サイコ・ラバー ~接触~
翌日、私が出勤した時も仕事場は変わらない風景だった。
テレビの前でワイドショーに釘付けになる鬼島警部――苦手なデスクワークに取り組む大倉巡査部長――淡々と資料まとめなどの書類作業をこなす鳴海警部補――まったくもって、いつもと変わらない日常だった。
ただ、大倉刑事はチラチラと鳴海刑事の様子を伺っているようだった。彼は電話の女性が気になるらしい。
私が席についてデスクワークを始めようとしたその時、鳴海刑事の携帯電話が鳴った。
鳴海刑事は反射的に電話を手に取り、一呼吸おいてから電話に出た。
「……もしもし」
鳴海刑事の顔は緊張していた。私も、さりげなく彼の近くに近寄る。
「あなたは誰ですか?……それなら、どうすれば犯人の事を教えてくれますか?……分かりました。電話で無理なら、これから会いませんか? 詳しく話を聞かせてください……いえ、本気です。ただ、今はまだあなたの言葉を百パーセント信じることは出来ません。だからこそ、会って詳しい話を聞かせて頂きたいんです、ぜひっ!」
鳴海刑事の話し方は、特殊犯捜査係の刑事のように訓練されたものではない。
それはこの事件をなんとか解決したいという、純粋な刑事としての気持ちの表れのように思えた。
「……ありがとうございますっ! 待ち合わせ場所ですが、警視庁の近くにロマンという喫茶店があります。そこで会いましょう……はい、それでは」
そう言って、鳴海刑事は電話を切った。
「警部っ! 今から情報提供者と会ってきますが――」
「いってらっしゃ~い」
鬼島警部は、ソファに寝転がりながら手を振って応えた。
私は鳴海刑事に対して、自身も同行する旨を伝えた。
「あ、はい、よろしくお願いしますっ!」
「そやつが行くならば、自分も先輩にお供しますっ!」
そやつって……いつの時代の人なんだか……。
※
その後、警視庁から少し離れた場所にある喫茶店の前で、私と鳴海刑事、大倉刑事は電話の女性を待っていた。大倉刑事は少しイライラした様子で、その太い腕に巻かれた時計を見る。
「先輩。被疑者は来るのでありましょうか?」
何の根拠もなく人様を被疑者呼ばわりするのはどうかと思う。だが、すでに約束の時間を三十分ほど過ぎている。
遅刻の連絡もなくここまで時間に遅れるとなると、今日は来ないという可能性も考慮しなければならない。当然、そのような事態にはなってほしくないのだが……。
「被疑者って……大倉さん、まだ彼女のことは何もわかってないんですよ?」
「いえっ! さつきちゃんを陥れようとする奴は、全員逮捕でありますっ! 根絶やしでありますっ!」
……職権濫用もいいところだ。私はその事を大倉刑事に直接伝えた。
「むっ!? 貴様もさつきちゃんを陥れる輩かっ!? かくなる上は――」
そう言って、大倉刑事は腕まくりの仕草をした。私も臨戦態勢をとると、鳴海刑事が制止した。
「ま、まぁまぁ、大倉さん。もう少し待ってみましょうよ」
「ぐ……く……はっ、先輩がそう仰るのならば」
そう言って、大倉刑事は直立不動の姿勢をとった。
それを見て私も臨戦態勢を解除したが、最悪の場合は大倉刑事程度ならば私の実力ならなんとかなる。もちろん、それを大っぴらに示すことはないが……まぁ、正体不明の輩にこれだけ待たされれば、彼のイラつく気持ちもわかる。
「あの……」
澄んだ声色が聞こえた方向に振り向くと、若い女性が立っていた。
その風貌は成熟した大人のように思えるが、よく見てみればまだ二十歳前後だろう。
パープルサングラスにベージュのつば広ハットを被っているその姿は、往年の大女優のようにも思える程で、ずいぶんと服装に気を遣う女性のようだ。
「あなたが?……」
鳴海刑事が遠慮がちに質問する。もっとも、あらかじめ大倉刑事を目印にしておいたので、彼女が迷うこともないと思うが……。
「えぇ、ごめんなさい。仕事の調整がつかなくて……」
と、女性は申し訳なさそうに頭を下げた。
