その岩、踏むべからず ~依頼~
オモイカネ機関では、通常の捜査機関では取り扱わない、あるいは手に負えない案件が回ってくるが、今回はその中でも謎に満ちた案件である。
それと同時に、オモイカネ機関の長と機関の上部組織との軋轢めいたものも感じることが出来るだろう。
……皆さん……よろしければ、怠惰な部下をやる気にさせる方法を教えて頂けないでしょうか? と言うのも、私の目の前では鬼島警部がソファに寝転がりながら、ワイドショーを見ているからだ。
私は鬼島警部になんとかやる気を出してもらおうと話をするのだが、そのたびに、『あぁ。今度な』と言われ、おしまい。ここまで上司の注意を受け入れないというのも、かなりの強者だ。
私がホトホト疲れ切っていると、後ろから大倉刑事が吠える。
「警部殿っ! いい加減に――」
「んだよ、アイドルオタクッ!?」
「うっ……ぐっ……」
謎のうめき声をあげ、大倉刑事は黙って書類仕事に戻ってしまう。
……誰かこの人をやる気にさせてくれないだろうか?
私がそんなことを考えていると、例の携帯端末から連絡が入った。
「事件発生。場所は奥多摩町、八丁山」
私は了承の返事を送り、鳴海刑事達に出発を知らせようとしたが、
「事件発生ですか?」
すでに鳴海刑事と大倉刑事は席を立ち、いつでも出動できる態勢を取っていた。どうやら彼らも、この部署に慣れてきたようだ。
私は彼らの言葉を肯定し、鬼島警部に留守を頼んでオモイカネ機関を後にした。
※
東京都心から車を走らせること……正直時間は気にしていなかった。いずれにしても、我々は奥多摩町についたわけだ。
だが……ここからがこの職業の厄介なところだ。
事件発生は八丁山……地図を見てみると、ここからさらに距離があるようだ。
どうしたものか……いや、迷う必要はない。事件が起きたならば、その場所に行ってみようではないか。
私は八丁山まで車を走らせる……しばらくは、のどかな山岳風景が続く。
初めて来たが、この奥多摩町と言うのは盆地の中にある町のように思える。
しばらく進むと、先程見た場所よりは少し規模が小さい集落があり、私は目についた駐車場に車を停めた。
「どうした? なぜ車を停める?」
後部座席に座る大倉刑事が、不思議そうに聞いてくる。
私は彼に、どこで事件が起きているのかを問いただした。
「そ、それは……」
「なるほど、確かにそうですね……」
鳴海刑事は、私の言わんとしていることを理解してくれたようだ。
そう、私はいつものように携帯端末から事件発生の連絡を受けたが、『どこ』で起きているのかは聞いていない――正確には、奥多摩町、八丁山のどの辺りで、ということだが……。
そのため、私は携帯端末を取り出して『その者』とコンタクトを試みる。
今回は特定の場所ではなく、大まかな場所しか指示されなかった。
初めての事じゃない。今までも、聞かされた事件現場に着いた時に端末から追加の情報が入ってきたり、ほぼ成り行きでそのまま事件に関わることはあった。
だが、今回の事件現場は山だ。あまりにも範囲が広すぎる。
我々に話が回ってくるような事件が起きたとしても、詳細な情報がなければ無駄な捜査をして疲労するだけだ。
……あるいは、今回は『事件解決』というよりも『組織への貢献』という形で我々が派遣されたのだろうか? だとしたら、この事件から鳴海刑事と大倉刑事は外した方がいいだろう。
彼らはまだ若い。いずれ通る道にしても、彼らにはこの仕事に誇りを持って臨んでもらいたい。
彼らが『汚い部分』から目を逸らしたとしても、『汚い部分』の方からどんどん彼らに近づいてくる。この世界の常識はそんなものだ。
私がそんなことを考えていると、ちょうど端末から連絡が入ってきた。
「この捜査は内密に」
事件の発生現場と思われる位置情報を知らせた画像の下には、そのように表示されていた。
……これで決まりだ。鳴海刑事と大倉刑事はここで置いていこう。
私は二人に、事件の知らせは誤報だったことを伝えた。
「な、なんだとっ!?」
「そ、そんな……ここまで来て……」
私のウソに落胆した二人に対し、私は改めて謝罪し、帰路についた。
※
翌朝、あれから私は彼らを警視庁に届けた後、夜通しで準備を済ませ、あの駐車場まで来ていた。
(さて……)
私は最初に来た時とは違う、山岳装備を全身に纏い、懐から携帯端末を取り出す。
……あれから『その者』からの連絡はない。という事は、今のところは事件は進展しているわけではないようだ。
私は改めて事件の発生現場が記された画像を確認し、車を降りた。ここからは徒歩となる。
この集落は斜面にあるためか、右側には上へと向かう道路、左側には木造建築の家々が見渡せる。
左に見える深緑の絶景を見渡しながらしばらく進むと、左側にある家々が少なくなってきた……。
さらに歩き続けると、とうとう建造物の類は姿を消し、右側にネットで補強された崖、左側には背の高い木々がそびえたつ。ここなら大丈夫だろう。
