1-5 銀色の男
ジャンドール砦を挟む山の上、そこに仮面をつけた人型の悪魔・ブラフが立っていた。
「なるほど・・・・・・ジャンドール砦の兵士たちは全員逃げた・・・・・・どうりで援軍もニラーナ将軍も来ないはずだ」
偵察の役目を終えた、コウモリ型の使い魔が、ブラフの手の中で燃えて消滅する。ブラフがアダム達の動きを完全に把握できていた秘密が、この使い魔だった。小型で、気配を完全に消すことができる。戦闘能力はないが、偵察に特化している。
「さて、空も明るくなってきたことですし、そろそろ始めますか・・・・・・」
ブラフの眼下には、アダム達のいるジャンドール砦。背後には『永遠の闇』から呼び出した、改造ゴブリン軍団、その数およそ三百。およそ一日かけて大量に生み出したものだ。ゴブリン軍団は今も永遠の闇の中で生まれ続けている。
「さあ、行きましょうか――」
「その必要はない」
ブラフの言葉を遮り、改造ゴブリン軍団の前に、聖剣の勇者――聖剣エクスカリバーと勇者の紋章を手放した今は元・聖剣の勇者であるアダム=レオトレーシーが立ちはだかる。
「どうも、アダムさん・・・・・・あれ?今日はおひとりですか?」
「お前には関係ない。ブラフ、今日こそお前を倒す・・・・・・行くぞ!」
エクスカリバーの代わりにビルの鋼鉄の剣を構え、アダムはブラフ率いる改造ゴブリン軍団に向かって突撃する。
「アーマーゴブリン!メイジゴブリン!」
全身を硬い装甲で覆われたアーマーゴブリンたちがブラフを守るように前に出て、その後ろから大量のメイジゴブリンが一斉に雷魔法を放つ。強力な電撃が四方八方からアダムに襲い掛かる。
「ぐわああああああああっ!」
鋼鉄の剣で受け止めるも、勇者の紋章による守りがない今では、直接的に雷魔法のダメージを受けてしまう。
「あれ?アダムさん、今日は調子悪いんですか?」
「うるさい・・・・・・大きなお世話だ・・・・・・!」
ブラフも様子がおかしいことに気づいたようだ。
ここで自分が囮であることに気づかれるとまずい――アダムは激痛と痺れを強力な精神力で抑え込み、アーマーゴブリン達に向かって走り出す。
「うおおおおおっ!」
再び放たれた雷魔法とをギリギリのところで避けつつ、アーマーゴブリン達の群れに接近。
「とりゃあああああ!」
アーマーゴブリンの分厚い肩を踏み台にし、アーマーゴブリン達の作っていたバリケードを飛び越えて後方のメイジゴブリンたちに斬りかかった。
命を捨てる覚悟のアダムに恐れも痛みも関係ない。メイジゴブリンに加えて狂戦士のようなバーサークゴブリンも群れて襲い掛かってくる。
アダムは鋼鉄の剣を振るい、メイジゴブリンとバーサークゴブリンを次々と切り倒していく。アーマーゴブリンは蹴り飛ばして回避する。
――時間を・・・・・・もっと時間を稼がないと・・・・・・!
アダムの使命はここで極力時間を稼ぎ、他の勇者たちを逃がすこと。
そのためにも、簡単に倒されるわけにはいかなかった。一匹でも多くの魔物を道連れにして、ここで魔物たちを足止めしなければならない。
「くっ!」
しかし、多勢に無勢であることに変わりはない。一対三百の無謀な戦いに、アダムの身体的、精神的な疲労がたまっていく。徐々に動き鈍くなっていく。攻撃よりも防御が増えていく。そして、
「なにっ!折れたっ!?」
いつの間にか鋼鉄の剣にもダメージが蓄積されていたようだ。
バーサークゴブリンの棍棒の一撃を受け止め、鋼鉄の剣の刃は砕けるように折れてしまった。
「ここまでのようですねえ・・・・・・アダムさん」
戦う手段を失ったアダムの前に、悠然とブラフが現れる。
「ベストは尽くした・・・・・・悔いはない・・・・・・」
十分に時間は稼いだ。すでにビルたちはジャンドール砦を離れているはずだ。行き先もごまかした。だが、ブラフが口にしたのは驚くべき事実だった。
「そうですねえ・・・・・・囮としての役割は十分に果たしましたねえ」
「貴様っ!なぜそれを!?」
アダムの目論見は既にブラフに見抜かれていた。
ブラフは笑いながら答える。
「なぜって・・・・・・あなた、勇者の紋章、外しているじゃないですか?」
「魔物のお前が、なぜ勇者の紋章のことを知っている・・・・・・?」
「ふふふ・・・・・・なんででしょう?」
ブラフが右手をかざす。そこに闇の魔力が集中する。
「まあ、アダムさんはよく頑張りましたよ。もう十分でしょうお休みください」
「ここまでか・・・・・・」
結局、殿としての役割は果たせなかった。自分はリーダーとしての責任を果たすことはできなかった――
折れた剣を構えたまま、じっとブラフをにらみつける。
闇の魔法が放たれ、人生の最後が訪れることをじっと待っている。
――ターニア、カルロス、マリー、リサさん、ケンブリッジ先生、モニカ、ヴォルフ・・・・・・姫様・・・・・・父さん、母さん・・・・・・
頭をよぎるのは、共に戦った七人の勇者たち、幼馴染みのルリアナ姫、そしてアダムの本当の両親のこと――