「こっちだって仕事で来とります。三十分以上も遅刻などして、最近の若者はなっとらんですっ!」
そう言う大倉刑事も、年齢で言えば充分に若者の部類に入るのだが、それはいかに……とりあえず、私と二人は身分証を見せて本物の警察官であることを証明した。
今の今まで警察官であるということを疑っていたのか、彼女は身分証を見ると感心した声を漏らした。
とにもかくにも、我々は喫茶店に入って彼女の話を聞くことにした。
落ち着いた調子のシャンソン流れ、木材を多用して作られた店内は、外の喧騒を一時的に脳内から消し去ってくれる。
私は馴染みのマスターに一番奥の座席を使うことを宣言し、そのまま奥の座席に座った。
「それじゃあ、改めまして自己紹介を。僕は鳴海刑事、こちらは大倉刑事と上司の――」
鳴海刑事がそこまで言うのを聞いて、私は自身の名前と階級を告げた……が、こちらの自己紹介を聞いても彼女は口を開こうとしない。
その沈黙はこちらを警戒してのものなのか、はたまた他に理由があるのか……もっとも、警察官という特殊な職業の人間を目の前にして、堂々とできる人間もそういないだろう。
私は彼女に事件のことを知っているのか、率直に質問した。
「……」
……彼女は私の質問に何も答えず、その場に重い空気が流れ始めた。
「あの……電話じゃ犯人は『しのみやまい』って言っていたけど、あれは――」
この空気に耐えかねたのか、鳴海刑事が額から汗を流しながら質問する。
「北条さつきって言いたいのね?」
どうやら彼女は、我々が『しのみやまい』の名から北条さつきにたどり着くことを予測していたようだ。
「言っとくけど、北条さつきは殺人犯じゃないわよ」
彼女はキッパリと断言した。
「当然であります! さつきちゃんが犯人なんて、断じてあり得ませんっ!」
大倉刑事は、ちぎれんばかりに首を縦に振った。
「……もしかして刑事さん、北条さつきのファン?」
彼女は、実に意外そうに大倉刑事の顔を見つめた。
「はっ! ファンクラブ会員ナンバー五! 大倉源三でありますっ!」
大倉刑事が胸を張ってビシッと敬礼した……ファンクラブにまで入っていたとは……。
「ふーん……はいっ!」
そう言って、彼女はパープルのサングラスをヒョイと外してみせた。
「ああっ!?」
鳴海刑事と大倉刑事は、驚愕の声を上げた。
その声を聞いてこちらをギョッとした表情で見るマスターを、私は安心してほしいというジェスチャーでなだめた。
実際、私も驚いた。目の前にいたのは北条さつきだったのだ。
まさか情報提供者が国民的人気歌手であったとは……私でさえ動揺を隠せないのだから、私の隣に座る大倉刑事の驚愕たるや尋常ではない。
そんな大倉刑事に、北条さつきはイタズラをする少女のような微笑みを浮かべて質問してきた。
「ふふ。大倉さんだっけ? 本当に私のファンなの?」
サングラスを掛けなおしながら、挑発するような声で北条さつきが質問した。
「は、はっ! これがファンクラブの会員証でありますっ!」
そう言って、警察手帳が入っているはずの胸ポケットから会員証を差し出した。
警察手帳と間違って出してしまったら、いったいどうするつもりなのか。
「へー。本当なのね。いつも応援ありがとうっ!」
会員証を見て微笑む彼女は、どこか寂しそうだった。
動揺も収まったところで、鳴海刑事が北条さつきに質問した。
「あの、電話で教えてくれたこと、もう一度詳しく教えてくれないかな? 君は都内で起きてる連続殺人事件の犯人を知っているんだね?」
「えぇ……知ってるわ」
「犯人は誰なんだい?」
「……」
またもや沈黙……こんなことでは、いつまで経っても情報が手に入らない。
私は彼女に、自身の身の安全は大倉刑事が全身全霊を掛けて守り抜くことを説明した。
「はっ! その通りでありますっ!」
彼女はしばし逡巡した後、私の方を向いて口を開いた。
「……いいわ。私が見たこと、全部話すわ」
作戦成功。サングラス越しではあるが、彼女の瞳に決意の色が浮かんだように見える。
