1:fama nihil est celerius
「見逃すんですか、私を……」
終わりだと、ジャンヌはそう思った。
仲間で意識がある者は自分の他には誰も居ない。仲間と呼んで良いか分からない相手ならばもう一人、意識はあるが錯乱している。私だってそうなってしまいたい。そうは思った。
毒の痛みに耐えながら、床石に這い蹲って、敵を見つめる。道化師は、第四島に置いてきた……少女のように美しい顔に、嘲笑を滲ませる。
「今殺してもつまらない。だから可哀想な貴女に一つ、良い言葉をあげるよ。“この戦、敗北するのはセネトレア”」
「!? 」
「信じるか信じないかは貴女の自由。だけど私の言霊数術は、外れないよ」
侮辱だと思った。見えない、聞こえるだけの私に聞こえた。悪しき言葉と共に流れる不気味な旋律……それは、数術ではあるのだろうが。こんな状況で、勝てるだなんて誰が信じられるだろう。
(例え勝ったところで……)
それは道化師を喜ばせるだけ。いっそ終わらせて欲しいと願う。そんな願いを見透かして、道化師はこの場で誰をも殺さない。全てを殺せる力があるのに!
抜け殻になった、息をしているだけのアルドールを……まだ苦しめ足りないと、この道化は笑っているのだ。
「何を何処まで犠牲にするか、消耗するか。そこまでは分からないけど良かったね? 貴女の国が勝つんだよ、王妃様? 」
「……っ、お前はギメル様ではないっ! ましてやイグニス様でもないわっ!! あの人が、愛した人のはずがないっ!! 無礼者っ、今すぐここから消えなさいっ! 」
「逆だよ、聖女様。アルドールは、貴女が愛すような価値がなかった。アルドールも分かってる。だから、貴女を愛さない」
「そんなこと、関係ない! 私があの人の傍にいたいだけだものっ!! 」
「そう。それじゃあ頑張ってね? 老い先短い、ジャンヌ様」
「初めまして、僧祗様。帰りの足は用意しました。残念だけど、ここは貴方に分が悪い」
「ほぉ、有能そうな娘。お前が此方についてもか? 」
「ええ。もしここで彼らを殺すなら、私が貴方を殺しますもの」
「……それは確かに分が悪い」
道化師にカードを見せられて、タロック騎士も撤退の旨を受け入れる。空間転移の数術で、二人はそのまま姿を消した。残されたのは……どうしたらいいのか、誰にも尋ねられない私と……半死半生の仲間だけ。いや……まだ、他に。
「ごめんなさい……ごめんなさいっ」
「すまない……ジャンヌ」
扉の陰から現れた、聖十字。視覚数術の解けた……二人はイグニス様の忠臣。死地へ趣きながら、信頼できる部下を私達にあの方は預けてくれていた。あれは、そんな二人がとっさに動けない相手……
「あれは……イグニス様だったのですか? 」
「ちがう……だけど」
「ここに奴が出たってのは、俺達の主はもう……生きてねぇってことだよ」
その場に座り込み、嗚咽を繰り返すシスターと……私を助け起こしながら、私を、下を決して見ない女兵士。
「シャルルスに怒られるな」
「……いえ、構いません。私が決めたことですから」
イグニス様の死。それは、道化師が教皇聖下に成り代わるということにも等しい。二人が面と向かって道化師に逆らえば……彼らは仲間を全て敵へと回す。道化師がシャトランジアへ帰る前に、彼らは運命の輪の仲間達に真実を伝えなければならないのだ。だから、あの場に出られなかった。
「でも……今は、どうか……助けて下さい。私一人では……どうすればいいのか、何も……なにも、わからないんです」
泣き出した私を見、シスターは自身の涙を拭い……私をぎゅっと抱き締める。声も呼吸もまだ落ち着かず身体だって震えたままに、自分の使命を果たそうと。
「大丈夫……です。来たるべき日へ、来たるべき場所へ……運命の輪はカーネフェル王をお連れします」
*
「ルキフェル」
「は、はいぃいっ!? な、なんでしょう神子様! 」
「そんなに畏まらないで。ちょっと……そうだな、下らない愚痴に付き合ってくれないか? 」
