カタコンベのシャレコウベ ~神牙〇〇~
……その日は、私にとって何のことはない、平穏な日常だった。
違う事があるとすれば、大倉刑事が剣道の試合に行ってしまったことくらいだ。
しかし、限られた者だけが持つ携帯端末からの着信で、私のそんな平穏な日常は崩れ去った。正確に言えば、崩れ去る原因となった言うべきか……。
私は、どうせ事件の連絡だろうと思って端末の画面を見たが、そこに表示されていた文章を見て、私は驚いてしまった。
『第五区画実験施設にて、トラブル発生。至急、鎮圧されたし』
画面には、そう表示されていた。
……もしそれが本当なら、そういった事態に対処する戦術部隊があったはずだ。
私はすかさず、
『戦術部隊はどうなった?』
と返信した。
しばらくして画面に、
『全滅した』
と返信がきた……だとしたら、私の力で対処できるような脅威ではないのではないか?
『なぜ、私に頼む?』
『君が適任だと思う』
『なぜ?』
……その問いに、しばらく返信がこない。どう考えても怪しすぎるんだが……。
『評議会で決まった』
数分待って届いた返事はこれだった。
評議会が関わっているとなると……確実に私の命が危ないと思うのだが……?
私がこの部署にいるのだって、評議会の連中と折り合いが悪かったことが原因だ。
奴らほど、悪魔という言葉が似合う者達はいない。それこそ、自分達の目的のために自分達以外のすべての人間を駒のように扱うような者達だ。
『一応言っておくと、私は反対した』
……そんなこと言われても……まぁ、とにかく評議会からのご指名とあらば、断わるのはやめた方がいいだろう。
私は端末に了承の返事を出し、後ろにある私のロッカーからメッセンジャーバッグと数点の装備を取り出して身に付け、書類仕事をしていた鳴海刑事に事件発生を知らせた。
彼と共に警視庁から出る途中に端末に着信が入ったので、見てみると画面には施設への行き方を示した情報が入っていた。
私はその情報に従って、最寄りの地下鉄で鳴海刑事と共に施設へと向かう。
数駅ほど停車すると、乗客は私達以外にはいなくなっていた。
恐らく、ここから先が施設へと続く線路となるのだろう。
組織の実験施設が地下にあるというのは聞いたことがあるが、実際に行くのは初めてだ。あまり興味も無かったし、そこで行われていることを思うと胸糞悪くなる。
しばらくして電車が徐々にスピードを落とし、いきなり急ブレーキがかかった後に電車のドアが開いた。
「あの……おかしくないですか?」
隣で、鳴海刑事が不安そうな表情で口を開く。
「今日は日曜日なのに乗客が一人もいないし……アナウンスが無かったと思うんですけど……」
「さぁね」
考えてみれば、彼を連れてきたのは間違いだったか……いつもの調子で彼を連れてきてしまったが、ここから先は八丁山の事件の時のように、彼が私の重荷になる可能性がある……多少迷いはあったが、あえて気にしないようにする。
ここから先は、何があるか分からない……迷いがあっては生き残れる状況でも死んでしまう可能性がある。
私は電車を降りて、辺りを見渡した。
……どうやら、ここは廃棄された駅のように思える。あるいは、そう思わせるためにわざわざ建設したか……。
鳴海刑事も電車を降りると、電車は来た道を戻っていってしまった……任務が終わった後、ここからどうやって脱出させるつもりなのだろうか?