携帯端末の位置情報を確認すると、どうやらこのまま右側に進めば、目的地にたどり着くようだ。
私は周囲に人影が無いことを確認すると、右側に設置されたガードレール代わりの柵を乗り越え、斜面を降りていく。
少し勾配のある斜面だが、なんとか降りられる。頭からつま先まで山岳装備で固めているのもその理由だろう。
斜面を降りた先には沢があったが、そこもあらかじめ持ってきたザイルや沢足袋のおかげで、難なく渡り切ることが出来た。
しかし、ここからが大変だ。今度は急勾配の斜面を登ることになる。
降りるのもキツかったが、登るのはさらにキツイ……背中に背負ったバックパックの重みもあって、自然と歩行速度も遅くなる。
しばらく登ると勾配は緩やかになったので、ちょうど目についた木の下で小休止する。
ようは、普通の登山と同じ要領だ。下手に頑張って、後から疲れが押し寄せるようでは目も当てられない。
休みがてら、私は携帯端末を開いて位置を確認する……どうやら、ここからもう少し進めば、事件現場らしい。はてさて……何が出てくるやら……。
私はハイドレーションから伸びるチューブを口に入れて水分補給を済ませると、立ち上がって再び歩き始めた。
それから山の中を進むと、私はある異変に気付いた。
……動物の鳴き声が聞こえない。
……私がその気になれば、多少は遠くにいる動物の鳴き声も聞こえる。だが、今はまったく聞こえない。
それと、もう一つ気になる事がある。
実はこちらの方が重要なのだが、微かに腐敗臭がするのだ。それも、動物の肉が腐ったような臭いが……。
私は近くの木々に隠れるように身を潜め、背中のバックパックをおろして中身を確認する。
中には……まぁ、色々入っている。軍用レーション、テント、御札、銃器、ナイフ……。
他にも色々持ってきているが、私はそこからナイフと銃器、御札を取り出す。
ここから先は何があってもおかしくない……そう思っての選択だった。
ナイフは、いわゆる剣鉈である『またぎハンター』、銃器はトーラス社の『レイジングブル・モデル500』だ。
この銃は、考えられる拳銃の中でもっとも威力が強い部類に入る。本当はショットガンを持って来たかったのだが、今は禁猟期間なので、見つかったらコトだ。
それに比べ、この銃なら咄嗟の時にある程度隠しやすい。
御札は『百鬼縛封』、『魑魅魍魎縛封』、『暗呪祈念』、『諸魔賊疫神消滅』、『邪気退散』だ。
私はそれらの荷物を人から見えにくいように装備し、歩き続ける。途中で人に出会っても、今の私の見た目ならただの登山者に見えるだろう。
そして……いよいよ腐敗臭がキツくなってきた。
そのまま進み続けると、私の目の前には二本の大木に括りつけられた注連縄があった。
腐敗臭は、この奥から臭う……私は意を決して、注連縄の中に入る。
その時……私の全身に悪寒が走った……本来、注連縄とは神体を縄で囲い、その中を神域として厄や禍を払ったりするためにある。
だが、私が足を踏み入れた空間は、神域と言うよりも瘴気の溜まり場のような気がする……私は御札を入れてあるパックのジッパーを開け、中から『邪気退散』の御札を取り出して文言を唱え、札をしまう。
これで瘴気の影響をかなり遮断できる。
まだ私は、今回の事件の内容さえ知らない……その事実が、私に『この世ならざる存在』の印象を深く刻み込む……。
だが、ここで退くわけにもいかない……私は御札の入っているパックに手を掛けながら、慎重に歩を進めた。
……しばらく進む。
…………聞こえるのは、私が踏みしだく草木の音だけだ。
………………前方に人影が見える……。
「誰ッ!?」
突如、その人影が動いた。
私はなるべくナイフや拳銃が見えないようにし、温和な態度で自分が登山者であると言った。
人影はしばらく私を見つめて固まっていたが、やがて私の方に近づいてきた。
そして、人影の輪郭がハッキリするにつれて、私は思わず声を上げそうになった。
「あら、ファング? どうしたの、こんなところで?」
その人影の正体は、魔女のカチューシャだった。
彼女はいつものドレスとは違い、どこからどう見ても普通の登山者にしか見えなかった。
特に頭の上に、おばあちゃんが買い物に行く時に被るような帽子があるのがワンポイントだ……かなり笑えるが――。
「どうかしたの?」
私は彼女に何でもないと伝え、自分が来た理由を話した。
彼女は私が話している間、腕組みをしながら何か考えているような素振りをしている。
やがて私が話を終えると、彼女は柔和な笑みを浮かべて口を開いた。
「ふ~ん、そうなんだ。私は、この辺りに薬草を摘みに来たんだけど……この辺りからすごい瘴気を感じて、興味本位で見に来たら、アレが……」
そう言って、彼女は後ろを指さした。
私がその方を見てみると……そこには血だまりが出来ていた……しかも……その先には何かが倒れている。
腐敗臭も、そこから臭っているような気がした……私はカチューシャに視線を戻し、アレは何か質問した。
「……見てくれば?」
カチューシャは不敵な笑みを浮かべる。
