カタコンベのシャレコウベ ~明日のための謀略~
――数日後、職務に復帰した私のデスクの上には、あの施設に置き去りにしたと思っていたメッセンジャーバッグが置いてあった。埃や土でひどく汚れており、所々ほつれがある。だが、掃除をすればまだまだ使えそうだ。
中身の荷物も調べてみたが、あの時と変わっていない。
私はその荷物の中から携帯端末を取り出し、着信欄を見た。そこにはすでに、その者から連絡が入っていた。
『事件は解決』
ただそれだけ、短く書かれていた。
……分かっていた事だが、あんな目に遭ってこれだけの文章しか寄越さないのも、ひどい話だと思う。だが、それが私のしている仕事だ。
……まだ登庁して十分ほどしか経っていないが、今日はもう帰ろうか……そうそう事件など起きないわけだし……。
私はそう思って、その場にいる鳴海刑事、大倉刑事、鬼島警部に声をかけた。
「うむ、まだ本調子でないのだろう。ゆっくり休め」
「そうですね……僕の方であらかた業務は終わらせておきます」
「……」
……鬼島警部は寝てしまったのだろうか?
不審に思って、彼女の眠るソファに近づいた。
「うぅ……」
珍しく、彼女は体調が悪いようだ。
私が大丈夫かと問いかけると、
「けっ、ほっといてくれ……」
と言って、毛布にくるまって眠ってしまった。
彼女もまた、ここ数日で大変なトラブルに巻き込まれてしまったのだろうか?
いや、恐らくただ単に競馬で負けただけだろう。彼女ならあり得る。
まぁ、ここで彼女の体調の心配をする必要もないだろう。本人もほっといてくれと言っているし……。
そして、私は家に帰って軽い食事を済ませて風呂に入った。
……こうして湯船に浸かっていると、リラックス出来ることもあるが思い詰めてしまう時もある。今回はその両方だ。
あれから私はしばらく自宅で休暇をとっていたが、鳴海刑事達によると、その間は何事も無く平穏な日々だったらしい。私の方としても、『その者』から特に連絡が入ってくることはなかった。
……もしかして、私はみんなに気を遣われているのか?
いや、それはないだろう。鳴海刑事達ならあり得るが、『その者』が私に気を遣う理由などない。根拠は特にないが……所詮、私達の関係はその程度のものなのだ。
休暇中は疲れが一気に出てしまったのか、しばらくは自室とリビング、浴室を行ったり来たりするだけの生活だった。
タルホも、しばらく帰ってこなかった私の身を案じてくれたのか、おかゆを振る舞ってくれた。ただ、あまりおいしくなかった……というより、味が薄かった。
タルホにはおいしいと言ってある……そう言っておかないと、余計に魂を吸い取られかねない。
それにしても、飯島佳代子と霊体の女性、そしてあの人……あの施設で三人に出会ったのは、ただの偶然だろうか?
あるいは、誰かが裏で糸を引いていたのか……考えても答えは出ないし、仮に『その者』に問いただしても、まともな答えは返ってこないだろう。
いずれにせよ、今日はゆっくり休んで、明日からまた頑張ろう。望んだものではないとはいえ、私はこの仕事に多少はやりがいを感じているのだ。
そう決意して風呂から上がり、自室に入る。なんだか、この部屋に帰ってくるのが随分久しぶりな気がする。
実際、捜査で数日間は家を空けることもあるが、今回のような事件が起きた後となると、そういった感覚に陥るのかもしれない。
私はふと、タルホがいるであろう隣室へと続く扉の鍵を解除し、ノックをした。
「開いておるぞ」
中から幼い声で古臭い言葉が聞こえてくると、私は部屋の中に入った。
「……ふむ、だいぶ血色が良くなってきたようじゃの」
タルホは数秒ほど私の顔を見つめて、そう言った。
彼女はベッドに横たわりながら、私が買い与えたマンガを読んでいたようだ。
「して、なんぞ用か?」
彼女がそう問いかけてくるので、私は彼女に対して料理を作ってくれた礼を言った……あまり美味しくなかったが、本来なら彼女に私を看病するメリットなどない。
それでも、私が家にいる間は彼女は付きっ切りで私の体調を心配してくれたし、料理も作ってくれた。
その心意気に対する感謝だ。
「ほほっ! なぁに、礼を言うほどでもないわ。そなたはなかなか面白い人間であるからな。しばらくは一緒にいさせてもらうぞ? この漫画とやらも面白いでなっ!」
そう言って、彼女はマンガの方に視線を移してしまった。
私は少し笑みを浮かべ、扉を閉めた。
……もうこの扉にカギを掛けるのもやめようか……そんなことを考えた後、私はしばらく机に突っ伏した。
……あ、まずい。このままだと寝てしまう。
慌てて机から起き上がり、クローゼットの中から何も書いていない黒革手帳を取り出した。
さて……なんて、書こうか……まずは事件の知らせを受けたところからかな……。
※
クソッ! あいつ、アタシがどんなひどい目に遭ったか分かってないだろっ!?
