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地獄からのお便りを ~『その者』~

様々な人物の思惑により、一つの単純と思われた事件が、迷宮のように複雑な事件へと変貌することがある。

だが、実際は違う。

元々その事件は、自分の近くにいる者達が発端となっているのだ。

それに気づいた時、あの人は何を思っただろうか……。


「だぁっ! 負けたぁ~っ!」

「また競馬ですか、警部っ!? いったい、どれだけ言えばあなたは――」


 朝、オモイカネ機関の扉を開いて私の耳に入ってきた会話がこれだ。

 正直言って、大倉刑事はもう鬼島警部の説得を諦めた方が良い。彼女は、言って聞くような人間ではない。

 彼女のような人間は、絶対的に確信を持って自由を謳歌しているタイプの人間だ。

 報告書は提出しない。

 まだ仕事が残ってるのに定時きっかりに帰宅する。

 そして仕事中はいつもソファに寝転がって競馬新聞、競馬中継を見ている。

 いったい、なぜ彼女のような人間が公務員試験に合格できたのか……私は甚だ不思議でならない。

 そんな彼女は、私を見つけると、なんの悪意もない笑顔で挨拶してきた。


「ようっ! 報告書は机の上だぜ!」


……今なんと? 私は自分の聴覚を疑った。

 彼女から聞こえてきた言葉を正確に把握するなら、彼女は報告書を私のデスクの上に置いてあるのだ。

 あの鬼島警部が……給料泥棒の模範のような人物が……私は思わず熱くなった目頭を押さえ、平静を装って自分のデスクに近づいた。


「どうだ? 報告書は見つかったか?」


……確かに見つかった。だが、そこには何も書かれていない。白紙だ。

 私はその事について彼女に質問すると、


「だってよ~、一生懸命やってみようとしたんだけどよ? 全然分かんなかったんだよ。代わりに書いといてくれやっ!」


 そう言ってゲラゲラ笑う彼女を、私は心の中で十回ほど射殺した。

 だが、そもそも彼女に変な期待を寄せた私がバカだったのだ。

 私は溜息をついてデスクに着き、この前担当した事件の報告書を作成し始めた。

 しばらくパソコンとにらめっこしていると、いつの間にお昼時になったのか、壁に掛けてある時計が正午の時間を知らせてくれた。


「よっしゃっ! メシだっ!」


 そう言って鬼島警部は、大倉刑事の制止の声も聞かずにオモイカネ機関を出て行ってしまった。

……わたしもしばらく休憩しようか……そう思い、パソコンから目を離して出かける準備を始めた。

 行先はもちろん、喫茶店ロマンだ。あそこなら多少混んでいても、待つだけの価値がある。

 鳴海刑事と大倉刑事にも、声を掛けた。


「いいですねっ! ご一緒しますっ!」

「うむっ! 自分もそこに行こう思っていたところだっ!」


 こうして、私と鳴海刑事、大倉刑事三人でのランチをすることになった。

 警視庁を出て無機質なビル群の間を進み、少し路地裏に入ったらそこにはすでに人の列が出来ていた。


「むぅ……やはり遅かったか……」


 私の後ろで、大倉刑事が実に残念そうに溜息をつく。鳴海刑事も同様だ。

 私達は諦めて、近くのうどんチェーン店に行くことにした――幸い、こちらの方はいているようで、すぐにかき揚げうどんにありつけた。

 私達はうどんを食べ終え、私達は再びオモイカネ機関へと戻った。

 私が扉を開けて中に入ると、部屋の中には鬼島警部の姿はなく、テレビは点けっぱなしになっていた。そのことに、満腹感にひたって機嫌の良かった大倉刑事は即座に眉をひそめる。


