地獄からのお便りを ~消失と発見~
「おはようございます、神牙さんっ!」
翌朝、警視庁の前で待ち合わせした鳴海刑事達の顔は、やる気に満ちていた。
昨日の襲撃事件に対する考察を私が話してから、彼らもこの事件の解決に対してより意欲を見せてくれている。
我々は今日、篠崎和佳子の実家に向かうことにした。本人の周辺に何かトラブルが無かったか、近親者の視点から聞き出すためだ。
私が運転する自家用車の中で、鳴海刑事達は例の紙束のコピーを見てああでもないこうでもないと事件の推理をしている。
やがて篠崎家の近くに来ると、私は近くの駐車場に車を停め、篠崎家に向かった。
「俺が行くぜ。お母さんとは面識もあるしよ」
私は鬼島警部の提案を承諾した。
彼女は門を通り、玄関の呼び鈴を鳴らした。
しばらくして、中から一人の女性が現れる。
「あ、刑事さん……」
「どうも、ご無沙汰してます……」
鬼島警部は普段の様子とは打って変わって、真摯な態度で女性と接した。
私達は鬼島警部に、この女性が篠崎和佳子の母親であることを告げられ、家の中に通された。
和室に正座して座り、お茶を持ってきた母親が座ると、鬼島警部はお茶を一杯飲んで話を始めた。
「和佳子の事なんですが……最近、トラブルに巻き込まれたりしてませんでしたか?」
鬼島警部にそう問われると、母親は何かを思い出したかのような表情をして静かに語り出した。
「……それが……学校の先生と喧嘩したというのをチラッと聞いたことがあるのですが……最近のあの子は真面目にやっているようでしたから、てっきりあの子の言動を誤解した先生のせいかなと思って……それ以外は特に……」
「そうですか……喧嘩の内容はご存知ですか?」
「いえ、何も……」
「分かりました……すんません、大変な時に」
そう言って、鬼島警部は立ち上がった。
鳴海刑事と大倉刑事は『もう行くのか』と驚いていたが、私も鬼島警部と同じ考えだ。これ以上は、母親から何を聞いても無駄だろう。
私達が玄関から外に出ると、
「刑事さん」
母親が鬼島警部を呼び止めた。
「はい?」
声につられて鬼島警部が振り返ると、母親は柔和な笑みを浮かべて口を開いた。
「あの子から聞きました……『あの人は自分の事を真剣に考えてくれる』って……まだ先の話ですが、あの子の墓参りに来てくれませんか? あの子も喜ぶでしょうし……」
「……はい、必ず」
最後の鬼島警部の声は、少し震えて聞こえた……私達は母親に改めて礼を言うと、篠崎家を後にする。
続いて私達は、鶴ヶ峰学園へ向かうことにした。
篠崎和佳子は、学校でのトラブルの詳細を母親には教えていなかった。ならば、学校関係者なら、必ず何か知っているはずだ。口裏を合わせて、もみ消したりしていなければ……。
だが、いざ車を発進させようとすると、私の携帯電話が音を鳴らした。
私が電話に出ると、相手はアシュリンだった。
「ファングッ! すぐに来てくれっ!」
彼女は焦った様子で、すぐに電話を切ってしまった。
私は皆に行き先を神明大学付属病院に変更することを伝え、法定速度を無視して病院へと向かった。
※
「こっちだっ!」
すでに病院の出入り口で待っていたアシュリンは、私達が車から降りると病院の中へ走っていった。
私達もその後を追い、遺体安置室の前についた。
「はぁ……はぁ……見てくれ」
息を切らしながら、彼女は安置室の扉を開けた。
彼女の後に続いて中に入ると、私は奇妙な光景を目撃した。
台の一つが引っ張り出されているが、そこに遺体は置かれていない。
しかし、白い布が乱雑にまくられた様子がある。
私がアシュリンに説明を求めると、彼女はこれ以上ないほど困惑した様子で言った。
「遺体が……篠崎和佳子の遺体が消えた……」
※
あの後、我々はアシュリンの研究室へと場所を移し、アシュリンから事情を聞いた。
朝、別の遺体を安置室に置こうとしたら、すでに台が引っ張り出されて遺体が消えていたそうだ。
「警察を呼んで監視カメラの映像も確認してもらってるから、遠からず犯人は捕まるだろうが……」
そう言えば、病院の駐車場にパトカーが停まっていた気がする。
アシュリンは私の目をジッと見据え、心配そうに声を掛けた。
「……その……今担当している事件は……大丈夫なのか? こう言っては何だが、病院から遺体を持ち去るなんてどう考えても普通の人間の思考じゃない。もしそんなことをする奴がいるとすれば、極度の死体愛好家か……遺体となった人物を殺した犯人だ」
私は、アシュリンの言葉を重く受け止めた。
もし犯人が遺体を持ち去るとしたら……それはいったいどのような理由だろうか?