……いや、まぁ、なにも言ってないんだから、分かるわけないんだがよ……考えてみりゃ、アタシがこうして刑事続けられてるのも、あいつのおかげだしなぁ……あのまま所轄にいたら、いつか左遷されただろうし……そう考えれば、あいつには多少の恩義があるわけで……はぁ……しばらくあいつみてぇに休みてぇなぁ……大倉や鳴海に仕事を任せてよ。
でも、金は欲しいしなぁ……あ、そう言えば、今日のお馬ちゃんの調子はどうかなぁ~!
※
……正直言って、自分は神牙を多少、誤解していたかもしれん。
あの地下の施設で、連続殺人鬼と数日間を過ごしていたにも関わらず、あれほど気丈に振る舞えるとは……そもそも、あいつは男なのか、女なのか? 未だにどちらか分からんっ!
本人に何となく聞いてみても、『知りたいの?』とはぐらされてばっかりだっ!
……とにかく、自分はこれまであいつの事を正規の警察官とさえ思っていなかった。その思いは今も変わらん。そもそも、この部署自体、まったく訳が分からんっ!
だが……これまで先輩と共に奴と一緒に事件の捜査をしてきて、奴の正義感は本物だと思える。
それと同時に奴が、自分の思い通りの捜査が出来ない場面に憤慨する姿も幾度か見てきた。
少なくとも今は……その正義感を信じて、先輩と共に事件解決にあたろう。
自分には、それくらいしかできることはないのだから……。
※
……疲れたなぁ……でも、神牙さんが無事で本当に良かった。
これからも、この部署で仕事をしていく以上は大変なことがいっぱいあるだろうけど、僕は神牙さんや大倉さん、可能なら鬼島警部とも一緒に事件の捜査がしたい。
今までこの部署で仕事をして、納得のいく解決を見たことはないけど……でも、僕達が関わらなければ、さらに状況が悪化していたと思う。少なくともそう思う事で、僕は自分の無力さの言い訳をしている。
いつになるかは分からないけど……僕もいつかは、神牙さんのような刑事になりたい。
両親に反対されてまで選んだ警察官の道なんだ。最後まで……たとえ事件の途中で力尽きるような結末になってしまっても、後悔はしないようにしたい。
※
今回の事件で分かった事……それは、この世は科学で解明されていない現象が未だにあること。だが、私は科学を信じている。
科学というものは、人間が数百年の時間をかけて育んできた叡智だ。
しかし……この世には現代の科学では解明しきれない現象が起きていることを、私は認めなければいけない。そして、私は必ず、それらの現象を科学で解明したいと考えている。
いつか……必ず……。
※
はぁ……結局、手に入れたのはファングの身体に付着していた体液と、あの墓標のあった広場に漂っていた霊魂、そしてあの巨人の皮膚だけね……。
あの施設も、崩壊してもう探索できなくなっちゃったみたいだし……一応、もう一度鳴海君達が降りた駅に行ったんだけど……上り方向の通路には通行止めとコンクリートの壁があるだけだったわ。
まぁ、この体液と皮膚、霊魂を分析して何かの魔術に使えれば、それだけでもあんな苦労をした甲斐はあったわね。
さぁてと、まずはこの液体がどんな性質か調べないとねっ!
※
……結局、神牙さんとはゆっくりとした時間がとれなかった……。
あの女……最初から私の事を利用していたのかしら? でも、なんで?
神牙さんに何かしたいのなら、何も私を使う必要はないでしょうし……神牙さんとは偶然で出会ったと思ったのだけれど……やっぱり違うのかしら?
……とにかく、もしあの女と直接会う事があれば、サクッと殺しましょう。どうせ神牙さんの家は知っているのだから、いつでも会えるわけだし……。
どうせなら、そのまま住んじゃおうかしら? ふふふっ!
※
今回も失敗か……まぁいい。奴は必ず、私が殺す。
それが母に対する、私の精一杯の弔いになる。
あの時は何も出来なかったけど……今は違う。必ず、奴に地獄を見せてやる。
そのためにも、あの女にはもう少し協力してもらおう。
どうせまた、奴の情報を渡せば食いつくでしょうし……それに、奴を地獄に送り込むにあたって、あの女はお似合いの相手だわ。
※
……なんとかあの子の霊体の排除をしたのは良かったけど、本当にギリギリだった……。
あの子の付き添いの子を警察庁の方まで転送しておいたけど、大丈夫だったみたいね。
いずれ二人の前には姿を現して、誤解を解かなければいけないけど……今、私があの子達と接触してしまったら、組織の人間に不審に思われるでしょうね。
……ごめんなさい、もう少しだけ、待っていてちょうだい。




