9:Inopem me copia fecit.
何もかもが変わってしまった。その事に唯私は脅えていた。命を危険に晒すこと、戦場に身を置くこと……人に剣を向けること。そんな事にはもう慣れて、私は震えもしないのに。
(アルドール……)
貴方が変わってしまったこと。その事実が私を追い詰める。
貴方が私のカーネフェルだった。貴方が消えてしまった時に、私のカーネフェルは滅んでしまった。このまま戦い続けても、貴方は元には戻らないのに。
(“本当”に?)
それは悪魔の囁きだ。私の内に湧き上がる悪しき考え。私が最後の一人に、勝者になったなら……貴方を取り戻すことは、不可能ではない。
「ジャンヌ様、何なりとご命令を」
騎士は私を見つめずに、真っ直ぐ前だけを見て私へ告げた。私の望み通り、“彼”が居るという場所へ向かって。
「…………いけませんね、私は。私は“カーネフェリア”になったのに」
「……そうですね。ですが、俺にも解ります」
「……ランス?」
「ジャンヌ様。貴女はまだ、民と変わらぬ人でいらっしゃる。俺はそういう心を取り戻すのに、随分と時間が掛かりました」
彼が静かに語る言葉は、私に強く響いていた。彼の悩みや、心身をすり減らす戦い方は、……私も何度も目にしていたから。
「友を愛せない者は、民のことも愛せない。ジャンヌ様……貴女は間違いなくカーネフェリア。民に愛されるべき人です」
私の愚かな選択を彼は讃える。
「出来れば、この先で待つ相手が……貴女の望む方であることを願っています」
「…………ありがとう」
一度微笑み前を向く。馬操る彼はもう私を振り返らない。そっとのぞき見る彼の横顔は、辛く苦しそう。この選択を、貴方は後悔しているのね。アルドールから離れることが辛いと、決別してから気が付いて。
「じ、ジャンヌ様!?」
「大丈夫ですよ、ランス」
落馬せぬようしがみつく、腕に少し意味を持たせた。彼は数術使い。触れるだけでも意味を知る。泣いても良いのだと、この腕から伝われば良いなと思う。
「……貴方は確かに、カーネフェリアの騎士です」
*
会いたかった。それでも会うのが怖い。冷静になればこう思う。冷酷無比の血の女王……セネトレア女王刹那。“あの女”が果たして見逃すだろうかと。
夕日が沈む頃、私達はようやく彼の待つ村まで辿り着く。警備を行う聖十字兵に先導されてようやく見えた……白銀の鎧と金色の髪。昔より位が上がって、立派な装備に身を包む。真っ直ぐ伸びた背筋の美しさは、彼の迷いなき正義を示すよう。友はまだ、別れた日のままそこにある。……私は変わってしまったのに。
「ラハイア……?」
後ろ姿に恐る恐るかけた声に、返ってくるのは朗らかな……懐かしい響き。溢れる笑顔は眼差しは澄み切っていて、私に何の不安も抱かせはしない。異なる左右の目の色も、昔の彼とそっくり同じ。少し変わった……そう思うのは、眼差しが微かに大人びてきつく見えるからだろう。彼の双眸は、私とは異なる多くの物を見つめてきたのだ。それでも私が視界に入れば元通り。
「良く来てくれたジャンヌ! こんな状況ではあるが、君の無事を確認できて俺は嬉しい」
名前を呼ばれた瞬間に、堰を切るよう溢れた涙。信頼と疑念の間で心が二つに割れるよう。彼の親友……聖十字としての私と、カーネフェル王妃としての私。目でも耳でも彼だと思うのに、私は私が信じられない。数術使いは、人の常識を覆す。死者を生き返らせる以外、彼らは全てを可能とする生き物だから。
騙されてはいけない。真実を見抜かなければならない。なのに、何も解らない。何を信じたら良いの?