考えられるのは、遺体に関連した証拠の隠滅。例えば被害者が抵抗した際につく、爪の間に挟まった皮膚片などだ。
だが、事件から数日経っている。
司法解剖が行われているのは予測できるだろうし、もし証拠を持ち帰りたいなら、その部位だけを切り取るなどすればいい話だ。わざわざ、遺体そのものを持ち去る必要はない。
という事は、極度の死体愛好家か? これは正直言って、信憑性は低い。
いずれにしても、遺体が返ってくる確率は低いだろう。
目の前のアシュリンは下を向いて元気がない。自責の念に駆られているのだろうか……君のせいじゃないのに……とにかく、捜査は継続する必要がある。
私はアシュリンに礼を言って、改めて鶴ヶ峰学園へ向かった。
※
校内の駐車場に車を停め、職員室へと向かう。
残念ながら、我々は鬼島警部と違ってこの事件に関わる正規の捜査員ではない。ここは、鬼島警部を大いに活用した方が良いだろう。
案の定、教師達は鬼島警部に大変協力的だった。
ただ、その教師達はどこか鬼島警部を恐れているように思えるのは気のせいだろうか……私はまず、篠崎和佳子が学校でトラブルに巻き込まれていなかったか訊ねた。
案の定、教師の一人が思い当たるような素振りをとった。
すかさず鬼島警部が畳み込む。
「なんだっ!? 誰がやったっ!?」
「あ、あの……科学の原川先生です……彼女、篠崎さんと廊下でぶつかって……彼女が倒れると、篠崎さんに対して『見ないでっ!!』って言って、走り去っていったんですよ」
……まただ。
科学の原川……ここまでの証言を元に推理すると、彼女はかなり怪しい。
私はその教師に、原川と面会できないか訊ねた。
「いえ、無理です……彼女、今日は無断欠勤で……」
私は即座にその教師に原川の住所を聞き出し、車に乗ってその住所へと向かおうとした。
急いで車に乗り込んだ鬼島警部達は、三人とも緊張した面持ちで黙り込んでいる。
車を走らせて原川が居住している二階建てアパートの前に着くと、大倉刑事を先頭に部屋へと続く扉の前で態勢を整え、私の合図で大倉刑事が呼び鈴を鳴らす。
……返事はない。
私は小声で鳴海刑事に大家さんから鍵を借りてくるように言いつけ、慌ててやってきた大家さんが鍵を開けるのと同時に、大倉刑事が室内に突入する。
昼間にも関わらず、部屋の中は薄暗い……しかも、かなりの異臭がする……外観はボロかったが、ここのアパートはトイレ風呂付だ。
その分の面積で削られた廊下を進み、ワンルームに出ると……そこには異様な光景が広がっていた――血と油にまみれたナイフ……赤黒い、蛆の沸いた臓器……何かの骨……カチューシャの部屋でも同じような物を見たことがあるが、この部屋からは主の暗い感情が見て取れた……。
「うっ!?」
案の定、大倉刑事は吐き気を催し、トイレに駆け込んだ。迷わずに行けたのは、おそらく長年現場で吐き続けてきた勘だろう。
「ぎゃああぁあェェエエエッ!!」
……叫びながら吐いたようだが、そのことについてはノーコメントだ。
しばらくして戻ってくると、大倉刑事は褐色の肌から球粒の汗を拭き出しながら、トイレの方を指さした。
「せ、先輩……」
「……どうかしましたか、大倉さん?」
大倉刑事は何かを話そうとするが、口をパクパクと動かすだけで、言葉が出てこない様子だった。
私が我慢できずにトイレに向かって中を覗き込むと――。
……この仕事をしていると、嫌でも異常な世界を目にすることがある……だが……これは……目の前に広がる光景は、その中でも……いや、言う必要はない。私は黙って、トイレから視線を外した。
……原川美知恵……彼女の精神状態は今、どうなっているのだろうか……?
