魂喰らい ~石碑~
翌朝、私は浮かない顔をした二人と共に二人目の自殺者、近藤愛の解剖が行われる神明大学付属病院へ向かった。
私の自家用車で病院の正面入り口に着く頃には、二人の顔色は病人のようになっていた。
私は二人に大丈夫か尋ねると、
「は、はぁ……僕、解剖に立ち会うのは初めてで……」
「……自分は何度か立ち会ったことがあるのですが、血が苦手で……」
……二人共、刑事としてまずいのではないか? 私が呆れて病院の中に入ろうとすると、中から一人の見覚えのある顔が近づいてきた。
「遅かったな」
その人物はそれだけ伝えると、再び病院の中に入ってしまった。私は黙って、その人物の後を付いていく。
鳴海刑事と大倉刑事も私の後ろに黙って付いてきたが、やがて耐えきれなかったのか、その人物について質問された。
「あの……お知合いですか?」
私は鳴海刑事の質問に簡潔に答えた。
彼女はアシュリン・クロフォード。元アメリカ陸軍の衛生兵で、現在は神明大学付属病院医学部の助教授で、監察医でもある。
モデル並みの長身に栗色の髪の毛は世の男性諸氏を幾度も悩殺してきたわけだが、彼女はそもそも恋愛に興味がないらしい。
その事だけを鳴海刑事と大倉刑事に伝えると、二人は感嘆の声を漏らしていた。
やがて解剖室の中に入って準備を終えると、アシュリンが口を開いた。
「これより解剖を始めます……開始時間、十一時ジャスト。よろしくお願いします」
その後、解剖室の中は血の臭いで溢れかえった。その上、無性に暑苦しい。密室に大人数で押し掛けているせいだろうか……。
鳴海刑事は驚いていたが、解剖とは本来、複数の人数で行う。監察医のアシュリンと助手二名、警察からは係長と課長、刑事調査官、私と鳴海刑事、大倉刑事の九名。
今回は自殺の可能性が高いとの判断でこの人数だが、殺人などの犯罪で出来た死体なら倍近くの人間がこの密室に集うというから恐ろしい。
しかし、私達三人が立会人になったのは別の理由がある。書類作成だ。
もっとも、これは私が手配したことでもある。そうでもしなければ、あの本郷警部が我々の立ち会いなど認めるはずがない。膨大な書類作成が待っていると知って、解剖に立ち会うような者はいないからだ。
案の定、今朝連絡したにも関わらずに一発で許可が取れた――かなり不機嫌そうだったが……。
ある意味静謐な空間で、医療器具の音と肉や臓物が解体されていく音を聞くのは精神的に参る。
そのような状況下でも、アシュリンは遺体の状況をテープレコーダーに記録しながら淡々と作業を続ける。
一方、大倉刑事は今にも吐きそうだ。吐くなら外のトイレにしてほしい、と私は彼からほんの少し距離を取った。最悪の事態が発生した場合の被害を、なるべく最小限に抑えるためだ。
鳴海刑事にしても、それは同様である――というより、彼は半分気を失っているように見える。
「――以上、これで解剖を終わります」
そう言って、アシュリンの解剖は終了した。
解剖室を後にして病院のロビーでアシュリンが姿を現した時には、すでに時間は正午を過ぎていた。
アシュリンは群がる警察関係者に、自身の考えを淡々と述べている。
私達も何気ない仕草で彼女の近くに陣取ると、その言葉に聞き耳をたてた。
「……あくまで現時点での見解になりますが、亡くなった近藤愛さんは自殺した可能性が高いです。死因は失血によるショック死。包丁で自らの腹部を深く横に切り裂いたことが致命傷になったと見られます」
アシュリンが流暢な日本語で自身の見解を述べた。
割腹自殺……今時の女子高生がやるには、あまりにも古風な自殺だ。
しかも、わざわざ学校の図書室で腹を切る理由が分からない。
「ただ、一つ気になることが……」
アシュリンの思わせぶりなつぶやきに、話を聞いていた本郷警部は身を乗り出して次の言葉を待った。
「彼女の裂かれた腹部なんですが、その奥に動物の物と思われる体毛が見つかりました」
……まただ。確か一人目の自殺者からも、傷跡から動物の毛が発見されていたはずだ。
しかし、いったいどういう事だろうか? 本人が腹を裂いた時に、あらかじめ用意した体毛を傷口の奥深くに押し込んだのだろうか? 考えただけで吐き気がするが、もしそうなら理由はなんだろうか? もしくは彼女以外の第三者が押し込んだ? 何のために?