私がそんなことを考えていると、鳴海刑事がまた口を開く。
「あの……ここは……?」
「まぁ、いわくつきの場所だよ」
うん、大丈夫。嘘は言っていない。
「とにかく、先に進もう。事件は待ってはくれないからね」
「はい、分かりました」
彼は、未だに不安そうな表情をしている。
無理もないか……むしろ、そういった恐れの感情は自分の身を守る武器になる場合もある。
そして、私達は線路沿いに奥へと進んで行ったが、思わぬ存在に出会った。
「ウガァアアッ!!」
「うわぁああっ!?」
凄まじい咆哮と共に、奥の通路の暗がりから一体の巨人が現れた。その巨人に負けず劣らずの大声をあげて、鳴海刑事もうろたえている。
巨人の両手には二本のパラングが握られており、全身は黒く、筋肉質な体をしている。
巨人は勢いよく走って来たかと思えば、我々の十メートル程手前で停止した。
「グゥウウッ!」
その背丈は三メートルを軽く超えており、顔は中世の兜のような物を被っていてよく見えないが、その兜の奥から、二つの赤く光る眼が見える。
そして、私の後ろにいた鳴海刑事が倒れてしまった。思わず声を掛けるが、彼はそのまま体を淡い光に包まれて消失してしまった。
「……どうしたものかな……」
私は巨人の方を見た。
かつて、私はこの者と戦ったことがある。というより、私が強くなるために戦ったと言った方が正確か……。
いずれにしても、出会ったからには戦わなければならない。コイツは話し合いが通じるような相手ではない。
そんなことを考えていると、目の前の巨人は奇声をあげながら駆け寄ってパラングを振り下ろしてきた。
「グァァァアアッ!!」
相変わらず、大振りでデタラメな攻撃だ。しかし、前より強くなっているっ!
私は次々に襲い掛かってくるパラングを避け、斬撃の隙を狙って巨人の内腿を強く蹴り上げた。
すると、巨人の太ももの部分は乾いた音と共に外側に骨が飛び出し、巨人は地面に転がってしまった――すかさず、私は巨人の頭を踏みつぶす!
……どういうことだ……?
こいつはあの場所にしかいなかったはずだ。やはり奴が絡んでいるのか?
そもそも、奴は組織や『その者』と関わりがあったのか?
……いずれにしても、この場での脅威は去った。
恐らくだが、実験施設でのトラブルとは、この巨人の事だろう。
私は巨人から有用な物品を拝借し、奥へと進んで行く。
その際、鳴海刑事が応援と共にここに来た時に手掛かりとなるよう、床のタイルを一枚一枚踏み砕いていく。
もし鳴海刑事が再びこの場所に来た時、この手掛かりに気づいてくれるなら、いちいち迷うようなことはないだろう。
そして、私は目の前に見えた施設へと続く通路を進み、やがて広大な空間へと出た。
ここは……墓場だろうか?
実験施設と言ったって、それが合法的な内容とは限らない。恐らく、組織の人体実験で死亡した人間を、ここに埋葬しているのだろう。
もっとも、組織の上層部に死者を弔う感情などない。おそらく、末端の研究員などが私的にやったことだろう。そう思うと、組織の中にもまともな人間がいることをうれしく思う。決して出世することはないだろうが……。
いずれにせよ、私は墓場を進んで鉄製の扉を慎重に開ける。
すると……その先には複数の巨人達がいた。
そして、
「お久しぶり、神牙さん」
後ろからそう声を掛けられ、振り返ろうとした時にはもう遅かった……。
※
……結局、私は今こうして無様な姿を晒していることになる。
「ごめんなさいね……私、こんなことはしたくなかったの。でも、あなたと一緒にいられるなら、別に大したことじゃなかったわねっ!」
私はこの鉄臭い部屋に監禁されていて、目の前には……私に因縁のある二人の女性がいる。
「……」
その内、一方の女性は私を恨めしい顔で見つめ、もう一方は再会できた喜びに顔を緩ませていた。
もうあれからどれくらい経っただろうか……少なくとも一週間という事はないだろうが、数日は過ぎているはずだ。
その間は彼女が食糧や水をくれるおかげで、なんとか生きながらえているが……そこから先、私がここから生きて出られる保障はまったくない。
抜け出そうと思えば出来なくもないが、まだ事件も解決していないし、脱出も上手くいくかどうか……。
「でも、まさかこんな形で会うとはねぇ……ふふっ、まぁ、別にいいんだけどね、私は」
飯島佳代子……かつて都内を震え上がらせた大量連続殺人事件の主犯。
彼女は白の長袖シャツにクリーム色のカーディガン、紺色のスカートといった、極めて普通な格好をしていた。
その手には料理を乗せたお盆があり、彼女はそれを私が座るベッドの横に設置された棚に置いて、牛乳に浸したシリアルの入った皿とスプーンを取り、シリアルをよそって私の口元に運ぶ。
そして、私はそれを食べる。もうこれを何回も繰り返している。
一度自分で食べると言ったのだが、彼女に頑なに拒否された。その理由は、今も教えてもらえない。
しかも私を捕まえてから、彼女は私に対して特に危害は与えてこない。
いったい、何が目的なのだろうか……?