教会内の私の部屋に、神子様がやって来た。それは私がカーネフェルを離れ、シャトランジアに戻ってしばらく経った頃。
「お互い、忙しかったね。ゆっくり二人で話をするのはいつぶりだろう? 」
「それは日数ですか? 時間でですか? 」
「覚えてるのかい? 」
「引きました……? 」
「いや、嬉しくはあるな」
柔らかな笑み。凄く嬉しい。照れながら、私はあの人を部屋へと招く。
「ご、ごめんなさい……その……満足なおもてなしも出来なくて」
私の部屋には必要最低限の家具。一人分の椅子を主に勧めるも、イグニス様は首を振り、私の寝台に腰を下ろした。あのシーツを家宝にしたい。私が照れている間にも、あの方は真面目なお顔。慌てて私も平静を装う。主より高い場所には座れない、床へと座した私を見たあの人は……手招きをして「命令」と笑う。躊躇いながら隣に私も座る、そのタイミングでイグニス様は語り出された。
「ルキフェル、僕は……憑依数術は出来ることなら表舞台に出したくない。被憑依数術もね」
「神子様? 」
「断言するけど、あれは必ず悪用される。そして誰もが思うのさ。道化師は誰だ? って。誰にもなり得る、可能性に変わってしまう」
それは、弱音。神子様らしくない言葉。私に話してくれる幸福。これが愚痴? そんなことない。これは……不安。
「神子様、ではエフェトスを連れて行ったのは……」
「あの子であっても僕と彼の違いは見分けられない。彼は道化師の側に回るよ」
手の内を明かせば大事な切り札を敵に盗まれることになる。イグニス様はそれを理解していて、それでも彼を戦場へ連れて行く。他に手立てがない程までに私達は、カーネフェルは追い詰められていた。貴重な切り札を差し出し得られる唯一のメリットは、時間稼ぎ。昔を懐かしむように、優しい目であの人は私を見る。
「彼を手に入れれば、奴はそりゃあ大喜びで君への注意を忘れる。一時的にね。だけどその僅かな時間があれば、君は全てに気付いてくれるだろう」
「私の……ため、なんですか? 」
「君は本当に、聖教会に……僕に尽くしてくれるねルキフェル。見返りなんて、何もないのに」
運命の輪は、命懸けの仕事。毎月それなりの額の給料は出る。その殆どを寄付へと渡す私のことを、馬鹿にする同僚も多い。
「その……私は、神子様にお仕えできるだけで幸せです」
「……“間も無く、僕は死ぬ”」
「神子、様」
「その時それに気付けるのは、おそらく……君とラディウス、リオだけだ。ザックの爺は気付いてもたぶん良いようには動かない。ラディウス亡き今、君達二人だけなんだ」
「どう、して……」
「あの二人は能力的に。君たち二人は……僕を神子ではなく人間として見てくれたからだよ」
突然与えられた予言に、私は泣くことしか出来ない。このままここに留まれば、私は無意味に命を落とす。かつての仲間に裏切られ……
「僕は……“ギメル”はリオと今夜ここを発つ。君も真実を打ち明けられる相手を連れて、時が来るまで生き延びてくれ」
「そんな、だって……どうして、リオなんですか!? 最後まであなたの傍に居られるのは、私か……あの女だと思ってました」
「ロセッタは……そうだね。彼女がここに帰るまで、僕はもう生きてはいないよ」
だから油断していた。まだ大丈夫だと思いたかった。そんな私の泣き言に、あの方は小さく笑う。
「彼女は僕の傍に居たら駄目だ、何も見えなくなる。本当に、君とは正反対だから」
そう言い笑った後に、イグニス様の数値が変わる。その姿を見、彼女が連れて行かれる理由を知った。
「ルキフェル……今すぐ数人選べるなら、君ともう少しだけ一緒に居られるよ。来るかい? 」
「……っ、はい!! 私は一秒でも長く、あなたの傍にいたいです」
泣いている時間はない。慌てて涙を拭ったが、それでもまだ私の目からそれは流れ続ける。そんな私を抱き寄せて、あの人は私の涙を胸へと受ける。私にとっての神子様は、この人以外にあり得ない。私を助けてくれたのは、目の前のイグニス様だから。