鬼島警部が代わりにトイレを覗くが、悲鳴を上げて飛び出し、床にうずくまる……。
「……チクショウ……チクショウ……チクショウッ!! こんな……こんなこと……なんでだよ……なんでアイツがこんな目にっ!!」
「鬼島警部……」
誰に言うでもなく悪態をつく鬼島警部を、鳴海刑事が心配そうに見守った後、彼もトイレの中を見ようとするが、私が制止する。
すると彼は、私の顔を見て何も言わずに退いてくれた。
私は事件に関係ありそうな物を収集した後、この現場を所轄に任せることを全員に告げた。
「……」
だが、私の言葉に答えられる者は誰一人いなかった……。
※
私が、駐車場でアパートに到着したパトカーを見ながら大丈夫か質問すると、
「すまん……なんとか」
「あぁ……いけるぜ」
「大丈夫です、問題ありません……」
……みんな無理しているように見えるのは、私の気のせいだろうか?
とにかく、私達がすべきことは原川を探して確保することだ。感傷にも浸っていたいが、その時間はない。
私は、もう一度公園を調べることを提案した。
事件の核心部分……『郵便屋』が原川美知恵である可能性は極めて高く、彼女は今も生きている。
再び公園を調べれば、何か手掛かりがあるかもしれない……というより、あの場所にはまだ調べていない場所がある。
原川美知恵の部屋は当然調べ尽くしたが、私達が目にしたモノ以上の証拠は見当たらなかった。
三人が力なく返事するのを聞いて、私は車を公園へ走らせた。
公園まで来てトイレの前に着くと、鬼島警部と大倉刑事が調子を取り戻して口を開く。
「よしっ! どこを探したらいいっ!? どこでもいいぜっ!」
「自分もだっ!」
彼女達のその言葉を聞いて、私はトイレとは反対の方向に歩き出した。
しばらく進むと突き当りになり、そこには森が広がっていた。
「ここは……?」
鳴海刑事が不思議そうに質問してきた。
ここは公園に隣接した森林であり、郊外にあるためか、広大な面積を誇る。
「なるほど……確かにここはまだ調べていなかったですね」
その通りだ。
しかし、すでに時刻は夜になろうとしており、夕日が落ちかけている。
私達は意を決して、森の中を進んでいった。
……周囲は虫の声も聞こえず、草木を踏む音が空間を支配する。
しばらく進んだら、数メートル先の木々さえ見えないほど辺りは暗闇に覆われてしまった……私は、みんなに大丈夫か確認した。
いや……みんなの無事よりも、ただ単に沈黙に耐えられなかったのだ……幸い、返事はすぐに帰ってきた。
「大丈夫だっ!」
「こっちもですっ!」
……鬼島警部の声が聞こえない……。
「待ってくださいっ! 鬼島警部はっ!? 鬼島警部っ! 返事してくださいっ!」
鳴海刑事も異常に気付き、しきりに鬼島警部の名前を叫ぶ。声が聞こえる位置から察して、どうやら鳴海刑事は私の近くにいるようだ。
私は声のする方へと歩いていく……が、正直言って、頭上の樹木が月光さえも遮り、よく辺りが見えない。
そんな時はコレ、タクティカルライト。軍用の懐中電灯であるため、明るさはもちろん、耐久性も抜群だ。
私が明かりを点けると、すぐに鳴海刑事は発見できた。
「あ、神牙さんっ!……他の方は?」
私は、鳴海刑事しか見つけていないことを伝えた。
私は周囲にいるであろう大倉刑事と鬼島警部に対して、懐中電灯の明かりに集まるように叫んだ。
「分かったっ!」