「まったく……警部殿にも困ったものですなっ!」

「はは、仕方ありませんよ。あの人はそういう人なんですから」


 鳴海刑事の言う通り、鬼島警部は筋金入りの怠惰な性格をしている。言うだけ無駄というものだ。

 私がテレビを消しにソファの近くを通りかかると、見覚えのある物を見つけた。タバコだ。

 もっとも、普通の成形された箱に入っているような物ではなく、柔らかい紙の箱に入れられた物で、すでに箱もその中身もクシャクシャになっていた。


「……そう言えば、鬼島警部と会った時もこのタバコを吸っていましたね」

「ええ。まるで昨日の事のようです」


 後ろから、鳴海刑事と大倉刑事が懐かしむように話す。

 そう、私と鳴海刑事、大倉刑事が鬼島警部と出会った時、彼女はこのクシャクシャのタバコを吹かしていた。

……まだデスクにあの時の捜査資料が残っていたはずだ。あの事件の報告書を鬼島警部にも提出するように言っていたのだが、彼女は未だにその報告書を提出していない。

 私は自分のデスクの引き出しを探し、数々の書類に埋もれた黒革手帳を手に取った。


『私立鶴ヶ峰学園連続怪死事件』


 黒革手帳の表面にある白地にはそう書かれていた。

……例によって、この部署は今日も暇だ。私は手帳をめくりながら、当時の情景を思い出していった……。


              ※


 その日は多忙を極めた。

 いつもなら私に事件発生の連絡がきて、私がそれを淡々と処理する……それが今までのやり方だった。

 だが、今日からはそこに二名の新人が加わることになる。


「おい、神牙っ! ここはいったいなんだっ!」

「そうですっ! 納得のいく説明をお願いしますっ!」


 この通り、私の目の前にいる二名はこの事態に驚きを隠せないでいる。

 一人は二メートル近い巨体の大倉刑事。

 もう一人は痩せ型の好青年という肩書がピッタリと似合う鳴海刑事。

 さて、なんと言えばいいのやら……今まで狂人や人外を相手にしてきたため、私はいわゆる普通の人間との接し方を忘れてしまった……果たしてうまく説明できるだろうか……。

 一応言っておくと、私のいる部署というのは公然の秘密という類のものになる。

 この部署の名を、私は『オモイカネ機関』と呼んでいるが、表の扉に貼ってある看板には、『捜査五課』と書かれている。

 いずれにしても、彼らを呼んだのは私だ。

 私は深呼吸してから、私のデスクの目の前にいる二人に対して、簡単に説明した。

 この部署は捜査五課、もしくはオモイカネ機関と呼ばれていること。任務は全国の警察の捜査支援であり、在任者は私を含めて現在三人であることを。


「馬鹿なっ! いい加減な事を言うんじゃないっ!」

「そうですっ! そんな部署、聞いたこともありませんっ!」


……まぁ、わかっていたことが、二人はまだ事態を上手く呑み込めていない様子だ。

 だが、直に彼らも要領よく生きていくことになる……或いは、事件の犯人に殺されるか……だが、私のそんな憂いはすぐに別の案件に払拭された。

 タイミングよく、私の携帯電話に連絡が入ったのだ。


『怪死事件発生。場所は都内鶴ヶ峰学園』


 私は場所を聞くと、二人に付いてくるように言って部屋を出た。


「お、おいっ! 待てっ!」

「行きましょう、大倉さんっ!」

「押忍っ!」


              ※


 自家用車にて、目的地に向かうこと二十分――私は古めかしい校舎が見下ろせる丘の駐車場に車を停め、未だに文句を言っている二人を連れて鶴ヶ峰学園に向かった。

 丘の勾配を整備して設けられたコンクリート製の階段を降り、右側にあるレンガの壁沿いに歩いて行った。