……こうなっては手遅れだ。何をしても教えてもらえないだろう。
私は覚悟を決め、血だまりの方へ歩み寄った。
……血だまりはすでに大半の部分が乾いている様子で、あの独特の鉄のような臭いもする。
そして……私が見た倒れた『何か』……それは、二人の女性だった……
※
「ね? スゴイでしょ?」
彼女はケラケラと笑いながら、二つの死体を見下ろす私を見た。
私は彼女の言葉を肯定し、他に何か見つかったのか質問した。
「えぇ。こっちよ」
そう言って、彼女は血だまりと死体の間を通り過ぎ、さらに奥深くへと進んで行った。
私もその後に付いていくと、しばらくして彼女は歩みを止めた。
「コレなんだけど……瘴気の原因じゃないかしら?」
彼女がそう言って見つめる先には、私の腰くらいの高さの、注連縄のされた岩があった。
私はその岩に近づき、何か手掛かりになるようなものは無いか、入念に調べた。
「……変よね」
私が何も手掛かりを見つけられずに意気消沈していると、カチューシャがボソリと呟いた。
私が何が気になったのか問いかけると、彼女は周囲を見回しながら言った。
「だって、普通は注連縄ってそれをした空間を清浄な空間にするようなものでしょ? 私、神道には詳しくないけど、確かそうだった気がするわ。でも、今私達がいる場所はすでに注連縄で神域にされた空間でしょ? なのに、この岩にも注連縄がされてあって……これってどういう事かしら?」
……確かにその通りだ。
もっとも、私の神道に対する知識が浅いだけかもしれないが……普通なら、神域とされた場所をさらに神域とするなんてことはしないだろう。だとしたら、この注連縄は――。
「まるで、何かを封印しているみたいじゃない?」
カチューシャの言葉は、私に重くのしかかった……。
封印……だとしたら、この岩にはいったい何があるのか? 今の段階ではわからない。この岩の調査は後回しで良いだろう。
私が車を停めた集落や、奥多摩町に戻れば何か分かるかもしれない。
私はそう思って、カチューシャに声をかけて死体の調査を始めることにした。
死体の近くまで来ると、やはりかなりの腐敗臭がする。死体の見た目もかなり腐敗しており、仕事でなければすぐにでも逃げ出したいくらいだ。
私はそんな雑念を払い、よく死体を観察する。
カチューシャにも手伝ってもらい、魔術で遺体を宙に浮かせ、手足を動かしてもらう。
私は最初にこの現象を見た時は度肝を抜いたが、今では『カチューシャは魔女だから』ということで納得してしまっている。
すると、ある疑問が浮かんだ。
私に事件発生の一報が入ってから、一日経っている……多少は死体の組織も痛むだろう。
だが、目の前の遺体は明らかに、日数以上の腐敗進行が起きているように思われる。
仮に『その者』が私に事件の発生を知らせてきた時にこの女性達が亡くなったならば、せいぜい遺体にでる反応は腐敗性変色ぐらいだろう。
先程手足が難なく動いたように、死後硬直も解けている。通常なら、硬直が解けるにはもっと時間が掛かるはずだ。
これはどう考えればいいのか……私が考えていると、隣にいるカチューシャが私の方に手を置き、
「どうかしたの?」
と、問いかけてきた。
私が疑問に思ったことを彼女に話すと、
「う~ん」
と、彼女は唸りをあげる。カチューシャはあまりこういった分野の知識は持ち合わせていないだろう。
私は話題を変え、魔術でこのような状況を作り出すことは可能か問いかけた。
「まぁ……できなくもないけど、それだったら何かしらの魔力残滓が残っているはずよ。けど、そういった類のものは感じないわ」
私はその言葉を聞いて落胆した。
不可思議な力以外に可能性があるとすれば、何らかのより現実的な要因によってこのような遺体が出来上がってしまったということだろう。
警察官としては、真っ先に思いつかなければいけないものかもしれないが……私が考えていると、カチューシャが口を開く。
「私はアシュリンみたいに科学万能主義ってわけでも、魔術万能主義ってわけでもないわ。でも、世間一般で言う『オカルト』の立場にある者から言わせてもらえれば、魔力残滓が残っていないにも関わらず、魔術を使ったかのような現象が起きた場合、特に今回のようなケースだと、『穢れ』が関係してると思うわ」
私はその言葉を聞いてハッとした。そうだ……この場所には瘴気を漂っている。
ということは――
「どうやら分かったみたいね。そう、この場所は瘴気で穢されている。穢れには古今東西、いろんな考えが持たれてきたけど、あの大木や岩に施された注連縄からして、ここには何か強大な穢れた存在が封印されていて、彼女達の遺体はその瘴気のせいで普通よりも早く腐敗してしまったんじゃないかしら?」
……もし私が普通の警察官なら、『なにを馬鹿なっ!』と一蹴していただろう。
だが、あいにく私はそういった事件も多数経験してきた。彼女の唱える説にも、耳を傾ける価値はある。
「ま、私の考えなんだけどねっ!」
私の目の前で、カチューシャはそう言って笑った。