私が思い悩んでいると、アシュリンが声を掛けてきた。
「どうかしたのか? 何か悩んでいる様子だが?」
私は、考えていた事を素直にアシュリンに教えた。
「……なるほど。確かに興味深いな。もう一度調べてみよう」
「よろしくお願いします、先生」
本郷警部が深々と頭を下げると、鳴海刑事と大倉刑事を含めた警察関係者も同じように頭を下げる。
アシュリンはその光景に目もくれずに、解剖室へと向かっていった。
本郷警部のアシュリンに対しての腰の低さは、彼女が監察医だからだろうか? それともただの外国人コンプレックスだろうか?
そんな疑問を胸に、私は鳴海刑事と大倉刑事と共に病院を後にした。
その後は目立った発見もなく、私は二人に明日も一緒に捜査をすることを提案して快諾を得ると、解剖室でのグロテスクな非日常の光景を思い出しながら帰路についた。
※
翌日、地下五階で資料の整理をしていた私の電話に、アシュリンから連絡があった。
詳しい話は喫茶店ですることになり、私はあらかじめ聞いておいた鳴海刑事と大倉刑事の電話番号を入力して、彼らに警視庁近くのロマンという喫茶店に来るように言った。
その後、喫茶店の前で二人と合流してから、私はロマンの中に入った。
この喫茶店は、かなりの頻度で利用させてもらっている。警視庁から近い位置に関わらず、周囲を高層ビル群に囲まれて人目につかない。そのうえ、建物はそれなりに大きくて余裕がある。
木材を多用した店内は落ち着いた調子のシャンソンが流れ、店主が入れるコーヒーは私が知る中でも三本の指に入る。一階は左側にバーカウンター、右側に木製のテーブルと黒革イスが置かれており、奥の方には二階へと続く階段がある……が、二階がどうなっているのか、私を含めて誰も知らない――マスターは入っていいと言っているが、特に興味もないので知らないままにしている。
「あちらに……」
私の姿を見て、マスターは静かに奥のテーブルを示した。
そこにはすでにアシュリンが座っており、我々の姿を見て片手をあげて手招きする。
私はアシュリンのいるテーブル席に向かい、アシュリンに待たせてしまった事を謝罪した。
「構わない。私も今来たところだ」
アシュリンはそう言って、私達が席に着くと話を始めた。
「さて……なんで呼んだかは想像がつくな?」
おそらく事件のことだろう。でなければ本当にわからない。
「事件のことですか?」
私の横で鳴海刑事が答える。
「そうだ。あなたは?」
「あ、神牙さんと合同捜査をさせて頂いてます、鳴海雄太です」
「同じく大倉源三であります、押忍!」
「あぁ、よろしく」
二人に軽く頭を下げると、アシュリンは話を続けた。
「それで質問なんだが……話を聞くのは食前にするか? それとも食後か?」
『食前ですっ!』
ほぼ同時に、鳴海刑事と大倉刑事は声を上げた。
おそらく、昨日の解剖のシーンを思い出してしまったのだろう。二人とも顔面が青くなっていく。
「そうか、分かった。まず、私がこれから話すことはすべてオフレコで頼む。まだ私自身、結論を出せていないことなんだ。ただ、私としては一応、ファングに教えておこうと思ってな」
「ファング?」
大倉刑事が、不思議そうに質問する。
「あぁ、神牙の事だ。私では発音が難しくてな」
アシュリンがそう言うと、大倉刑事は納得して話を聞く体勢をとった。
「さて……昨日の解剖結果なんだが、あの動物の体毛が何の動物の物かは分からなかった。だが、本来ならそれ自体ありえないことだ。普通なら、どれか一匹はアタリがあるはずなんだが……それと、体毛は一本や二本ではなく、少なく見ても百本以上はあった。目測だから、ハッキリとは分からなかったがな」
私は、現場にそのような生物はいなかったことを教えた。
「ああ。つまり……」
「……つまり?」
鳴海刑事が遠慮がちに質問する。
「つまり、あの体毛は何らかの人工的な力によって彼女の腹部に埋め込まれたと思われる。それが彼女自身によるものか、あるいは第三者によるものかは分からないがな。だが、彼女の死因が自殺であるというのは間違いない。私が保障する」
私はアシュリンのその言葉を聞いて、一つの意見を述べた。
それは彼女が自殺した後、遺体に体毛を埋め込んだというものだ。
「ああ。私もそう思う」
アシュリンは肯定の意思を示す。
ただ、私はその反応に満足しなかった。この意見には大きな矛盾がある。
なぜなら、近藤愛は『自殺』したからだ――この事実は、監察医であるアシュリンも太鼓判を押している。という事は、彼女の体内に動物の体毛を埋め込むには、事前に彼女の死を知っていなければならない。
では、どのようにして知ったのか?