 しばらく歩いて通りに出ると、右側に鶴ヶ峰学園に入るための正門がある。

 あの丘を、私達が降りてきたのとは別の階段から降りると学園の裏門に通ずるのだが、目立たない場所に設置されているため、不審者に間違われる危険性があった。

 それよりかは、正門から堂々と入っていって職員室へと向かう方が良い。

 私達の姿を見て職員達は驚いていたが、私は警察手帳を見せてためらわずに、この学校で死人が出ていないか質問した。


「お、おい神牙っ!」


 後ろで大倉刑事が呼び止める声が聞こえたが、関係ない。


「……あの」


 しかし、私が質問した女性教師は少しためらいがちに口を開いた。


「実は……昨夜、ウチの生徒が近くの公園で殺害されたんです……」

「えっ!? 本当ですかっ!?」

「ええ。それで、今日はその子の告別式で……」


 私はその女性教師に告別式をしている場所を聞き出したが、知らないと言われた。

 まずい……できれば早いうちに関係者に概要を聞いて事件を解決したかったのだが、これでは出遅れになる。

 その生徒の名前も聞いたのだが、『守秘義務があるので…』と言われてた。そう言われたら仕方ない。

 とにかく、私はその女性教師に礼を言って、その場から立ち去った。

 私は正門を出たところで、彼らに事件の起きた公園に向かう事を告げた。

 二人は不満な様子だったが、私に付いてきてくれた。ただ、捜査に協力するというよりは、私を監視するという意味合いの方が強いようだ。

 幸い、近くに町内の地図を示した看板があったため、公園の位置はわかった。

 私達は通りを歩いて公園へとたどり着くと、警察などが使う規制線のテープを探した。

 事件が起きてまだ日が浅い……ここが犯行現場ならば、どこかにまだ規制線が貼られているはずだからだ。


「神牙さん、あそこに」


 鳴海刑事にそう呼ばれて振り向いた先には、黄色いテープが公園の公衆トイレを中心に貼られていた。

 そこは公園のちょうど中央に位置しており、道はすべて公園の四つの出入り口すべてに通じている。

 この公園は都内にしては広く、そこかしこに整備された階段やベンチが設置されている。

 自殺にしても他殺にしても、これでは有用な目撃証言を得にくいだろう……。

……いやな習性だ。この世界で仕事をしていると、現場を見ただけで嫌でもそのような考えが浮かぶ。

 刑事としては、事件に対して全力で挑むのが当然なんだろう。だが、それも現実を見ていくうちに思い知らされる。

……無駄な感傷に浸ってしまった。

 私は二人と共に、その規制線へと向かった。


「ちょっとっ! ここから先は立ち入り禁止ですっ!」


 私はすかさず、懐から警察手帳を取り出して警官に示した。


「あっ……失礼しましたっ!」


見ろっ! 人がゴミのよう――失礼……とにかく、私達は警官が上げてくれたテープをかいくぐり、犯行現場へと向かった。

 と言っても、外から見ただけでは、どこが犯行現場か分からない。


「お、おい、神牙……見てみろ」


 私は恐怖の表情を浮かべる大倉刑事に言われて、女子トイレの方を見た。

 そこからは、なにやら面妖な気配が漂ってくる……私は大倉刑事の制止の声を振り切って、女子トイレの方へ向かった。

……出入り口から入るとすぐ、血の匂いがした。

 むせびそうになるのを堪え、奥へと進んでいく。


「……ひどいですか?」


 いつの間にか、鳴海刑事が後ろから来ていた。

 彼も大倉刑事と同様、顔色が悪かったが、それでも現場に立ち入ろうとする気概は大したものだ。大倉刑事にも見習っていただきたい。というより、手足の爪をすべて煎じて飲んでほしい。