なにより、飯島佳代子とは別の女性……幾度も私を精神的に苦しめてきた女性は、この状況でもなお私を恨めしそうに睨みつけているが、何か言う気配はない。
そもそも、これまで観察して分かった事だが、飯島佳代子は彼女が見えていないようだった。ということは、彼女は霊体なのだろうか?
それにしては、亡者特有の気を感じられない。だとすると、生霊ということか……。
「それじゃ、また後でね」
私は部屋を後にしようとする飯島佳代子に、一緒にいる女性は誰か質問した。
彼女は私の質問を聞いて何のことか分からないような素振りを見せ、部屋の中を見渡した後に笑顔で答えた。
「どういうこと? この部屋には私とあなただけだけど……」
私は彼女からそう言われると、礼を言ってベッドに潜り込んだ。
飯島佳代子は『じゃ、またね』と言った後、靴音がして扉が開閉する音が聞こえた。
私が何となく寝返りをするフリをして部屋の中を見てみると、そこには例の女性だけしかいなかった。
こうして、私はこの女性と二人っきりになったわけだが……やはり何もしてこない。
私がこの部屋で目覚めて初めて彼女を見て以来、彼女は私に話しかけずに、ただジッと睨みつけるだけだ。
……正直言って気が狂いそうなのだが、いったいどうしたものか……。
とにかく、このままではよろしくない。
私はベッドから起き上がって部屋の中央、女性の隣まで移動し、ゴンッと床を足で叩いた。
同時に、目をつぶって耳をすます……すると、周囲の状況が床を叩いた音の反響で良く分かる。
目で見るよりは精度も情報量も不足しているが、まったく状況が分からないよりはマシだ。
どうやら……この施設には普通の人間は飯島佳代子しかいないらしい。
彼女を普通の人間と評価していいかは分からないが……いわゆる標準体型の人間と思われる複数の物体は、別の部屋で倒れているのが分かる。
その代わりにかなり背丈のある、それこそ私が出会った巨人と思われる物体は複数存在し、廊下をしきりに移動している。
私は、もう一度床を足で叩いた。
巨人の数は……五、六体といったところか……飯島佳代子と思われる物体は、私がいる部屋と隣接している部屋で、イスに座っている。
すぐ近くにテーブルのような物があるということは、何か作業をしている最中だろう。
次に、私は気を探ってみた。すると、やはりこの女性は霊体のようだ。だが、やはり亡霊のような類ではない。
生霊……生きている者の霊体……この感情は……憎悪……? 女性で憎悪の感情を私に抱く人物と言ったら……やはり奴しかいないか……。
だとすると、この一連の出来事も、奴が仕組んだ事なのだろうか?
それになぜ、ここに飯島佳代子がいるのか……それも分からない。
あるいは、奴が評議会や『その者』に圧力をかけて、私をここに派遣するように仕向けたのだろうか?