「さようなら、聖剣の勇者。闇の中に消えなさい――」
ブラフの手から、闇の魔法が放たれる――
その時だった。
「ちょっと待ったああああああ!」
アダムの背中を飛び越え、何者かがブラフに飛び掛かる。
体当たりを受け、闇の魔法は掻き消え、ブラフは地面に倒れた。
「な・・・・・・何者ですか・・・・・・!?」
冷静なブラフが取り乱す。アダムも突然の出来事に、飛び込んできた彼を見つめている。
「大丈夫ですか?」
アダムとブラフの間に立つ、自転車にまたがった人物。それはアダム達が昨晩拾ってきた、あの東洋人の男だった。
「ああ、大丈夫だ。それより、あなたは・・・・・・?」
「話は後です。まずはこいつらを倒します!」
そう言って、東洋人の男は自転車をこいで改造ゴブリン軍団の前に飛び出した。
改造ゴブリン達は魔法や棍棒で次々と攻撃を仕掛けてくる。
「よっ、とっ、とっ」
東洋人の男は巧みに自転車を走らせ、爆炎魔法や雷魔法の爆発を背後に、その攻撃を華麗に避けていく。
でこぼこした地面を走り抜けたところで、ターンし、今度は攻撃にかかる。
「とりゃ!とりゃ!とりゃあああ!」
後ろの車輪だけで車体を支えて前の車輪を浮かせ、ゴブリン達を薙ぎ払っていく。
「す、すごい・・・・・・!」
改造ゴブリン達の標的から外れたアダムはその光景を眺めている。
勇者でもない人間が、武器も使わず、自転車だけで魔物の大群とここまでやりあうなんて――
「やりますねえ・・・・・・」
落ち着きを取り戻したブラフが、再び手に魔力を集中させる。今度の標的はアダムではない。自転車に乗っている東洋人の男だ。
「なかなかに厄介そうだ・・・・・・今ここで消えてもらいましょうか」
風の魔法のようだ。ブラフは東洋人の男を始末しようとしている。
「危ない!風魔法だ!」
アダムが叫ぶ。が、間に合わない。
風魔法が東洋人の男に向かってくる。
「なにっ!」
風魔法は広範囲に広がって相手を吹き飛ばすタイプのものだった。東洋人の男は避けようとするが、避けようがない。暴風に空へと巻き上げられ、自転車と一緒に地面に叩きつけられる。
「ぐわあああああ!」
自転車から振り落とされ、東洋人の男は悶絶しながらも立ち上がった。
だがもう、戦う手段がない――そう思われた。
「ゴブリンども、あとはよろしく」
ブラフの指示で、改造ゴブリン達が東洋人の男めがけて一斉に飛び掛かる。
「危ない!」
アダムは自分が盾になろうと、男のもとに向かって走り出す。だが、とても間に合いそうもない。
「うわっ!」
さらに悪いことに、躓いてこけてしまった。顔面が地面に衝突する。
――まずい・・・・・・もうダメか・・・・・・!
絶望的だった。この東洋人の男は――無関係のこの男は、このまま死んでしまう。
自分の命を懸けても守れない。
結局、自分はその程度の男だったのか・・・・・・
この男が死ぬところを眺めることしかできないのか・・・・・・
アダムが己の非力さを嘆いた、その時だった。
「コンバットシステム、起動!」
東洋人の男はとっさに左腕の籠手の丸い部分を回す。すると、男の周囲が半球の結界に覆われ、ゴブリン達が吹き飛ばされる。
「な、なんだあれは・・・・・・」
アダムは驚いた。
魔物の大群を吹き飛ばす結界なんて聞いたことがない。
あの男は、やはり魔法先進国のブリテンの者なのか?
しかし、驚くのはこれからだった。
東洋人の男が、左腕を大きく前に突き出す。
「電装!」
叫び、両腕を大きく振り回して、顔の横で両手を交差。
すると、男の周囲が、一瞬だけまばゆい銀色の光に包まれる。
「なんだ・・・・・・誰だ・・・・・・?」
光が消えた時、そこに東洋人の男はいなかった。
銀色の男がそこに立っていた。
つま先から頭のてっぺんまで、飾り気のない、体に貼り付くような眩い銀色の装甲。
それでいて胸元や手足には、まぶしく光る赤、青、黄、緑、紫、橙の六色の四角いガラス片。
頭部は頭どころか顔まで覆う四角い兜で覆われている。装飾らしい装飾は、額に刻まれた大きな×印のみ。黒い眼鏡のような部分は覗き穴だろうか?
「あれは・・・・・・あの東洋人の男なのか?」
変身魔法というものも確かにある。これもきっとそれだろう。
だが、ただの変身魔法じゃない。今の変身で、男の纏っていた魔力の気配ががらりと変わった。おそらく、戦闘に特化したものだ。ターニアがいれば詳しくわかるかもしれないが、アダムには漠然としかわからない。それでも、この銀色の男が纏う空気は、何か凄まじいものであると分かる。
「貴様・・・・・・一体何者だ!?」
ブラフも完全に取り乱している。
いつもの冷静な口調はどこへやら。乱暴な口調で銀色の男を問い詰める。
「次元機動、」
銀色の男はその問いに答えるように、ゆっくりと、大きく両腕を左右に振り、
「ディメンダーX!」
正面で大きく右手を振り、×を描きながら、そう叫んだ――名乗りを上げた。