 私は鳴海刑事にそこで待つように指示し、改めて奥へ進んでいく。

 一番手前のトイレの中は……何もない。

 二番目のトイレもドアを開けてみるが……ここにも何もない。

 そしてトイレの一番奥……三番目のトイレで、『ソレ』を見つけた。

 無造作に置かれ、血の臭いをまき散らす物……それは……人の眼球のようだった。

 私は手掛かりを見逃さないように、手袋をはめて注意深く観察を始めた。

 眼球の状態から考えて、おそらく昨夜のものだろう。

 眼球は閉じられた便座の蓋の上に置いてあり、血管が乱暴に引きちぎられているように見える。

 ふと思った。なぜ、未だに眼球がここに置いてあるのだろう? 普通なら、鑑識が証拠品として押収するはずだ……が、少し考えてみれば、なんのことはない。私の方に話が来たという事は、この事件は通常とは異なる事件であるということだ。

 それならば、現場が被害者の眼球付きで保存されているという事も納得がいく。私が無事に事件を解決できるように、取り計らってくれたのだ。

 もっとも、『その者』と私は直接会ったことは無い。いつも携帯端末でのやり取りだけだ。

 そんなことを考えつつも現場の観察をしていたら、トイレの裏側に思わぬ物を発見した。

 それは、一枚の紙の切れ端だった。

 ハサミでキレイに切り取られたらしく、プリントされた文字で『篠崎和佳子しのざきわかこ』と書かれていた。

 そして、その文字にマジックペンで大きくバッテンがつけられている。

 これはいったいどういうことだろうか? 正直、眼球とのギャップが凄過ぎる。

 もっとも、ここで考えても仕方ない。

 私は、あらかじめ持ってきていたパケ袋に紙の切れ端を入れ、トイレの入り口で待っていた鳴海刑事と合流した。

 現場の方は『その者』に任せればいい。どうせ、ここに私が来たことはすでに知っているだろう。

 私の姿を見るなり、鳴海刑事は口を開いた。


「……どうでしたか?」


 彼はまだ、顔色が悪かった。

 無理もない。彼も、トイレの入り口であの臭いを嗅いだはずだ。

 私は、そんな彼に包み隠さず見たものを伝えた。

 彼は私の話を、胃液の逆流と格闘しながら聞き終えた。


「……そう……ですか……その、これからどうしますか? 確かに妙な話ですが、これで捜査が終わりというわけではないでしょう?」


 私は肯定した。ここからが本番と言ってもいい。

……しかし、気になる事がある。大倉刑事の姿がいないのだ。

 私がその事を鳴海刑事に質問すると、彼は気まずそうに口を開いた。


「大倉さんは……あそこに」


 そう言って彼が示した先には、ベンチで燃え尽きたように座り込む大倉刑事の姿があった。

 彼は私の視線に気づくと、何事も無かったかのように立ち上がったが、そのままふらついてベンチに倒れこんでしまった。


「大倉さんっ!」


 その様子を見ていた鳴海刑事は駆け足で大倉刑事の下へ向かい、背中をさすって何事か話している。

 私も小走りで二人の下に向かうと、大倉刑事はバツが悪そうにうつむいたまま、


「すまん……自分は、血が苦手なんだ……」


 そう言って黙り込んでしまった。

 私は気にしないように彼に言うと、周辺の捜索と聞き込みを二人に指示した。

 今のところ、手掛かりは鶴ヶ峰学園の生徒が亡くなった事と、その生徒の物と思われる眼球が便器の上に置いてあり、便器の裏側に見えないように隠された、名前にバッテンがつけられた紙の切れ端があったことくらいだ。

 情報が欲しい……そのためには、『現場百遍』という言葉を実行するのが一番だ。

 現代の警察は科学技術が進歩したためにこのような手法は時代遅れと見られてきているが、我々の部署にとっては、そのやり方こそがもっとも早く迅速に事件を解決するための捜査手法だ。

 二人も異存ないようなので、私達はそれぞれ分かれて公園内を探索することにした。

 私は公園の北側の方を担当することになり、一度出入り口の方まで戻ってから探索することにする……つもりだったが、探索の必要はなくなったようだ。

 私が出入り口へ向かう途中、公園の砂利道で数人の男女と出会った。

 彼らはどうやら、鶴ヶ峰学園の生徒と教師らしい。

 少年と少女の方が来ている制服は鶴ヶ峰学園のものであり、比較的妙齢に達している男女の方は男は紺のジャージ姿、女は真っ白なブラウスに黒のスカート、おそらく教師だろう。

