことで怒っている。その怒りの矛先は、聖教会……私たちの知る、イグニス様?


「すまない、取り乱した。怖がらせたな」

「い、いえ! リフル様の怒りはもっともです……イグニス様は、貴方にとって、あの人にとって……それだけのことをしました。傷付けたことは謝ります」


 彼の剣幕に怯えていたルキフェルさん。一度頭を下げた後、強い瞳で彼を見つめて言い返す。


「でも私たちは何度でも同じ事をする。この審判で、勝つべき人を勝たせるためなら……どんなことでも、なんだって」


 アルドールのために敷かれた道。転がり続ける運命の輪。その犠牲として轢き殺される人々。最大多数の最大幸福のため、最小限の犠牲を求めた暗殺者。それが彼に返ってくるのは皮肉ではある。でも、私はその道をどんな気持ちで見つめれば良い? アルドールのために、ラハイアが犠牲になったなんて知りたくなかった。


「ルキフェルさんは、イグニスが……わざと弱くなった理由を知ってる?」


 地獄のような空気の中、空気を読まずに質問。場を取り持つための無駄な会話と思わせて、今回ばかりはわざとだろう。助け船を出しながら探りを入れている。それが出来るアルドールの強かさ。道化が板に付いてきた。

 カードを入れ替えられたとは言え、どちらもコートカード。城との戦いで、その差はそこまで致命的となるものだろうか?


「敵を欺きながら、ラハイアが覚醒すればそれでよし。今回のようにKの幸運を大量に残したまま散ったであれば……自身がそれを受け継げる。ハートのキングの別名、アルドール様ならご存知ですか?」

「聞いたことあるよ、確か……“自殺王”」

「正解です。その名の通り、ハートのKは敵に殺されずとも唯一自害が出来るカードです」


 そうだ、上位カードが大半であろうセネトレア城のカードにラハイアが殺せるわけがない。イグニス様は彼の覚醒と善性に賭け、どう転んでも利のある状況を生み出したのだ。


「アルドール様。イグニス様には、我々には。まだ貴方に明かせない情報があります。でも!! イグニス様が、……命がけで道化師の幸福を大幅に削ったのは確かです。奴が今タロックやセネトレアに肩入れしているのも……戦力の分散などという手を打ったのも、こちらの幸運……そしてカードを削ぐための時間稼ぎ」

「うん、大丈夫だよルキフェルさん。俺が帰ってこられたのは……イグニスと《運命の輪》の人たちのおかげだ。信じてるし、イグニスとの約束は守るよ。必ず――…………」


 穏やかに笑うアルドール。今の彼は、王の顔をしていた。すぐに話題の軌道修正を図り、自身の心を置き去りにする。いつも通り笑ってみせる顔なんて、本当に、ただのアルドールでしかないのに。


「で、だよ? となると。ジャンヌが見たって言うラハイアさんのカードっていうのは視覚数術ではなくて、入れ替えのトリックだったんだよね?」

「はい、おそらくは」

「残った幸福値もイグニスが持って行ったって言うなら、女王自身の幸福値しかなかった。もし仮に道化師がサポートしていたとしても、イグニスが奴を削った後だ。なのに、うちのジャンヌとランスが勝てなかった。カードでは勝っているはずなのに……。善戦か辛勝してもおかしくないのに……多分そうなって、ないんだよね?」

「……お恥ずかしい話ですが、敗走しました」

「そこにも何かトリックがあると言いたいのか?」


 上位カードなのになぜ、女王の幸運が尽きないのか。自殺王のカードがあったとはいえ、刹那がラハイアを殺められたのは何故か。セネトレアの二人がまだ知らない情報。女王と戦う上で必要となるそれを、アルドールが話し始める。


「言霊数術。言った言葉が真実になるっていう、よくわからないけど凄い数術があって……かつて天九騎士のアーカーシャが贈った言葉が、女王の強さを保証している。刹那姫は、他人の幸福値をどうにかして奪う手段を持っているんじゃないかな」

「仮にその騎士を殺した場合は?」


 流石暗殺組織の長。まずその発想から切り込む王子様。それに対して、もっとも詳しい情報を持っていたのがルキフェルさん。アーカーシャ同様、言霊数術を扱えるイグニス様に使えていたのだから当然か。


「不可能です。術者を殺めても、数術は残ります。本人であっても、一度口にした呪いも祝福も……取り消すことは出来ない数術と言われています」

「女王自身が敗北を望まない限り、彼女は決して負けない? そんな相手をどう打ち負かせばいいんだろうなぁ」

「だからこそ、イグニス様はこのセネトレアに多くの運命の輪を送り込みました。タロックでもカーネフェルでもないちっぽけな島国に。セネトレアでの戦いはそれだけ、この審判での要所なんです」


 女王攻略のための布石は打たれているはず。今はルキフェルさんのその言葉を信じるしかない。数多の犠牲の上に、残された我々。負けることが許されない戦いの重圧に、室内がしんと静まりかえる。最も早く迷いを振り払ったのは、普段から命と向き合っている暗殺者の彼だった。リフル王子は部屋の時計を一瞥し、ゆっくり席を立ち上がる。


「ん……流石に夜も更けてきた。今宵はここまでにしよう。寝床は向こうの部屋。ご婦人がたもいるそちらが適当に使ってくれ。ではな……」


 先ほどはあんなに怒っていたのに。どんな仮面を貼り付けたのか。可憐にくすりと笑って、王子は階上へと去って行く。彼の姿が完全に消えるまで、全員が彼を目で追ってしまった。


「なんかこう……今まで会った事がないタイプだ」


 悪い人ではないけれど、手のひらの上で転がされているような感じ。ぼやくアルドールに私も同意。


「カーネフェルの、貴方の傍にはいなかったような人ですね」

「あっ!! 私ちょっと、警備の相談王子にしてきます! カーネフェリア様がたは先に休んでいてください!!」


 ルキフェルさんも上階へ走って行って、私たちが二人きり。なんとなく、気まずい。

 外部組織の二人が消えたから、少しは気を緩めても良いのでは。アルドールが今も落ち着いていることが少し心配。


「じゃ! お言葉に甘えて休もうか? ジャンヌも疲れてるだろ? ルキフェルさんと一緒に寝室使ってよ。俺はあっちのクッション借りて寝るから」


 アルドールはぱっと笑ってそう言い残し、アトリエの隅に簡易な寝床を作る。すぐに転がり毛布に丸まる。静かな寝息が聞こえてきたが、そんなに簡単に寝付けるはずがない。寝たふりだろうが、起こせない。


「…………アルドール」


 しかし、貴方に何と言ってあげればいいのか。私には、彼の名前を呼ぶことしか出来ない。

 イグニス様。その体はどちらのものだったのか。どちらのカードが、肉体に刻まれたカードであったのか。どちらにせよ、アルドールは大切な人を二人とも、亡くしてしまった事実を知ってしまった。その肉体さえ道化師の手に落ちているならば……ラハイアのよう、亡骸を弄ばれるかもしれない。


(それだけは……)


 それだけは、絶対にさせてはならない。この状況、これまでの道。迷いも後悔もいくらでもあるけれど。貴方を私に託してくれたあの人を。

説明が終わらねぇ……両陣営が共有していない情報があまりに多すぎる。

どうなってんだイグニス!!

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