「ま、私に出来るのはここまでだ。あとはあなた達に任せる」
そう言って、アシュリンは喫茶店を後にした。
「神牙さん、これからどうしますか?」
見 ると、鳴海刑事と大倉刑事が血色の良くない顔で私の方を見ていた。
私は考えた。近藤愛の裂かれた腹に動物の毛を埋め込んだ人物は、彼女が死ぬことを知っていた。というより、その人物が近藤愛を何らかの方法で自殺に追いやったと考えるべきだろうか? 仮にその方向で考えるとして、なぜその人物は動物の毛を埋め込んだのだろうか?……いや、可能性ならまだある。
私は、懐から校舎裏の女の子が持っていた『魑魅魍魎縛封』の札を取り出した。
「それは……」
大倉刑事が当時の失態を思い出すように、苦虫を噛み潰したような顔で札を見た。
そう、この事件に札に書かれているような魑魅魍魎が関わっているのだとしたら、体毛の謎も説明はつくだろう。まだそうと決まったわけではないが、今の段階で手掛かりが少ない以上、こちらの線で捜査していくのも我々の責務だ。
普通の警察官なら鼻で笑うような案件だが、あいにく私は普通の警察官ではない……自分で言うのもなんだが。
私は悩んだ挙句、古い知人の元に行くことにした。この札もそうだが、図書室に貼られていた札といい校内の不穏な空気といい、どうも気に食わないことが多すぎる。
私は二人と共に一度警視庁に戻って、自家用車で郊外の山村まで向かった。
非常に豊かな自然に囲まれたこの山村は、同じ東京都であるにも関わらず、コンクリートジャングルの都心と違って多種多様な動植物を目にすることができる数少ない場所だ。
山村の中心部を抜けて、険しい山道をそれなりに高価な乗用車で進み、大木のバリケードに道が塞がれると車を降りて徒歩で進み、やがて一軒の館の前に来た。比喩表現ではない。本当に館なのだ。
その館が建つ部分だけ樹木が切り開かれ、きれいに整地されている。
私がその館の正面玄関である木製扉をノックすると、しばらくしてから一人の女性が出てきた。
その女性は艶やかな黒髪を後ろで三つ編みにして、団子状に纏め上げていた。
身に付けている深い青と黒の中世のドレスに現代的なアクセントを加えたような服は、スラブ系の美顔と相まってこの世の者とは思えない神秘的な雰囲気を醸し出していた。
「あら、どうしたの?」
後ろの鳴海刑事と大倉刑事が女性の美貌に見とれるなか、私は懐から例の札を女性に渡して意見を求めた。
女性はその札を見るなり、実に嬉しそうな表情を浮かべた。
「あらあら~、随分な上物ねぇ」
言葉にかなりの語弊を感じるが、確かにその通りだ。
「とりあえず、中で話しましょ?」
そう言って、女性は手招きしながら屋敷の中に入っていった。私も、二人を連れて女性についていく。
館の中は清掃が行き届いており、大理石で出来た床はシャンデリアの明かりに照らされてキラキラと輝いている。窓枠などは、見たところ埃一つ付いていないように思える。
我々は廊下を進み、突き当りの角を左に曲がってさらに進んだ。
二つ目の突き当りには大きな木製扉があり、女性に続いて私達三人も中に入る。
「うっ!?」
「ぎゃあーっ!?」
部屋に入った途端、鳴海刑事と大倉刑事は悲鳴をあげた。
私は何度もこの部屋に通されたのでもう慣れたが、二人には今日は特別な経験となるだろう。
「ふふ、ごめんなさいね? ま、楽にしてちょうだい」
そう言って、女性は奥のソファに腰かけた。