と言って数十秒後、大倉刑事がその巨体を草陰から我々の前に現した。
「む? おい、神牙。警部殿はどうした?」
「それが……先程から返事が無いんです」
「何ですとっ!?……むぅ~、これほどの明かりならば、多少離れていても気づくはずなのですが……」
大倉刑事の言う通りだ。私はもう一度、鬼島警部に対して大声で叫んだ。
……………………………………………おーい
聞こえたっ! 私は二人に対して、今の声が聞こえたか訊ねた。
「はい、聞こえましたっ!」
「同じくだっ!」
私達は耳を澄まし、声の位置を探った。
……………………………………………………おーい
少しくぐもった声だが、また聞こえた……どうやら森のかなり奥にいるらしい。
私は二人に付いてくるように言って、草木を踏みしだき、掻き分けながら進んで行った。
しばらく進むと、前方にライトの明かりに照らされて一つの影が現れる。
「鬼島警部っ!」
鳴海刑事が叫んだ。
彼と共にその人影に私と大倉刑事も向かうが、鬼島警部と思われる人影は一切そこを動こうとしない。振り向きさえもしないのだ。
私は不審に思って前方の鳴海刑事を引き留め、大倉刑事にも動かないように伝える。
「な、なんだ、神牙……どうしたんだ?」
大倉刑事は私が引き留めた理由は分からないようだが、それを伝えている余裕はない。
私は彼らより前に進み、腰のホルダーからコルトディフェンダーを取り出し、ライトと共に構えた。
ゆっくりと近づく……そして……彼女が動かなかった理由を察した。
「ああぁああぁああああっ!!」
その時、草陰から人影が飛び出してきたっ!――私は、反射的に拳銃を人影に向けて発砲するっ!――弾丸の直撃を受けたのか、人影は後方に倒れたが、すぐに立ち上がって森の奥に走り去ってしまう。
だが、今は追いかける場合ではない。鳴海刑事や大倉刑事を行かせるのも危険だ。
私は人影が逃げ去った方向から視線を外し、鬼島警部の元へ向かった。
彼女は……首を吊っていた。
私は彼女を吊るすロープを拳銃で撃ち、彼女が地面に倒れる前に受け止め、そっと地面に横たえた。
「か、神牙さんっ! 大丈夫ですかっ! き、鬼島警部っ!?」
「よし、自分が追いかけようっ!」
私は大倉刑事を引き留めたっ!
「なぜだっ!?」
今逃げた相手はおそらく、原川美知恵だろう。
彼女の部屋のトイレで見た惨劇や、目の前にいる鬼島警部に対する行いなど、彼女はいま、非常に危険な存在になっている。
ヘタに一人で追いかけるよりも、大人数で追い詰めた方が安全であることを伝えた。
「……分かった……自分は所轄の警察署に連絡をしておこう」
大倉刑事は納得いっていないようだったが、これでいい。私は彼の死体を見たくはない。
「……悪ぃな……ヘマしちまってよ……」
まだ息があったのか、鬼島警部が目を覚まして、ボソッと呟いた。
私は気にしないようにと伝えた。
「でも、どうしたんですか……? その気になれば取り押さえられそうなのに……」
「……あれさ……」
そう言って、鬼島警部は前方の上の方を指さした。
私がつられてその場所を見ると、そこには不自然な影があった。
なんというか……その影はまるで……木からロープのようなもので吊るされた人のような……私がライトで照らすと、その影の正体が分かった……それは……逆さに吊るされた……佐藤ゆかりの死体だった……。