 私はその者達に近づき、警察手帳を出して身分を明かし、聞き込みを行った。

 私は鶴ヶ峰学園の関係者かどうかと、氏名を聞いた。


「ええ。私は体育を受け持っている倉崎浩太くらざきこうたです」


 と、ジャージ姿の男がぶっきらぼうに答えた。

 この倉崎という男は、背は小さいが体格はいい。頭髪はキッチリとした五分刈りで、年は四十代半ばだろうか?

 浅黒い顔にシワが深く刻まれたその陰険な表情は、人を寄せ付けない印象がある。間違いなく、学校で嫌われるタイプの教師だろう。


「私は化学を教えています、原川美知恵はらかわみちえと申します」


 倉崎に続いて、ブラウス姿の女性が口を開く。

 彼女は倉崎と違って、穏やかな性格のようだ。

 肩までかかる黒髪は美しく、その佇まいには気品のようなものが感じられた。

 私が原川の自己紹介を聞き終えて少年と少女の方をみると、二人は目を合わせないように下を向いてしまった。


「コラッ! ちゃんと自己紹介をせんかっ!」


 案の定、倉崎の口から怒号が飛び出す。

 その様子に原川は怖がっているようだが、少年と少女の方に動じる様子はない。普段から倉崎に怒られているのだろうか?

 私がそんなことを考えていると、少年の方が先に自己紹介を始めた。


「……二年の須川すがわです」


 須川と名乗る少年は、そう言ってまた下を向いてしまった。

 倉崎はその様子を見て怒っていたが、おそらく私がいる手前、いつものように叱る事が出来ないのだろう。とても口惜しそうにしている。

 もっとも、警察官の前で出来ない説教が、果たして本当に少年少女のためになるかは不明だが……。


「あ、あの、同じ二年の佐藤ゆかりです……」


 そう言って、佐藤はペコリとお辞儀をした。

 彼女は肩まで伸びた髪をおさげに結んでいる。今時にしては古風な少女だ。

 続いて私は、この公園で亡くなった鶴ヶ峰学園の生徒がいないか確認した。

 すると、生徒と思われる男の子がオズオズと質問に答えてくれた。



「……います。僕の友達で、篠崎和佳子と言います」


 なるほど。紙の切れ端に書かれた名前と一致する。

 ということは、私が今持っている紙に書かれた名前は、被害者の名前というわけか。

 私は最後に、彼らがなんでこの場所にいるのかを訊ねた。


「いや、それがですな、こいつらと亡くなった生徒というのが、この公園で不純異性交遊をしておったようでして、そのことを注意していたのです」

「……チッ」

「んっ!? なんか文句でもあるのか、須川っ!?」


 須川の舌打ちする音が聞こえたのか、倉崎は威嚇するように須川に近づくと、拳を振り上げた。


「貴様のような輩がいるから、風紀が乱れるんだっ!」

「やめてっ!」


 その時、倉崎の振り下ろした拳は、須川をかばうように前に出た原川に当たり、彼女は地面に倒れてしまった。


「あ……」


 倉崎は、原川を殴ってしまったことに驚いている様子だった。

 対する須川と佐藤は、倉崎を恨めしそうに睨んでいる。


「だ、大丈夫ですか、原川先生?」


 そう言って、倉崎は地面に座り込む原川に手を差し伸べた。

 しかし、原川は倉崎に対して恐怖の視線を向けていた。


「あ……あ……見ないで……」

「え? 何ですか?」


 原川は口元をパクパクと動かし、倉崎の手を掴む気配はない。


「見ないでぇええっ!!」


 原川は絶叫し、立ち上がって走り去ってしまった。

 いったいどういうことだろうか? 見ないで?