とにかく、私はもう一度辺りの気を探る。
巨人達は……まぁ、昔に鍛錬目的で探った事があるので問題ない。
飯島佳代子の場合も、想像していた通りドス黒い気を放っていた。だが、彼女が放つその気の中に、微かに悲し気な思いが混じっているのは意外だった……だからと言って、私は彼女がしたことを許すことはできないが……。
ただ、特徴的なのはこの部屋の左側、百メートルほど前方に存在する数百体もの霊魂だ。
とても悲壮に暮れており、力なく空間に漂っている。恐らくだが、あの場所は私が通ってきた墓場だと思う。
他に似たような集まりの霊魂が存在しないため、墓場はあの場所しかないのだろう。
だとすれば、こうしてはおれない。鳴海刑事が応援を連れて迎えに来る保証はないが……やらなければいけない。
私は、部屋をグルグルと大きく回りながら床を足で叩く。メッセンジャーバッグを見つけるためだ。
だが、そう思われる物体はあいにく飯島佳代子の近くの机に置いてあるように思える。
私はメッセンジャーバッグの回収を諦め、ベッドに倒れこんで毛布を被り、装備を確認した。
彼女達に拘束された際、ボディーチェックをしなかったのか、あるいは甘かったのは幸いだった。
私は常日頃、何かあった時のために体中に装備品を隠し持っている。まさか、それらを使うことになるとは思わなかったが……。
とにかく、脱出開始だ。施設鎮圧の依頼も、忘れてはいけない。
飯島佳代子や霊体の女性は今の所どうにもならないが、せめて巨人達だけでも駆逐しなければならない……私はそう決心し、着ているすべての服と靴を脱いだ。
全部脱ぎ終わると、最初に靴を確認する。
強化アラミド繊維で作られた靴ひも二つを解き、両腕に巻き付ける。これは、いざという時には敵の首を絞める他にも応急的に止血帯として活用できる。あの巨人相手に効くとは思えないが……万が一の備えというやつだ。
次に、靴底に隠した特殊な金属の鎖を編み込んで作られたグローブだ。時代遅れな代物だが、相手が刃物を持っていた場合、非常に役に立つ。グローブはひとまず脇に置く。
次にズボン。
今回はいつものスーツ姿ではなく、半袖シャツにジーンズという組み合わせだ。
私はジーンズのめくりあげた裾に隠しておいたカミソリと一般的な手錠を開けるための鍵を取り出し、 万が一戦闘や脱出に失敗して手錠を掛けられてしまった場合に備えて、鍵は口の中に入れ、カミソリはベルトとジーンズの間に刃が付いていない方を露出させた状態で装備する。カミソリはいい……非常に便利な代物だ。
目の前にいる霊体の女性に怪しまれないように、慎重にジーンズをまさぐり、ジーンズの裏側を加工して作った隠しポケットに入れておいたトーラス社製のコンシールドキャリーガンを取り出し、作動音がしないようにゆっくりと弾丸を装填し、ベッドに置いた。
とりあえずこんなものだろうか……私は再び着衣を整えながら装備を身に付け、ベッドから起き上がってもう一度、気や音響による索敵を行った。
……どうやら先程と、あまり変わりはないらしい。私の座るベッドの前には憎悪を孕んだ霊体がおり、隣の部屋には飯島佳代子と思われる人間、廊下には監視役と思われる複数の巨人……どうやら、巨人達は一定のパターンで廊下を移動しているようだ。幸い、根気よく気や音響で巨人達の動向を探っていると、そのパターンが理解できた。
私はしばらくベッドに座ったまま待機し、その時を待った。
この部屋の扉は、さほど強靭な作りにはなっていない。せいぜい、一般人を閉じ込めるのに使えるくらいだ。私の力を行使すれば、難なく開くだろう。
そして……その時は来た。
巨人達が私のいる部屋の扉から、遠ざかっていったのだ。飯島佳代子の居場所も把握している。霊体の女性に動きはない。巨人達の居場所は気、音響の索敵によって完璧に近い精度で把握済みだ。
いけるっ!
私はベッドから勢いよく立ち上がり、扉に向かって全力疾走で体当たりした!
案の定、鉄製の扉は音を立ててひしゃげ、外側に吹き飛んだ。
私は砕けた監禁部屋の床を気にせずに廊下に出て、左側の通路の突き当りまで疾走し、突き当りの壁を蹴って方向転換した反動を利用してその場にいた巨人の頭を蹴り砕いた!――崩れ落ちる巨人の手からパラングを一本奪い取り、そのまま通路を走っていく。
一つ目の角を曲がり、反対方向を向いていてこちらに気づいていない巨人の膝関節を全力で蹴って体勢を崩し、その喉元にパラングを押し当てて一気に引く――巨人の喉元から大量の血が噴き出し、巨人はゆっくりと地面に倒れた。
続いてさらに奥にいる巨人目がけて疾走し、巨人が唸り声をあげる前にその喉元にパラングを叩き付けた。巨人もパラングで切りつけようとしてきたが、鎖編みグローブを装着した私の腕に阻まれ、先程の巨人と同じように床に崩れ落ちる。
続いて奥の角から現れた巨人に詰め寄り、膝関節目がけてパラングを打ち下ろし、体勢を崩した巨人の喉元に二撃目をくわえた。
ここで一回、気による索敵を開始する……どうやら私の脱走は、飯島佳代子に気づかれたらしい。
彼女のものと思われる気が、迷わずに私の方に近づいてくる。
彼女はどうやって、私の位置を知っているのだろう? それとも、適当に捜索しているだけだろうか?