この部屋はいわば、彼女の仕事場兼コレクションルームのような場所であり、壁には動物や人間の頭骨が所狭しと掛けられ、ガラスが張られていない棚にはそれらの皮膚がキレイに置かれていた。
他にも筆舌に尽くしがたい光景がこの部屋には溢れているが、私は用件を済ませるため、さっさと彼女とテーブルを挟んだ向かいのソファに腰かけた。
完全に怖気づいてしまった二人も、恐る恐る私側のソファに座った。わずかに触れる二人の腕が、プルプルと震えているのが分かる……。
私は彼女に渡した札以外にも、『百鬼縛封』の札が図書室に貼られていたことを伝えた。
「……ふ~ん、だとしたら相手はかなり厄介ね。普通なら百鬼縛封で足りると思うけど……土地が腐ってるのかしら」
私は校内の空気が非常に淀んでおり、不穏な気配を漂わせていたことも伝えた。
その学校で二人の自殺者が出ており、一人は喉を掻き毟って、もう一人は腹部を包丁で横一文字に裂いて死亡し、二人とも傷跡の中から動物の体毛が発見されたことも伝えた。
「そう……だとしたら」
そう言って彼女はソファから立ち上がり、私から見て左斜めにある本棚から一冊の埃塗れの本を取り出すと、表面の埃を取り払ってページをパラパラとめくった。
「……あったわ。たぶん、原因はコイツよ」
そう言って、彼女は開いたページを我々に見せた。
そこの始まりの文言には、『ヨモツヒメ』とローマ字で書かれていた。
私は、これが何なのか質問した。
「ソイツは簡単に言えば、人に憑りついて魂を食べる存在よ。古代からこの世界にいるけど、捕まえた者や殺した者はまだいないわね」
「ちょ、ちょっと待ってくださいっ!」
彼女が話した後、横にいる鳴海刑事が声を上げた。
「ひ、人に憑りつくって……いくらこの事件に不可解な点があるからと言って、そんな馬鹿げた――」
「あら? じゃあ、あなたはその事件とやらの解決の糸口を掴んだの?」
彼女にそう聞かれて、鳴海刑事は黙り込む……だが、普通の人間なら今の彼のような反応をするだろう。ましてや、警察官という仕事をしている者ならなおさらだ。
だが、彼は分かっていない。この世界にどれだけの『馬鹿げた』存在がいるかを……。
私もその一人になるのであろうが、彼らには言う必要は無い。言ったところで信じないだろう。
私は気を取り直して、彼女にヨモツヒメの駆除方法を聞いた。
「そうねぇ……その筋の研究者達の意見を信じるなら、彼女達は切れ者ですごくプライドが高いそうよ。下手に探りを入れて警戒されるよりも、彼女達の拠点、祠や寂れた宗教施設なんかに住み着いていると思うんだけれど、そこを一気に叩き潰した方がいいわ。もちろん、霊的にね」
なるほど、祠や寂れた宗教施設か……あの校内にそんなものがあった記憶はないが、もう一度よく探してみよう。
私が彼女に礼を言って席を立った時、鳴海刑事は彼女に話しかけた。
「あの……失礼ですが、あなたのお名前とご職業を聞いてよろしいでしょうか? それと、出来ればこの部屋の説明についても……」
鳴海刑事がそう言って部屋中に怪訝な視線を送るなか、彼女はさも当然のように答えた。
「あ、ごめんなさい。私はエカテリーヌ・カザロヴァ。職業は魔女よ。この部屋は、儀式や魔導実験なんかに使っているの」
※
……あの後、カチューシャ(エカテリーヌの愛称だ)の衝撃の告白を聞いて呆然とする二人を車に押し込め、私は帰路についていた。