そして北条さつきは、ゆっくりと語り始めた。
「半年ぐらい前だったかしら……私の身の回りでおかしなことが続くようになったの。楽屋が荒らされていたり、バックの中にカミソリが入っていたり……」
なるほど……ストーカーというわけか。しかも話を聞く限りでは、かなり悪質なタイプのようだ。
「事務所の社長に相談しても、アイドルなら誰だって一度はあることだって、取り合ってくれなかったわ。でも、ずっとそんなことが続いて……一週間前に彼女を見たのよ」
一週間前……たしか会社帰りの女性事務員が殺された日だ。
「その日は仕事が休みだったから、久しぶりに買い物に行ったの。その帰りに駅から少し離れた路地を歩いていた時、なんとなく横の薄暗い路地裏を見たら……いたのよ……」
彼女の体は震えていた。おそらく、当時の恐怖を思い出してしまったのだろう。
「彼女……人を殺してたわ」
隣の席で、大倉刑事が息を飲むのがわかった。
「動かなくなった死体に何度もナイフを突き立てて……それから、頭の皮を剥がし始めた……丁寧にね」
「うっ!!」
大倉刑事がハンカチで口を押え始めた。戻すならトイレでしてほしいものだ。
私が席を立ってトイレに行くか質問すると、大倉刑事は必死の形相で『大丈夫だっ!』と言って胃液の逆流と格闘している。
「でもね……一番肝心なのは」
そこまで言って、北条さつきは顔を両手で覆い、目に見てわかるほどに体を震わせた。
「彼女、私を見ていたの……ナイフを何度も突き立てている間も、皮を剥がしている間も……一度も死体の方を見ないで、私を見ていたの。私……必死で声を振り絞って尋ねたわ。『あなたは誰?』って」
「……なんて答えたの?」
鳴海刑事が、大倉刑事の背中をさすりながら質問した。
「『しのみやまい』って……でも、そんなことあるわけないでしょっ!? だって、篠宮麻衣って私の本名よっ!?」
彼女は今にも泣きだしそうな表情で、誰に言うでもなく訴えた。
「私、無我夢中で走ってマンションに帰ったわ……寝ようとしたんだけど、全然眠れなくて……結局そのまま仕事をすることになったの」
そこまで話すと、北条さつきは大きく息を吸って微笑んだ。
「こんな話、信じられないわよね?」
北条さつきは自嘲気味に言った。
「私、あの出来事が信じられなくて、カウンセリングにも行った……もちろん殺人鬼の事は伏せてね。でも……どんなに検査をしても、私の精神状態は正常だって言われて……もう、どうしたらいいんだか……」
鳴海刑事と大倉刑事は何を言うでもなく、『うーん』と唸っている。
「一度だけ警察に電話してみたけど、まともに取り合ってもらえなかったわ……でも、このままにしておくワケにもいかなくて……そんな時、いつも通り仕事を終えてマンションの自分の部屋に入ったら、玄関の前にコレが置いてあったの」
そう言って、北条さつきは高級そうなピンク色のカバンの中から一枚の折り畳まれた紙を出した。
「なんだい?」
鳴海刑事はそう言って紙を受け取って中身を見ると、仰天の表情を浮かべた。
「先輩? いかがなさいましたか?」
隣に座る大倉刑事は横から紙を見ながら、鳴海刑事に質問した。
「むむ、これは……携帯電話の番号ですかな? その下には……『ここに電話すれば犯人は捕まる』? なんだ、これは?」
「……僕の電話番号です」
鳴海刑事は、絞り出すような声で言った。大倉刑事が驚いたのは当然だが、私も驚いた。なぜそのような物が、彼女の部屋の玄関前に置いてあったのか……。
そもそも、この紙を置いた人物はなぜ鳴海刑事の電話番号を知っているのか?
彼の携帯を見たことがあるが、警察から支給されるのとは別の、プライベートの携帯電話だ。
考えられる可能性としては、この紙を置いた人物は、ハッキングなどの何らかの手段で鳴海刑事の携帯の番号を手に入れたに違いない。
だが、なぜ鳴海刑事なのだろうか? 彼が、我々の部署の人間だと知っていたのだろうか?
