13:degeneres animos timor arguit
(血の通った、死体。血を流す死体……)
まるで生きているかのような亡骸。悪名高きこの国で、そこまで美しい死体を作れる技術を持つ者は……限られる。かの者達でさえ一年程前に暗殺者により滅ぼされた。状況証拠ではあるが、犯人は殺人鬼SUITであろうというのが事件における主流の見方。
《アルマ。君は優しいんだね》
(んな訳あるか馬鹿野郎! 俺がシャルルスを逃がしたと思ったら大間違いだぜ)
フロリスの言葉を鼻で笑って、俺は教会兵器を構える。
(こっちからあいつと同じ匂いがする。そいつを潰すのが、俺の復讐だ)
そいつを潰されることを道化師は恐れる。馬鹿な奴。あいつは、孤独に耐えきれなかった。だから自ら弱みを作り上げたんだ。
(俺の勘が鈍ってなければ、正解だ。そこを叩けば必ず、道化師は現れる!)
セネトレアで発明された、完璧な死体保存技術。その技術は失われたと考えられていた。だが、俺達が戦う死体は……その技術の片鱗がある。この戦争の裏に、技術者が絡んでいるのは間違いない。
(始まったな)
到着した第五公とその軍勢。死者の兵に恐れながらも彼らは戦う。一人、また一人と倒れる。そして……第五公が最後の一人になった時、第四公は現れる。俺達はそれを唯待てば良い。
「やるぜ、“罪には……罰を”!」
*
焼け落ちた村にも無事な建物はあった。村の中の小さな教会。建築材にも数術の力が宿っているようで、ジャンヌはそこにランスを運び込むことにした。
共に山を降りた兵達はここに陣を構え、カーネフェルとやり合うことを提案。彼らにじっくりランスの顔を見られては困る。今は絶対安静だと一室に隔離し、面会謝絶にしているが。
騒ぎを聞きつけ人は増えて来る。ラハイアの名に戻って来た“多少マシな”村人、火を見て略奪を考えた近隣住民。そしてあの女が集めた自称聖十字達。
「エティエンヌ様、ラハイア様のご様子は?」
「ああ。今は安静にしているが……状況は芳しくない。出来ることならまともな医者に診せたいが……」
「カーネフェルの連中ですね。皆、此度の件を不安がり……あの様に暴れ回っているのでしょう」
「…………まもなく姿を現すはずだ。カーネフェリアは腹心の遺体を回収したいだろう……首は此方で保管しよう。各部隊、亡骸の一部を持ち、カーネフェリアを炙り出せ。ラハイア様が目覚める前に全てを終わらせるのだ」
「はっ!」
ジャンヌの言葉に意気揚々と、兵は扉の前から離れる。
負傷したランスに代わり、私に指揮を求める。何故こんな状況に陥ったのか。考えれば考えるほど、あの女の掌の上、遊ばれているのだと気付かせられる。
私は兜で素顔を隠し、ラハイアの腹心エティエンヌを名乗った。ラハイアが生きて居ると聞き、確認のために彼らを探しここを訪れたと説明。その場を誤魔化すにはそれで良かった。しかし倒れたラハイアに代わるまとめ役として担ぎ上げられ、逃げ出す隙も与えられない。
見せしめとして、友の首は私が刎ねた。両眼を見られさえしなければ、あれが彼だとは気付かれない。あとの部位を持っていっても、急造の兵にはあれが誰かは解りはしない。
(ライル。私は…………)
英雄であった友をこんな姿にし、埋葬もしてやれない。貴方の頭部を明るい場所で見られたなら、何もかもが終わってしまう。首を刎ねた時の感触が忘れられない。砲弾で、船を沈めた時には知らなかった感触だ。堅くないのだ、軟らかな肉と手応えのある筋肉、骨を切り離す感触が……剣から私の手に伝わったのだ。
(私は…………)
カーネフェルの皆に守られていた。聖女と祭り上げられ、処刑人になることもなかった。私は騎士達に肩代わりをさせていた。人を殺すという罪を。
(私は、幸運だった)
対立した人々を、殺さずに解決できる、戦意を喪失させられる。そんな奇跡もきっと……私の幸福を喰らってのこと。そんな幸運も、尽き掛けているのではないか?