「ルキフェル、これを」
形見のつもり? 違う……私を守ってくれるため、イグニス様は教皇の証たる大事なロザリオを私へ預ける。
「身につけているだけでも役に立つが、手放すのは……大事なときに使ってくれ。一度は君を助けるだろう」
「イグニス様……」
手を放したくない。離れたら……これで最後だ。本当にこのひとは居なくなってしまう。ほんの少し、傍に居られても……人前でこんな事は出来ない。
「君が僕を思ってくれる時、僕は君を想ってる」
「……っ、はい! 」
離せでも、離れろでもなく……優しく告げられた言葉に、私の腕が緩む。これ以上の幸せ、駄目よ。そんなことになったら……私はすぐに、死んでしまうから。幸福値がなくなって。それはこの人の、望む未来とは違う。だから……
*
「……でも、驚いたわ」
ルキフェルは頬杖をつきながら、一蓮托生の同僚に語りかける。あれ以上、泣く暇はなかった。ひとまず錯乱した混血を、一発叩いて正気に戻らせた。これで駄目なら数術弾を使おうかとも思ったが。
「彼、責任を感じてたわね……」
「ああ。もう少し……僕らは話したかったんだけどなぁ」
アルマがシャルルスと代わった後、彼はしきりにフロリアスを気にする素振りを見せていた。単純に好みだとか混血だから保護したい、なんて理由には見えなくて少し気になる。
「シャル? ねぇ……あれ、本当の№2だったりしない? 」
「欠番が? 少なくとも手の内を読ませないって意味ではあるかも」
状況を整理した結果判明したが、ハイレンコールに現れたタロック軍は、あの混血が全て始末したらしい。地下から這い出した後、私達は第五公の軍に囲まれていた。特攻覚悟でフロリアスが前に出た後、カーネフェル人ばかりに見えた私達を心配する声が投げられた。どういうことだと思いきや、彼らは第五公の命により、タロック軍を討ちに来たのだそうで。人目に付かぬようにと、城下町の宿まで貸し与えられた。
「どういうことだと思う? 」
「第五公はカーネフェル側に付くって事かな」
「素直に信じて良いのかしら」
「元々、ディスブルー公はカーネフェルとも縁があるし……イグニス様も圧力を掛けたって言ってたよね」
「それなら……大丈夫ね。問題は……」
ルキフェルは、同僚と共に後方を振り返る。並ぶ寝台には問題が山積みだった。
「情報数術って厄介よね……あの黒髪男、絶対そのためにやらかしたんだわ」
あれから一晩。まだ夜が明けて数時間だというのに、城下町ブラウデザートでは既に、カーネフェル王妃の悪い噂が広まっている。
情報収集に向かわせた精霊達が集めた噂、風土病Disに感染したという噂。正義の聖女と噂される人物が、我らが第五島の病に感染した。嗚呼、なんたる悲劇。薬で感染されられたというのに、あの病自体が感染者との親密な接触による物だと知れ渡っているからこその風評被害。人の下世話な妄想だ、噂は飛ぶように広まる。カーネフェルの王妃はもはや傷物。救国のヒロインを語るにその評判は地に落ちる。手の届かない高潔な人物ではなく、触れてどうにでも出来る小娘だと、敵にも味方にも舐められた。まず、これが問題。
「私のことは……構いません。私より、アルドールを……」
「あああ、駄目だめ! まだ起き上がらないで! 今国内に居る仲間から、薬取り寄せるところだから、ね!? 」
慌ててジャンヌ妃を、再びベッドに押し戻す。
あれ、譫言なのに実際起き上がるからたまったものではない。夢遊病で出歩かれても大事だ。すでにこれで十回目。私達は一睡もしていない。
セネトレアは地獄だが、地獄に仏はいる。Disの治療法は確立されていないが、この国には延命薬となる毒持ちと、天才医師は存在するのだ。
(あの女と連絡取るのは癪だけど……)
あの女が道化師と接触する前に、なんとかそれを手に入れたい。だけど回線は繋げない。それ以外の方法で、連絡を取る必要がある。叩き起こしたリオに精霊を飛ばさせ、仲間の元へ向かわせたが……上手く行くだろうか?