いずれにしても、この事件の捜査は慎重に行わなければならないだろう。
相手は我々のうちの一人の電話番号を知ることが出来る人物だ。それ以外の個人情報も収集されていることは念頭に置くべきだろう。
「……ね? おかしいでしょ?……でも、電話して良かった……少なくとも、こうやって誰かに話す事が出来ただけでもね」
私の心配をよそに、北条さつきは朗らかな笑みを浮かべた。
彼女がそこまで話したところで、私は彼女に質問してみることにした。紙を置いた人物も気になるが、まずは彼女から事件の細部にわたる情報を聞き出すことが優先だ。
質問の一つ目は、犯人を見た時にどうしてすぐに逃げなかったのかだ。
普通なら、すぐに逃げ出すような状況であったにも関わらず……。
「……正直、自分でもよくわからないわ。なんでそんな事をしたのか……でも、その人……どこかで見たような気がして……」
「貴様っ! さつきちゃんを疑うのかっ!?」
大倉刑事は、先程までの体調不良が嘘のように私に向かって怒声を張り上げた。
とりあえず、今の答えで納得するしかあるまい。
二つ目の質問は、犯人の見た目だ。
「暗くてはっきりとは見えなかったけど、髪が肩の方まで伸びてて……『篠宮麻衣』って言った時の声は女性だった気がするわ……」
なるほど。そこまでわかっていれば、犯人は女性であるという事で信じていいだろう。
私はそのような人物が周囲にいないかを質問した。
彼女は顎に右手を添えて、しばらく考え込んだ。
「……一人だけ……私のマネージャーよ」
「なっ!? 本当でありますかっ!?」
大倉刑事が、素っ頓狂な声を上げる。
「えぇ。でも、彼女は私にとって姉のような存在よ。私が小さい頃から、親や事務所の人達に代わって私の事を育ててくれたの……親や事務所は、私が有名になってお金を稼いでくれればいいって考えだから……」
北条さつきがそう言った時、携帯電話の着信音が聞こえた。
私は自分の電話を見てみたが、反応はない。私ではないようだ。
大倉刑事と鳴海刑事も自身の電話を見てみるが、違うらしい。
「ごめんなさい、私の電話みたい。ちょっと失礼するわ」
そう言って、彼女は電話を持ってトイレに向かっていった。
「大倉さん、どう思いますか、彼女の話?」
彼女の姿がトイレの中に消えると、鳴海刑事が大倉刑事に問いかけた。
大倉刑事の顔は、実に困惑していた。
「はっ……自分は……さっきは、その……」
大倉刑事は私の方をチラチラと見ながら、言っていいものかどうか図っているようだった。
私は彼の意図を察し、私のことを言う時は苗字だけで良いことを伝えた。
「うむ……」
そう言って、改めて彼は鳴海刑事を見た。
なんというか、面倒くさいぐらいに律儀な男だ。信頼していない私に対しても階級を重んじるとは……まぁ、興奮すれば貴様呼ばわりなわけだから、私個人としては気にしてなかったが……。
「先ほど、神牙に対してあのように言いましたが、自分も今の話を聞いてすっきりしない部分があります。なぜ、犯人はさつきちゃんの本名と同じ『篠宮麻衣』を名乗ったのでありましょう? そして、なぜ目撃者である彼女を殺さなかったのでしょう? 言葉はアレですが、チャンスならいくらでもあったように思えます」
ふむ、どうやら大倉刑事は筋肉だけの男ではないようだ。鳴海刑事も、その考えに賛同の意を示した。
私は二人に対し、彼女からもう少し詳しい話を聞く事、今後、殺人鬼が自身の犯行の目撃者である彼女を狙ってくる可能性があるため、彼女を保護したほうが良いという考えを伝えた。
「えぇ、その方がいいでしょう」
「うむ、自分も賛成だっ!」
大倉刑事が嬉しそうに鼻を膨らませたのは言うまでもない。
数分後、彼女は席に戻ってきた。
「ごめんなさい、刑事さん」
「大丈夫ですよ」
鳴海刑事は柔和な笑みを浮かべて答えた。
彼女はテーブルの横に来ると、先ほどとは違ってキッパリとした態度で言った。
「申し訳ないけど、今日はこれで良いかしら? これから仕事なの」
「えっ!? ちょ、ちょっと待ってっ! 君は殺人事件の目撃者で、犯人に顔を見られている。このままじゃ危険だ。警察で保護させてもらうよ」
鳴海刑事が、奥の席から覗き込むような姿勢で言った。
「それは嬉しいけど……今日は仕事に行かせてくれない?」
「なら、僕らも付いていくよ」
「さつきちゃんっ! 先輩の言う事を聞いてくださいっ! これはファンのためでもあるのですっ!」
大倉刑事が、ファン代表として頼み込む。
「……ダメ。でも、今後スケジュールを調整するように、マネージャーに頼んでみる。あなた達も、仕事先に入れるように頼んでみるわ」
「そう……わかった。でも、本当に大丈夫?」
「えぇ。私が殺人犯の話をした時、他の人達は対して気にしてくれなかったわ……両親さえも。でも、マネージャーだけは真剣に話を聞いてくれたし、その時から護身用にスタンガンや催涙スプレーを持って私を守ろうとしてくれているの。あの人なら信頼できるわ」