「ラハイア……っ! 無事だったんですね!」
「心配を掛けたようで、すまない……」
一度の抱擁も、親愛以外が滲まない。数術使いではない私にも解るほど素直。その点に関して侮辱だと、私に感じさせない人柄が……正義が彼の中にはあった。後方から挨拶代わりの殺気を飛ばしていた、ランスの敵愾心もなりを潜める。こんな状況でもなければ、私も彼を自慢したい。ランスがセレスタイン卿について熱く語るように、私の友は私のラハイアはこんなにも凄い人なのだと三日三晩語り明かしたい。勿論、そんな猶予はない。
「……貴方の活躍は、私の所まで届いていました。でも、大分無理をしたと聞いて……心配していたんですよ?」
確かめるよう、叱るような口調で咎めれば、言葉に詰まり彼は罪悪感を顔に浮かべる。嘘が吐けない彼らしい。こうして会話をしてみると、以前の彼と何ら変わりがないように思えるが……。
セネトレア第一島ゴールダーケン。他の四島に比べて小さなその島は、大まかに二つのエリアに分けられる。商人の手が加わり拓けた東部には港もあり、貿易の拠点として栄えているが、自然が残るため……数値異常の魔物も多く手付かずの西部。それ故西部には奴隷や混血が隠れ住む。王都ベストバウアーも、東西が同様の権力構造。城へと通じる表通りから島全体が、二分されている。私の親友ラハイアが、配属されたのもこの島だ。
「ラハイア、あれはまだ大事にしてくれていますか?」
「ああ、勿論だ」
頷き彼は、己の片耳から十字架を外して見せた。聖十字兵となった時に、銃と共に私達が与えられた物。良質な触媒だというそれは、危険と隣り合わせの兵士に対するお守り。それぞれ希望配属先を違えた時に、片耳分を交換し合った。
(選んだ道は違っても、共に正義を行おう。友に恥じない自分であるように……)
傍で貴方が見ている、貴方に見られて恥ずかしくない正義でいよう。あの日交わした約束を……目の前の彼は確かに覚えてくれていた。それでも完璧であればある程に、私は彼を疑い見てしまう。私はこれまで、様々な数術使いに会って来た。私自身は見えないが、隣のランスはどうだろう。“情報数術”で、他者をこんなに上手く演じられるものかしら? 助言を求めるよう彼へと私は視線を向けた。
「……初めまして、ラハイア様。私はランス……カーネフェルに仕える騎士にございます」
「む、これは失礼!」
元は平民である彼は、慌てた様子で慣れない仕草で敬意を示そうとするが、ランスはそれを同じく慌てた様子で止めていた。
「我がカーネフェリアのご学友ならば、俺の方が貴方に失礼のないようにしなければなりません」
「や、止めてくれ! 俺は元々平民の出です。第一今はそんな状況でもない。時は国一刻を争う、俺や仲間の言動も荒くなる。予め無礼を詫びさせてくれ」
確かに会話の度に揉めていては、元も子もない。
「ええ、ラハイアさん。こちらこそよろしくお願い致します」
「さんも要らない。貴方の方が年上だろう?」
「そうですか、ではラハイア。早速ですが今の状況を教えて下さい。大勢での移動は目立つため、まず先遣隊として私達が来ました。場合によっては仲間の移動経路を変える必要が出てきます」
「ああ、そうだな。まずはこれを見て欲しい。今王都は混乱状況にある」
会話の中から違和感を見つけられないか? そのためにランスは彼の相手を引き受けているようだ。ついで情報収集も行う辺り抜け目ない。
「請負組織をご存知か? セネトレアで活動する職業別組合、組織のようなものだ」
「セネトレアでは全てに値段が付けられる……しかし何かを生産する者以外も仕事を見つけ生計を立てるための組織……と聞いたことはあります」
「情報屋から子守りに護衛、猫探しから暗殺まで。それら全てが専門の組織がある。王都ではその組織が、西と東で対立してな。少し前まではその抗争中だったため……城が残党狩りを初め、都は今も警戒態勢にある。しかし裏を返せば城の警備は手薄。死んだとされていた俺が、逃げ出す好機となった」
「つまり貴方がたは、今のうちに女王を始末したいと言うことですね?」
「あの女は世界の害だ。其方にとっても悪い話ではないはずだ」
「……ジャンヌ様」
「ええ、ライル。貴方の言う通りです」
決定権は自分にはない。会話へ加わるようランスに促され……私も彼を愛称で呼ぶ。此処でもラハイアはおかしな素振りを見せはしない。当たり前のように、私の声を受け入れる。
「ですが妙です。貴方がたは我々を待っていたと言うことですが……私達は目立ちます。セネトレアとの正面衝突は避けられない。如何に城が手薄であっても、そこまで辿り付けるかどうか」
「方法ならある。西を進み……後方より城を叩く」
王都ベストバウアー……セネトレア王宮は後方に険しい山脈を構え、都の周りは水に阻まれた自然要塞。兵を率いて乗り込むには正面突破以外あり得ないのだが、地図上でラハイアは……山脈へと指を置く。
「あ、あの山岳地帯を抜けるというの!? 無茶ですラハイア!」