(夜が明けたら……全てが終わる)
この暗がりなら、晒し者となった亡骸が……彼らの見ていたラハイアとは気付かれない。しかし夜が明けたなら、飛ばした者がこの場に戻ったら、私達に待っているのは破滅。
「カーネフェル人が村を焼いたんだ! 許せねぇ!!」
「第五島から来たんでしょう? 風土病を第一島へ持ち込んだのもあいつらだ!!」
「見つけ次第殺してやる!!」
セネトレアに集団意識はない。誰もが自分のために生きる超個人主義。商人組合のような表向きの繋がり・協力も、全ては自身に利すると判断してのこと。ならは奴隷達はどうか? 共に手を取り合い、協力し合い……反旗を翻す? それが理想。しかし彼らにそんな力は無い。誰かを助ければ、その分自分の危険も増す。だから誰かを犠牲にしてでも、自分が逃げる。生き延びる。そうしなければ生きられない。セネトレアには富める者も貧しき者も、手を取り合えない土壌があった。
(なんて、皮肉……)
窓の外の光景に、私は血の気が引いて行く。セネトレアの人間が、一致団結する光景。彼らが敵意を向けるのは、“英雄ラハイア”を傷付けたカーネフェル……。私達がその名を騙ったことで、周りに人が群がった。この場から逃げ出すことも叶わない。
「殺せ! カーネフェル人を殺せ!!」
「聖十字様! どうかご指示を!!」
「……近隣を探せ。何処かに隠れ潜んでいるはずだ、カーネフェル軍は一人残らず叩き斬れ!」
「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」
「良き知らせを期待する! 皆に聖十字の加護を!!」
聞こえてくる……縋り付くような嘆き悲しみ、行き場所を求める殺意と怒り。
私の友はこんな国から多くの奴隷を救い、彼らに深く感謝をされた。カーネフェルの騎士と告げ、蹂躙した亡骸……あれこそが、彼らが崇める聖十字、ラハイアなのだ。事が露見すれば、本当に……私達に逃げ場はなくなる。刹那にラハイアの体が使われることはなくなったが、私達の立場はより一層悪しき状況に陥った。あの女が憎らしい。どう転んでも、此方の不利になる手で攻め込んで来た。
この熱狂的な空気。もはや話し合える状況ではない。私達に選べるのは、本来手を取り合えたであろう奴隷達に殺されるか、彼らを殺して先を進むか。それだけなのだ。
村から人を遠ざけて、その隙に逃げるか。数術を使えるランスが倒れたままなのがこの上なく痛手。幸福に支えられても、私一人では数術を使えない。逃げるにしろランスが目覚めるまで、私が彼を抱えて逃げることになる。
(ランスを見捨てれば、ここから逃げるチャンスはある。成功率も遙かに……)
私の心も奴隷と同じ。同じ選択に迫られていた。カーネフェルのため、カードの強さを思うなら、私はそうするべきなのだ。カーネフェルのためならば、ランスも喜んで命を投げ出してくれるだろう。
(でも……)
私は彼を知り過ぎた。彼の色々な顔を見て来た。アルドールだって知り得ない彼の姿も。悩み苦しみ、傷ついて。それでもカーネフェルの、私の騎士であろうとしてくれた彼を。私は何度、彼を友と呼んだ? そんな相手を見捨てて何が正義だ。私の愚かな願い、独断に……付いて来てくれたランスを、見捨てる選択など出来ない。
(リオ先生達は負けない。此方が殺すつもりで仕掛ければ、本気で応戦してくれる)
私は後方から号令を飛ばすことで、村人達を彼らに始末して貰う。余力があれば私が背後から叩き挟撃する。ランスが空間転移で飛ばした者が帰還する前に全てを終わらせなければ、迅速に。それ以外の方法でここから脱出するのは非常に困難。
消耗したランスに空間転移を強いるのも駄目だ。短い距離しか移動出来ず、その場を目撃されれば私達の立場はいよいよ疑われることになる。ラハイアは、数術使いではないのだから。
(何故……何故なのですか、主よ)
シャトランジアで何度も祈った。あの頃とは違う気持ちで私は同じ問いを繰り返す。
(何故私なんかに……貴方は試練を、こんな運命を与え賜うたのですか!?)
