妬みの泥沼 ~不可思議な幕引き~
……その後、私はこの病院のベッドの上で目を覚ました。窓の外を見つめて、深い溜息をつく。
染谷親子はその後、無事警察に保護されたそうだ。
あの親子が救出されて、すでに二日経っていたらしい。目覚めた時には、すでにギプスに落書き、棚に見舞い品の山が積まれていた。
まだ誰も面会に来ないという事は、主だった者達が面会に来た後に私は目を覚ましたという事か……ざっと見た限りでは、私はかなりの重傷らしい。
だが、染谷親子が救われただけでも御の字だろう。
私がそんなことを考えてニヤリと笑っていると、突然病室のドアが開き、カチューシャが入ってきた。
「あら、ファングっ!? 目を覚ましたのねっ!?」
私は返事をすると、彼女にある質問をした。悪魔についてだ。
カチューシャは私の方を見て、柔和な微笑みを浮かべた。
「そうねぇ……あたしの私見になるけど、悪魔には大きく分けて三つのタイプがあるわ。一つ目は、地獄、魔界、冥界なんかで暮らしている悪魔。このタイプは、どいつもこいつも強大な魔力を持っているわ。とても私達人間が太刀打ちできるような相手じゃないわね」
私が人間の枠に入るなら、この世も終わりだ。
「二つ目は、この世の人間や動物なんかに憑りついて現れる悪魔。これが一番有名ね。悪魔のレベルによってはお祓い一つでまたあの世に戻す事もできるわ。そして最後に三つ目。これはちょっと特殊なタイプで、人間や動物に自らを変化させて現れるタイプ。
こういうタイプは、人間の一生を送った後にそれぞれの世界に帰っていくわ。目的は人間の人生を歩みたいっていう好奇心とか、良質な魂を手に入れるためにこの世に介入するためっていうものがあるわ。憑りつくだけじゃまだ本人の意識が残ってるから、人間に化けて交通事故に見せかけて殺したりした方が、手っ取り早く魂が手に入るってわけ」
……なるほど……宮川晴子と北沢千里はその三つ目のタイプの悪魔だったということだろうか……だが、私はまだ、この事件の真相にたどり着いていない気がする。
もっとも、いくら考えても仕方な――
「あっ! ファング、私の送った薬草使ってないわねっ!? ダメじゃないっ! ちゃんと使わないとっ!」
そう言って、彼女は棚に置いてある薬草を手に取って口の中に入れ、入念に咀嚼した。
そして、私の頭を両手で押さえて薬草を口移ししようと――いや、ダメダメダメッ!! ダメだってばっ!!
私が激しく抵抗すると、彼女は実に残念そうに薬草を飲み込み、別の薬草をドレスの中から取り出し、大きな黒革のバッグからすり鉢を取り出し、薬草を入念にすった後に何かの粉末を入れ、そのすり鉢を私の口元に持ってきてスプーンで食べさせようと――だから嫌だってばっ!
「何よっ! 体にいいのよっ!?」
私は、アシュリンからもらった鎮痛剤があることを激しく主張したっ!