二人は一向に口を開こうとしない……当然だろう。いきなり自分達より階級が高い人物から合同捜査を持ち掛けられ、言われるまま付いて行ったら最終的に魔女に出会うことになってしまったのだから……。
……おそらく、この辺りが限界だろう。彼らはまだ若いが、非常に優秀で柔軟な思考を持つ警察官達だ。でなければ、私はここまで自由に行動出来なかっただろう。
私は二人に、明日からは自分一人で捜査を続けるから、君達はそれぞれの持ち場に戻っていいことを伝えた。しかし、彼らから帰ってきたのは意外な言葉だった。
「嫌です、最後まで続けさせて頂きます」
「先輩の言うとおりでありますっ! ここまで珍妙なことが続けば、もはや一蓮托生でありますっ!」
私は、その判断が今後の警察官人生を大きく狂わせてしまうことを伝えた。
このような事件を解決するために私はいるのだ――もっとも、好きでやっているわけじゃないが……。
だが、二人はその言葉を無視してなおも食い下がる。
「だとしても、途中でやめることなんて出来ません……確かに、魔女や御札とか、ちょっと考えられないこともありましたが……二人の人間が亡くなっているのは事実です。だとしたら、僕は何とかこの事件を解決したいんです。それがどんな荒唐無稽な結論になろうとも、まったく構いませんっ!」
「自分も、先輩と同じ気持ちでありますっ!」
……やれやれ、昨日今日知り合ったばかりだというのに、この二人はやけにお互いを信頼し合っている。
だが、そこまで言うならばかえって心強い。私はこれからも二人に合同捜査を続ける旨を伝えた。
二人をそれぞれの自宅に送り届けた後、久しぶりに高鳴る鼓動を抑えて自室のベッドに潜り込んだ。
※
翌朝、私の電話に鳴海刑事から連絡があった。どうやら、すでに月影高校に大倉刑事と共にいるらしい。
……やる気があるのは構わないが、こんな朝早くから捜査をするのは正直だるい。
しかし無視するわけにもいかず、私はいつもの服装に着替えて月影高校の正門に向かった。
二人はすでに正門の前で待っており、私の姿を見て笑顔で迎えてくれた。
「さて、どこから始めますか?」
私は、校長に昔からある祠や神社のようなものが無いか聞く旨を伝えた。
どのみち今回は任意での捜査協力依頼なので、責任者である校長の許可と立ち会いが必要だ。
「なるほど、確かにこの学校の創立者なら、何か知っているかもしれませんな」
大倉刑事はうんうんと頷く。
そして、私達は相変わらず不穏な気配のする校内に入り、職員室に言って事情を説明して校長室まで案内してもらった。
校長室の中は驚くほど立派な部屋だった。高級そうな机やイスがあり、壁にはこの学校が何かの大会で入賞した際のトロフィーなどが誇らしげに掲げられている。
奥のこれまた高級そうなイスに座る校長は、机に両手を置いて露骨に嫌そうな顔をした。まぁ、誰だって警察の訪問は嬉しくないだろう。
私は気にせずに校長の前に近づいた。
「何か御用ですかな? 事件の事はすべてお話ししたはずですが?」
白髪の老紳士は、嫌味な態度を崩さずに言った。
隣で大倉刑事は怒気を発していたが、それも彼には気にならないらしい。
正直、私はこの校長が気に入らない。キレイ事かもしれないが、自分の学校の生徒が二人も自殺しているのに、よくもそんな偉そうにしていられるなと思う。
「確かに、彼女達の死は大変残念です。ですが――」
校長がそこまで述べた時、私の堪忍袋の緒が切れた。