いいや、そもそも……カーネフェルに虫使いがばらまいた熱病、あの時一度サンプルはシャトランジアに持ち帰って来ている。シャトランジアに帰れば、薬は手に入れられるかも。でも既にあの場所は、私達の居場所ではない。かなり危険な賭けとなる。
(優先順位は間違えてはならないわ)
どうするべきか考える。考えてもすぐに答えは出ない。
「また……大事なときに、何も出来なかった」
「くっ……生き恥です。私の方が余程」
寝台で膝を抱えているのが二人。アロンダイト卿ランス様と、私達の同僚のリオ。励ましても怒り散らしても、ものの五分でまた同じ。
「生き恥共、簡単に死ねると思わない事ね。誇って死ねるよう、今は失態取り戻すため頑張るしか無いわ。私も同じよ」
「そうですよリオ! ランス様! 」
あの二人放っておくと、エアスタイン卿とかエア神子様と話し始めてその場で首つりとか切腹しそうなのだ。武器は取り上げてあるが、正気に返るまでベッドに縛り付けておくべきだろうか?
これだけでももう頭が痛いのに、極めつけはこれ。寝台で身動き一つ出来ないカーネフェルの少年王。呼吸以外の何もかも、忘れてしまった生きた屍。
「うちで情報数術得意な奴っていた? 」
「ある意味、マリアージュ? 」
「だと自己責任よね。彼女、この王の台本持ってたはずなんだけど……」
マリアージュが生きて居れば、変身数術用の情報を、抜け殻の王に叩き込むことも出来たのだけど……既にこの弱っちぃカーネフェリアは彼女を死なせてしまったのだ。
「分かりました、責任を取って俺が死にます」
「ああもうっ! この騎士様はっ!! 」
肉体言語で一発入れる。やはりこれしかない。放って置いたら舌噛んで死にそう。鳩尾に良いのをくれてやった。次に起きた時にはマシな目に戻っていることを願うばかり。ルキフェルは祈りながら騎士を寝台に縛り付け、口に布を噛ませてやった。
「それこそ……イグニス様、だよね。なんでも出来たのは」
「神子様以上の上位№……なら、やれる奴もいると思うけど、お願いしてどうにかなる相手じゃないわ。今の状況なら、尚更」
「そうだ……セネトレアの魔女は? 」
「ちょっと前に死んだって話」
「うわ、詰んだ」
他に方法が無いわけじゃないけど……時間がかかるし、進軍は止められない。時間を掛ければ掛けるほど此方は不利だ。まずカーネフェルの防衛が困難。タロックか、道化師操るシャトランジアに落とされるという懸念。道化師を此方に引き付けながら、王の復旧作業を行いながら、王都陥落……城へ攻め込むまでに王が元通りになれば、まだセーフ。
「第五公が反乱に加わってくれるなら、幸い兵は確保できるから……それを目眩ましにどうにか乗りきるしかないよね」
「アロンダイト様には私が付く。私の革命能力があれば、下位カードも蹴散らせる。表舞台はそれで行けるはず」
「ルキフェル……僕、フロリアスさん探してもいいかな」
「シャル? 」
「あの人、無茶してる気がする。アルドール様のこと、一番気にしてると思うよ。それにあの人、強い。仲間になってくれたらやれると思うんだ」
「やれるって? 」
「見てるはずなんだ。情報数術使いが使った数式を」
「解析するって言うの? 理論上は可能だけど、神子様だって出来てもやらないわ。そんなの誰が」
「……僕がやる。大丈夫、彼をもっとよく見れば……やれる。僕と、アルマなら」
いつもの女々しい彼じゃない。金髪に赤い瞳の彼が、その目に決意を宿して頷いた。
と言うわけで新章です。裏本編とも時間軸が近付いてきました。
並行して執筆をしていきたいと思います。リアル仕事でなかなか時間取れないのが辛い_(:3」∠)_