あんな、最弱に等しいカードをもつ女一人殺せないのか。何のためのコートカードだ。己の手に宿る女王カードに恨み言ばかりが思い浮かんだ。
あの女にあって、アルドールにない物は何だ!? 悪の化身である女王刹那……奴は悪行しか行わないのに、全てが思惑通り。心優しき私の王は、全てを無くしてしまったのに!!
正しき思想にも、行いにも……結果は応えない。どんな罪を重ねても、強き者は何処までも強くある。それがこの世界の姿だというのか。刃向かうことが、死ぬことが。築き上げた地位が名誉が! 貯め込んだ私財を失うのがそんなに恐ろしいのかお前等は!!
何故あんな女に従う。アルドールの心を殺し、マリウスを傀儡として。此方も心を正義を捨てて、勝ちにのみ固執すれば良いのか? 勝利さえすれば後から償いは出来ると? 幾らでもやり直せると? そんな訳がないだろう! 金で全てが解決できる? ふざけるな!! その人はもう何処にもいないのに。
この手に罪ばかりが増えて行く。親友の亡骸を辱め、罪のない……目撃者も消した。風土病末期症状の苦しみから解放したのだ。自分に言い聞かせても、罪の意識はなくならない。事の発端は……私が彼らに感染させたのだから。
(主よ……私は)
《……聞こえる?》
私の祈りに応えたのは、いつもの旋律ではない。私の頭に響く女性の声。
(…………誰?)
《良かった……貴女はユーカーと同じだと聞いたからもしかしてと思ったのよ。貴女、聞こえる人ね。私はヴィヴィアン、ランスの母親代わりの精霊よ》
精霊。その存在については聞いている。私は彼の精霊に直接会ったことはなかったが……今は一刻を争うと、怪我を負い気を失ったランスに代わり出て来てくれたのか。
《多少の支援は出来るけど、ランスが回復しないと空間転移は難しそう。万が一見られた場合のために、ランスの片目に視覚数術は掛けておくわ。姿も元の彼に見えた方が良いわよね?》
(……感謝します、ヴィヴィアン様)
《いいのよ。……そうね、行動を共にした兵士達には元々の貴女の顔は割れている。貴女の姿も変えておくわね。村人に見られた時からずっと兜を着けていたでしょう? 貴女、貴女が名乗っている人の姿は知っている? イメージしてくれたらその通りの外見に反映されるよう視覚数術を使ってみるわ》
(何とお礼を言えば良いのか。上手く行けば……本当にここから逃れられます)
《お礼は助かってから聞きます。さ、ランスにもできる限り回復数術を掛けておいたから早く……!》
(はい!)
《ジャンヌ様…………その前にもう一つだけ嫌な仕事を、どうか》
室内に、持ち帰った彼の首。暖炉の明かりを受けて輝く柔らかな金髪を……掴む手の震えを消した。
(…………解っています)
顔の判別が付いては困る。己の断罪を望みながら、私は彼を暖炉の中に押し込んだ。手を放す瞬間、私も暖炉の中に飛び込みたいと思った。今宵私が犯した罪の数々に、私の心は罰を欲して泣き叫ぶ。それでも、耐えろ! 耐えるのです!!
(もう、謝りません。…………私は、私の正義を………………)
歯を食いしばって、目を見開いて、私は現実を直視する。私の罪を両の瞳に押しつけて、焼いて記憶に刻み込む。
(全ては、カーネフェルのために……)
カーネフェルのために、あの女を討たねばならない。あいつを殺せたなら、私は……カーネフェルは正義になれる。どんな罪を、犯しても。
「ラハイア様の容態が悪化した! 私は王都まで向かう!!」
私が外へ出てみると、人々はカーネフェル軍討伐に向かい人手も少なくなっていた。……ランスを抱え馬に飛び乗り、私は堂々たる逃亡を図る。
「“あの人だよ”」
走り出してどのくらい? 子供の声が夜に響いた。
「“あの人だよ! 皆を殺したのはあの人だ! 私見たもの!! 数字を見ればわかるもん! ”」
(何を……)
恐る恐る振り返る……子供の姿は金髪の、金の瞳の少女であった。
(“ギメル”、さま……?)