私は思わず、校長の前にある木製の机を蹴り上げてしまった。
机は音を立てて蹴ったところを中心に半壊してしまい、室内の空気に緊張が走った。
まずい……人前で『力』を使ってしまったのは私にとって誤算だった……かのように見えた。
「……校長先生、お願いします。もしその言葉を本当なら、捜査に協力してください。我々も、この捜査を一刻も早く終結に導きたいと考えているのです」
後ろの鳴海刑事が、さも何事も無かったかのように話をした。
その言葉を聞いて、校長も納得したように首を縦に振った。
「わ、分かりました、協力させて頂きます……」
私は鳴海刑事に心の中でお礼を言うと、校長にこの校内に祠や神社がないか尋ねた。
校長はハッとした表情をすると、
「付いてきてください。案内したい場所があります」
そう言って、校長室を出てしまった。
私達も校長の後に続くと、札を燃やそうとした少女と出会った校舎裏に来た。
「こちらに細い林道が見えるでしょう?」
そう言って、校長は雑木林の方を指さした。なるほど、先日は気づかなかったが、確かに林道が見える。
校長の後に続いて雑木林を抜けると、人工的に切り開かれたらしき空間に出た。
「あれを見てください」
校長の指先をたどると、石碑のようなものが見えた。
私達がその石碑の近くにまで行くと、私は背筋に寒気を感じた……つられるように石碑に目をやると、目の前に長髪の女性が血まみれで漂っていた……なぜ『漂っていた』かというと、石碑の上に浮いていたのだ。その目は赤く染まり、歯を剥き出しにして私を睨みつけている……。
私が恐怖に震えていると、鳴海刑事に声を掛けられた。
「神牙さん? 大丈夫ですか? 汗でビッショリですし、顔も青いですよ?」
私は鳴海刑事の方を見て狼狽しながらも大丈夫と返答し、再び石碑の方を見た。
すでに女性の姿は消えていたが、石碑の方からはただならぬ気配を感じる。
「この石碑は校舎を建てるより遥か昔、何でも平安時代からあるそうです。今だから言いますが、私はこの雑木林を切り開き、この石碑も撤去しようと考えていました。ですが、なぜかこの石碑をどかそうとすると、作業員が次々に体調不良に陥り、挙句のあてには謎の心不全を起こして亡くなる者もいました」
私の後ろで大倉刑事が息を飲むのが分かった。
カチューシャの館にいた時から思っていたのだが、彼はこういった超常現象やグロテスクな話は弱いらしい。
「ですから、私はこの辺りの開発を諦めて有名な祈祷師の先生にこの石碑をお祓いして頂いた後、学校の運営を始めました。ですが……」
校長はそこで言葉に詰まった。
私は校長に話を続けるよう催促した。
「……一人目の自殺者、五十嵐聖菜さんが亡くなった直後、校内である噂を聞いたのです。『彼女は石碑の呪いで死んだ』と……」
五十嵐聖菜……確か喉を掻き破って死んだ生徒だ。
「ど、どういう事でありますか?」
後ろで大倉刑事がうろたえながら質問する。
「実は彼女を含む数人の生徒が、彼女が自殺する数日前にこの石碑にイタズラをしたそうなのです。石碑に落書きをしたり、石碑の前でバカ騒ぎをしたり……当然、私は石碑やその周囲を清掃した後、彼女達を厳しく注意しました。ですが、彼女達にはあまり反省した様子もなく、ほとほと困り果てていた時に五十嵐さんが亡くなったのです……」
確かに妙だ。やはりこの石碑がヨモツヒメの住処なのだろうか?