「フンっ! どうせ麻薬なんかの成分が入ってる違法スレスレの薬品でしょっ!? アメリカの薬ってのは全部そうなんだからっ!」
私達がその後も不毛な議論を続けていると、アシュリンが入ってきて議論にさらに熱が入ったのは言うまでもない。
「――ま、いいわ。それじゃ、アタシはもう帰るから」
そう言って、カチューシャは病室を出た。
ちなみにカチューシャとアシュリンは、私を介して何度か会ったことがある。
ただ、一方は魔女、もう一方は元米軍衛生兵の監察医という事もあって、彼女達は水と油の関係だ。
「それで――」
カチューシャが出ていくのを見計らって、アシュリンは私の足のギプスを撫でながら聞いてきた。
「どうだ、傷の具合は? 痛むなら、私のやった鎮痛剤を飲むといい」
私は特に問題ないことを伝えた。
「そうか……」
その後は沈黙が病室を支配し、やがてアシュリンは耐えきれなくなったように立ち上がった。
「それじゃあな。入院中は無理な運動を控えて、傷の手当てに専念しろ」
私が返事をすると、アシュリンは微笑んで病室から出た。すると、入れ替わりに鳴海刑事と大倉刑事、鬼島警部が入ってきた。
「おお~っ! 何度見てもすげぇケガだなっ!」
「警部……神牙さんは安静中なんですから、もう少し静かに――」
「構うことはねぇっ! おっ! 俺の書いた落書き、まだ残ってらっ!」
……ケガが完治した私がまずするべきなのは、鬼島警部に対する厳重注意と減給処分だろう。
鳴海刑事と鬼島警部の後ろでは、大倉刑事が巨体をこれでもかと縮こまらせていた。
私がどうかしたのかと聞くと、彼は泣き出しそうな顔で私に迫った。
「……自分は……自分はっ!」
とりあえず彼を落ち着かせ、その後の状況を三人から聞いた。
「……貴様の身体と車に取り付けた発信機なんだが、自分や先輩、藤沢警視達が十分程遅れて貴様の車を追っていたところ、たどり着いたのが千葉県の海岸だったのだ」
千葉県の海岸と言えば、私達が向かっていた方向とは完全に正反対の位置だ。
「その海岸で、神牙さんに取り付けたはずの発信機を見つけました……」
鳴海刑事と大倉刑事はそのままうなだれてしまったので、私はフォローの言葉を投げかけて脅迫状の切手の唾液について質問した。
「ああ。それなら結果が出たぜ」
鬼島警部が口を開く。彼女が仕事をしてくれていたとは……。
「あれは全部、宮川晴子のものだったらしい。誘拐事件とは関係ないだろうな」
……いや、違う。
あの夜、宮川晴子は北沢千里と一緒にいた。しかも、私の目の前で変身したのだ。この世ならざる者に……。
私はその事を伝えたのだが、三人からは微妙な反応が返ってきた。
「それが……宮川晴子と北沢千里が姉妹の関係にあったという証拠はありませんでした。小さい頃に生き別れたというものでもなかったですし、おそらく北沢千里が宮川晴子に特別な感情を抱いていたためにそのように呼称していたのではないかと……」
……果たしてそうだろうか? あの時の二人はとても他人のようには思えなかった。
「それと桜井さん宅で飼っていた猫達ですが、あの廃病院の近くの森で惨殺されているのが見つかりました。それと……」
そこまで言って鳴海刑事は、伏し目になってしまった。代わりに鬼島警部が言葉を紡ぐ。
「殺されてた猫ちゃん達なんだが、死体に齧られたような跡があって、その部分から宮川晴子の唾液と、誰かは分からないが女性の遺伝子がついた唾液がもう一つ見つかったらしい……どうやら奴さん、猫を食ってたらしいな」
「うぅ……」
お約束のように、大倉刑事の体調が悪化する。とにかくここでは吐かないでほしい。
しかし……もしそれが事実なら、猫を食べていたのは宮川晴子と北沢千里だろう……その場面を思い浮かべただけで、今さらながら戦慄が走った。
「それと北沢千里の身柄なんだけどよ……まだ見つかってないらしい。他に誰かいなかったか?」
……私はその質問を否定した。
あの夜、私が見たものは私の中に思いとどめておいた方が良いだろう。ヘタに皆に知らせるのは得策ではない気がする。
その時、私の携帯電話が音を鳴らした。
私は鳴海刑事にその携帯電話を取ってもらい、画面を開いた。
「報酬の支払いはさっさとしろよっ! 殺すぞっ!? リズより」
……もういっそ破産しようか……いや、彼女なら雲隠れした私さえも見つけ出すだろう……。
私は携帯をしまって窓を見る。
すでに夕日が室内をノスタルジックに照らすなかで、私は染谷親子の今後の幸福、そして二人の悪魔との再びの邂逅を、心から祈った……。