……まぁ、無理もない。原川は倉崎に、故意ではないとはいえ、顔を殴られたのだ。

 おそらく多少のパニック状態になっていても不思議ではないが、『見ないで』とはどういう事だろうか? 彼女の言葉を鵜呑みにすれば、倒れた自分を見下ろす者達に『見ないで』と言ったのだろうか?

 いずれにしても、彼女の姿はもう見えない。

 私がそんなことを考えていると、


「な、なんだって言うんだ……と、とにかく、貴様らはさっさと家に帰れっ! 二度と不埒なマネをするなよっ!」


 そう言って、倉崎もその場を立ち去ってしまった。

 私は残った須川と佐藤の方を見て、何か事件に関して思い当たることはないかと質問した。


「……あるよ」


 私の質問に、須川が相変わらずぶっきらぼうに答えた。


「僕達がこの公園に来たのは、『郵便屋』に会うためなんだ」

「……」


……私の耳が正常ならば、彼は今『郵便屋』と言ったはずだ。

 だが、周囲を見回しても郵便局は当然ながらどこにもない。おそらく、何かの比喩表現なのだろう。

 私は、『郵便屋』がどこにあるのか質問した。


「こっちに来て……」


 そう言って、須川は歩き出した。

 私は、佐藤と共に彼の後ろに付いていくことにした。

 やがて例の公衆トイレの近くまで来ると、須川は砂利道に設けられた公衆電話を指さした。


「あれだよ」


……なるほど。

 私は、あれがなぜ『郵便屋』と言うのか質問した。


「……」


 だが、彼はその質問に答えようとしない。

 その代わりのように、佐藤が口を開いた。


「実は……あの公衆電話の中に入って自分の携帯電話や家の電話番号にかけると、次の日に郵便屋さんからお便りがくるんです」


 う~ん……子供の脳ミソというのは年々退化しているのだろうか?

 私がそんなことを考えていると、須川が見透かしたように言った。


「どうせアンタも信じてくれないんだろ? おい、ゆかり。もう行こうぜ」

「え? でも――」

「いいから早くっ!」


 そう言って、倉崎は佐藤の腕を掴んで強引に連れて行こうとする。

 ちなみに、私は彼らを止めるつもりはない。すべて自分の責任で決めればいいことだ。もし仮にそのせいで不幸な目にあっても、私が苦しまずに済む。

 そう考えて黙ってその場を立ち去ろうとすると、


「おい、アンタ」


 須川が呼び止めてきた。

 正直言うと、私はこの少年が苦手だ。世渡り下手にもほどがある。

 なぜこれほどまで、大人に対して失礼な態度がとれるのか。いったい親はどういう教育を――


「倉崎と原川先生は不倫してんだ」


……それで私にどうしろと――


「アンタ、なんとかしてくれないか?」


 はい、きました。他力本願です。

 こういった他人にそっけない態度をとる者ほど、他人に頼ろうとする。ハッキリ言って、私はこういったタイプの人間が嫌いだ。

 ただ、あの倉崎と原川が不倫しているという情報は気になる。

 私がその事についてもう一度念押しすると、佐藤が口を開いた。


「分かりません、そういう噂があるだけで……でも、倉崎先生は結婚しているのに、いつも原川先生の傍にいて……」


 なるほど、自分の好きな先生に嫌いな先生が付きまとっているから、何とかしてくれと……だが、果たして本当にそんな考えで良いのだろうか? 一応、この情報は頭の隅に入れておこう。