彼女の傍には黒でも金でもない髪色の、子供達が集まっている。
「僕も見た。あのお姉ちゃんがあの子を殺した」
「私も見た。また会おうねって言ったのに……病気じゃなくて、殺されるなんて! 置いて行くんじゃなかった! だから逃げたくないって言ったのに!!」
ここは、奴隷達の村。ラハイアが助けた奴隷とは……純血と、混血。村に戻って来た、健康な子供。その中には“風土病”に感染しない混血達も含まれた。
(嘘…………混血は皆、シャトランジアに亡命したのではないの?)
混血にとっては地獄に等しいセネトレアに、残る者などいるはずがない。それなのに、……“どうして”?
(…………“化け物”、だ)
混血は何でも出来る。何でも解る。純血に比べたらどんな魔法のようなことでも、彼らは易々と叶えてしまう。疑った瞬間に、視覚数術は破られる。
(…………お前が、お前が煽動したのか“道化師”!!)
少女の名も知らぬ人々が、私を馬から引き摺り下ろす。衝撃で、外れた兜の下を見て……人々は騒然とした。見つけ出し次第殺せとの命で探させた相手が、その命令を下した者だという真実に。
《ごめんね聖女様? アルドールがいないなら貴女を虐めるつもりもないんだけど、もうすぐアルドールが起きそうだから》
精霊のように、彼女は私の頭に声を飛ばした。セレスタイン卿の剣と同じことを、物も介さず行っている。いいや、或いは。
(先程の、精霊の声も……まさかお前が! ランスの精霊はどうした!?)
私に見えていない世界。数術使いしか見えない所で。私の目の前で、道化師は精霊に危害を加えたのか? 彼女の“情報”さえも抜き取って、私を惑わし脅させた!!
《ふふふ、あはははは!》
私は、セネトレア女王と戦っていたつもりで……道化師を見落としていた。今私に向けられていた悪意は、女王と道化師……その二人から。疑うべきだったのだ。如何に知略に長けようと、数兵など私が何度も打ち負かされる異常さに! 名将ランスであってもこんなに傷ついているのに、刹那が無傷で立っていられるのはおかしかったのだ。
私は、私の幸運を信じられなかった。数術使いがいなければ、残りの幸福値さえ正確には解らない。私は容易く勝てる勝負を疑って、無駄に命を消費した。この手を無駄に穢しながら……
《やっぱりさぁ……“間に合いそうで間に合わないのが、一番傷つくでしょ”?》
*
「放せルキフェル!! 行かせろっ! 私にっ……行かせてくれ!!」
「暴れないでよリオ! 冷静になりなさいっ! 幾ら教え子が可愛くても……カーネフェリアが大事でも。今の彼らを見捨ててでも選ぶことなの!? 私が行くって言ってんでしょ! 私なら、道化師を一度は撃退できる!!」
馬車内は大混乱。村の変化を察知して、すぐに向かいたがるリオ。彼女を私は押さえつけて諭すが、リオの興奮は収まらない。
「復元作業中の、無防備なアルドール様とシャルルスを置いていけるの!? ここを感づかれたらお終いなのよ!?」
この情報量を隠す不可視数術はとても難しい。私では維持出来ない。精霊使いのリオでなければこの場の安全を保てない。
「だが、お前はイグニス様の切り札だ。本当にそこの王が何もかも無くした時に、役立てるのはお前しかいない!」
「解ってるじゃない。ここから動ける人は誰もいないのよ」
私だって悔しい。アージン様に続いて、また。今度こそ。ジャンヌ様を守るって約束したのに、今は見捨てる選択しか取れない現実に。
「…………私が行きます。皆さんの話はよく分からないけど」
「貴女……聞こえていたの!?」
深い絶望に包まれた車内に響く、少女の声。おずおずと挙手をしたのは御者台の……第五公に仕える使用人。
「皆さん凄い表情で、凄い暴れられてるのに何も聞こえないの変だなって思いまして……そうしたら色々聞こえて来て」
確かにそうだ。視覚数術でも情報を誤魔化さなければいけなかった。馬車の外から見えないようにはしていたし、そういう説明は彼女にもしたが……だからこそ音声への不信を招いてしまった。
「最近の公爵様はずっとお辛そうで。でも皆様との会談の後は、肩の荷が下りたようでした。私も薬師だから解るんです……私に出来ることはないかも知れません、でも。伝言を届けることくらいは出来ると思うんです。させてください!」
「ほな、うちと一緒に行きまひょか?」
「う、馬が喋った!?」
御者が飛び退き、車内へと転がり落ちる。
「うち、言うたやろ? “可愛いイグニスの不利益にならない範囲でカーネフェルに協力する”て」
その特徴的な口調と、言霊数術。相手は名乗らずに存在感を示して見せた。
「天九騎士、阿迦奢!?」
「騎士はんらが捕まっとっても薬師はんなら、何とかなりますやろ。うちが一緒に行くさかい」
「……何時から憑けていた?」
「馬車が用意された所からやね」
私達のことを監視していたのか。彼女の言葉が確かなら、手を貸すタイミングを伺っていたことにもなるが……この状況しかなかったのだろうか?