石碑からは相変わらず、面妖な気配が感じられた。
石碑を後にした我々は校長の許可を得て、校内を捜査させてもらうことにした。
教室の中を見ながら校舎を歩いていると、奥の教室から人の話し声が聞こえた。
「神牙さん、あれ……」
鳴海刑事にも聞こえたらしい。
私は頷いて二人と共に話し声が聞こえる教室に近づいて、中を覗き込んだ。
そこには木下八重子と御札を燃やした女の子、もう一人は初めて見るが、不良少女という言葉がピッタリと当てはまる金髪の女の子だ。
「ねぇ……どうする?」
御札を燃やした女の子が沈痛な面持ちでそう言うと、金髪の女の子がそれを鼻で笑い飛ばす。
「今さら何言ってんの? 呪いとか……ワケわかんねぇし……どうせ聖菜も愛も、ビビッて自殺したに決まってんじゃんっ!」
それを聞いて反論するのは、木下八重子だ。
「でも、どう考えてもおかしいよ……やっぱり警察の人や校長先生にちゃんと言って――」
「馬鹿っ! そんなことしたら、またクソ親父に怒鳴られるだろっ! それに――」
金髪の女の子がそこまで話した時、扉の前に控えていた大倉刑事が我慢ならん、といった様子で扉を開けた。
「きゃっ!?」
「いやっ!」
「うわっ!?」
女の子達から思い思いの悲鳴が上がるなか、大倉刑事はズカズカと教室に入り込み、女の子達を問いただした。
「君達っ! どうやら二人の自殺について何か知っているようだが、何を知っているんだっ!」
人間相手だと本当に頼もしいな、この刑事は。
「な、なんだよてめぇっ! ここ学校だって分かってんのかっ!? ツーホーすんぞコラァッ!?」
「やかましいっ!!! さっさと吐かんかっ!!!」
大倉刑事が金髪少女の恫喝に呼応するように迫力あるタンカを切るなか、木下八重子は私の顔を見てハッとした表情を浮かべた。
「あ、け、刑事さんっ!?」
私は木下八重子に挨拶をすると、事情を説明するように求めた。
「あ、あの、助けてください! 私達――」
木下八重子がそこまで言うと、外で大きな雷鳴が轟いた。その稲光は教室を一瞬だけ照らし、直後に校舎の外では大雨が降る。
私は木下八重子の隣を通って窓から外を見ると、石碑のあった雑木林から煙が出ている。
その時、私は背後に凄まじい気迫を感じた。
「ぎゃあぁぁぁああっ!!」
「きゃっ! よ、陽子ちゃんっ!?」
「お、おい、どうしたっ!?」
私が悲鳴の聞こえた教室の方を見ると、床に金髪の女の子が倒れていたっ! 落雷のショックだろうかっ!? 身体を痙攣させ、白目を剥き、口からは泡を吹いている。私は鳴海刑事に、病院への連絡と保健室の先生を呼ぶように言ったっ!
「分かりましたっ!」
鳴海刑事は電話を掛けながら教室を後にした。
私は金髪の少女に駆け寄り、容態を確かめる……彼女の様子は明らかにおかしかったが、先ほどよりは落ち着いてきたようだ。
だが、私が感じた気迫はまったく収まらない。それどころか、段々と膨れ上がっているような気がする。
私は大倉刑事に何があったのか問いただした。
「か、雷が落ちた後、急に苦しみだして倒れたのです……」
それだけ言って、彼はうつむいてしまった。
私が再び彼女を見たその時、
「ああぁぁあああっ!!」
金髪の少女はバッと起き上がったと思ったら、急にうつ伏せになって床に何度も額をぶつけたっ! ゴツッという音が何度も教室に響き渡り、私があまりの事態に動揺している間に、彼女の顔は額の傷から流れ出た血で真っ赤になっていくっ!
「や、やめんかっ!」
そう言って大倉刑事は金髪の少女を床から引き剥がすが、彼女はなおも抵抗を続けている。
私は大倉刑事が羽交い絞めにする少女に近づき、胸に手を当てて邪気退散の文言を唱えた。
すると、少女も徐々に落ち着きを取り戻して気絶した……大倉刑事の怪訝な瞳が刺さるが、気にしている余裕はなかった。
そっと床に寝かせた少女の血まみれの顔を見て、私は改めてこの事件の異常性を認識した。まだ確証があるわけではないが、この事件は普通の警察官には荷が重すぎる。
私は、何かあったら鳴海刑事と大倉刑事を捜査から外すことも視野にいれた。
その後、金髪の少女は駆け付けた救急車で病院に運び込まれた。情報管理と保安上の理由で、神明大学付属病院に送ってもらった。あそこならアシュリンもいることだし、問題ないだろう。
少女はすぐに精密検査を受けたが、結果は異常なし。アシュリンがそう言うのだから間違いないだろう。
少女、アシュリンによれば名前は加藤陽子と言うそうだが、彼女の額の傷からは二人の自殺者から出たのと同じ動物の体毛が発見されたそうだ。
『どうやって入れたかは知らんがな』
電話口でそう言うアシュリンの声は、ほとほと疲れている様子だった。