 私は二人に曖昧な返事をして、その場を立ち去った。

 今もどこかで探索を続けている鳴海刑事と大倉刑事に電話をし、手に入れた情報を収集、精査、統合し、再び同じような聞き込みを行う。

 基本的に捜査というのはこういったことの繰り返しだ。

 私の電話に、二人はしっかりと出てくれた。

 私は車を停めた所で待ち合わせしようと伝え、駐車場へと向かった。

 青々と茂る木々を見つめながら公園の中を歩くと、ここで凄惨な殺人事件が起きたというのが今でも信じられない。

 そう言えば、遺体がどこにあるのかを聞くのを忘れてしまった……そう思って歩きながら『その者』に連絡を入れると、『神明大学付属病院』とだけ短く答えた。

 私はすでに駐車場で待っていた二人と共に、病院へと向かった。


              ※


 神明大学付属病院の正面玄関に着くと、奥の方からアシュリンの姿が見えた。


「君達か……検討はついている。こっちだ」

「押忍っ!」

「よろしくお願いします」


 二人はアシュリンにそれぞれ挨拶すると、ホイホイと後を付いていく。まるで、アンコウの明かりに導かれる哀れな小魚のようだ。

 そんな思いを抱きながら三人の後ろをついていき、遺体の安置室に入った。

 部屋は少し肌寒く、目の前には金属の箱のようなものが規則正しく設置されている。


「昨日来た遺体なんだが、ひどい殺され方をしていてな。君達の管轄だと思って連絡をしようとしたら、ちょうど君達の方から来てくれたというわけだ」


 そう言って遺体の乗っている台の取っ手を動かすと、中から白い布を被せられた遺体があった。


「見てくれ」


 アシュリンがそう言って布をめくった瞬間、鳴海刑事は顔をしかめて『うっ……』とうめき声を上げた――大倉刑事に至っては、悲鳴を上げた。

 それも無理はない。目の前にある遺体は、顔面を原型をとどめないほど潰されていた。

 胴体の部分はひどく抉られ、中は少し空洞になっていた。


「この遺体は、顔面を鈍器のようなものでメッタ打ちにされている。胸部の傷だが、刃物で切り開かれている。それと眼球なんだが、こちらの方は無理やり、くり抜いたようだ」


 アシュリンはそれらの言葉を、スラスラと言ってみせた。

 当然、鳴海刑事と大倉刑事の顔色は悪くなっている。


「それとな……」


 アシュリンは鳴海刑事と大倉刑事を見る。


「この通り顔面はグチャグチャなんだが、生体反応から考えて、どうやらこの被害者は生きたまま眼球をくり抜かれたらしい……」


 その顔がニヤついているということは、おそらく鳴海刑事と大倉刑事が自分の話を聞いて具合が悪くなっているのを楽しんでいるのだろう。サディストめ。

 だが、これは有用な情報だ。

 私はアシュリンに、被害者の直接の死因は何か問いただした。


「おそらくだが、この胸部の傷だろうな」


 彼女はそう言って、被害者の胸部を示した。

 確かに、見た目はひどくやられているが、よく見てみれば心臓の位置に刺し傷がある。

 私はアシュリンに礼を言って、鳴海刑事と大倉刑事を外に連れ出し、再び車の中に戻った。


「……これからどうしましょう」


 先に体調が戻った鳴海刑事が質問してきた。

 私は鳴海刑事に、鶴ヶ峰学園の関係者に聞き込みをすることを提案した。

 公園の方は、おそらく『例の者』が『掃除』している最中だろう。その現場に私達がいるのは、なにかと問題もある。

 そのため、まずは鶴ヶ峰学園の方を捜査する。

 鳴海刑事と大倉刑事によれば、二人はあの公園では何も手掛かりが無かったらしい。

 ということは、鶴ヶ峰学園の関係者に会ったのは私だけで、しかも四人だけしか会っていない。

 さらに、教師の方は話の途中でどこかへ行ってしまうし、生徒の方は『郵便屋』だの不倫がどうのと言われた。もっと情報を集めるべきだろう。


「分かりました。行きましょう」


 鳴海刑事のその言葉を聞いて、大倉刑事も小さく『自分も……』と言っている。

 私は頷いて、車を発進させた。

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