(言霊数術は、信頼の証にはなる。詳しいことはリオには見えているはずよ……彼女がこの要求を呑むなら、アーカーシャの行動は……本当に協力なんだ)
私はリオへ視線を向け、彼女の動きを注視する。
「王妃はんは立場上、高貴な方や。セネトレアはんはタロック贔屓しはるし、本国流の処刑なんて嬉しいとちゃいますの?」
「……毒殺処刑に変更させて、仮死状態で助け出す。そういうことか?」
「そやそや。名案やろ?」
「…………そして貴女が、表舞台に再び現れると言うことは」
「刹那は遊び場を移した。“数日は目覚めへん。初めての体に憑依するんは、時間掛かるものやさかい。”その間、うちは大手を振って歩けるわけや」
阿迦奢は再び言霊数術を使う。私達に数術の猶予を与えた。敵の一人を数日間、無力化させるという大きな事を!
「その間に、第四公と僧祗を叩けと?」
「“少なくともどちらかは。それが出来なければ、負けるのは貴方達”」
「…………ルキフェル」
「リオ。あんたが冷静に考えたことなら、それが正解だと私は信じるわ。あんたにはあの方が残した精霊がいるんですもの」
確認のため此方を見たリオに、私は強く頷いた。私に背中を押され、リオは馬に憑依した天九騎士に向き直る。
「解った。では……阿迦奢殿、貴女の協力を有り難く受けよう。この少女と共に、あの村へと向かって頂きたい」
「交渉成立やね」
ニカッと馬は笑った後に、少女を背に乗せ走り去る。視覚数術はかけていないようだが、“言霊数術”で誰にも見つからないよう保険を掛けているのだろう。
ジャンヌ様とランス様を救うチャンスが見つかって、少しだけ私達は安堵した。互いに顔を見合わせて……少し表情を緩める。
「首の皮一枚で繋がったわね……」
「まさか、タロックの将と手を組むとはな。だが、状況はまだまだ最悪だ。シャルルス達の方は……」
「まだ、復元が終わらないの? リオ、あとどのくらいか解る?」
手を繋いだアルドール様とシャルルス。二人の間を行き交う光も、数値も消えている。終わったの? そんな二人を目にしたリオは、小さく不吉な言葉を零した。
「…………最悪だ」
「最悪って……まさか、失敗したの!?」
青ざめて言葉を失うリオ。彼女のその表情に、私の顔も青ざめる。
言霊使いの阿迦奢に頼めば良かった。この復元が成功することを口にして貰えば良かった。今更追いかけようにも、もう馬と少女は村の中へと消えている。追いかけられはしない。
「…………術者が無事なら、また施術を執り行えば良い。だが、……二人は意識を共有し、復元作業に当たった。その結果、引き摺り込まれた」
「嘘……! シャルルスももう目覚めないって事!? そんな……!」
*
シャルルスは己に強く言い聞かせる。自分は誰か。意識を保ち続けなければ、主張をしなければ。持ち主の記憶に呑み込まれ、自己と他者の境界を見失う。同じ体を共有するならまだ良い。今は、二つの異なる身体から……情報のやり取りをしているのだ。失敗すれば二人とも二度と目覚めることはない。
「アルドール様! アルドール様っ!!」
情報の光の先……見えて来たもの。それは彼の記憶の風景だ。美しい屋敷の窓の中……虚ろな瞳の少年がいる。シャルルスは必死に窓を叩いて呼びかける。
彼には僕が見えて居るのに、僕の言葉が届かない。あれは生きた屍……人形だ。