「必ず成功させる。一度死に損ないはしたが、相手は上位カード。数値の消耗は多くない。第一俺はまだ、誰とも戦ってはいない」
卓上の地図から手を離し、籠手を外した彼の手に……刻まれた紋章はハートと……Kの文字。
「き、キング!?」
それきり私もランスも声を失う。魅入られたよう彼のカードを凝視した。何と言うこと……彼さえいれば、戦況は大きく変わる。彼が欲しい、何としても。そう思った私は……カーネフェルに傾いていた。愚かなこと……。カーネフェルのためにセレスタイン卿を壊せるランスと同じ。欲に目が眩んだのだ。別の道を進んだ彼が。今道がほんの少し交わっただけの彼を……祖国のために消費したいなど、私と“マリウス”の何が違うの? あの子は私だ。私が望む私の姿…………それを彼に演じさせていたのだ。
「ジャンヌ、心配せずに君の仲間も連れてきて欲しい。ラハイア=リッター、この命に代えても必ずや……セネトレアに正義をもたらそう!」
*
もう夜は遅いと貸し与えられた一室で……ジャンヌは眠れずにいた。
「……ランス、起きていますか?」
身を起こさぬままに、小さく騎士を呼ぶ。扉の向こう……返事はすぐに短く返る。返事の直後微かに響いた旋律は、彼の数術の合図。防音数式が室内に展開されたのだろう。
「はい、ジャンヌ様」
「まぁ! 起きていたんですね? あんなに言ったのに」
戸を開け彼を部屋へと招く。彼には隣室で身体を休ませるよう言ったのに、扉の前で寝ずの番をしていたらしい。その事を軽く叱りながらも、微かな安寧を得る。アルドールを咎めるときのような心地良さ……感じた直後に胸が痛んだ。
「ごめんなさい…………私は悩んでいます」
「心中お察し致します。我々数術使いは……代償さえあれば多くのことが出来てしまう」
「もし……貴方の大事な人の偽者が現れて、貴方はそれを見抜けると思いますか?」
「……見抜けないと思います。ですがそれが貴女のためとなるのなら、俺は彼を信じます。貴女のためにならないのなら、俺は彼の敵になる」
あんな別れ方をした、貴方の親友の名を口にすることが出来なくて……ぼかした言い方をしてしまったが、ランスは話をすり替えて、私とラハイアの話に戻してしまう。
「リオ先生の言葉を信じるなら、どんなに彼に似ていても……彼は生者でありません。恩師を疑うなど恥ずべき行為でありますが……憑依数術に憑かれた教官を、私は信じ切れないのです」
「合流を図ればシャトランジアは彼を滅し、己の言い分の正しさを主張しようとする。それは間違いありません」
「ええ……ですが、あの山脈を……この村の聖十字兵だけで越えられるとも思えません。物資が圧倒的に不足している」
「第五公の支援は必要不可欠……“マリウス”は、ラハイア様を迎え入れること、乗り気ではありました。もっとも今のあの方は……離反した俺に対して温情などないでしょう。ジャンヌ様。俺は貴女の判断に従います」
物資は欲しい。兵士も欲しい。しかし別れた彼らを説得させられると思えない。悩み項垂れる私に、ランスはそっと囁いた。
「…………シャルルス、アルマを使えませんか? 俺の精霊で彼らと接触を試みます。彼らの後をカーネフェル軍は追う。同じ方向に向かわせることは可能でしょう」
「それでは目立ち過ぎます。……そうだ、マリウスは私の命令には絶対。私が取り計らい、貴方とラハイアを守ります」
「イグニス様亡き今、教会側を制御できる保証はありません。彼らがAに危害を加えない保証ももはや……」
「それではアルドールは!」
「いいえ、まだ無事です。俺達が離れたことで、何としても彼らはアルドール様が必要となった。元に戻る可能性が芽生えたとも言えます」
「どういうこと、でしょうか?」
「今、あの身体の傍にカーネフェルの守護はない。彼は切り札であり人質。我々に交渉を迫る際、よりよいカードとして彼方は彼を作り替えたい。我々が“マリウス”を見限った以上、マリウスでは交渉の席に着けない。ジャンヌ様に何かをさせたいのなら、教会は……シャトランジアは“アルドール”様が必要なのです」
ランスの言葉は希望的観測の余地を出ないが、私の中に強く響いた。可能性自体は否定できない。
「俺達の足取りを掴めるよう、情報結界を弱め……彼方に補足させます。そうなれば付いてくる者はいる。物資は……現地調達で凌ぐしかないでしょう。砂漠のような第五島とは違い、第一島の西部は自然も多い……やってやれないことは恐らくありません」
「ランス……」
「ジャンヌ様?」
私が笑ったことに、彼はすぐに気がついた。灯りは微かな蝋燭。こんな暗い場所でも声だけなのに……とてもよく見えているのね。
「ありがとう、ランス」
「俺は何も! 貴女に礼を言われるような事などしておりません」
「いいえ。そうじゃないの」
貴方が見限ったのはマリウス。貴方はまだ……アルドールのことは好きでいてくれた。私はそれが、自分のことのように……唯々、嬉しかったのだ。
語りたいけど語れない。ラハイア君についてはSUIT編(セネトレア編)をどうぞ。各方面にごめんなさいとしか言えない。