とにかく、私も残りの巨人を倒すために通路を走った――目の前の角を右に曲がった先にいた巨人の足をパラングで砕き、その首にすかさず刃を打ち込む。その通路の奥にいた巨人は、咆哮して私に突進してきた――私はパラングを構え、巨人が振り下ろしてきたパラングを受け流す。
二本のパラングは激しく火花を散らせた後、巨人のパラングはリノリウムの床に打ち下ろされた――私のすぐ横の床は砕け、むき出しのコンクリートが垣間見える。
私が巨人の腹部目がけて、パラングを勢いよく振ると、パラングは巨人の腹部を切り裂き、赤黒い体液を噴出させる――続いて巨人の膝を蹴って体勢を崩した後、その喉元に刃を振るう……そして、巨人は喉元から体液を噴き出して倒れてしまった。
これで、この施設にいるすべての巨人は排除したはずだ。後は霊体の女性と、飯島佳代子だけ。
私がそう思っていると、後ろから凄まじい気を感じた。振り向くと、そこには飯島佳代子がいた。
彼女は包丁という、シンプルかつ人を傷つけるには最適な凶器を右手に持っていた。
「……どうして?」
思わず身構える私とは対照的に、彼女の前髪に少し隠れた両目からは、涙が頬を伝って流れていた。
「どうして……一緒になってくれないの……? 私は……うぅ……こんなに……あなたの事を思っているのに……」
彼女は顔を歪ませ、悲嘆な顔を見せる。
しかし、騙されてはいけない。今に彼女は、私に向かって逆切れするはずだ。
「どうしてよっ!? こんなに愛しているのにっ!!」
ほらね、私の思った通り。彼女はそう叫びながら、私に向かって突進してきた。
私は反射的に踵を返し、どこへ逃げるかも考えずに通路を走り続けた。
そして、突き当りの壁にある扉に入って中から鍵を掛けた。
その数秒後、扉を激しく叩く音が扉の外から聞こえた。
「どうしてっ!? どうしてあなたは、いつも私から逃げようとするのっ!? 私の何が気に入らないのっ!? ねぇ、教えてよっ!!」
飯島佳代子はそう言いながら扉を叩くが、しばらくして扉を叩く音が鳴り止み、彼女の優しい声が聞こえてきた。
「いいわ……私はいつもの部屋で待ってるから……気が済んだら出てきて? あの人にも、あなたを傷つけないように言っておくから……」
そして、扉から彼女の気配が遠のいていく……私は一息ついて、自分がいる部屋を見渡した。
……どうやらここは拷問部屋のようで、壁には様々な拷問用の器具が吊るされ、床は乾いた血が一面にこびりついている。
奥には金属製のバケツが置いてあり、思わず中を覗き込むと……そこは赤黒い物体で満たされていた。
続いて、私は気と音響で辺りの様子を探った。
……飯島佳代子は、元の部屋に戻っていったらしい。
しかし……一つだけ、気になる気配が近づいてくる。
そして、その気配の主は私の目の前に来た。
「……」
あの霊体の女性だ。
彼女は今の騒動など気にしていないような素振りで、私の近くまで寄ってきた。
しかし、何かするわけではない。ただずっと、私を睨みつけている。
「あなたは……誰……?」
思わず問いかけるが、返答はない。
……ここで立ちっぱなしでいても仕方ないので、私は壁に寄りかかって座り、これからの事を思案し始めた……。