マネージャーか……正直、北条さつきから殺人犯の特徴を聞いてから、その人物が気になる。
万が一のこともある。私はそれでも、我々を同行させるよう頼み込んだ。
「何? ひょっとしてあなた、マネージャーを疑っているの?」
彼女の顔が険しくなるのが、はっきりとわかった。
「確かに、あの女の特徴はマネージャーと同じかもしれないけど……それだけはないわ」
北条さつきはキッパリとした態度で答えた。彼女のマネージャーへの信頼は絶大のようだ。
それに、元はといえば彼女の方から助けを求めて来たにも関わらず、今は何が何でも仕事に行こうとする……この心境の変化をどう捉えたらよいものか……。
結局、今日は彼女に護衛なしで仕事に行ってもらうことにした。
我々が喫茶店を出ると、タイミング良く白いワゴン車が我々の前で停止した。扉が開き、北条さつきは車内に入る。
彼女は席に着くと、運転席の方を示した。
「丁度いいわ、紹介してあげる。私のマネージャーの飯島佳代子さんよ」
北条さつきに言われて、運転席に座る人物は我々の方を振り向いた。
「……どうも」
私は運転席の方を見て驚いた。
とても美しい女性だった……肌は雪のように白く、肩にかかる髪は漆黒。見える限りで手足はスラリと細長く、筋の通った鼻は西洋人のようだった。
他の二人も同じ感想を抱いているのだろう。我々はしばらく沈黙してしまった。
「佳代子さん、こちら警視庁の刑事さん達よ。明日から私の警護に付いてもらうの」
「刑事?」
飯島佳代子はパッチリ二重のきれいな瞳を見開き、驚いているようだった。
「どうも、警視庁の鳴海純也警部補です」
「同じく、大倉源三巡査部長であります」
二人に続いて、私も名前と階級を名乗った。
「そうですか……ウチのさつきをよろしくお願いします」
そう言ったきり、飯島佳代子は前を向いてしまった。
「ごめんなさい、佳代子さんは私以外の人と喋るのが苦手みたいなの」
そう言う北条さつきの顔は、どこか嬉しそうだった。
「それじゃ、明日からよろしくねっ!」
彼女は、ニッコリと笑って車の扉を閉めた。
扉を閉められるとスモークガラスで中の様子は見えないが、北条さつきは飯島佳代子にかなり心を開いているようだった。
ワゴン車が走り出して少し進んだ先の十字路を曲がると、大倉刑事はボソッとつぶやいた。
「……きれいな人だ」
私が、その感情は北条さつきに対する浮気なのではと大倉刑事に冗談交じりで言うと、
「な、何を言うかっ!? ほほ、ほ、本官は別に――」
と、顔を赤らめて見苦しい言い訳をし始めた。
私が気にせずに笑っていると、私の懐にある携帯電話が鳴りだした。
私は未だに言い訳をしている大倉刑事を尻目に、携帯電話の画面を見た。どうやら電話らしい。
私は電話を耳元に当てた。
「初めまして……私達、良い関係を築けそうね」
そこで、電話は切れてしまった……気味が悪い。何なのだろうか?
「どうかしたんですか?」
鳴海刑事が心配そうにこちらを見てくる。
彼の後ろにいる大倉刑事も、神妙な面持ちで私の顔を見ている……おそらく、今の私の顔は恐怖のあまりに引きつっているのだろう。
私は二人に対して、何でもないとだけ言った。無用な混乱が起こることだけは避けたい。
「はぁ……それならいいのですが……」
「まったくでありますっ! 何がしたいんだかっ!」
私が携帯電話をポケットに入れたその時、何者かの視線を感じた。
その視線は、私の心臓を鷲掴みするような強烈な気迫を放っており、私の全身からは汗が噴き出し、膝はブルブルと震えだす。
そして、私は誘われるように通りの向かいにある路地に目線を映した。
(……っ!!)
私は思わず叫びそうになってしまった。その路地には、一人の女性が立っていたのだ。
その姿は遠くてはっきりと分からなかったが、腰まである黒髪で、青い着物を着ていた。
しかし、私が気にしているのはその部分ではない。
彼女は、全身血まみれだった。それこそ、上は髪から下は足の方まで……。
しばらく私が見つめていると、女性はスーッと路地裏の闇に消えた。
私は女性の気配が消えるのを確認すると、二人を見た。
しかし二人は私の方を見るばかりで、女性の存在には気づいていない様子だった。
私は念のために、二人に今の女性が見えたか確認した。
「……だいぶお疲れのようですね、神牙さん」
「……うむ、そのようですな」
二人とも、私を心配するような声で答えた。
……いったいどういうことなのか……考えれば考えるほど深みにはまっていく……なんだか、頭が回らなくなってきた。それに、どうも体がだるい。
「大丈夫ですかっ!? 本当に顔色が悪いですよっ!? うーん……ここで神牙さんに倒れられるワケにはいかないし……そうだっ! 今日は僕が付きっ切りで看病しますよっ!」
……鳴海刑事の申し出はありがたいのだが――
「少々不満ではありますが、自分もであります……勘違いするなよ? 自分は先輩に付いていくだけだからな?」
……私は二人に感謝の意を示し、自宅に帰ることにした。