「起きて下さい! 思い出して下さい!! 僕では役不足なのは解ります!! お互いしらないことばかりでしょう!? ……それでも思いだして下さい、僕はシャルルス! 貴方の親友っ……イグニス様の配下です! 貴方の奥方っ……ジャンヌの友です!」
彼にとって大事な二人の名前さえ、アルドール様には届かない。
「“アルドール……トリオンフィ”様!」
記憶の扉をこじ開けたキーワードを唱えれば、窓の中の少年が一度瞬き。此方の声を初めて認識した。
「…………窓を、開けて下さい。何も覚えていなくても良い。貴方が覚えていなくても、貴方以外が覚えてる! その情報を貴方に叩き込めば良い! 貴方はそれを見て、受け入れて……考えて、思ってくれれば良いんです! それで、貴方は貴方になるんだ!!」
必死の訴えを受け、少年が椅子から立ち上がる。おぼつかない足取りで……ゆっくりと窓に近付き、手を伸ばす。それでも窓は開かない。窓は彼の心のプロテクター。此処を開ければ彼の心は解放される。嬉しいことも悲しいことも、感じる欠陥品の奴隷に戻る。完璧な真っ新の……オーダーメイド養子奴隷ではなくなってしまう。だからそうなってはならないと、彼にはプログラムがされている。無理矢理プロテクターを破壊したなら、僅かに残った情報。彼が反応する“名前”まで消し飛ぶかもしれない。そうなれば、復元作業は絶望的だ。名前が残っているからこそ、他人の情報から自己を認識できるのだから。
「くそっ……!」
陽射しが強くなって来た。足下の大地が緑の庭園から砂地に代わる。大地に触れた足が、砂に吸い込まれ……触れた場所から僕の体を破壊する。
「ぐああああっ!」
時間切れが近付いている。人格の復元という途方もない情報数術は、混血である僕でさえ……廃人寸前の作業。僕の数術代償……精神の摩耗。大きな術を使えば、僕という人格は消えて無くなる。僕を引き留めようとしてくれたフローリアに、この体を譲る。彼女は病で苦しまず、……この審判からも逃げ出せる!
掌のトランプカードは肉体に、心臓の大アルカナカードは精神に……魂に刻まれる力! 凄いじゃないか。僕が消えることで、上手く行けば二人も助けられるんだ。
(一人殺せば罪人で、二人殺せば殺人鬼? 違う、一人の命で一人を救うのは犬死にだ。でも、一人で二人救えば英雄だ!)
一人未満の僕がそんな風に死ねたなら、凄いことでしょう? 欠けた僕が、本当に優秀だって証明出来て死ねるんだ。僕は最高に幸せだ。そうでしょう、イグニス様!
(知ってますよ、アルドール様……貴方は!)
目の前で死にそうな人間がいて、黙っていられる人形じゃない! 貴方は嫌悪したはずだ。動けて歩けて考えられる人間なのに! 目の前で大切な人を失い続けた貴方なら! 苦しみ藻掻く相手がいたら、それが敵でも心を痛める! 貴方はそういう人でしょう!?
「…………っ!!」
僕の体が、精神が完全に消える前……僕の耳は確かに聞いた。窓が開け放たれる音を。嗚呼、それなのに。彼に、全ての情報を叩き込む力が残っていない。僕の精神が削られると言うことは、僕が集めた彼の情報も消え失せると言うことで。残っているのは……僕自身が思ったアルドール様のこと。それから……フローリア、フロリアスの知り得るアルドール様の情報だけ。
手を伸ばす。彼に向かって。躊躇わずに掴んでくれた。その掌に……僕は残りの情報全てを流し込む。それが最後だ。僕の姿は、僕の思考は。もう……
THE 死体蹴り しんぷるしりーず
じごくはつづくよどこまでも